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流れの行く末
タカビー こんばんは
私は その事件というものを
全く知らないのです
もしお聞かせいただけるのであれば
嬉しいのですが・・・
魚たちは 流れに逆らって泳ぎます
それは流れの行く末に 何が待っているか
よく知っているからなのでしょう・・・
人は そういったことを知らず
よく流れに身を任せているようです
流れの行く末に 何があるのか
知らないからこそなのでしょう・・・
タカビー こんばんは
私は その事件というものを
全く知らないのです
もしお聞かせいただけるのであれば
嬉しいのですが・・・
魚たちは 流れに逆らって泳ぎます
それは流れの行く末に 何が待っているか
よく知っているからなのでしょう・・・
人は そういったことを知らず
よく流れに身を任せているようです
流れの行く末に 何があるのか
知らないからこそなのでしょう・・・
休みは「努力してでも休む」。 「貧乏暇なし」に自分から入りこんでいるときがある。
魚を見る機会があった。 水族館なんて、子供が小さいときに行ったままだったのに。
回遊式の水槽をぐるぐると、いろんな魚が泳いでいる。 「マラソンよりも1000m走のほうが疲れる。ぐるぐる同じところを泳ぐのは辛いはずや」 というと大人になった息子が「同じところを回っているとは思ってないんちゃうんか」と返してきた。 魚の話しではなく、もちろん人間界の話し・・・・・「そうか、気がつかなければいつまでも、同じとこを回って泳ぐよな」 しかも水槽という選択肢のない世界に「閉じ込められてる」ことにすら気がつかない・・・・・
「あ、あの魚逆走してるわ。しんどいのにアホやなあ。流れに乗っとけよ。」 哀れむのはもちろん、自分と同じタイプだからか(笑) 息子もわかっている。 「流されまいと踏ん張って止まっててる魚もいるわ」
「労力いるのに、クタクタになるで」 「うん・・・・」 息子はもう成人を越してばあさんたちをいたわりながら歩くようになった。 娘はいくらか陽のあたる道に出はじめたのか、国の援助でパソコンを習えることになり、
先に奈良へと帰ってしまった。 時は過ぎた・・・・・親孝行も長いことできないまま、数年が過ぎていた。
あの事件さえなければ・・・・と思うこともある。 今、最後の闘いをしている「法」に関わることである。
でも、月日は過ぎていきます。 もう、親子三代、会えることも指折り数えるばかりだろうか。
身体も心もクタクタになって、生きているのさえ不思議な今日。 それでもやはり、時折「非日常」という空間が必要だと感じている。 旅というような大げさなものではなくても、日常の延長に、一度ピリオドをつけて
「非日常」をおいてみる。 大人になった子供たちと、赤ちゃんに近づいていく親たち、 限りある時間の一こまだからか「安堵感」とともにある非日常・・・・・どんな暗闇にいても、至福を感じて過ごすこと。
普段別々で心配している人が「そこにいる」安心感。 しばらくはメールも気にしなくていい。
車窓に流れる風景を見ていよう。 赤い大きな落日を見送ろう。 先頭を切っていた父の、遅い足取りを待っていよう。 母に襟巻きを貸そう。 今さら、何もできないわたしたち・・・・・ ゆうべの雨があがり雲ひとつない冬晴れになったこの日だけに感謝をこめて。
みんなにとって「非日常」は・・・・・どんなですか・・・・・ 夢りんごK
魚を見る機会があった。 水族館なんて、子供が小さいときに行ったままだったのに。
回遊式の水槽をぐるぐると、いろんな魚が泳いでいる。 「マラソンよりも1000m走のほうが疲れる。ぐるぐる同じところを泳ぐのは辛いはずや」 というと大人になった息子が「同じところを回っているとは思ってないんちゃうんか」と返してきた。 魚の話しではなく、もちろん人間界の話し・・・・・「そうか、気がつかなければいつまでも、同じとこを回って泳ぐよな」 しかも水槽という選択肢のない世界に「閉じ込められてる」ことにすら気がつかない・・・・・
「あ、あの魚逆走してるわ。しんどいのにアホやなあ。流れに乗っとけよ。」 哀れむのはもちろん、自分と同じタイプだからか(笑) 息子もわかっている。 「流されまいと踏ん張って止まっててる魚もいるわ」
「労力いるのに、クタクタになるで」 「うん・・・・」 息子はもう成人を越してばあさんたちをいたわりながら歩くようになった。 娘はいくらか陽のあたる道に出はじめたのか、国の援助でパソコンを習えることになり、
先に奈良へと帰ってしまった。 時は過ぎた・・・・・親孝行も長いことできないまま、数年が過ぎていた。
あの事件さえなければ・・・・と思うこともある。 今、最後の闘いをしている「法」に関わることである。
でも、月日は過ぎていきます。 もう、親子三代、会えることも指折り数えるばかりだろうか。
身体も心もクタクタになって、生きているのさえ不思議な今日。 それでもやはり、時折「非日常」という空間が必要だと感じている。 旅というような大げさなものではなくても、日常の延長に、一度ピリオドをつけて
「非日常」をおいてみる。 大人になった子供たちと、赤ちゃんに近づいていく親たち、 限りある時間の一こまだからか「安堵感」とともにある非日常・・・・・どんな暗闇にいても、至福を感じて過ごすこと。
普段別々で心配している人が「そこにいる」安心感。 しばらくはメールも気にしなくていい。
車窓に流れる風景を見ていよう。 赤い大きな落日を見送ろう。 先頭を切っていた父の、遅い足取りを待っていよう。 母に襟巻きを貸そう。 今さら、何もできないわたしたち・・・・・ ゆうべの雨があがり雲ひとつない冬晴れになったこの日だけに感謝をこめて。
みんなにとって「非日常」は・・・・・どんなですか・・・・・ 夢りんごK
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この記事へのコメント
こんばんは
私は その事件というものを
全く知らないのです
もしお聞かせいただけるのであれば
嬉しいのですが・・・
魚たちは 流れに逆らって泳ぎます
それは流れの行く末に 何が待っているか
よく知っているからなのでしょう・・・
人は そういったことを知らず
よく流れに身を任せているようです
流れの行く末に 何があるのか
知らないからこそなのでしょう・・・
私は その事件というものを
全く知らないのです
もしお聞かせいただけるのであれば
嬉しいのですが・・・
魚たちは 流れに逆らって泳ぎます
それは流れの行く末に 何が待っているか
よく知っているからなのでしょう・・・
人は そういったことを知らず
よく流れに身を任せているようです
流れの行く末に 何があるのか
知らないからこそなのでしょう・・・
Re:流れの行く末
ありがとうございます。思わせぶりな表現で申し訳ありません。2年前には同じブログで「炎上状態」だったのですが、暗い事件に人様を巻き込むことに耐えかねて、月並みなエッセイに変えていきました。 ちょうど、お尋ねしたいこともあったので、別の方法で(メールなど)連絡したいと思います。 ブログでも時々取り上げていきます。 水槽に入れられた魚・・・・毎日同じところをぐるぐる回って人間性を失った魚・・・・のお話しです。尋ねていただいてありがとうございます。
2010/03/03(水) 17:32 | 夢りんご
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