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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
半年ばかりの間、私は県南と県北を往来して 心と身体のメンテナンスを続けてきた。

それは医療機関に通うことではなく、自ら人に会い、或いは近づいてきた人に関わり、

その人間関係の進展を 怖がらずに受け入れ、トラブルになっても 逃げずに関わりながら

生きる姿勢をもう一度取り戻そうとするものだった。  強い人にも 優しい人にも 関わり続けた。

心が通う時に、その心の持ちようと 現実の問題とを 切り替えて解決へと努力を惜しまなかった。

 その 自然治癒力を取り戻すための ある療法も 人に受けさせてもらった。   相手も修業中だということで

何と無料で。  その結果、何か答えを追求するあまり 私は深い神経衰弱になってしまった。

「精神的努力の末に起こる・・・・・」 と辞書にはある。  頭がぐらぐらとして 今にも倒れそうになりながら

ふと ここ2,3日・・・・・甦り出した記憶がある。  それは フランチャイズの終焉近く、取引を中止して

看板を取りにきて 壊れてしまうまでの 最後の一箇月のことである。   その最後は 悉く大変であった。

週払いで 払い込める仕入れだけをし、残りは調達しながら 膨れ上がった食数をこなしていた。

 「危険な状態」ということが 朧気に推察されたが自分らの足元に火がついているのにもかかわらず、

わたしは本部にこの事業一本の不可能を知らせ、自分たちも本部も両方が助かる方法を考えていたのだ。

身の程知らずだが これは事実である。  最後の一箇月に ある日 「私に一案があります」との旨を書き

危機を乗り越える方法を発案し 本部もやり方を考え直してもらおうという努力の跡形がたしかにある。

最後の一箇月の私からのファクスを 彼らはどうしただろうか。  裁判に役に立たないと処分しただろうか。

私はたしかにあの時、 加盟店と本部の両方を成り立たせる方法を一生懸命考えていた。

そして 話し合うべく 機会を本部に申し込んでいた。   これは 本来 本部の仕事なのではないだろうか。

命懸けの事業の方法を申し出ているにもかかわらず相手は 取引をやめてしまったのだ。

 私の頭が 傷を負うのは当然だと思う。  これらのことが 徐々に はっきりと 思い出されてきた。

伝達したファクスは 最低2枚はあった。  弁護士にも一部は渡っていたのではないかと思う。

私達がその後、呆然と 裁判になる行方を 見るまで 私は 何度も 法廷の事前解決を望んでいた。

にもかかわらず、訴訟は起こってしまったのだ。  私の心の不信感、望まずして戦争になったしまった過去の

戦争体験に似ている。聞く耳をもたない傲慢な権力の集まるところ。 私は会社と加盟店の両方が成り立つ

解決を考えていたのだ。 そして それを 提言しようという矢先に 取引を中止されたのだ。

その失意と壊れた心は 人生を壊されたに等しい。  金銭だけの問題ではない。 この事実を私はまた

伝えなければならない。   私のメンテナンスに力を貸してくれた 皆さんに 何とか報いるために。
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そもそも 私達はどうも 優雅に見えている嫌いがある。 日本の今の基準からいえば

