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昨日の夕方の豪雨のなか、奈良市内の高台に住む彼女に、お店で人気のドライパイナップルを届けに
伺った。
ドライフルーツは山の食料として大変重宝なうえ、このパイナップルは天然で余計な混ざり物がない。
美味しいのだ。 山の仲間に是非広めていただけたらありがたい。
友人といっても彼女は還暦。 品の良さからか、すんなりと若々しい。
その彼女は大学時代からのワンダーフォーゲルで山登りはベテランなのだけど、北海道での惨事に
話しを聞いてみた。
まず、天候が危ないと思ったら、迷わず「やめる」というのだ。
そしてさっさと違う楽しみかたに変えるいさぎよさが大事。
それから、山のぼりをする仲間、「信頼感」のある長いつきあいの仲間づくりを基本に行動する。ということ。
彼女は「ガイド」とはその道のプロ。
ツアーの参加者の食料や衣類、何かあったときの山の必需品など、余分に持ち合わせ、必要に応じて
手渡すくらい用意周到でなければいけないという。
さらに、
人の数倍自然に対する警戒、慎重さがいるという。
「いけるんじゃない?」と参加者が言ってもあとで怒られてもブレーキが必要だという意味だと思う。
この話しを聞いていると、遭難のなかに「何故あんなにちりぢリバラバラになってしまったのか」もよく解かる。
「一夜づけ」のパーティであったことがよく解かる。
もちろん、主催者がもともと「良心的」な企画であったこともわかるが、もっと慎重な企画が必要だった。
「一か八か」の企画であった。
友人はその企画の盲点をいう。「ひとつ予定が狂ったら全部の行程が崩れてしまうツアーなので、
危なくても進むのだ。」と。
だけど相手は大自然。平地にいても豪雨だ雷雨だ竜巻だと大変な気象なのに山、それも緯度の高い
北海道の山。何があるかはわからない。
ツアーで歩く人たちの心中を想ってみた。 それが見知らぬ私達にできるせめてもの供養。
「こんな天気で大丈夫かしら。でもせっかく来たしがんばろう。」
「引き返したいな。でもここまで来たからひとりで帰るのは無理、行くしかない。
怖いけど」「何だか危ないな。でもみんなと一緒に行動しなきゃ。」
どんなに孤独で寒かっただろう。 私達の踏み込んだフランチャイズみたいだ。
彼女たちは山のツアー。私達は四年間の人生と・・・・・
命ある私達は・・・・・まだ恵まれていたのか・・・・・・しかし、あとのこの二年間の死闘の日々・・・・・・。
仲間がバラバラになっていく不安と恐怖と凍える寒さ。 いっそ個人で山に向かえばもっと諦めがつく。
生きるも死ぬも自分の選択と。 人を引率する人間は、プロである。
人の何倍もの苦労と備え、瞬時の見極めのできる「山の神」でなければならない。
「法的には責任はない」ですむことではない。 「事業の山道」で遭難した私達はとにかくも生きている。
ついこの間まではるかに私達より幸せだった人が山で亡くなった。 一寸先は闇。
鳥海山に向かう彼女に「・・・・でも気をつけて」 とドライパイナップルを手渡した。
それでも山オンナは山に向かうのだ・・・・・・。
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ツバメがいない。
もしかしてまた転落事故?と思い下を見てもいない。
どうやら三羽とも無事自分たちの力で飛び立ったようです。
嬉しいような寂しいような、まあともかく良かったです。
これからは自分で大空を飛び回り、餌をとり、やがて南の島へと
旅立って行くんでしょうね。
また来年、お婿さん?お嫁さん?を連れて帰ってくるんでしょうか?
その日の夕方、陽も落ちかけ少し薄暗くなった頃
「なんということでしょう」←どっかで聞いた台詞やんか
ツバメの鳴き声がするので外へ出てみると、5羽のツバメが巣の
近くを低空飛行しながら飛び回っているではありませんか。
明らかに親と三羽のツバメ達です。
どうやら陽も落ちて暗くなると巣の近くで休むのかもしれません。
「うまいこと飛べるようになったやろ」←なんで大阪弁やねん。
習性といえばそれまでですが、私達には成長した雛たちがそう
言っているような気がしてなりませんでした。
それからは毎日夕方になると必ず戻ってきます。
「今日も元気やったか?」つい話しかけてしまう姿に、きっと通りがかりの
人は見て見ぬふりをしながら「けったいなおっさんやなあ」と、きっと心の
中で思っていることでしょう。
え?あなたもそう思いましたか。
話しは変わってしばらくブログに書いてなかったミニトマトの成長
土レ味♪のおかげですくすくと
成長を続けています。
次々と沢山の実がついてます。
土レ味♪で多くの方が野菜を栽培されてます。こちら
で、今回はミニトマトはパエリア(もどき)と
普通のトマトでファルシを作ってみました。
パエリアは手を抜いてフライパンで作ったので見た目はあまりよくありません。
で、肝心の味はといいますと普通としか言いようがありません。
次回はもう少し頑張ってみます。
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裏山は小さな古墳である。 東側はほとんどこの森に遮られているのだが、鬱蒼とした森ではなく、サギのつがいが棲む明るい林といった感じで私でも大丈夫の木々がざわめている。
この夏はじめての蝉の声を聞く。 ここ数年我が家で聞く蝉の声はつらい思い出とばかりつながっているのでせつない・・・・・・・「ああ、また夏が来た・・・・・」と想うのだけど哀しい思いがよみがえる。
七月は・・・・闘いの季節であり、哀しい月であった。 傷だらけの身体と心に蝉のまだ若い声が痛い。
つらいといっても、ご不幸のあった方には申し訳ないようなつらさである。
とりわけ奈良にはここ最近高校生同士の殺人事件や、大学生の大麻事件、事故で一人息子を亡くされた方もいる。
奈良ではないが若い娘さんを病気で亡くされたかたも・・・・・・そんな不幸にはなんて申し上げたらよいかわからない。 同世代であろうご両親はどんな想いで生きていかれることか・・・・・最も私達も見えずして隣り合わせであることはいうまでもない。 いつ、何が起きてもおかしくない世の中なのだから。
夏はずっとつらかった。覚悟を決めて生きるしかない。
夏はのうぜんかづらの花が咲く。薄オレンジの垣根からたわわにこぼれるこの花が私は大好きなのだ。
そういえば近頃、ぽんぽんダリアやカンナの花は見かけなくなった。
大きなカンナの花は昔住んでいた家の庭に毎年咲いていた。
夏休みの宿題にかんなの花を描くのだけど、なんとも不恰好というかうまく絵にならない花であった。
桜のあとに咲く花みずきも最近の花だけど・・・・昔なかった花も多くなりました。
好きな花はなんですか? 「のうぜんかづら」という花をご存知ですか?
