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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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めまぐるしい日々を何とか生きるのが精一杯の私達にも

それでも色々な人が通り過ぎていく。

それは 仕事のお付き合いおあった人で 年に2~3度お会いするくらいだったろうか。

ある業界の偉いさんで 私達の問題も深く取り上げて 応援してくれたこともある。

 夏の本番になろうかという時 着信がはいり、 久々に何かのお仕事かと思うと

末期のがんだという。 余名宣告も受けていて それは一箇月も満たない状態だった。

私を思い出してくれたのは そういう勉強を何年もしていたからだろうか。

「まだまだ、せねばならないことが山ほどあるのに!」と 力のこもった言葉で 生への深い

執着を捨てきれないようだった。 突然のことで どうしたらいいかわからず、とにかく

伺っていいかと尋ねたら 再び電話がかかり はっきりと病院、病棟、病室を口にされた。

「待っている」ということなのだろう。 でも 今から何をすればいいのかわからない。

できたとしても 今から 療法を変えて 可能性はあるのだろうか。  でも・・・・・

「あきらめる」ことはどうしても言えなかった。 生きたいのだ。 その人は、だから私など

思い出されたのだ。 こちらも 息絶え絶えに生き延びている。 助けを求めるのは私の方だとも

思う。それでも・・・・・死にそうな人に何かしなくては きっと後悔するだろう。

 二日おいて 私は夜中に励ましの手紙を書き 手持ちの療法の本と レトルトの食品をつかんで

主人と病院へかけこんだ。    渋滞で 面会時間は過ぎ 聞いていた病室を軽くノックして入った。

とても しんどそうで 普段のパワフルはどこにもなく 寝ておられたので そのまま荷物を置いて

出た。 本だけは・・・・・迷って持ち帰った。 ご家族の心を乱すだけだと思った。

 翌日 ナースステーションに電話を入れ 昨夜訪れたことを ご家族に伝言してもらった。

夜、お家族と本人から電話が入った。 感謝の言葉だったようだが 正直、何を言われているのか

ほとんどわからなかった。 思い切るように 向こうから電話をきられた。  訃報が入ったのは

そこから10日後のことだ。   涙のでる余裕もなかった。 何がおこったのかもよく実感がない。

遅れて通夜に駆け込んだのだが あっという間の出来事で、不思議な感覚しか残らない。

何とも・・・・・人は、あっという間に 逝ってしまうものなのか。  山ほどの仕事を残して・・・・・・

  同じく電話の入った 農園の友人と とにかく できることはしたのだが。 もう その人はいない。

人はいつかいなくなる。 その人の最後の舞台を フィナーレに私は登場し 幕引きを手伝う

役割を果たしたのだけれど、 何かの痛みだけが残っている。 訳のわからない涙を今、吐き出して

そろそろ 歩き出さねばならない。 こんな傷だらけの身体でも・・・・・・。
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