[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
もちろん使い道は星の数。ですが・・・・私は海のもくずにはせず、自分たちの心の支えに使いました。
ここ、数年間で一番大切だと感じたこと・・・・・それは、普通心配すること、たとえば・・・・資金繰り、経済難(あ、一緒か笑) 人生の山、谷、またまた谷^^ それらの苦難よりも「心がぽっきりと折れてしまうこと」がどれだけ不幸を重ねるかということでした。 心が折れてしまうと進めない。 心が折れてしまうと身体も壊れる。 心が折れてしまうと人が怖い。心が折れると生きていくのさえ怖い。 生きてる心地がしないまま、・・・・
そんなことを思い知ったからなんです。 「気楽やなあ」と思われても、たまには海を見る・・・・辛くても一歩踏み出す・・・・人は時々、自然や音楽に心洗われることが必要です。 今どきの言葉でいえば、「右脳の世界」 といいますか・・・・・ 心の洗浄、感性の磨き、耳を澄ますこと・・・・今、スピリチュアルなことが流行っているのも、そんなことからじゃないかしら・・・・・とにかく速すぎる。とにかく多すぎる。そんなこの世を自分で一端とめること。 そして耳を澄ますこと。 何が本当なのか。何が必要なのか。心の掃除をすることだと。 定額給付金はみんなの中で過去だけど、 手元にあるお金で限られた金額で(今回は乗り放題の3000円)海と列車と心の洗浄に出かけませんか? あ、私はJRの回し者ではありません(笑)そう、おにぎりとみかん持って、足りなければ駅そばをすすればいいんです。
10月10日の結婚記念日は土曜日のため仕事。
というわけで、翌日の11日久しぶりに夫婦で朝から出かけることになった。
前々から「海が見たい」という希望を叶えてもらい、いざ出発。
といっても出かける間際まで行き先に迷っていた。
JRが鉄道の日を記念して「秋の関西1デイパス」というチケットを販売している
と家内がどこかで見つけたので、そのチケットを買うことにしたが一日限りで
何処へでも乗り放題だという。
海が見えるところといえば西は相生から播州赤穂、南は関空から和歌山方面、
北は敦賀方面へ行ける。
「う~ん・何処がいいかな・・・とりあえず関空近くは
凶暴なジャ〇ー姉さんがいるからパス」
「赤穂は実家に帰るときに度々通るのでまた今度」
ということで敦賀へ行くことに決定。
奈良から京都、京都から湖西線に乗り一路敦賀へ
思った以上に車内は込み合い、しばらくの間通勤電車並みの状態だったが、車窓から
見える琵琶湖は湖面がキラキラと輝き、車内の窮屈さを忘れさせてくれる。
敦賀に到着後、海といえばやはり「気比の松原」
前に一度釣りに行ったことがあったが、車だったので駅からバスで行くのは初めて。
駅前の案内所で500円で乗り放題の「バスの周遊券」があると聞いたのでそのバスで
行くことにしたが、肝心の「気比の松原」までは周遊しておらず近くのバス停から徒歩で
向かった。
歩き始めてすぐに磯の香りが漂い始め
「ええ香りやなぁ~」「おぉ~久しぶりの海や」
と、ぶつぶつ呟きながら目的地へ到着
日本三大松原のひとつ
三保の松原と・・・・・
あれ?あとひとつ何処
やったかいな?
公園を通り抜けると
おおお・・・素晴らしい
来た甲斐があった
久しぶりの日本海
少し曇ってたけどその雲と
海の青さが絶妙で、何とも
気持ちがいい
時折吹き抜ける風も砂浜特有の
細かい砂が風と飛んでくる
やっぱり海はいい
海育ちのせいか、海は気持ちを落ち着かせてくれる
いつまでもここにいたいがそうもいかず、金ヶ崎方面へ向かうことにしたが、バスはしばらく
来そうにないので徒歩で向かうことにした
このあたり日曜日だというのに、シャッターが降りたままのお店や休業中らしきお店がほとんどだ
ところどころの民家も静まり返っていて、交通量も少なくあまり人の気配が感じられない
何か異次元の世界に来たような錯覚にとらわれそうな道を歩きながら金ヶ崎の海岸近くまで40分
近く歩いたが、普段こんなに歩くことがないのに以外に疲ない
五木ひろしの何とかの鐘
忘れた・・・
旧敦賀港駅舎
ここからシベリア経由で
人や文化が行きかいしてたんや~
まだまだ見たいところもあったが、海にさよならを告げ敦賀駅へ
帰りは米原経由で一路京都へ
彦根を過ぎてしばらくすると背筋がゾッと・・・
あ!しまったこのあたりkeroさんの領域やった
「悪霊退散」の念仏を唱えながら無事京都着
奈良を経由して近くの駅に戻り、車を停めてあったスーパーの駐車場を出ようと駐車券を
入れると、なんと駐車代金が2400円
何のために安くいけるチケット買ったんや
と思いつつも、久しぶりに夫婦で出かけ、久しぶりに海に癒され、明日からまた頑張れる
ま、ええか
にほんブログ村
昨日は偶然、数ヶ月ぶりに息子が帰宅した。 帰りついた時はもうすでに暴風雨の渦中。二階のベランダの雨戸を閉め損ねてすでに遅し。 ベランダのスクリーンがばたんばたんとはためいていた。窓を開けることはもうできず、ガラス戸がいつ割れるかと思う暴風、二階はがたがたと揺れ、ガラスが割れて風が吹き込んだら屋根が飛ぶやん・・・・・大変や・・・・・避難・・・・・ゆうても何処へ? だれも避難してへんのにかっこわるいなあ・・・・・ 北よりの風が直撃したんだ。 怖いよう・・・・・みんな揃っているのがせめてもの心の支えか。 息子も途中で青ざめて階下へ、テレビに見入った。 懐中電灯、電池切れてるやん(笑)ったく役にたたへんなあ・・・・それにしても二階の怖さ。 うちは端家なので風あたりが強く。 裏山の古墳も何となく不安。 水と食べ物を大きなバックに入れて、避難の準備。 屋根が抜けたらおしまいやん。
どんな家に住んでるねん・・・・ほんまに・・・・地震のときも何だかうちだけ、震度が大きい(笑)
夜半すぎ、風向きが西よりに変わったと感じ、少し安堵して眠りに・・・・・
でも大和郡山は結構ひどかったみたい。 ふだん静かな佐保川が危険水位を超したようだ。
通勤にもJRは不通になり、散乱した木の枝や看板を見た。 奈良よりも郡山のほうが被害が大きいと感じた。 うちの家はベランダのスクリーンが全部はがれ、一階の和室の壁が水が浸みている。
どこから? さあ? それにしても怖かった。 甘くみてはいけない。太刀打ちできない自然災害には・・・・・ここ数年で一番怖いと感じた。 とにかくも、うちだけ屋根が抜けて避難にならなくてよかった。
みんなのところはどんなだったのかなあ?
