忍者ブログ
 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


私がこの記事を書いたのは、こういう日本で、明らかに仕事の緩みを感じるのに

すべての責任が、たまたま旅に出た相手にとっての「お客さん」にふってくるという事実と

事態に巻き込まれたときの「健全な考え方」を教えてほしいからです。

 私たちのとった行動は結果的に解決をしたのですが、「そんなヤツは滅多にいない」 という方法でした。

記事を読んで素直に書いてくれた人、ありがとう。   改札で選ぶ方法はどちらかですね。

「え?そうなの・・・・神様からのプレゼント?それでは失礼します」と去る。

それでも駅員さんを呼びとめて事情を話し精算する。・・・・・   夜中です。くたくたでした。

 正直、いいんなら行くよ~という気持ちもありました。 でももちろん後味が悪い・・・・・どうしてこんな不快

にならないといけないの?  これが通勤程度のことなら、スルーしたかもしれません。

考えるのも嫌になりました。 誰かのいうように神様かなんかがくれたのなら、プレゼントだと感謝して

違う恩返しを社会ですればいい。 それもありかもしれない。 正直に食いついていけば、かえって

面倒なことになるかもしれない。  向こうも本当は迷惑で行ってほしいのかも。 どんどんそう思いました。

でも、今は往路です。  明日の帰路になんだかやましい気がするのでは? 自分のせいでもないのに

改札通ると、今度は意識してどぎまぎするんじゃない?  ここまでは偶然のようにスルーされてきた。

このままずっとスルーされるとは限らないし、途中でトラブルになったら、今度はこちらの意識が入っているか

ら、はっきりと弱みになる。  疲れているのにナンなんだこれ・・・・・  

 でもね、向こうの緩みに低姿勢で支払いだけするのも悔しいやん。 絶対、何か言うてしまう。

夜中にもうひと騒ぎかあ?     もし、私達が数年の痛手を負って不条理を抱えての電車でなければ

二者択一をしていたであろう。 つまり、お金を選んで「ラッキー」ととるか、心の重荷を捨てたくてバカ正直を

とるかです。 それで終わりです。      だけど、どちらを選んでも不幸でした。

それは、多分、 今日までの自分だったからです。 そして「明日」そう、明日はここからの出発です。

明日にしよう・・・・・今日はこのままにしよう。   なんとなくそう話し、格安のビジネスに泊まりました。

 思いのほか、神経を使い眠れぬ夜でした。  (もったいない・・・・実に)  明日は氷見線で立山連峰を

見ることだけが目的だったのに。  寝たのか寝たふりをしてるのか、つれあいを見ながら辛い夜でした。

思えばばかげています。  時間を重ねればそれだけ苦しいものがついてくるじゃないか。

 久しぶりに病的に神経がいかれました。 そして、「こんな時間のために切符を買ったんじゃない」と。

そして出した結論です。 相手がどうかは関係ない。 向こうは勝手に緩んで見送ったんだ。大切なのは

私達だ。  自分達の心の時間をどうするかだ。  ここからは、思うようにやろう。  

年老いたとき思い出すとすればどうだろう? 「おじいさん、あのときスルーしましたね」と思うか

「おじいさん、あのとき二人で派手にやりましたね」と思い出すか・・・・スルーしたらお互い胸のうちで

「こいつこんなとこがあるんや」なんて思わないかな。  そして朝、満場一致で(笑) 改札に向かいました。

しかし・・・・・・  氷見線は8時台を逃すと10時半までありませんでした。  電車は待ってくれません。

乗らねば、今度こそ確実に今日中には帰れません。  騒ぎになって話しこめば乗れません。 旅がまた犠牲
     
をうむかもしれません。   二日めの切符を使えば、何でもないかもしれません。 健全な考えは?

