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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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走っている者、優越的立場にある者 、加速する者は

自分のしていることが 人をどう傷つけているのかわからない。

 走っていることが頑張っているのだと思っているから。

絶えず行き当たりばったりで 八方塞がりでも あっちこっちと動き回っている。

考えながら動くこと、マイペースでいくことは 「なまけもの」扱いか、どこか

おかしいと思われてしまう。  ことさら、事業となると 行き当たりばったりでは

身体も心も朽ち果ててしまう。  少なくとも 朽ち果ててしまわないように

全体を見渡し、問題があっても 固執せず生きていくしかないと私は思っている。

 

     立ち止まれ・・・・・・

とにかく一度。     人生は止まることを許されないのではない。

法律にもそんな法律はない。   何をいい何をしてきたのか思い直してみる。

それが解決につながるし、最もお金のかからない方法なんだ。   弁護士費用もかからない。

どうして証拠のないことはうやむやにするのか。 どうして不利なことには目をそらすのか。

どうして 「言った言わない」になるからやめよう・・・・なのか? では一度 こちらの

話しに耳を傾けようと思わないのか? それは・・・・「身に覚えのある話し」だからではないか?

どこかの国会議員みたく・・・・・「記憶にない」といえばどうか・・・・・だけど

身体が嘘を覚えているのではないか? 嘘つきは・・・・・正直者だと「まどみちおさん」は

謳ったけれど、    ならばあなたは正直者ではないか・・・・・嘘つきだとはっきりバレているのだ。


 私が 心身を壊し、障害を負った人のことを身近に考えられるようになったのは

この事件からでした。 加速していた時代もあったけれど それが王道であったこともあったけれど

この右往左往する 走り回る人を見ていると 一体何をしているんだろうと思うんです。

 自分たちを 正当化しなければならないから 過去に事実に 目をそらし 無かったことにしたいと

そんな風に見えるんですが・・・・・・       私はぼろぼろになりながら、 とにかく 安全で

健全な環境と暮らしを何とか取り戻すことが 人生 の もう一度扉を開くことになるんだと

ただ・・・・・・生きていくのです。   空が   青いです・・・・・・

  自分たちも 東北の人たちも、  紀伊の人たちも、いろんな人たちも 幸せになりたいですね。



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遅く速度で迷惑な台風がやっと過ぎ 紀伊半島にも 大きな爪痕を残して