「金がないのに 何 落ち着いてるねん」・・・・と思われていて 「そんなに落ち着いてるのは隠し金が

あるんやないか」 とまで思われていたんだろう。  お金は数年前も今もない。 ないの一語に尽きる。

正確に言えば 「金がない事実を忘れて生きていく」と言えばわかるだろうか? 誰しも貯金や保険や

何がしかの 普段手元に置かない財産が多少あって 勿論 覚えてはいるのだが 毎日 そのことを

考えて暮らす人は少ない。 つまり  まあまあ暮らせる人というのは そういう僅かな預金には手を付けず

何とか暮らしながら「お金がない」と愚痴りながら 生きている人口が多いのだと私は思う。  でも

私達にはその 預金なるものがない・・・・から そういう人たちよりも まだまだ貧乏なのである。

 当然、事業として うちのような店にお金を貸すところはない。  生活していくために開けている店なのだ。

訪問してくれた人たちはよくわかると思うけれど 「これと言って押さえるものはない」店頭である。

これは意図的にそうしているわけではない。   自分の使う 例えば歯磨きや石鹸を 数個置いて

基本的に自分が使う。  使っていて心地よいものなので 人が来ると「これは良いんだよ」と言ってしまう。

すると 「あなたが使うものならきっとそうね」と共感してくれたひとが買うことになる。私は・・・・・

売れると現金になるが 売れると自分の使うものがなくなったりするので 売れても売れなくてもいい。

という暮らしをずっとしてきた。   有機スイトピーの種を昨秋植えた。  見る見る伸びて 今花を咲かせて

いる。3つ 大きなプランターがあったけれど 一つは 保育士の親友が三月末に買っていった。

 数日前、 サポートセンターのボスが気にいって分けてほしいというので 一つ手放した。 残りは

私のスイートピーであるから もう誰にも譲れない。  手塩にかけて育てたので 爽やかな香りと愛らしい色が

なんとも愛しくて 離れがたい。   貧乏でも そういう暮らしができるなら「自分もしてみようかしら」

という人が いるけれど 私は 正直 これは勧めずらい。  意外に大変なのである。  まず、 延々と世の中

から目をそらすわけにはいかない。  ひと月に 半分以上は 現実に迫られその度 身体も心も頭も壊す。

低い所得でも 税金やなやかやは 人並みにかかる。 その上 返済もある。 気を許したら 世の中の

激流にあっというまに流され激流に飲まれるのである。    次に 物事のハードルを低く越えるしかないので

常に交渉ごとや 小さな諍いやトラブルや誤解が多い。   一つ解決すると 明日には問題が五つ増えている。

 次に、 常に「何か足りない」状態に慣れること。  米がない。コーヒーがない。 いつもたいていの家庭にある

ものが切れたら諦める。 という暮らしに慣れる。 それと 大切なことは 身体と心の健康について。

身を守る術を無料で受けることを 感謝して 続けることが大切なのだ。  買い物をしてる人、道端でしゃべる人

それぞれどんな暮らしをしてるかなんて見ただけではわからない。  私は買い物をしていても道を歩いていても

父母に桜を見せてあげていても ある方向からは 「普通に生きてる」といつも怒りを向けられている。

 それが 今一番の不幸である。       かろうじて生きるための 店 貧乏はいいけれど 貧乏臭いのは

嫌だという イギリス的な生き方も 私に味方をしてくれたと思う。  お金は必要だし この生き方を人に

勧めることはできない。  それくらい 大変な道であることは確かである。   

うちの洗濯機は今も壊れたままだ。 三年以上四年未満かも・・・・・

テレビは アナログに 無償チューナーを申し込んだ テレビが家に一台ある。 

昨年~家電製品がほとんど壊れ、この冬 「少しは自分たちを守らねば」とヒーターを

ひとつ買った。  最低の暮らしの基準は?といえば 多分 最低基準以下ではないかと思う。

この時代、低所得世帯は多いけれど、私達のそれは フランチャイズ時代 からずっとである。

お金のない 店を 訴訟しても 得にならない。 これは開き直りではない。 分かっていて訴訟するのは

単なる虐めやないか?        とにかく この春 離れて暮らす息子が お金を貯めてテレビを

買ってくれるらしい。   飛び上がるほど 嬉しいのは 言うまでもない。    息子も返済に追われている。

奨学金も返さねばならず 自分で精一杯のはず。    気持ちだけで終わっても嬉しい限りだ。

 でも もう少しいいよ。  小さなテレビでも 買ってもらったら また 誰かが腹を立てる。

ご飯を食べてもお風呂に入っても、 腹を立ててる人がいる。  話をしようとしても腹を立てている。

多分 道を歩いていても怒っている。  お金があろうがなかろうが 道は歩くし ご飯も少しは食べる。

「悪いことはしていない」とたかをくくるならば、悪くない人は裁判などしなくても解決できるはずだ。

  また飛散な事故が起こった。  事故を起こした会社は「法的基準はおかしていない」という。

これは「悪いことをしていない」というのと同じで被害者側を逆なでしてしまうだろう。

法的基準に問題がないことと、 実際起こった事故の悲惨な責任とは違う。  解決は法の舞台では

幕を閉じないだろう。   運転の交代ができる安心感が 落ち着いた業務につながると思わないのだろうか。

「世の中厳しいから」「こんな時代だから」と下に向かって吹聴する人に限って甘い汁を吸っている人は多い。

  
    

実家に戻ることが多くなった。  京奈和自動車道路が実家の近くまで開通して

奈良と実家は急に便利になった.。 (こういうことも私には神様だと思える)

 まだ 訴訟には至らない時期のことである。 目とはなの先のお向かえ同士がやがて

裁判になってしまうのであるが、 母と 相手方は まだ 口をきく関係であった。

 出会い頭に「(あんたの娘夫婦は)訴訟しやるらしいな」と 母は尋ねられたようで 咄嗟に母は

「ん・・・・(このんは少なくともYESではない)。(内容はわからないが)あのこらに任せてる。」

という風に答えたそうだ。  (母は老婆で作りごとを話す元気はないから本当の話しである)