いえ。不健全でもかまいません^^教えてください・・・・・・
      
                                   (続)

    (ブログの引用、転写は堅くお断りです)  
PR

少し前になります。  やっと手に入れた青春18切符で、できれば遠くにいこうと思い計画をたてました。

 奈良で切符を買うのですが、改札で無人駅から乗車して18切符を買うことを話し、つれあいだけが

みどりの窓口で買いにいきました。  たしか部分的に特急も乗れると聞いていたので、京都の窓口で

切符を掲示して特急券を買いました。  そして北陸線の特急に乗って湖西線のあたりで検札にきた女性乗務

員に切符を見せたら「この特別切符では特急はのれません」といわれました。 へ?  だけど京都では

切符を見せたら買えましたよ・・・・・「でも乗れません」・・・・・そうか、 でもよくよく考えればそうかも。

 ショックじゃないかあ・・・・・ どうしようか・・・・・それで乗務員いわく、その日の18切符は使わないことに

して、普通に特急を利用して精算し別の日に使うという方法があるといわれました。   特急は停車駅が少な

い。  とにかくお金もないし、計画がぶち壊しになるのは目に見えている。  降りようか・・・・・

一番近くの駅で降りそこまでの料金を払って降りればいいのでは。  でも冬の北陸の夜中、知らないとこで

降りるのもなあ・・・・。    「降りるか、そのまま乗って足りないぶんを払うかちょっと考えてもいいですか」

乗務員は快く承諾してくれました。 私は財布をかき回し、トンネルを抜けた頃、往復してきた乗務員に

「往路の乗車券は買います」  といいました。 すると18切符を訂正して「到着駅に伝えておきますので到着

駅で処理してください」 といわれました。  え~、せっかく決心したのになあ・・・・早く済ませて気分一新

したいなあ・・・・と思っていました。    夜中の駅の改札は結構人が多いでした。 つれあいが切符を出して

話し始めると「あ、どうぞ」と促されて改札を出てしまいました。 へ?   流れで私も押し出されました。

振り返りましたが、改札員は何の不思議もなく流れ出る乗客を見送っています。え?

これって・・・・・?なに?       私は呆然と改札を見ていました。  そして・・・・・・

(さあ、どうしますか?    京都で切符を見落とし特急券を発行、車内では簡単な処理をして降りた駅まかせ

、降りた改札は意図はわからないけれど見送り・・・・・このまま、あなたはどうしますか?また、どんな解決を

よしとしますか?)             