奈良から見る はるか県南の山々は晴れ渡っています。 犠牲の多く出た 紀伊山地や

大台、新宮の地域は 昔から 年間日本一の降雨量の地域。 それだけに 雨に対する覚悟というか

付き合い方は日頃から 備わっていただろうにもかかわらず 無情な台風めが 長い雨をしこたま

降らせて 河川や土砂で襲いかかってきました。 痛ましい災害は 津波の記憶も新しく 人間が

どんなに 生き方を試行錯誤しても 太刀打ちできるものではありません。   

   人の死と同じように 受け入れることもまた 容易ではない。  遭遇した出来事は

取り返しがつかないとき どうやって向き合いどうやって乗り越えていけるのか・・・・・・

最終的には ひとつしか答えはないと思いました。  荷物ならば持っていくしかない。

そして 明日を生きることに役に立てるしかない。 それでも 疲れて前に進めないとき

誰にもそれを 責めることはできないと思いました。  遅い台風を見送って もう九月。

 真実を見つめながら 小さな一歩を歩む・・・・・・・

あなたは・・・・・そんなに急いで 人を追い詰め、一体何がしたかったのか・・・・・

あなたは・・・・・いつも自分を優位に立たせて 本当に何かに勝ってきたのか・・・・・

あなたは・・・・・人を追い込んでその手に結局、何を手にいれたのか・・・・・・

あなたは・・・・・自分の思うように振舞ってきた・・・・・そして私たちを 痛めてきた。だけど

あなたの表情は・・・・・全く幸せそうでなく したいことをしてきたのに まだまだ不満なのは

どうしてなのか。      何故 そんなに不機嫌なのか・・・・・・

  取り返しのつかないことをしてきたのは あなたなのか、私なのか・・・・・

取り返しのつくときに 何故 目を反らして向き合ってくれなかったのか・・・・・・ もしかして

あなたの方が 何かを恐れていたのかもしれない。   秋空が高く高く晴れている・・・・・・





  * ブログ引用しないでね。



 今朝の朝日新聞、 二面にわたって 国民健康保険の滞納による差押えが

全国で増えているという記事でした。 自分たちも延納、少額返納という無理をしなければ

保険証はもらえないことが 何年も続き 市職員に説明していくのも ほとほ疲れはてました。

それでも 出向かないと ただの「滞納」扱いになるので 事情を説明して 返済の予定を

話し合うのですが 出来もしないことをその場逃れに話すのはできず、半年ごとに疲れはてて

おりました。   新聞では 子供の学資保険を差し押さえることもあるように書かれていましたが、

おそらく 保険があるというだけでも 「貯蓄扱い」になるのかもしれません。  うちはとおに保険など

縁がなく 遥か昔に 選択肢がなく 息子の学資も フランチャイズの支払いに泡と消えていきました。

子供が生まれて 小さいときに 母子時代を過ごした私は 生まれてまもなく 将来を思って入った

学資保険でしたが 露と消え・・・・・・虚しさに何度泣いたかわかりません。   だから・・・・・保険に

入ることさえ 私たちには高嶺の花で 押さえてもらうものももうありません。   でも 出向いて

話すことを続けているのは 「単なる滞納者」ではないことを説明するためです。  そこに至った経緯を

ちゃんと話すことが これからの人生を変える自信になる。  払うことを前提に 交渉する力を養うこと

が税金を払う自分になる第一歩です。   最近は 行政といえども 躍起になって徴収しないと

日本のお金はなくなる一方のようです。   ですが、事情は千差万別、 声をかけながらいくのと

少額でも払うことが 税金を前向きに捉える 分かれ道です。   行政によって対応は違いますが

その対応の姿勢を見て人がわかるレッスンになると思い取り組むことです。  それさえも

できなくなってしまうほど 心も身体も萎えてしまっているなら 心身の回復が急務となりますが

時代はその回復を待ってくれないこともあります。  足早に流れていく時代とは逆行せざるを得ない

時があります。  その時はなんとしても自分を生き抜くことです。   自分の評価はさておき

自分を生き抜くことです。   とりあえず生きていなければ何もならないのです。

 自分のやり方でなければ人に伝えることはできない。自分のやり方でなければ 人の心に

届かない・・・・・そう思って生き抜くことです。


   *  ブログのコピーお断りしています。

身体の不調がピークを極めています。 事業から8年、傷みに傷みそのぼろぼろさは

絶対の自信があります。  それでも ここ四年 病院には年に一度くらい家族を安心させるために

行くことはあっても ほとんど行くことはありません。 お金がかかること アレルギーのあること 

西洋医学では治らない体質だと思うこと ・・・・・要するに 貧困のうえに 効かない薬をお金払って

お礼を言って待って・・・・・ができない状況だったからです。 そのうち 意識のない状態で運ばれるまで

