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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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あるプロジェクトで メンバーに一斉メールを頼まれた。

しかし 私はその術を知らなかった。  それで 世話をしてくれる人にメールを送信し

それをコピーしてくれるように依頼した。 次の話し合いで コピーを持参すればよいと考えた。

 でも 若い人たちは それが不思議だったようだ。  何どもメールで差し支えないように

「けいこさんから流して下さい」と来る。   それで仕方なく 私は 彼女に それができない事を伝えた。

内容云々、以前の問題だ。      相手は 簡単だと思っている。 こちらは できない。

逆のこともある。  自分は書類の作成はできる。 そんなことができない人もいる。

どちらも罪悪感など要らないと思う。  自分にできる方法を探せばいい。  たとえば・・・・・

洗濯機が壊れている。  当面 買うお金がなければ そして とりかえる気力がなければ 古い方をリサイクル

する元気もなければ ほっておいて コインランドリーに通う。  回数が増せば 購入するほうがいいだろうけど

その力もないときは 損をしても 一回ずつのコインランドリーに通うしかない。  そこに罪悪感などいらない。

 一日に何箇所も出張先を訪問できる人がいる。  サラリーマン時代はそれを誇りに思うこともある。

しかし、ひとたび サラリーマンを辞めて 自分が事業を始めると それは自慢にはならないことがある。

一日に一箇所でも ちゃんと向き合うことが大事なこともあるし それしかできない人もいる。

軽く渡ることができない。 それは 悪いことではない。   

  裁判を簡単にする人がいる。  顧問弁護士がいたり協力な足固めをして 書類を勝つために容赦なく

集める人もいる。  お金を裁判に費やすことを 何とも思っていなければ 簡単に訴訟ができるだろう。

簡単に訴訟にならないのは 自分のリスクを考えるからである。  貧乏人を訴えても勝っても何もならない。

ましてや 自分が貧乏に追い込んで 訴訟しても笑われるだけである。  何も 貧乏を開き直れと言ってるのでは

ない。  本当に 回収する目的であれば 裁判など必要ないのである。  裁判が日常茶飯事で手馴れた人と

裁判など程遠い まして 身に覚えのない人 お金もない人とでは 全くフェアではない。 

 プロ野球の選手が 少年野球の草チームにいきなり 試合して 勝つのが当たり前のようなものである。

日本の裁判はお金のないものには できない。  法テラスがあると言っても 全くの素人であるからして

自分の言いたいことが 代理人が必ずしも伝えてくれるとは限らない。   裁判裁判と簡単にする人と

したことがない人では 違う。  でも できない人が 非常識かといえば そんなことはない。

 裁判など 経験不足な人間は山ほどいる。   自分を見下す必要はない。 私は 弁護士にはできないこと

相手にはできない 別の能力があるんだから。   
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