    ブログの引用、転写はお断りいたします。           続きは明日です。


80代半ばの父と母の買出しに付き合うため一時間ほど南下した実家へ向かいました。

寒空で「金剛降ろし」の吹く田舎は、今離れていたい場所なのですが、父母が根を下ろして生きているので

そうもいきません。  好物のお寿司をちょっと差し入れしてほとんど「冬篭り」の実家を訪ねました。

 国定公園、金剛葛城山脈はうっすらと積もった雪が凍ったらしく、のっぺりと横たわっています。

空気が澄んでいるようで、大和平野は遠くまで見渡せきれいでした。 田舎を離れても田舎に引き戻される

それが業というか、 離れていけばいくほど(心は)引き戻されるようです。  よく、事業とか失敗して、

郷里に帰ってやり直す人の話も聞きますが、私はそれも許されないので(戻るほうが大変)今のように

続けていきます。  どの道を選んでも不幸、多難なら、苦労でも今を生き抜くしかないのです。

 山脈を南下して御所から五条に向かう境界に「風の森峠」というところがあります。

裏寂しい峠道で、通いなれたドライバーでも真夜中は心細く、車内のライトをつけ、音量をあげて、なぜだか

ミラーは見ないように走るのだと、以前の知り合いのバスの運転手さんに聞いたことがあります。

ミラーが怖いというのはわかる気がします。 少し話しが脱線しますが、以前大台ケ原につながる伯母峰トンネ

ルの付近で知人二人が夜中に走っていてトンネルの付近で登山の格好の女性を乗せたそうです。

 普通の方で町のほうへ乗せてほしいようでした。  ところが、その方はしばらく走ると車を止めて

降りるといい、仕方ないので降ろすと、なんとまたもう一度、真っ暗なトンネルに向かって歩いていったと・・・・・

 シートが濡れているとか、消えたとか、そういうことはなかったけれど、ただ真夜中で途中で降りて、また

トンネルに向かっていくというのが、なんとも怖かった。  なんだったかわからない。・・・・・

そういうことを聞いてわかるのは、たとえ霊だとしてもそれは、普通に見える人であるのだと。

あ~  すごい話しになってしまった・・・・・ (明るく) それでね、 故郷の市の境界の峠にね、数年前

温泉が沸いたんですね。   せっかくなので、その日帰り湯に入ることにしました。

ちょうど、昨日作ったお風呂セットを持って。  お金にはしょっちゅう苦労していますが、月末とくに

大変な思いをして乗り切っていたんですね。 空しく流れたお金もありました。  これでも、人知れず

こらえたり、泣いたりもするもので、ほとほと疲れてもいたんです。   500円という日帰り湯は魅力です。

 故郷の山、川・・・・・小さいころからの風景に、温泉が沸くとは思ってもみなかった。 

お風呂の入り方が下手で、以前はささっと入り、(恥ずかしかったのかな) 髪も家で洗うというような

損な入り方でした。  それでは日帰り湯の価値がないと、今ごろ気づき(笑) ゆっくりと入ろうときめました。

 すると、石鹸箱ひとつやブラシまで、丁寧に掃除して出るようになり、(まことに変な話でごめん)

ああ、お風呂ってこうして入るんだ・・・・と。 (家のお風呂は普通に入りますよん)

 つまりですね・・・・社会での汚れは社会で処理し、家に持ち帰らない・・・・というようなことを学んだんです。

ものごとのトラブルもそうです。 なかなか家に持ち込まないわけにはいきませんが、できるだけ

社会を相手に解決をする。 ということが大切なんですね。 社会を相手にしないとね、家族にあたったり

不和はもちろん家族のなかの弱者も守ることができないんですね。  内へ内へと向くんです。

家族にも向けない人はね、病気になっていくんです。  これは間違いなくです。  

 私達が「底」から学んだことです。  どんな相手にしても社会で解決する習慣を身につけること。

小さなことも、社会で解決していく癖をつけていくことです。 それには自分が「変化」になることです。


            (ブログの引用、転写を禁止しています)

                                    



