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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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一年前  裁判所の差押えをいただいたので 以前の事業の借入だった銀行の返済が

利益喪失と判断されて 保証人の父の口座が押さえられた。 父は 年金の入金を

口座に数十万入れてあったので それは銀行で押さえられたのである。 

多額の財産なら いたしかたないが 年金の数十万は父の全財産にあたる。 弁護士は

そういう警告はしないものだろうけれど、顧問弁護士なら違っただろう。 お金のある人は

口座に財産を残さないように 先手をうつのかもしれない。 しかし 素人にはわからない。

 年金は生活費であるから 法律で守られると 後になって弁護士から聞いたけれど 素人が

その交渉をするには 無理がある。 第一、 その日暮らしの数年間で 張り詰めた一日を終えるのに

精一杯である。 そんなことが 相手には見えていたはずである。 母が精一杯話しても父は

理解できないようだった。  無理もない。 90歳前である。 私達でさえ 初体験でわからないのだ。

もう 父には話すのをやめようと 母に言った。 見えないままでいいではないか。 実家に不思議な

電話がはいり 「年金を押さえられましたか」と。  父は 電話を切ったけれど 誰なんだろうか?

父は未だに 「何故、通帳が使えないのか」と呟いている。 父さん、それはね・・こちらの借入の一部を

父さんの年金が返済したんだよ。 そうならないように 毎月減額で返済していたのにね・・・・

  あれ以来 つれあいと私の 精神の限界と 身体の大きな異変が始まった。 私は冬まで 右腕が

全く上がらなくなった。 父母は取り急ぎ奈良に訪れた。 つれあいは 足の痛みと腰で身体を引きずりながら

毎日を過ごした。 父母は生まれて初めて 弁護士事務所を訪ねることになった。 私が父母にできること

それは 帰れない二人を小さなスーパーホテルに泊まる段取りをすること。 父さん母さん、 これも

人生の1ページにしようね。  辛いことを 思い出にするには まだまだ時間がかかるけれど、きっと

思い出にできる日まで 何とか生きよう。  母はその夜 遅くまで奈良の夜景を見ていたという。 

    ところで話しは一変する。   数十年前の出来事である。あることで 騙された人がいた。

その人は大きな借金を背負うことになり うつ病になり入院した。 そして その人は入院中、

病院の人たちや 同室の患者さんに その出来事を話しつくして 心を表に出したそうだ。

話は界隈に広まったが いつしかその人は少しずつよくなった。 でも 騙した人は 名前が汚れたこと

だろう。  しかたない そういうものだ。  私は以前、ある人に そうならないように 連絡をした。

その人の名前も汚れないように 未然に伝えるつもりだった。 どう 解釈されただろう。

普通、騙した汚名のある人には 人は近づかないだろう。  でも 私や私の母は それでも近づくかも

しれない。  母はともかく 私は どんな人にも 孤独は辛く 人と関わりながら生きていたいと

望んでいると思うからである。自分が苦しい時誰が近くにいたかを思い出せばいい。 

私は 生涯 それを忘れない人間でいたいと思う。        
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