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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 そのとき気づいたのは 人は 知らない番号が羅列すれば もう思い込みで

絶望視することが多いということです。 それが弱みになってる場合はとくにそうだと思います。

でも、頭を冷やして 連絡し直してみると案外、携帯会社のコマーシャルや営業だったり

インターネットの何かだったりするもんです。  でも いろんな事件の深みに落ちると 

絶望的観測をしてしまう。これが 何の苦もない日常を送る人にはわからないらしい。

 夫婦の場合はやはり どこかでどちらか一人が 冷めた頭で関わることが大事だと思う。

借金にはついてまわるもう一つの大事なことがあります。 それは 人間不審です。

人に騙されたとか 嵌められたとかいうときは当然なのですが ちょっとしたことで

普通に笑っている人や通りすがりの人でさえ 疑う目になることもある。 そのスパイラルに

はまらないことが大切なんですが  なかなか そうはいきません。  社会や人前で

明るく振舞えば振舞うほど その闇は深いのです。だから 周囲で わざわざ大声で話したり

これみよがしに 活発な声で話す人ほど 私には 悲しげに見えます。 お店にいると

飛び込みで営業する どこかの会社の奥様らしきが 通り一遍 明るく元気に売り込む姿に

時々出会います。  なにやら うら悲しい心地がして 知り合いに尋ねるとご主人の会社が

非常に危ないとかいう噂。 ひと事ではないけれど そういう感性は常に 敏感に動きます。

 以前読んだ 加藤諦三さんの言葉で 「その出来事が大変なのではなく 大変だと思う気持ちが

大変なのだ」 と・・・・・私は 常に何かよくないことが 起こるたびに 何どもそう言い聞かせてきました。

そして 起こることは 無常・・・・この世の出来事は常に動いている。  全部が この世のレッスンだと

生きていこうと言い聞かせてきました。  それでも ひとつひとつは やはり大変で 「レッスン」だと

割り切るまでは 時間もかかります。  そして どうしても何度でも うまくいかない時はやはり、根本的に

違っていることがあるはずだと思いました。  私の場合は 木村秋則さんのりんごの奇跡から

今、自分に足りなくて どうすることもできないのは 心とか自分のエリア、ポジションに 何が必要なのか

と深く考えてみました。  すると それは 木村さんの畑に足りなかった 雑草を植えること。 一見

排除して寄せ付けなくしているものが 今 一番 向き合う必要のあることなんだ・・・・と 気づきます。

つまり 私にとっての 悪しきもの・・・・といえば 誤解があるけれど 自分の苦手な人や 生理的に受け付けな

い人、 極端にいえばライバルや敵のような存在。  それらは 実は 自分の畑に必要なものでは

ないか・・・・・この先 顔も見たくない存在でも 自分のレッスンには 避けられないのではないか。

ハードルが低くていいから これらと向き合う 自分の畑に わざわざ植えてみる 必要があるんじゃない

かと考えました。 そう思うと 除外してきたことで未解決な出来事が 自分の出発点だと気がつきました。

 折しも、 地方で ローカル誌を編集されている 0さんからの以来で 記事を書くことになりました。

テーマは食に関してですが 自分の体験に沿って書けば どうしてもここ四年五年の出来事は

避けられません。    そして 一連の事件とは やはり向き合って解決しようと心に決めました。


    *  ブログの転写や引用はお断りいたします。
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