 時期はおそらく 本部に取引をやめさせられた9月の下旬だろう。 私は後に「かまをかけられたのでは」

と思ったが この 会話の最初の相手の一言はどこからきたのだろう。 「訴訟するらしい」など誰から

情報を得たのだろう。少なくとも 私達は 訴訟を選択肢の一部と思っていただけで「できればしたくない」

と思っていた。  廃業に追い込まれ 明日の保障もない人間が 勝つ見込みのない訴訟などしたい訳が

ない。 破産しか選択がないといわれたら「??????」 無限大のクエスチョンが溢れただけだ。

 この件には こちらからの「積極性」なくして 私達に二人の弁護士がついてくれた。(死ぬか生きるかの

時だから 単純に二人いてくれるのは心強いと感じたまでだ。) でも 相手はどうか?もしかして逆に

訴訟される恐れを強めたのではないか??  そして 何気ない日常会話が相手の確信となり、敵対された

のではないか?   私は どうもおかしいと思った。  裁判や訴訟は今まで経験がない。したい訳がない。

仮に「勝つ」と言われてもしたくない。 勝つのがわかっているなら 裁判はわざわざする必要ない。「卑怯」すぎる

からである。 翌年の一月末に相手からの訴状が届くまで 私達は一、二度弁護士と話しただけだった。

私達の経験のない者の裁判への階段は プロである主任弁護士によると次のような話しであった。

「裁判になるまでにはだいぶの時間がかかる。 相手方と何度か話し合いを持つ。それでどうにも解決が

できなくてやっと裁判になる。」   後に考えるとこれは 「調停」にあたると思われる。 当時、私達はやっと

生きていた。 店を閉める元気もお金もなかった。 選択肢は自殺、心中、夜逃げ、行き倒れ、・・・・・

破産する元気もお金もなかった。  借りたことのないカードで僅かなお金を借り(返せるあてがないので少ししか

借りなかった) 当面を生きていた。 どうなるかわからないけれど死ぬ元気もなかった。法テラスだけど

それもどうするのかわからない。 (押し寄せてくるものは)一旦はほっておくしかない。それでも人はそんなに

急に変われない。 借りたものは 返そうとするのが普通だ。 努力はした。追いつかないけど努力はした。

このときの私達の命綱は「現実を受け止めない」ことである。「現実を見なくてどうする」と人はいうけれど

無責任である。  死ぬかもしれない境界線の生き方など人に指図されることはない。 

 話しは戻すけれど 裁判までの 階段があるとすれば 私達にはそれがない。 いきなりである。

誰のせいかはわからない。 でも権力者の 勢いは 少々 ブレーキをかけても止まらない。

相手の訴訟により 裁判に関わることになったのは事実である。 「訴訟しやるらしいな」この問いかけを

母にしても仕方ないのではないか? 水面下でどんな 怒涛のようなうねりが起こっていたのかは

わからない。 でも 本人に確かめてみなければ 本当のことはわからないとは思わないのだろうか。

 私が なんだかおかしい と思うのは あまりにも 相手方の思っていることと行動が直情的であり

