[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
苗を植えてから一週間
ミミズが土を耕してくれているせいか
成長が早いように感じられます。
さすがに土壌養分が凝縮された土です。
もういくつか小さな実がなっています。
あと一週間もすれば色付いてくるでしょうね。
ただ・・
問題が発生・・・
昨日の朝プランターの周りに土が散乱してるのを発見。
ん?何やろ?と、ふと上を見上げると、何とその土を使って
ツバメが巣作りをしてるではありませんか。
おいおい・・・なんちゅうことをすんねん。
君らのために「桜パパさん」が送ってくれたんちゃうねんけど。
「桜パパさん」どうしましょうか?
「土レ味♪」で家庭菜園中のみなさんのブログです。
まだ沢山の「土レ味♪」が残っていたので、もう一株を小さいプランターに植えてみました。
プランター少し小さいでしょうか?
わりと大きな苗なので、すぐに添え木しなければなりませんね。
風が強い日、お店の前は突風がきついので折れそうです。
残りの「土レ味♪」はお店の前に飾ってある花と、もう咲き終わったシクラメンに少しずつ分けて
入れました。
お気に入りの金魚の木。
もうすぐ花が咲きます。
土を入れてるとツバメが・・・
もしかしてミミズを狙ってる?
先週植えたミニトマトも元気です。
「土レ味♪」で家庭菜園されている方のブログはこちら
にほんブログ村
「土レ味♪」は土壌養分の凝縮された宝の土で、土が呼吸して植物に美味しい実(味)をつける
ことから「土レ味♪」という名前をつけられたそうです。
ミニトマトの苗を3種類買って来ました。
2株と3株に分けて植えようとしましたが
3株入れると息苦しそうなので、2株ずつ
にしてもう1株は別の鉢に植えます。
2袋も送って頂いたので、残りの「土レ味♪」はもう1株のミニトマトの苗と、お店の前に飾ってある
花に使うことにしようと思います。
「土レ味♪」の入っている袋を開けて新聞紙に広げてみると、なんとかわいい?ミミズ達が元気に
這い回っているではありませんか。
一匹、2匹、3匹・・・さすがに養分いっぱいの「土レ味♪」だけにミミズ達も元気がいいわけです。
乾燥防止のために新聞紙を上において、後は成長を
楽しみに待ちます。
以前畑を借りて野菜を作っていたときは、きゅうりやなすなど立派に育ったのですが、鉢植えで
ミニトマトを育てたことがないので、「こうしたほうがいいよ」というアドバイスがありましたら、是非
教えてください。よろしくお願いします。
モニターとして、桜パパさんからの「土レ味♪」で栽培をしているみなさんです。
にほんブログ村
このところ昭和~の音楽家が次々と他界され、昭和からの音楽好きにはさみしいばかりです。
先日も忌野さん、今年に入って青春時代のフォーリーブスが三人になったこと、
(ちなみに私は公ちゃんファンでした)。
自分たちも遠からずの将来・・・・になってきたことが実感されます。
更年期と身体のそこかしこの痛みで一晩中眠れない夜など「明日をもしれない命」と本当に思います(笑)
以前、奈良のホテルで講演に来られた十津川出身の実業家羽根拓也さんにお尋ねしたところ、
「元気のもと」は「音楽」と「自然がすき」でした。
私も同じだったので、その時から「ささやかな成功」を確信して励みに想っていました。
音楽家が世を去るとき、例えばフォーりーブスの青山さんは「死ぬのは怖くないけど歌えなくなるのが
いやだな」と・・・・・。
死ぬから歌えなくなるのに、つまり「死んでも歌いたい」ということでしょうね。
一昨年亡くなった作詞家の阿久悠さんと、昨日亡くなった三木たかしさんの尊い昭和史の歌の数々。
今、日本に欠けている一番大事な心~通う音楽が溢れていたと思います。
折りしも偶然、これも音楽家としてもういちど再出発の襟を正して・・・・・と小室哲哉さんの公判判決が
執行猶予で、なにかこの世代あたりから音楽を機械化、並外れたビジネス化された結果のようです。
ぜひ、社会のために、今後新しい本当の音楽家としての道を・・・・・・と願います。
そしてもう一度彼を信じようと・・・・・彼の発言のなかに出た「慢心」という言葉。
色々な分野でトップにたつ人々はもう一度自分の心に問いかけてみないといけませんね。
「慢心」
この言葉が自身のどこかに居座っていないかどうか・・・・もちろん地位もない私自身も含めて・・・・・
歌は私のエネルギー源です。
「若者は旅を続ける」「人生は一度きりだから」今でもいい歌で力と癒しをいただいています。^^
にほんブログ村
数ヶ月前、家を出た息子が数時間だけ帰ってきた。
苦学生の彼は生活費を稼ぎながら学生生活をこなしている。
思い出していただけるかと・・・・・数ヶ月前のブログ「さわやかな別れ」。
「いちど米をがっつり食いたいなあ」「できればいくらが食べたい」
仕事場所からはほど近いけれど, ほとんど会えない日々・・過剰な心配は頑張る心に反発を与えるし、
自立を目指す邪魔になり 尖がるばかりである。
自分から帰るまでは見守るしかない。 数ヶ月のひとり暮らしは確実に彼を変えている。
「いくら」 今の私達には豪華な食材である。なじみのスーパーに立ち寄れば540円・・・・・
「 あ~これ一品でこの値段はね~」迷っている私にまたしても「食の神様」が舞い降りた(笑)
スーパーで着々と貯めこんでいたポイントが500円チケットを発券してくれたのだ^^
「息子にいくらを食べさせよ・・・・」と(笑)
ところが、彼はいくらに手を出さない。ごはんと味噌汁、出し巻き、野菜と食べ続けている。
どうしたんだろう?少し前の彼なら山盛りご飯にかけて一番に食べたはず・・・・・
なんでも「うまい!」と喜ぶはず・・・・・・
ご飯を二杯食べたのにいくらはそのまま残っている。
そして三杯めを自分で軽く盛り、丁寧に大事そうにいくらをのせて食べ始めた。
何も言わずもくもくとかみ締めるように・・・・黙って・・・・そして黙って食を終えた。合掌を・・・。
今、思い出すと私は目に一粒、二つぶの涙がおちる。
家を出て三ヶ月、彼は確実になにか変わっていったのだ。
そのことに私はもう一粒、涙を落とす。「これでいいんだ。違っていない。」
にほんブログ村