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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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「人に見せるための人生じゃない」と言ったのは宇野さんだった・・・・

生きることは大変だわ・・  そう、ご飯も作り、洗濯、掃除も最低限行い、電球が切れたら買い付け替え

灯油を買い運び、ヒーターの給油をし、 洗い物をし、洗濯をしまい、そうそう、仕事をして 風呂にもはいり

トイレがつまれば直し、 ゴミを出し、 ご近所におはようございます。と頭を下げ 花に水をやり、電話を

かけメールに答え、 市役所やいろいろな機関に交渉したり、連絡したり・・・・・年寄りに電話して

不自由ないかと尋ね、元気かと問い、そのうち口喧嘩になり、・・・・こんな毎日を続けながら、問題にも

向き合う。人間てなんて  身の程知らず。   身体が心が悲鳴をあげています。少し休もう。

 それでもまた 次の日には 何とか起き上がり、 何とか生きる。  明日もこの自分がいるかなんて

わかるはずはない。  疲れすぎました。
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小さな記事だった・・元アイドルの死・・  とても不器用なアイドルの死・・

なぜか 少女時代好きだった彼の一生を 私は割合 見てきた気がする・・

そして 親変わりに溺愛された 人との確執と苦しみ。

そこからの卒業と暴露の苦しみ。  私は この人から その苦しみを学び、

自分に置き換えた。      そう・・暴露せねば済まない時期がある。   でも

それもまた 自分の苦しみであると・・ この人は 自分の苦しみを外に出し、自分が

犠牲になって 社会に役立てた。   その 藻掻く苦しみを 私は物書きとして

共通の思いを味わう。    あなたは 私にさわやかな励ましの歌もくれた。  屈折の人生。

ありがとう。 それに あなたは もっと人に甘えればよかったんだ・・でも 甘えるとまた

そこに確執が生れ、愛されると 束縛の檻から出ることに苦しみ。   あなたはもっと・・

人に迷惑をかけながらでも 生きればよかった。 あなたの人生に どうか安らかに・・・・・

その人生と  旅立つ永遠の 次の世に・・   その不器用な人生に・・・・少女時代の思い出に

ありがとう・・・・・

年明けて ずいぶん過ぎてしまいました。 いろいろ心配してくれたみんなありがとう(=^0^=)

