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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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疲れはて 万策尽きた夜、一睡もせず 蒸し暑い夜の中へ出てみた。

上弦の月が雲の中に隠れていて ほとんど 雲間のこぼれ光となっていた。

朝一番に 頭を冷やす声を聞くために 宇野さんに電話する。 早朝の長い時間、快く

お話を下さる。  やはり 一味違う 捉え方と考え方です。  基本的に似た考えだけど

できるだけポジティブな私に対して彼女は 建設的という言葉があう。 アバウトではなく

形として 実行する強さがある。 幸福というものに 柔らかなイメージではなく ひとつの

器、囲い、立体という 作り上げ方である。  やはり 廃屋から 一軒の家を作り上げた人だけある。

自然の摂理に沿う私の解決に対して 彼女は叡智という 崇高な助言をくれようとする。

70歳になるとは思えない シャープさも持っている。  法律や裁判所に対する怒りも 清々しい。

私よりも 明白な 怒りの 表現です。   私は自分の考えが悪くないとは思ってきた。

でも 一本の柱に 釘をうつ 彼女の建設的な 前向きさは 私には少し眩しく まだまだ真似のできない

生き方なのだ。 その釘を 何センチおきに打つのか 右脳で計算するのだ。  打ち付けた一枚の板が

次の垂直な柱の礎となることは きちんと計算ができている。  感情を 土台にしたり 柱にできる

力を持っているのです。  「どこまで踏みつけるのか」と怒りの帆を常に立てよと宇野さんはいう。

どこまでで 良しとするのかは 心のマナーである。  ご飯を食べているのを見ても お風呂に入って

いるのを見ても腹が立つ・・・・・というのは 法律の問題ではなく むしろ 心の問題だと思う。

 人の行動で良からぬ 妄想をして思い込むのも同じだと思う。 そんな 捩れた感情が 法廷の

片隅で 動いていたとしたら 涸渇の法だと思う。  傷みは常に 滲む血の後を 隠さず残し、伝えなければ

と思う。  「傷みながら笑っている」ことが 理解できない人たちもいる。 心の傷など 誰彼なしに

見せられはしない。  怒りと涙の帆を常に立てておくことである。


    * ブログ 書き写さないでね。  コピーもやめてね。


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