夏の思い出は? わたしたちの夏はとりあえず、愛犬です。夏にやってきて、夏に逝ってしまいました。
あの日も蝉が裏山で鳴いていました。 そして愛犬の死が私を闘いに導きました。
それは、強いものとの闘い、それは強いものに「ノウ」という闘いでした。
弱い私が「ちがう」と声をあげたのです。 それは震えながらの小さな声でした。その声が正しかったと今
はっきりといえます。 皆さんに感謝です。 人は生きているけれど間違いなく生かされています。
死の上に生かされているのです。 仲間に支えられて・・・・・この世の海に漂う舟をとりあえず一生懸命、時
には休みながら、とにかく漕いでいきましょう。 自分自身のこの世の果てまで。
7月11日 おりひめ
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大和郡山で一番の巨樹と言われているクスノキが通勤途中にそびえている。
この巨樹のトンネルをくぐるとき私はこわいような気持ちで通るけれど15年以上経った今もその緊張感はあまり変わらない。 車でさっと通り過ぎるからいいようなものの歩きながら、或いは屋根のない乗り物ならば、できればこの道は通りたくないのだ。 思えば小さいころから「大木恐怖症」だったのかもしれない。
その巨樹のクスノキが朝方の夢に出てきた。昨日帰路で通りかかったとき雷鳴がとどろいていて、「下をくぐるときに落雷したらどないしょ」と思ったからかなあ。潜在意識のなかにクスノキが残っていたのかもしれない。
ただ、夢に出てきたくすのきは、反対方向から見た姿で、よく犬を連れて散歩した堤防からの遠望だった。
海抜が高いのだろう・・・・・そこからのクスノキは道の脇に聳え立つ威圧感はなく枝葉を広げた大きな木というイメージなのだ。 こちらの居場所が高いと威圧感は少ない。・・・・・これは人間にもいえるかも・・・・・
海抜・・・・・は人間の境涯、境地、或いは精神的地位と置き換えられるのではないか・・・・・
感情的な恐喝を受けるくらい脅威を感じる人がいる。 私が弱いのかもしれないけれど時々出くわす。
胸のなかがどきどきする。 最近それが少しましになった。 弱っているときにそんな人に出会ったらひとたまりもない。 だけど最近ましになった。 相手が弱くなったのではない。自分の境地が少しあがったのだと思う。 これは自分にとって大変な変革だと思う。 「フェアトレードで生きる」ようになってから、
自然にそうなってきたと感じる。 だから、社会的地位の高い人も裕福な人も有名人もできるだけ対等に話す心がけを常としている。巨樹は近づいて下を通るときは怖い。圧巻におされる。 だけど少し離れて海抜も対等に、いやもっと高くなればどうということはない。これが背伸びして無理をしているときにはやはり無理が祟って崩れるのだが、月日をかけてそうなってきたものは、多分壊れない。 社会的な地位の高さではなく
精神的な地位、自分の境涯を少し高く持っていく変革作業は地に足がついている。 そしてそれは、
痛手を負ったからこそ実現するような気がしています。 朝方の夢・・・・それは自分の人間関係の夢ではないかと思う。 しっかしみんな・・・・なにか怖いものはありますかあ? 私は高所も怖いし、閉所もこわい・・・・幽霊もこわいしもちろん人間もまだまだこわい・・・・・死ぬのも生きるのも怖い。だけどときどき、雨上がりの虹のような胸のすく爽やかな光景に出あえるから生きていく。 昨日、そういえば二度も夕立にあった。 とてつもない嵐のあと・・・・・きれいな虹を見る・・・・そんな人生にしたいなあと思うこのごろ・・・・
たなばた 織り姫
ツバメ達への挨拶。
ところが・・・
巣の中に4羽いたはずの雛が3羽しかいない。
あれ?
と思って何気なく下を見ると一羽の雛が横たわっていた。
手にとってみるとすでに冷たくなっている。
最近雛も大きくなって狭い巣の中で動き回っていたので、なんだか
危なっかしいなあと思っていた矢先の出来事。
親ツバメは一番大きく口を開けている雛に餌を与えるため、雛達は
巣の中から精一杯身を乗り出し、大きく口を開けようとします。
その時に巣の中から落ちたのかもしれない。
可哀相に・・・でも、これも自然界で生きる生き物の定めなんでしょうか?
運のいいもの、強いものが生き延びていく・・・
なんか割り切れないものを感じながらも、このままでは可哀相なので
埋めてあげることにしました。
この子の分まで残った雛達は元気で成長してほしいものです。
やっぱりなんか危なっかしい
落ちるなよ~
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