痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
年明けて ずいぶん過ぎてしまいました。 いろいろ心配してくれたみんなありがとう(=^0^=)

何とか生きて 年を越せました。  新年に見た五木寛之さんの書物の中に

「夕陽は堂々と沈んでいく」 それは「また、昇ってくるために」という一文を見つけ、

自分たちがしようとしていることは そういうことなのだと気づきます。  つまり・・・・・

沈む時には沈むといいんだということ。 しかも 堂々と沈み、いつか また朝陽に変わろうと。


 沈むことも 何か意味があると想うし 夕陽は美しい・・・・それを感じて生きることが人生を

豊かにするのだとおもいます。  だけど それは あくまでも自分たちの 心の持ちようも含めて

やっとたどり着いた 生き方、考え方なのです。  相手の間違いや 命の尊厳の否定には

ちゃんと反発や 意識を伝えなければなりません。  今年はそういう年にしたい。

  去年は 本当に 自他ともに 「人となり」を 自覚したり見せつけられた一年でした。

ひとの熱い思いの向こう側に棲む 心の束縛も 感じる年でした。   去年は 未曾有の大震災に

見舞われ、日本の誰もが それぞれに考え直しや生き直しを迫られた年でした。

 あの震災から 三月で一年。    行方不明のままの人もまだいる中で 日本はどう変わればいいの

でしょう。  私は あれから どんな場所に行っても 「ここが地震と津波に見舞われたら」と考えるように

なりました。  大きな河川敷のある川沿いの町では 水害の歴史を遡り、 琵琶湖や若狭湾を想うと

起こりうる想定の原発の恐怖に寒気立ち、 いつも災害は隣り合わせと意識的に想うようになりました。

 それが私の東北への供養と できることだと思っています。   今年も命のある限りよろしくお願いします。

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年明けて  少し嬉しかったことを いくらか書いていきます。

  ひとつめは・・・・・・二年前 相次いで家族を二人亡くし、 婚約者と籍を入れて年賀に「朗訃報」を

送ってきた 元スタッフの小林君・・・・・千早赤坂村に念願の新居を建立したとの知らせ。

嬉しくて また携帯をなくし・・・・・メモリが全部なくなったので 店には 「突然行きます。お願いします。」

と。    「待ってますよ」と返信しました。  こんな人間が居る限り、お店はあけないといけないな・・・・。

  小林君  よかったね。 冬の時代を生き抜いたからこそ 今があるんだね・・・・・(*´∀`*)


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へらへらと 人にへつらうのはよそう。  さみしいからといって 誰かにすがるのはよそう。

冬の人生を 歩もう。  痛む足と腕を そっとかばいながら。 君も歩こう。

冬の人生とて 太陽は昇るし 冬の人生とて 青空も仰げる。   冬の人生とて 月は輝き

冬の人生とて オリオン座は光る。   自分をさらけ出し 自分を守ろう。 

 無表情な 凍りついた うつむいた 君へ・・・・・・  すぐには 心など開けないだろう。

そのこわばりは すぐには ほぐれないだろう。  瞳はすぐには 空を見上げることはないだろう。

だけど 耳を澄まして・・・・・・遠からず 近からず 誰かの足音が聞こえる。  同じような歩幅の

古びたスニーカーの その足音は 同じように 冬を歩む足音じゃないか? 

  ちがう ちがう 違う 違う・・・・・・  いいえ 同じ。   声をかけたくてもかけられない君と同じ。

返事がこわくて 声をかけられない君と同じ。   目を合わせるのが つらくて 顔を挙げられない君と

同じ。   同じ思いでも  行きずりの人に 不意には声をかけられないのなら 一人でいるのと

同じだろうか?  それを 孤独というのだろうか? その仲間を孤族というのだろうか?

