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ちょうど4年前、私たち夫婦はサラリーマンを辞めてフランチャイズ店に加盟しました。
25年近く会社という組織の中で働いてきた私たちは、自営業という右も左も分からない中で世界で
本部の指導どおり商売を続けてきました。
オープン当初は毎日5食、6食というわずかな食数でしたが、それでも毎日お弁当作りに励んで、
より良いものをご利用者の方に提供しようとがんばってきました。
毎月膨大な赤字が続き、支払いの時期になると家内が大変な苦労をして、支払いの工面をしてくれて
何とか毎月の食材や、経費を支払っていましたが、開店資金に一千万以上の資金を費やしたために、
そんなに余分なお金はありません。
私たちにとって高額な資金をつぎ込んだ以上、赤字が続いたからといってそんなに簡単にやめるわけ
にもいかず、金融公庫や銀行から運転資金を融資してもらいながら、なんとか商売を続けていました。
本部に「この仕事だけではやっていけないのでは・・・」と相談しましたが、「大丈夫です、とにかく食数を
伸ばしましょう」と言われ、これまでがんばってきましたが、売り上げは伸びても本部への支払いや、
赤字のときに融資してもらった銀行の返済額や、経費を差し引くとほとんど利益は残りません。
商売をやっていると支払いのために、カード会社やサラ金から融資してもらって繋ぐ人もいると聞きますが
それだけは手をつけませんでした。
本部への買掛金がたまったとき、本部から資金調達コンサルタントの紹介もありましたが、多額の報酬料
をとることに疑問を覚え、それもお断りしました。
今思うと、そういうたぐいのものに手をつけなくて良かったと思います。
そのときは買掛金がなくなるかもしれませんが、背負うものが違ったものになり、おそらく人格や人間関係
も破滅し、生きる意味がなくなってしまうかもしれません。
普通に家族が生活できるだけの利益があって、高齢者のために少しでも役にたてると思って始めた仕事
だったのですが、残念ながら続けることができなくなりました。
でも配食だけが高齢者の役にたつ仕事ではないので、また違った形で出来ることを考え、希望を捨てずに
がんばっていこうと思います。
25年近く会社という組織の中で働いてきた私たちは、自営業という右も左も分からない中で世界で
本部の指導どおり商売を続けてきました。
オープン当初は毎日5食、6食というわずかな食数でしたが、それでも毎日お弁当作りに励んで、
より良いものをご利用者の方に提供しようとがんばってきました。
毎月膨大な赤字が続き、支払いの時期になると家内が大変な苦労をして、支払いの工面をしてくれて
何とか毎月の食材や、経費を支払っていましたが、開店資金に一千万以上の資金を費やしたために、
そんなに余分なお金はありません。
私たちにとって高額な資金をつぎ込んだ以上、赤字が続いたからといってそんなに簡単にやめるわけ
にもいかず、金融公庫や銀行から運転資金を融資してもらいながら、なんとか商売を続けていました。
本部に「この仕事だけではやっていけないのでは・・・」と相談しましたが、「大丈夫です、とにかく食数を
伸ばしましょう」と言われ、これまでがんばってきましたが、売り上げは伸びても本部への支払いや、
赤字のときに融資してもらった銀行の返済額や、経費を差し引くとほとんど利益は残りません。
商売をやっていると支払いのために、カード会社やサラ金から融資してもらって繋ぐ人もいると聞きますが
それだけは手をつけませんでした。
本部への買掛金がたまったとき、本部から資金調達コンサルタントの紹介もありましたが、多額の報酬料
をとることに疑問を覚え、それもお断りしました。
今思うと、そういうたぐいのものに手をつけなくて良かったと思います。
そのときは買掛金がなくなるかもしれませんが、背負うものが違ったものになり、おそらく人格や人間関係
も破滅し、生きる意味がなくなってしまうかもしれません。
普通に家族が生活できるだけの利益があって、高齢者のために少しでも役にたてると思って始めた仕事
だったのですが、残念ながら続けることができなくなりました。
でも配食だけが高齢者の役にたつ仕事ではないので、また違った形で出来ることを考え、希望を捨てずに
がんばっていこうと思います。
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