何とか生きて 年を越せました。  新年に見た五木寛之さんの書物の中に

「夕陽は堂々と沈んでいく」 それは「また、昇ってくるために」という一文を見つけ、

自分たちがしようとしていることは そういうことなのだと気づきます。  つまり・・・・・

沈む時には沈むといいんだということ。 しかも 堂々と沈み、いつか また朝陽に変わろうと。


 沈むことも 何か意味があると想うし 夕陽は美しい・・・・それを感じて生きることが人生を

豊かにするのだとおもいます。  だけど それは あくまでも自分たちの 心の持ちようも含めて

やっとたどり着いた 生き方、考え方なのです。  相手の間違いや 命の尊厳の否定には

ちゃんと反発や 意識を伝えなければなりません。  今年はそういう年にしたい。

  去年は 本当に 自他ともに 「人となり」を 自覚したり見せつけられた一年でした。

ひとの熱い思いの向こう側に棲む 心の束縛も 感じる年でした。   去年は 未曾有の大震災に

見舞われ、日本の誰もが それぞれに考え直しや生き直しを迫られた年でした。

 あの震災から 三月で一年。    行方不明のままの人もまだいる中で 日本はどう変わればいいの

でしょう。  私は あれから どんな場所に行っても 「ここが地震と津波に見舞われたら」と考えるように

なりました。  大きな河川敷のある川沿いの町では 水害の歴史を遡り、 琵琶湖や若狭湾を想うと

起こりうる想定の原発の恐怖に寒気立ち、 いつも災害は隣り合わせと意識的に想うようになりました。

 それが私の東北への供養と できることだと思っています。   今年も命のある限りよろしくお願いします。

    ******      ******     ******    ******

年明けて  少し嬉しかったことを いくらか書いていきます。

  ひとつめは・・・・・・二年前 相次いで家族を二人亡くし、 婚約者と籍を入れて年賀に「朗訃報」を

送ってきた 元スタッフの小林君・・・・・千早赤坂村に念願の新居を建立したとの知らせ。

嬉しくて また携帯をなくし・・・・・メモリが全部なくなったので 店には 「突然行きます。お願いします。」

と。    「待ってますよ」と返信しました。  こんな人間が居る限り、お店はあけないといけないな・・・・。

  小林君  よかったね。 冬の時代を生き抜いたからこそ 今があるんだね・・・・・(*´∀`*)



へらへらと 人にへつらうのはよそう。  さみしいからといって 誰かにすがるのはよそう。

冬の人生を 歩もう。  痛む足と腕を そっとかばいながら。 君も歩こう。

冬の人生とて 太陽は昇るし 冬の人生とて 青空も仰げる。   冬の人生とて 月は輝き

冬の人生とて オリオン座は光る。   自分をさらけ出し 自分を守ろう。 

 無表情な 凍りついた うつむいた 君へ・・・・・・  すぐには 心など開けないだろう。

そのこわばりは すぐには ほぐれないだろう。  瞳はすぐには 空を見上げることはないだろう。

だけど 耳を澄まして・・・・・・遠からず 近からず 誰かの足音が聞こえる。  同じような歩幅の

古びたスニーカーの その足音は 同じように 冬を歩む足音じゃないか? 

  ちがう ちがう 違う 違う・・・・・・  いいえ 同じ。   声をかけたくてもかけられない君と同じ。

返事がこわくて 声をかけられない君と同じ。   目を合わせるのが つらくて 顔を挙げられない君と

同じ。   同じ思いでも  行きずりの人に 不意には声をかけられないのなら 一人でいるのと

同じだろうか?  それを 孤独というのだろうか? その仲間を孤族というのだろうか?

とにかく 冬の道を歩こう。  陽がさせば 少しは こわばりもとれるかもしれない。

 南中した太陽は 少しは 君に勇気をくれるかもしれない。  夕陽に感涙した傍らに 同じように

涙を流し 心通う 人に出会うかもしれない。   その人と 明日の約束を交わせるかもしれない。

 今度は 「朝陽を見よう」と。    

もはや、日本の貧困は裏街道を歩くべきではない。

貧困により 自己の喪失だけは免れなければならないと思う。

ネパールのウッタムさんは 貧困の王道を胸を張って歩いていた。

彼はネパールからの使者だと思う。 誠実な貧困者は胸を張って歩もう。

 廃業したつれあいは、 行政に足を運んでいるが そこには色々な貧困を目にするという。

実際 メディアが奏でる 「雇用の創出」は 貧困者には容易でないことが多い。

その日の暮らしもままならないから どうしても 「日払い」のような仕事になるし そういう類は

保証もないことが多い。 ある相談者は「面接が決まったけれど着ていく服がない」ぼさぼさの

髪で「散髪しないと雇われない」など 日常のありきたりな 営みが基本できないのだ。 

  そういう 場面を見ていると そして 東京スカイツリーなどを見ると「日本はなんだ?」と

思ってしまう。  うちなどもそうだが まず 給料の振込のない雇用を探すことになるし

事情を話して よしんば手渡しを頼むとして 「そういう立場の人を雇用主が雇うか?」というと

まず敬遠されるだろう。   厄介なことや人は大嫌いな日本なのだ。  その偏見の壁を越えられないで

雇用を急いでも 無理である。  或いはPTSDや心身症を患い  或いは健康上の問題を抱えて

雇用の促進は無理である。  行政は今 ひしめいている。  誠実な貧困は胸をはりそして 歩むべき

である。  それには 意識の改革が必要だ。  意識の改革は一ぺんには変わらない。

私たちはよたよたと カッコ悪くても 誠実な貧困の旗を掲げて歩こう。