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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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今だから少し話そう・・・・ 知人の父君が三年ほど前、自死されたが 実は紙一重。

当時の私達も 日々危ない毎日だった。 「せんせ、もう持ちこたえられません」と何度か

弁護士につぶやいたことがある。  でも風に消された・・・・ 「今、破産されたら・・」と都合の悪い事情が

あったのだろう。  その頃 四年くらい前か・・・・ 一家心中するくらいなら子供たちだけは救わないとと

漠然とした感覚があった。  息子と対立して 追い出し状態で 別にくらすことになったのだが

心の片隅には「逃げ延びて」という願いがあった。   奈良で暮らせば 困ったとき必ず 向こうから

再び会いに来る。 そんな遠回りな 思いが漠然とあった。   時代は猛吹雪。  彼は自立するしかない。

ばらばらでも食べ物さえ辛うじて調達すれば 何とかなる。 そう 信じて夜中に息子の布団を彼の新しい

部屋に投げ込みに行った思い出。      あとは 娘・・・・これが大変だった。 自立の一歩に 清見村を

頼った。   「離れなさい・・・・」 深い意味はわからないまま、娘は清見に旅立った。 ひと夏を清見で

手伝いながら暮らし、夏の終わりに帰宅した。  秋からが勝負だと思った。   近くのジョブカフェで

就活の 集まりをしていたので とりあえず そこに赴いてみるようにすすめた。 今から思えば 彼女は

あの時 やけに素直に 飛び込んでくれた。  印刷会社にパートで入るもリストラ。 ハローワークに通い

助成金の講座を見つけ 「前例がない」と はねつける職員に 二人がかりで 実情を話し 書類を揃えて

やっとの思いで通過した。  何とか三ヶ月の講座を卒業し 派遣だが 一年ごとの更新でパートについた。

  子供たちのいなくなった 部屋で 片付けも ままならず 何年過ぎたろうか。 あれから、四度目の春

が来る。   義父も亡くなった。  先日 三回忌を終えた。    丘の上の海の見える墓地に義父は

眠っている。  とても 可愛がってくれた。  私と文通していた 書家で俳人の義父だった。

       話しは一変するけれど 最近 「お芋の研究室」を始めた。  苦しい暮らしのなかで 研究は

一生の修行かもしれない。  内容は またにするが あすにつながる「お芋」の研究をしている。

実はT大学の 先生が お芋を作っているらしく、 広島のUさんが詳しいので ぜひとも 研究をすることに

・・・・・。   詳細はまたにしよう・・・・・・。
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