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そもそも 私達はどうも 優雅に見えている嫌いがある。 日本の今の基準からいえば
「金がないのに 何 落ち着いてるねん」・・・・と思われていて 「そんなに落ち着いてるのは隠し金が
あるんやないか」 とまで思われていたんだろう。 お金は数年前も今もない。 ないの一語に尽きる。
正確に言えば 「金がない事実を忘れて生きていく」と言えばわかるだろうか? 誰しも貯金や保険や
何がしかの 普段手元に置かない財産が多少あって 勿論 覚えてはいるのだが 毎日 そのことを
考えて暮らす人は少ない。 つまり まあまあ暮らせる人というのは そういう僅かな預金には手を付けず
何とか暮らしながら「お金がない」と愚痴りながら 生きている人口が多いのだと私は思う。 でも
私達にはその 預金なるものがない・・・・から そういう人たちよりも まだまだ貧乏なのである。
当然、事業として うちのような店にお金を貸すところはない。 生活していくために開けている店なのだ。
訪問してくれた人たちはよくわかると思うけれど 「これと言って押さえるものはない」店頭である。
これは意図的にそうしているわけではない。 自分の使う 例えば歯磨きや石鹸を 数個置いて
基本的に自分が使う。 使っていて心地よいものなので 人が来ると「これは良いんだよ」と言ってしまう。
すると 「あなたが使うものならきっとそうね」と共感してくれたひとが買うことになる。私は・・・・・
売れると現金になるが 売れると自分の使うものがなくなったりするので 売れても売れなくてもいい。
という暮らしをずっとしてきた。 有機スイトピーの種を昨秋植えた。 見る見る伸びて 今花を咲かせて
いる。3つ 大きなプランターがあったけれど 一つは 保育士の親友が三月末に買っていった。
数日前、 サポートセンターのボスが気にいって分けてほしいというので 一つ手放した。 残りは
私のスイートピーであるから もう誰にも譲れない。 手塩にかけて育てたので 爽やかな香りと愛らしい色が
なんとも愛しくて 離れがたい。 貧乏でも そういう暮らしができるなら「自分もしてみようかしら」
という人が いるけれど 私は 正直 これは勧めずらい。 意外に大変なのである。 まず、 延々と世の中
から目をそらすわけにはいかない。 ひと月に 半分以上は 現実に迫られその度 身体も心も頭も壊す。
低い所得でも 税金やなやかやは 人並みにかかる。 その上 返済もある。 気を許したら 世の中の
激流にあっというまに流され激流に飲まれるのである。 次に 物事のハードルを低く越えるしかないので
常に交渉ごとや 小さな諍いやトラブルや誤解が多い。 一つ解決すると 明日には問題が五つ増えている。
次に、 常に「何か足りない」状態に慣れること。 米がない。コーヒーがない。 いつもたいていの家庭にある
ものが切れたら諦める。 という暮らしに慣れる。 それと 大切なことは 身体と心の健康について。
身を守る術を無料で受けることを 感謝して 続けることが大切なのだ。 買い物をしてる人、道端でしゃべる人
それぞれどんな暮らしをしてるかなんて見ただけではわからない。 私は買い物をしていても道を歩いていても
父母に桜を見せてあげていても ある方向からは 「普通に生きてる」といつも怒りを向けられている。
それが 今一番の不幸である。 かろうじて生きるための 店 貧乏はいいけれど 貧乏臭いのは
嫌だという イギリス的な生き方も 私に味方をしてくれたと思う。 お金は必要だし この生き方を人に
勧めることはできない。 それくらい 大変な道であることは確かである。
「金がないのに 何 落ち着いてるねん」・・・・と思われていて 「そんなに落ち着いてるのは隠し金が
あるんやないか」 とまで思われていたんだろう。 お金は数年前も今もない。 ないの一語に尽きる。
正確に言えば 「金がない事実を忘れて生きていく」と言えばわかるだろうか? 誰しも貯金や保険や
何がしかの 普段手元に置かない財産が多少あって 勿論 覚えてはいるのだが 毎日 そのことを
考えて暮らす人は少ない。 つまり まあまあ暮らせる人というのは そういう僅かな預金には手を付けず
何とか暮らしながら「お金がない」と愚痴りながら 生きている人口が多いのだと私は思う。 でも
私達にはその 預金なるものがない・・・・から そういう人たちよりも まだまだ貧乏なのである。
当然、事業として うちのような店にお金を貸すところはない。 生活していくために開けている店なのだ。
訪問してくれた人たちはよくわかると思うけれど 「これと言って押さえるものはない」店頭である。
これは意図的にそうしているわけではない。 自分の使う 例えば歯磨きや石鹸を 数個置いて
基本的に自分が使う。 使っていて心地よいものなので 人が来ると「これは良いんだよ」と言ってしまう。
すると 「あなたが使うものならきっとそうね」と共感してくれたひとが買うことになる。私は・・・・・
売れると現金になるが 売れると自分の使うものがなくなったりするので 売れても売れなくてもいい。
という暮らしをずっとしてきた。 有機スイトピーの種を昨秋植えた。 見る見る伸びて 今花を咲かせて
いる。3つ 大きなプランターがあったけれど 一つは 保育士の親友が三月末に買っていった。
数日前、 サポートセンターのボスが気にいって分けてほしいというので 一つ手放した。 残りは
私のスイートピーであるから もう誰にも譲れない。 手塩にかけて育てたので 爽やかな香りと愛らしい色が
なんとも愛しくて 離れがたい。 貧乏でも そういう暮らしができるなら「自分もしてみようかしら」
という人が いるけれど 私は 正直 これは勧めずらい。 意外に大変なのである。 まず、 延々と世の中
から目をそらすわけにはいかない。 ひと月に 半分以上は 現実に迫られその度 身体も心も頭も壊す。
低い所得でも 税金やなやかやは 人並みにかかる。 その上 返済もある。 気を許したら 世の中の
激流にあっというまに流され激流に飲まれるのである。 次に 物事のハードルを低く越えるしかないので
常に交渉ごとや 小さな諍いやトラブルや誤解が多い。 一つ解決すると 明日には問題が五つ増えている。
次に、 常に「何か足りない」状態に慣れること。 米がない。コーヒーがない。 いつもたいていの家庭にある
ものが切れたら諦める。 という暮らしに慣れる。 それと 大切なことは 身体と心の健康について。
身を守る術を無料で受けることを 感謝して 続けることが大切なのだ。 買い物をしてる人、道端でしゃべる人
それぞれどんな暮らしをしてるかなんて見ただけではわからない。 私は買い物をしていても道を歩いていても
父母に桜を見せてあげていても ある方向からは 「普通に生きてる」といつも怒りを向けられている。
それが 今一番の不幸である。 かろうじて生きるための 店 貧乏はいいけれど 貧乏臭いのは
嫌だという イギリス的な生き方も 私に味方をしてくれたと思う。 お金は必要だし この生き方を人に
勧めることはできない。 それくらい 大変な道であることは確かである。
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