極端であり こちらの思いは 代理人がいたにもかかわらず 何一つ 伝わっていなかったことである。

医者が「手術しかない」といえば 患者は「そうなんだ」と思い選択を迫られる。 プロが「破産か訴訟しか

ない」といえば 依頼者は どちらかの選択しかない。でも 私は少なくとも「その間の道はないものか」と

ずっと模索してきたのである。 法律の舞台にはフェアトレードはない。 私にはそう見えるのだ。

そして 最後の最後まで そのずれは 修正されなかった。 悲惨な結果を生んだ背景は これからも

伝えて世の中に 反映させていかないといけないと つらい日々を生きながら思う。    



六月なのに 冷たい雨が降る夜だった。

電話が鳴って 出ると あるフェアトレード団体の代表のTさんだった。

カタログで彼女の運動、社会活動はずっと知っていた。  まさか電話をもらうとは

思ってもいなかった。 「私達にできることは?」と聞かれ 小さく残っている返済を少し

待ってもらうこと、そして 手漉き紙の便箋の調達を依頼した。  大好きなネパールのコーヒーが

しばらく買えないこと、彼女はネパール往来しながら 手紙と手作りクッキーのギフトを

送ってくれた。  温かくて嬉しかったが お礼の手紙を書きながら 私は 正直に告げた。

本来、好意で送られたはずの 品物に 後日高額請求を受けたこと。 勿論 はなから戴くつもりは

なかったけれど、何の言葉もなかったこと。  贈り物はする方の喜びでもあるはずだということ。

  だいの大人が こういう件について 事情説明もなく 代金のトレードもなかったことに大きな傷を

受けたこと。    雨のそぼ降る夜、 彼女の電話は 私達に強いつながりのパイプを通してくれた。

あのとき 非常に危ない状態のつれあいだった。   その後 私は右腕を傷めてあがらなくなった。

弁護士を始め、いろいろな人に 理解を求める手紙を夜中書き続けたから。  時には 差押えの書類を

送り 自ら「傷」をみせていった。  偏見からつながり始めることにしたのだ。  そこで支援についての

疑問を人々に投げかけていった。  何の思い違いか知らないけれど 「裁判で支援を断ち切る」という

残酷さ。  返済は「話し合えば」 できるはずだった。  相手は返済が目的ではなかったのか・・・・・

   お金の問題以上に 深い傷。   止めようとしても止められない法廷の枯渇。

もう取り返しはつかないのですから、父母に話しかけてほしくない。  探りや録音ばかり繰り返す人々。

何か生きてる心地がするのだろうか?  裁判依存? 権力のある人間は法律の外側にいる・・・・

誰かがそういってたな。   権力のある人こそ 法律をすり抜けず、襟をただして欲しいな。

弱者にばかり 厳しくてどうするの・・・・・貧者に法律を厳しくしてどうするの・・・・・・静かに闘いは

ずっと 続くのだろう。   そぼ降る雨のように。    あなたは 何がしたかったのですか・・・・・

会計処理?  名誉?  永遠の地位?   それは 頭を下げるという選択はなかったのですか?

高い位置にいる人なればこそ。