とにかく 冬の道を歩こう。  陽がさせば 少しは こわばりもとれるかもしれない。

 南中した太陽は 少しは 君に勇気をくれるかもしれない。  夕陽に感涙した傍らに 同じように

涙を流し 心通う 人に出会うかもしれない。   その人と 明日の約束を交わせるかもしれない。

 今度は 「朝陽を見よう」と。    

もはや、日本の貧困は裏街道を歩くべきではない。

貧困により 自己の喪失だけは免れなければならないと思う。

ネパールのウッタムさんは 貧困の王道を胸を張って歩いていた。

彼はネパールからの使者だと思う。 誠実な貧困者は胸を張って歩もう。

 廃業したつれあいは、 行政に足を運んでいるが そこには色々な貧困を目にするという。

実際 メディアが奏でる 「雇用の創出」は 貧困者には容易でないことが多い。

その日の暮らしもままならないから どうしても 「日払い」のような仕事になるし そういう類は

保証もないことが多い。 ある相談者は「面接が決まったけれど着ていく服がない」ぼさぼさの

髪で「散髪しないと雇われない」など 日常のありきたりな 営みが基本できないのだ。 

  そういう 場面を見ていると そして 東京スカイツリーなどを見ると「日本はなんだ?」と

思ってしまう。  うちなどもそうだが まず 給料の振込のない雇用を探すことになるし

事情を話して よしんば手渡しを頼むとして 「そういう立場の人を雇用主が雇うか?」というと

まず敬遠されるだろう。   厄介なことや人は大嫌いな日本なのだ。  その偏見の壁を越えられないで

雇用を急いでも 無理である。  或いはPTSDや心身症を患い  或いは健康上の問題を抱えて

雇用の促進は無理である。  行政は今 ひしめいている。  誠実な貧困は胸をはりそして 歩むべき

である。  それには 意識の改革が必要だ。  意識の改革は一ぺんには変わらない。

私たちはよたよたと カッコ悪くても 誠実な貧困の旗を掲げて歩こう。 
    

お店を引き継いで、経営者になり・・・・身体も心もぼろぼろで、一体何をしているのかというと

ほとんどの時間を 訪ね来た訪問者 の 身の上話しを聞くことに費やしています。

 匂いがするのか 気配がするのか 最近は 表向きと 本心が うらはらで 自分を持て余している人の

なんて多いこと。    家族関係のうまくいかない人  突然、主人を亡くして 受け止めきれない人

遠い昔の傷の傷み  果ては  裁判の相談。  離婚の相談  労務災害の話し  ・・・・・・

 裁判の相談については こういうようにしています。  裁判はもちろん 勝つことが目的だと思うけど

それ以上に 自分の意識改革や 持続する エネルギーが問題だと。   そのパワーと社会生活との

ギャップやバランスは もっと大変なことであると。     だから 誰彼なく 闘いは勧めません。

 できれば 法廷前に 何らかの解決することがよいとも話しています。   最近読んだ本

水俣病私史 の「常世の舟を漕ぎて」 の中に 水俣病の訴訟について 著者の兄弟の言った言葉に

「裁判をすれば財産を失うかもしれん。長いものには巻かれろというじゃなかか。世間は甘くなか。」という

一節があります。  しかし 弟である著者は 「殺されたほうが負けるわけがない」と思っていたと。

 それに近い思いは 普通の人々にみんなあると思っています。  経験されるなら引き止めませんが

これは 世間を甘く見ているのではないと私は思っています。 「常世」というのは永久に変わらない神域

変化のない世界 因果律がない 時間軸のない世界 などと 解されています。   このタイトルに

引き寄せられて 新古本を何年か前にいれたのでしたが 裁判が関わっている話しとは思いませんでした。

 ポエムに来た人が そういう自分の話しを 何となく自分から 打ち明け始めて何時間も話していかれる。

それを ひとこと ひとこと おろそかにせず まるごと 聞くのです。  本気で聞かなければ 途中で

ボロが出てしまいます。  昨今は敏感になっていますから うかつな返事や 相槌は 一体一の関係では

すぐに見抜かれてしまいます。  来客と電話が 一度に来ることもあり そういう時は 来客を優先して

約束のない電話の相談は 申し訳ないですが時間や日を改めていただきます。  だから

 一日の終わりには クタクタです。  たいていは何か買っていかれますが お茶だけの人もいます。

それでも  また  日を置いて 来られる。   ストーカーのように 毎日は来られないのは みな

悩みのなかにも 常識や 相手の迷惑も考えられる人だからだと思います。   

 人と人が重なってしまうと 「まるで駆け込み寺ですね」と 笑われます。  「そんな器じゃないですよ。

精神世界と生き方のお店だからじゃないですか?」  自分の過去の悩みや傷みも 裁判や人の偏見も

包み隠さず話します。  だからこそ  それぞれの弱みも話されるんだと思います。 

 人の未来が見えてくるときもあるけれど 「占い師」にはならないように心がけています。

占い師は  自身が幸せにはなれない人だと思うから・・・・・・。((#^.^#)) 

読んでる方は「いよいよおかしくなったのでは」と思われるかも・・・・・

私は以前から 時々 幽体離脱をすることがあった。 ここしばらくは忘れていたけれど

今朝方の 眠りのなかで かなり長い時間 幽体離脱をしていた。  今までは

部屋の中から 魂が出ていくことはなかった。   ちょうど ガスの入った風船が 手を離れて

天井を抜けられずに 天井で「つんつん」して止まっているような感じだった。

 下で寝ている姿や 電燈も 見えるのだった。  でも 今日のは窓から 出ていった・・・・・・

空中を ふわふわと飛んでいた。  途中 学校みたいな建物や 人の家の揉め事や会話の中にも

佇んで また ふわりと 飛んでいた。  電柱とか 樹木とか ぶつかりそうになるも ぶつからずに

すり抜けていくのだった。 本当に 不思議だった。  長い時間と書いたけれど 実際はそうでも

なかったかもしれない。  何故 こんなことが起こるんだろう。  何故か・・・・・?

  不思議な体験は いつごろからか 起こるようになったけれど ここ 数年はなかった。

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日曜日は久々 仕事を手伝いに来てくれた 元仲間の保育士さんたちと再会。

一声かけたら ともだちを誘って五人も集まってくれた。 人生の良友 親友たち・・・・・

私が 車で率いる「よろずや」を 応援してくれていた。   みんな苦労してきたバツイチ連合だ。

久々に 元気を貰った時間だった。  「どんな時も生きよ・・・・・この私を」 もう一度自分に言い聞かせた。

身体はボロボロで・・・・幽体離脱のまんま 逝ってしまうかもしれないが 最後まで生きよう。