できるだけ 自然療法と食べ物の療法で頑張っていこうと思うけど 薬や検査を全否定しているのでは

ありません。   夏が少し緩んでから ずっと 体調が崩れていました。 胃腸は 梅しょうゆ番茶や

塩番茶を飲み 外からは 生姜湿布や里芋パスターで血液を浄化したり 毒素を抜きとっています。

お腹には茹でこんにゃく湿布もよくて 腸によい血液を集めていきます。  その療法を 今はいろいろな

人たちに伝えていくようになりました。  からだの自然治癒力を引き出す食事と手当(大森一慧著)は

取り寄せ希望も多く お店のベストセラーになっています。 そして・・・・・昨日から日本を騒がせていた

有名タレントさんの引退について ひとことだけ話そうと 思いパソコンに向かいました。

 私は彼が嫌いな方の人間です。 でも 世の中の騒ぎと彼の主張を聞いていると ひとつだけ

「気持ちがわかるな」と思うことがあります。それは 発端となった 昔の事件の解決についてです。

頼んだ相手が組みの関係者だったことを 彼は悔いてはいないことです。 ほかの誰にも解決できなかった

ことなんでしょう。  解決の機関や相談が他にたくさんあるのに 彼がわざわざそういう類の人たちに

お願いしたのならともかく ほかの誰も解決できず みんなが逃げてしまったら・・・・ほかにどうしようが

あったんでしょうか・・・・・。 それを 全面自己責任にするのは気の毒だと思いました。

有名人であったこと、登りつめた人であるからこそ 社会的責任をとったんでしょう。仕方ないことです。

私は そういう解決はやはりできませんが、 世の中には 解決つけられない問題や人が必ず

いるものです。  中和することが 理想ですが 時間もかかり 身体も心も壊します。

    * ブログ 引用しないでね。

事務的の送られる書類のなんて 残酷なこと。 勇気のハードルも限界です。

今の世の中は厳しい時代というのとはちょっと違う。 書類はおそらく事務的に送られて

くるのだろうけれど 対処の及ばぬもののなんて多いことか。

 しまいには 手足が震えて 開封さえできなくなる。 ('A`) 理解できる人はいるだろうか。

再三再四 弁護士や 裁判所 金融機関や 行政機関、 請求書の山と向き合っていると

何日かしばらく 開封も身体と心に悪くて 見送ってしまうことがある。  仕方ないと私は

思っています。  何しろ(@_@;)  どうであれ 生きていなければ 何もならないのだから。

途方もない精神力でいなければならない。  でも ちゃんと弱みも人に見せていかないと

言葉で伝えていかないと 事実は通じないので みっともないこともちゃんと伝えることにした。

 娘も毎日、このところ一週間、職場で午前中嘔吐しているようだ。 よく頑張っているのだが

彼女もまた 毎日嘔吐しながらとは 何という精神力だろうΣ(゚д゚lll)  自然療法を勧めるも自分で

東洋医学のナチュラルオルタの医師を見つけて漢方を処方してもらってきている。  メールが来るたび

最近は私の返信も「気を付けて吐いてな」(爆)    今 私らは 気がつくと四人の法律家さんと

関わっている。  顧問弁護士さんはいないので すべて 素手で 対応することになる。 

限界だと思う。  ・・・・・  お金を払って依頼する人は なんて楽なんだろう。  

  考えてみれば 弁護士さんとは 殺人鬼のような人の弁護もされるし 「黒」を「白」にする仕事

なんだから その犠牲で「白」が「黒」になることもあるんだろう。  いわゆる冤罪などは。

具合が悪いのは 法がyesといえば 社会で生きる効力、権力がたちまち 振りまくことができることだ。

自分たちはもともと 「白」であったのだから 白いままで生きたらいいのです。 汚れた部分は

責任と洗い流して生きていけばいいと。  国民すべてが 法律と関わる権利があるのに

裁判と勝ち負けを常に争いながら それが大人の世界のように生きる人がいるけれど それは違う。

 私は今 書類を開封する手を震わせながら 行方不明の書面を探しながら、 それでも向き合おう

としています。  事務的な書面に震えながら 中身の確認もできないまま それでも怒りの帆を立てて

生きています。   私が向き合っているのは 平和的生存権「われらは全世界の国民が等しく恐怖と欠乏

から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」 ・・・・・・或いは 

環境権 「良好な環境の中で生活を営む権利」・・・・・・或いは 幸福追求権 「生命、自由及び幸福

追求に対する国民の権利」  ・・・・・・これらは あまり知られていないけれど 確かな法律で 国民

みな残らず 認められているはずの権利なのです。   (続)


                               * ブログ勝手にうつさないでね・・・・・