どんなに削減しても最低限は必要ですよね・・・・だから、心さえあれば金は~なんていいません。
まして、夢りんごはお金では痛い目にあっていますし。 だけど、お金と心は以前はもっとつながっていたと思うんです。 例えばそれが商売にしても。 だから、お金でつまずいても、納得できたらまた歩けたはずなんです。 今は心と金がつながってない。 だから、人を信じただけであっと言う間に財産ごとひっくりかえる事件が簡単におこる。 何があったのかわからないまま転落してしまうことが往々にて起こるんです。 人生にすれば軽い擦り傷ではすまない。だから心身も傷めるし立ち直るのも容易くない。
生活保護費を食い物にする事業すらあると聞きました。 保護を受けられる住所を確保するという弱者の泣き所をついた商売。 こんなことになった被害者は、助け舟だと思ったら余計に突き落とされたわけですから、脱出できても人間不信で生きることも空しくなるでしょう。 地球上で経済大国2位の日本の現状です。
貧困が子供の暮らしを脅かしてることも知りました。 給食が唯一の食事だったり、朝食はおろか夕食も食べずに寝る子供もいるようです。 一方で空港が来年オープンする茨城空港をいれると98あるそうです。
静岡に空港ができたので「名古屋空港があるのに静岡に?・?・」と疑問に思ったんですが、全国津々浦々にそんな空港が出来てるんですよね・・・・政権交代で削減されていくんでしょうが、私なんか単純だから、何十億
何百億もかけるんなら、一億でいいから、学費のない子供支援して欲しいです。 でも、いくら費用が出るからといって、こんな狭い国に98もの空港が不必要なことはわかりそうなんですけど・・・・・
お金の話が大きくなってしまったけど、私はお金が最小限で心が豊かなことが本当の豊かさだとわかってしまったので、忠実にそんな生き方をしていきます。 人を信じることも、生きてる限りなくてはならないし、不信感ばかりでは人生価値もありませんものね。 今、全国につながる有機の関係、フェアトレードな人間関係は、生きる道を拓いていくことができた贈り物です。 どんな風に? もし生き方に興味あるかたは、問い合わせてくださいね・・・・もし、今失意の底にいる人がいたら、「まだこの生き方が残っている」と伝えていきたいです。 もし手元に生活費以上の入金が将来あればお金は心を伝える費用として使っていきます。
何年も変えてない携帯を確かひざにのせたまま、運転し戻ってきたら見あたらない。
かばんも手あたりしだい探したけれど、何度さがしても行き当たらない。
「落としたのかな」「そんなはずない」でも、・・・・ない。
普段落ちついている私も、慌てふためいた。 「携帯ないよ」家族に電話しようにも携帯がない。
そうだ・・・時々、車に落ちてるじゃないか・・・シートの前後左右探したけれどやっぱりない。
そうだ・・・電話かけてもらえばいい・・・でも誰に連絡するにも携帯がない・・・「あせるな、たいてい見つかる」
「あんな大きなもの落とすわけない。落ちたらわかる。」 でも・・・・・
そのとき、いつもコーヒーのお客さんが・・・いつもの人
「ごめんね・・・今ちょっと大事なものなくて探しにいくとこ」
「あ・そうか・・・・なら帰るわ」
「ほんとにごめんね。」車で行った場所に戻る。
こんなときこそ、慌てないで・・・・・でもこんな時だから、危ないことにもであう・・・・
「落ちついて、いつもきっと見つかるやん。」
その時間・・・・45分くらいか。店に戻って、厨房のテーブル。ポツンと私の古い携帯が~
あ~なんでこんなとこに。 いつのまにここに置いたんや~
見つかったけど、頭の中はすぐに安堵がもどらない~今から誰に話しても無意味~でも家族にかけてみる。
なんの報告なん?
そして、つくづく思う。 経営者って いや、人間てもろいなあと。
あるときちょっとしたことで壊れかけてしまうんだ。 いつもの自分と違う奴になる。
携帯そのものの不便よりも、保存してる犬の写真とか、心んなかのデリケートな部分の紛失のほうが
手痛い。 いつもの自分と違う自分。 時々、壊れてしまう人もきっと、こんなことが原因かも。
人間てもろい・・・・強そうに見えてほんとにもろい・・・
にほんブログ村