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戦争は嫌いです。
闘争も嫌いです。
喧嘩も嫌いでした。
口喧嘩も醜いと思います。
平和が好きでした。 静かなことが好きでした。 絵を描いたり・・・・言葉をつむぐのが好きでした。
田舎に育ちました。都会は少しわくわくしました。 のどかな風景が好きでした。 昼寝が好きでした。
闘いは嫌い・・・・でも逃げることも嫌いでした。 これが、私達の道を決めていく鍵でした。
闘いもせず、逃げもせず・・・・これでは心も身体もイカレてしまいます。 そうなりました。
だから・・・・闘いをしてみました。 法は・・・・まだまだ理解できないし、専門家ではない。 だから
哲学を織り込んでみました。 持論やポリシーを加えてみました。 そんな、全体的な見方がこの世に
必要だと感じたからです。 なにか・・・・闘いがあっても、最後には「幸せ」を目指せるような、人の心とか
やはらかなまなざしが、法律のなかにも必要だと感じたからです。 でなければ・・・・そのあとの生き方が
なっていかないと思いました。 ひとつの結果は・・・・結果として、「そういうものなのだ」という見方。
まだ、闘いは続くかもしれません。 きっとそうだと思います。 でも、それは「法」だけのなかに
閉じ込めておいてはいけないと思います。 弱者が弱者として、強く生きるためには思い切ったハードルでは
なく、通過点が何度も必要だと思います。 相手を変えるとか、世の中を変えるとか極端なことではなく
「ただ・・・・あきらめないこと」 それはとても長い道のりです。 闘うということは、まっすぐな道ではなく
遠い曲がりくねった道を歩くなかに、闘いの幸せ感もみつけて生きることだと思います。
たとえば・・・・強いものという言い方をすれば、彼らは「法」をまもっているのではなく「法」を抜ける道をひらい
ていきます。 私は実際「こうやって加盟店をしばっていくのだ」という締め付けの方法を聞かされました。
また、加盟店を飲み込む方法も見てきました。 卑怯な解決方法も当人から聞かされました。
「もう、思い出したくない」という、やめたお店のお話しも聞きました。 そして、心も身体も壊していった人も
みました。 それが、世の中の大半の普通の人だと思っています。 それが、生活のために生きている
普通の姿だと思っています。 それが・・・・大半の「普通の人」だとしたら、なぜ普通の人のための「法」では
ないんでしょうか。 普通の人が幸福に生きるための「法」でなければ誰のための「法」なのか・・・・
格差を拡げるための「法」ですか? 応援ありがとうございます。 このところ、激励や
メールもお礼をいう時間がありませんが、とても感謝しています。 がんばるからね・・・・・
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