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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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お店を引き継いで、経営者になり・・・・身体も心もぼろぼろで、一体何をしているのかというと

ほとんどの時間を 訪ね来た訪問者 の 身の上話しを聞くことに費やしています。

 匂いがするのか 気配がするのか 最近は 表向きと 本心が うらはらで 自分を持て余している人の

なんて多いこと。    家族関係のうまくいかない人  突然、主人を亡くして 受け止めきれない人

遠い昔の傷の傷み  果ては  裁判の相談。  離婚の相談  労務災害の話し  ・・・・・・

 裁判の相談については こういうようにしています。  裁判はもちろん 勝つことが目的だと思うけど

それ以上に 自分の意識改革や 持続する エネルギーが問題だと。   そのパワーと社会生活との

ギャップやバランスは もっと大変なことであると。     だから 誰彼なく 闘いは勧めません。

 できれば 法廷前に 何らかの解決することがよいとも話しています。   最近読んだ本

水俣病私史 の「常世の舟を漕ぎて」 の中に 水俣病の訴訟について 著者の兄弟の言った言葉に

「裁判をすれば財産を失うかもしれん。長いものには巻かれろというじゃなかか。世間は甘くなか。」という

一節があります。  しかし 弟である著者は 「殺されたほうが負けるわけがない」と思っていたと。

 それに近い思いは 普通の人々にみんなあると思っています。  経験されるなら引き止めませんが

これは 世間を甘く見ているのではないと私は思っています。 「常世」というのは永久に変わらない神域

変化のない世界 因果律がない 時間軸のない世界 などと 解されています。   このタイトルに

引き寄せられて 新古本を何年か前にいれたのでしたが 裁判が関わっている話しとは思いませんでした。

 ポエムに来た人が そういう自分の話しを 何となく自分から 打ち明け始めて何時間も話していかれる。

それを ひとこと ひとこと おろそかにせず まるごと 聞くのです。  本気で聞かなければ 途中で

ボロが出てしまいます。  昨今は敏感になっていますから うかつな返事や 相槌は 一体一の関係では

すぐに見抜かれてしまいます。  来客と電話が 一度に来ることもあり そういう時は 来客を優先して

約束のない電話の相談は 申し訳ないですが時間や日を改めていただきます。  だから

 一日の終わりには クタクタです。  たいていは何か買っていかれますが お茶だけの人もいます。

それでも  また  日を置いて 来られる。   ストーカーのように 毎日は来られないのは みな

悩みのなかにも 常識や 相手の迷惑も考えられる人だからだと思います。   

 人と人が重なってしまうと 「まるで駆け込み寺ですね」と 笑われます。  「そんな器じゃないですよ。

精神世界と生き方のお店だからじゃないですか?」  自分の過去の悩みや傷みも 裁判や人の偏見も

包み隠さず話します。  だからこそ  それぞれの弱みも話されるんだと思います。 

 人の未来が見えてくるときもあるけれど 「占い師」にはならないように心がけています。

占い師は  自身が幸せにはなれない人だと思うから・・・・・・。((#^.^#)) 
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読んでる方は「いよいよおかしくなったのでは」と思われるかも・・・・・

私は以前から 時々 幽体離脱をすることがあった。 ここしばらくは忘れていたけれど

今朝方の 眠りのなかで かなり長い時間 幽体離脱をしていた。  今までは

部屋の中から 魂が出ていくことはなかった。   ちょうど ガスの入った風船が 手を離れて

天井を抜けられずに 天井で「つんつん」して止まっているような感じだった。

 下で寝ている姿や 電燈も 見えるのだった。  でも 今日のは窓から 出ていった・・・・・・

空中を ふわふわと飛んでいた。  途中 学校みたいな建物や 人の家の揉め事や会話の中にも

佇んで また ふわりと 飛んでいた。  電柱とか 樹木とか ぶつかりそうになるも ぶつからずに

すり抜けていくのだった。 本当に 不思議だった。  長い時間と書いたけれど 実際はそうでも

なかったかもしれない。  何故 こんなことが起こるんだろう。  何故か・・・・・?

  不思議な体験は いつごろからか 起こるようになったけれど ここ 数年はなかった。

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日曜日は久々 仕事を手伝いに来てくれた 元仲間の保育士さんたちと再会。

一声かけたら ともだちを誘って五人も集まってくれた。 人生の良友 親友たち・・・・・

私が 車で率いる「よろずや」を 応援してくれていた。   みんな苦労してきたバツイチ連合だ。

久々に 元気を貰った時間だった。  「どんな時も生きよ・・・・・この私を」 もう一度自分に言い聞かせた。

身体はボロボロで・・・・幽体離脱のまんま 逝ってしまうかもしれないが 最後まで生きよう。


さすがに疲れ果てていた。 雲の上にいたようだった。

下界はこんなにも住みにくいところだったろうか?