心機一転です^^    味なブログはそろそろ終われということですかいな・・・・・

コメントにレトルト食品のお話しが出ましたので、保育士と食の研究人として扱っているレトルトの食品に

ついて少し書いておきます。  小さなオフィス 「風の吹く丘」では、衣食住全般とガイア設立者、日野雄策さん

に共感し「遊」「知」 についてのお話しや相談をしています。 中でも、赤ちゃんからの離乳期の、お母さん達の

応援、サポートセンターを卒業してからの保育園、幼稚園のお弁当の応援に、安全なレトルト食品も推進して

います。  今、離乳期の赤ちゃんは有機玄米クリームや玄米粥、にんじんスープ、かぼちゃスープ、

農園からのりんごジュースを利用してくれています。 とても手間のかかる玄米クリームはお母さんの手作りが

当然一番ですが、育児の大変な日常をサポートして厳選した玄米クリームを紹介しています。

  また、お弁当用のミートボールやハンバーグは大豆たんぱくで作られていて、登園のお弁当の応援を

しています。 鍋スープも添加物のないもので、働くお母さんを応援しています。   これらはネットワークの

中で広がっていて、とくに私が力を入れたい母子家庭父子家庭の応援につながっています。

 支えあうパートナーのない家庭の子供は、自動的に親を精神的に支えるという逆転の役目を背負っています

。  社会の中で混ざり合って生きていくために、ささやかな応援をしています。  また、良い調味料が素材を

引き立てることから、調味料の紹介とお互いが成り立つフェアトレードな仕入れの提案もしています。

 もちろん、子育てに関わらずご相談くださいね。    ちょっとした発熱や体調不良は食品で治癒できます。

夢りんごは発端は貧困からですが、実はやたら病院に通うのではなく、さまざまな療法で状態を変えていく

方法を勉強しました。     参考にしてね! もちろん、和食研究会をはじめ、なんちゃってマクロ料理教室

、に賛同して、よい食品の勉強会やレシピも開拓していってますよ。 ・・・・・・

  寒くて、お金もなくてどこにもいけない人(笑)   とにかく、旅支度をしましょう^^

それがスーパー銭湯でも日帰り湯でもいいではないかな^^   乗り間違いの旅でトラブっても^^

私は手仕事の伝統刺繍、「ノクシカタ刺繍」の大きな着替え袋を持っています。 タオルや着替えをつめて

枕にもなるんです(笑)  車の隅っこに投げ込んで^^  辛くて短い人生の隙間にお風呂に立ち寄る準備を

しています。え? 「どこが辛くて苦しい人生?」(笑)   はい・・・・これでも時折落ち込みながら生きてます。

でも・・・・身体のために、世の中の自分の役目のため、家族のために「自分癒し」も大切です。

  自分を愛することは、そんなにお金はかかりません。   


                   (ブログの引用、転写お断りします。くれぐれもよろしくです。)       

ああああああ・・・・・・・ 今日はごめんなさい~記事です~

 昨日のレシピ(材料の浮気はしないでね)の章、   実はわたくし昨日夜、作ってみたんです。

で・・・・・何かが違う・・・・ん? まさかね・・・・?  ん?もしやこの小松菜はほうれん草だったのでは?

 それで、今日昔の先輩に電話をかけて(わざわざこんなことで・・・・笑われました^^)確認したところ

が~ん・・・・・小松菜ではなくほうれん草なのでした!    作られた方ごめんなさ~い。

なっぱはなっぱでもほうれん草。   何しろ、15年くらい前の教え。  子供たちが小さいころのレシピ。

あせあせ・・・・・・ほうれん草なのです。    誰か作られてたらごめんね~

  もちろん、小松菜でも食べれるのですが、厳密には小松菜ではうまくない。 

今回は訂正の巻です・・・・・。   あと、うすくちしょうゆはシンプルなものを。 (こだわりしょうゆではなく)

以上、お詫びでした。>_<          

  最近は色々な鍋だしが登場して、味付けしなくても結構美味しいですよね。  キムチ鍋とかも定番に

なりました。  毎日、鍋を作っても簡単に楽しめるし、便利ですね。  でも以前は鍋といえば水炊きか

寄せ鍋か、 おでんか、湯豆腐・・・・その他は自分で開発していた時代です。

 鍋の発展途上の途中に作られたメニューです。  作り手は、豆腐を入れてみたり、きのこを入れ替えたり

菜っ葉を替えたりして試行錯誤をしたはず。  その結果完成したんでしょうね・・・・なのに間違えちゃった!

(笑)    すみませ~ん。     発展途上といえば夢りんごの代名詞。

今は「救いようのない貧困」~「仲間のいる普通の貧困」の過渡期です。  マイナス100~マイナス50くらい

というとこでしょうか。  たまに見る福沢諭吉さんは当然あえなく支払いや返済に消えていきます。

でも、それでもまだ、時々「支払える」ことが喜びです。 無論交渉でとても低いハードルに下げてもらい

ます。    今日の朝日新聞、昨年の郵便不正事件の不起訴となった村木さんのコメント。

「裁判に勝つことが使命になっていることを改め真実を明らかにする責任を負っていることを定義づけないと

軌道修正はできない」 と。    同感です。  すべての法律の専門家さんに伝えたいです。

こういうことは、しっかりしてるのにねえ(笑)   ほうれん草を間違えましたか?(爆)

  先輩に大笑いされましたよん!  「何やねん!今ごろ・・・・私も忘れたわ!!そんなん」