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お金がないのは大変だ。 生活の最低限度は必要だ。
でも もっと重い重い病気は 「人間不信」。 これは魂の傍らにへばりついてとれなかった。
これは 体験しないとわからない。 この病気を克服するのに ものすごく時間がかかった。
「何事もないように」 生きていた。 だけど 引き出しに こぼれる 世間を信じない傷みは
時にあふれかえり 凝固した。 徹底的に信じることは なくても 何でもない話しを
隅々まで疑ってかかっては つながりなど作れなかった。
ある日 親しいサークルのボスが 何となく そっけないと感じた。 「気のせい」と過ごして
きた私だけれど ここでレッスンをしてみる。 ショートメールで 「私について何か言いたいことが
あるんじゃないかな?」 と尋ねた。 「私には心当たりが全くないんだけど・・・・」と返ってきた。
それで そこで素直に謝った。 「ごめんなさい。 今まで感じたことは全部いい方に考えて生きてきた。」
「だけど それは事実と違っていたんだと思う。だから今度は悪い方に感じたことを正直に言うことにした。」
それで事実が確かめられる。 違っていたら ごめんなさいと謝ろうと思って尋ねた・・・・・と。
「私が腑に落ちないことを尋ねた時は人間関係のレッスンをしてるんだと思ってほしい」と付け加えた。
誰もがひどい嘘をつくわけではない。 誰もが 急に人を陥れるわけではない。 そう思う自分を
いくらか回復する必要があった。 そのために できるだけ多くの人に 事実を話すように努めた。
辛い書類を丸ごと見せるときもあった。 偏見で相手が離れて行ったらそれだけの関係だと受け止めた。
だけど・・・・・本当のことを出すことで 意外と いい関係も深まった。 とにかく 一度はぶつかることにした。
月日をかけて 誤解を産みながらも 最後は理解できる つながりへと 一人一人について努力した。
もちろん、 何か起こる前の数年前の自分に戻ることはできない。 でも 自分を見失って変わってしまうことと
成長は違うと 先輩は言った。 私もそう思う。 だから 今も人間関係の治癒を自分で行なっている。
人との関係のプロセスを低いハードルから越えていく。 丸ごと嘘をついて目をそらす 権力者に心まで
抜き取られたくないと思った。
でも もっと重い重い病気は 「人間不信」。 これは魂の傍らにへばりついてとれなかった。
これは 体験しないとわからない。 この病気を克服するのに ものすごく時間がかかった。
「何事もないように」 生きていた。 だけど 引き出しに こぼれる 世間を信じない傷みは
時にあふれかえり 凝固した。 徹底的に信じることは なくても 何でもない話しを
隅々まで疑ってかかっては つながりなど作れなかった。
ある日 親しいサークルのボスが 何となく そっけないと感じた。 「気のせい」と過ごして
きた私だけれど ここでレッスンをしてみる。 ショートメールで 「私について何か言いたいことが
あるんじゃないかな?」 と尋ねた。 「私には心当たりが全くないんだけど・・・・」と返ってきた。
それで そこで素直に謝った。 「ごめんなさい。 今まで感じたことは全部いい方に考えて生きてきた。」
「だけど それは事実と違っていたんだと思う。だから今度は悪い方に感じたことを正直に言うことにした。」
それで事実が確かめられる。 違っていたら ごめんなさいと謝ろうと思って尋ねた・・・・・と。
「私が腑に落ちないことを尋ねた時は人間関係のレッスンをしてるんだと思ってほしい」と付け加えた。
誰もがひどい嘘をつくわけではない。 誰もが 急に人を陥れるわけではない。 そう思う自分を
いくらか回復する必要があった。 そのために できるだけ多くの人に 事実を話すように努めた。
辛い書類を丸ごと見せるときもあった。 偏見で相手が離れて行ったらそれだけの関係だと受け止めた。
だけど・・・・・本当のことを出すことで 意外と いい関係も深まった。 とにかく 一度はぶつかることにした。
月日をかけて 誤解を産みながらも 最後は理解できる つながりへと 一人一人について努力した。
もちろん、 何か起こる前の数年前の自分に戻ることはできない。 でも 自分を見失って変わってしまうことと
成長は違うと 先輩は言った。 私もそう思う。 だから 今も人間関係の治癒を自分で行なっている。
人との関係のプロセスを低いハードルから越えていく。 丸ごと嘘をついて目をそらす 権力者に心まで
抜き取られたくないと思った。
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