5年以上 トラウマの世界にもいた。 癒やしてはまた津波がきて

PTSD  を繰り返していたし、 身体の神経を 何本も傷めていた。

アンフェアはもういらない。  フェアトレードの団体にもこの問題を掲示して

考えてもらうことにした。  もう 誰も「がんばれ」などと言わない。 だけど・・・・

しっかりと見守っていただいていた。  右腕があがらず キイボードは辛うじてうてるけど

お手紙は 書けなくなっていた。  朝は それぞれが 這いながら起きていた。

 「このまま死ぬかも 」  何度思ったかしれないけれど 今回は少し違う。

もう 逝ってしまうなら しょうがない・・・・・という境地になっていた。  弁護士さんは

「生活保護を 」と勧めてくれたけれど 今のままなら 生活保護さえ 振り込まれたら相手に

落ちてしまうだろう。  まあ それでもしかたなのか???? おかしなことだ。

  ひとつの事業の始末は その事業の中で解決する・・・・・つれあいの 言い草だけど正しい。

それなのに 事業を一方的に切ってしまったら  解決どころか 生活をいきなり遮断することに

なるとは思わないのだろうか。   だから お金もなくなったのに 裁判するなんて意味がわからない。

 いくらなんでも先回りの度がすぎる。  ただでさえ 優越的な地位にあるのに。

「破産するまで追い込め」とばかりのやりようだ・・・・しかも 破産したら「破産された」と被害者になる。

身勝手すぎないか。   それにしても 右腕は しびれと痛みで 動けない.。  腕だけではない。

全身の細胞が破壊されていくような 痛みで 辛い夜である。 (昼はいくらか忘れている)  

  私のPTSDは 五年以上 時々訪ねた 心療内科で 認められる。  だけど・・・・

この際 障害を受け入れていきよう。  解決するには 障害も共生していくことかもしれない。

夕空に どろりと こぼれ落ちそうな 満月が うかんでいる・・・・・・・。

                                                   

小さなイベント企画をしていた。

名前をつけ ささやかな プログラムを作る。

声をかけたら 友人たちが来るという。

吉野の 大台、大嶺山系が美しいところだ。  

紅茶のプロジェクト~ 和食 つながりを呼んで 何かが実りを始めていた。

疲れたなあ・・・・・・ こういう 記事は いわば 陽の当たる景色。  見る人は 辛い光景を

思わないのかな。   たとえば 法律家さんも 例えば 裁判なんかの相手方も

ついぞ 記事を読んでも 「お気楽」だと思うのだろうか。   明るく生きようとしていることは

伝わらないのかな?  身体も心も限界でも  それでも 生きている。  

 ラジオから  岸田智 さんの 懐かしい歌。   

♫  生きたくて生きてきたわけじゃないのに・・・・死ねなくて生きてきた ただそれだけなのに ♫

よくわかるよ。   本当にそうだね。      この歌 知ってますか?

辛くても  身体が痛みでどうしようもなくても 生きていくしかないじゃない。

あなたは それでも 「何も悪いことはしていない」といいきれますか?

そう  お金の問題ではないのです。  もちろん お金のこともあるけれど

そんなに簡単に 勝手にすすめないでもらいたい。 人生を 簡単にすませないでください。

お金も 心も 身体も とても大事なことなんだ。   ・・・・・・・

少し いいことを書きます。

一家離散の憂き目にあった二年半前・・・・・助けるつもりで追い出した

息子が バイトと奨学金、ほとんど自力で半年留年した大学の卒業が決まったのです。゚(゚´Д`゚)゚

息子からの第一報に 思わず涙が出てしまいました。 「よく、一人でがんばったなあ」・・・・・

乳児期に離婚経験があり、 息子と娘を連れて 途方に暮れた足取りで 「きっと大学に」と

入った学資保険は 例のフランチャイズの事件で あえなく 解約せざるを得ず、支払いに泡と消え・・・・

息子は奨学金と バイトでフラフラになりながら 一人暮らしで 生き延びました。

何度「帰りたい」「辞めたい」と 言ったことだろう。   何度 お金がなくて お店に食べ物だけは

ありついたことだろう。  とくにこの半年、夜遅くまで働き、朝早い授業に ケガをしても病気をしても

病院代金も惜しんで 私の自然食で乗り切り、 がんばった結果です。  家族で百円玉を分けあったことも

ある。  壊れた電化製品を見て 悲しいそうな顔をした。  いつ 誰が 自殺しても 殺しあってもおかしく

ない状況なので 夜中 様子を見に部屋のドアを開けると 武士のように飛び起きて「何やねん!」と

怒り、社会に巻き込まれて走りまわり。  四人の籍は ばらばらになりました。

 年老いた父母は 昨日 奈良を訪れ、 ああ・・・・・歳いったなあ・・・・・もう少し生きててや・・・・・・

一時は年金を融資の返済に 押さえられて 落ちこんでいた父。   それでも何とか生きています。

そういえば 昨日 終わったドラマが 最後にこんなことを呟いていました。

  「哀しみの向こう側へ進め」       そう・・・・・悲しみの向こう側に進め・・・・・・・

苦しみの向こう側にも進め・・・・・・ 怒りの向こう側にも 進もう。

嘘ばかり並べた 人たちよりは  ささやかに 嘘のない人生であるほうが きっと 幸せだろう。

何もないけど        何もまだ  ないのだけれど      ススメ・・・・・・・