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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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死の手前というのは人には見えない病気に

冒されています。 精神世界が違います。

線路に飛び込むとか首をくくるとかいうことに、

ためらいがないのは、その人が「歩くように」

あるいは「眠るように」 白い闇の向こうに消えるからです。

 だから、勇気を持てとか早まるなとか、よくいう

「一人で抱え込まないで」というのは、本人には無理があります。

まわりが「そういう状態でないか」を見ているしかありません。

生きる術をなくしたら、まず現実を直視しないことが私の勧める生きる道です。

 「直視しないでどうするんだ」 そんな事を言ってる場合ではありません。

生きるか死ぬかなので、人から幽霊といわれようと宇宙人といわれようと

構わないんです。 真面目な人に自殺が多いのは、これが耐えられないのだと

思います。 「ちゃんとした人間でいなければ」「これまでも俺はきちんと仕事をした」

そのプライドが「崩れる自分」を許せない。 ぐにゃりぐにゃりと不恰好が許せない。

折れるんです。 みっともない自分時代もいいんです。 びしょ濡れもいいんです。

人はそんなあなたを特に笑うことなどない。 笑われたって構わんのです。そんなに

あなたに興味などないといっていい。ボタンがちぎれていようと、セーターに穴があいて

いようとそんなに関係がない。 「そんなファッションじゃないか!」と風を切ればいい。

小さくなって歩いたっていい。 要するに、ほかの人間がどう見たって関係ない。

 大切にすること、 それは食べることと家族、それ以外はとりあえず二の次としよう。

千円札一枚があれば、それをとにかく二枚にしよう。  低いハードルでよい。

歩けるなら、朝 日が昇れば窓をあけよう。 一日一日、食べる術に心と知恵を絞ろう。

とても苦しい日々を噛み締めよう。 一生、続かないために。 遠い先を見ないで足元を見て

生きるのだ。  大切なのは「心の支え」。  夜道が真っ暗よりも月が出ていれば見渡せる。

建築家安藤忠雄さんが言っていた。「大震災のとき、花の苗を配る団体に長蛇の列ができた。

それは何を意味するのか? 水でも食べ物でも衣類でもない。何の足しにもなりそうにない

花の苗に競って被災者が並んだ。それは心の支えを求めていたのだ。」   同じ経験を

私たちもした。  小銭を集めて花苗を買った。 それを秋の店先で丁寧に植えた。 

あなたも植えよう。  一人でもいい。 球根でもいい。 明日も水をやるために生きよう。

その日一日生きるのだ。 最低限の支払いをして青空を見て風を感じて生きよう。

自分の心と身体の平安を目標に生きるんです。 私がその時読んだのは

「経済成長がなければ生きられないのか」という外国の本だった。 「あさっての方向」を

見ているような本だった。 今日明日がわからないんだから人から理解されるわけがない。

それでも死ぬよりはいい。 変わり者といわれても生きる術がなければ仕方がないんです。

恵まれた人の不幸を見てごらんなさい。 あざ笑うのではなく、恵まれていることで

見舞われる不幸が山ほどある。 自分が恵まれていたら、同じではないだろうか。

裕福で、何の悩みもなさそうでも生きる苦しみは山ほどある。 どっちみち不幸は山ほど。

小さな花を育てる自分はささやかだけど幸福感がある。

 恵まれた人が不幸のてっぺんならば、あなたは幸せのどん底にいる。これは私の言葉です。

衣食住の片隅で私がしたもうひとつのこと、それは「知を深める」独学と「心遊び」音楽でした。

死ぬか生きるかなのです。  自分と家族、 そう人からは自分勝手といわれてもいい。


                  *ブログ、転写引用かたくお断りします。

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寒いお雛様になりました。

去年の自殺者がまたしても3万人を越えています。

そこで、いま死に急ぐ人へのメッセージを

書きます。   ガンの告知を受けたとします。

余命は半年で、手術も化学療法もいちおうできる。

医師は手術を勧めます。 抗がん剤もうけ

放射線療法もうけ、病院でできる治療をすべて受け、

結果的に宣告どおり、もしくはそれに近い寿命で

亡くなったとします。  それで納得ですか?

 それよりも、告知を疑うとします。「ほんまに半年?」

そして、そこから猛烈に、いや病気なので、力の限り

医師に頼らず、いろんな療法を試しながら、生き延びたとします。

半年で亡くなったらもともとです。でも四年生き延びたとしたら

どうせ亡くなる命だから半年と四年は同じでしょうか?

 すすめられた治療で予告どおり生きて死ぬことと

自分の生き方で右往左往しながら四年生きるのと同じでしょうか?

  病気ではなく事業だとします。借金でもいい・・・・・

もう手立ては破産するか夜逃げくらいしかない。人生は終わりだと

絶望します。 破産や夜逃げで生き延びる人もいます。

しかし、より深く傷つき身体や精神を壊す人も多いでしょう。

他人や近親者、法律家、破産をして生きる道をすすめます。

しかし、自分は何故破産しなければならないのか納得できない。

そういう追い込まれかたも今は多いのです。

 医師が手術や抗がん剤を勧めるように、解決は勧められた破産を

選択しましょうか? 納得いかないので生き延びる道を探してみますか?

四年生き延びて「ああ、これは・・・・」と納得して選んだ破産であり夜逃げは

最初に勧められて選んだ道と同じでしょうか?

 私のお話はわかりますか?  絶望している・・・・その絶望しているあなたの

思いが大変なのです。 大変なことが起こったのではなく「追い込まれた思い」

が大変なのです。  思いは時と共に変わります。 ポケットに20円で死ぬ人がいる。

20円なのは「今」なんです。 人に話せば1000円くらいは手に入るかもしれない。

それで、一日生きてカレーライスでもカツどんでもいい。好きなものを食べてから

死のうと思えばいいんです。  好きなものを食べたら、自分がどう変わるか?

「もう一度、食べたい。」そう思うあなたは・・・・もう生き始めています。

 もう一度! そう望んだあなたは次の日には死なないはずです。 四年生きて

「こういうことか」とわかった時の選択は、人に勧められたり、促されたりして歩いた道とは

絶対に違います。  生きてる価値が違います。 死ぬのはいつでもできるとよくいいます。

 私はこう思います。「死んだ人に死んでよかったかと聞いて、うんと答えた人はいない」

ということを。  楽になると思うのは間違いだと思うのです。

人は、死ぬときが来たら死ぬのです。 間違っても200年生きる人もいない。 

 ほっといても人は死ぬんだから、わざわざ死ぬ必要がどこにあるのか・・・・・

どっちみち、人生は苦しいんです。  自分の思う道を歩く。人が歩いていなくても・・・・

どんなときも、自分を生きるんです。   草まみれの道ならば、草を食べて生きればいい。

そうしているうちに「もう一度食べたいもの」「もう一度会いたい人」

「もう一度、見たい海」「もう一度歩きたい山」・・・・・「もういちど」が生まれてくる。

 そのもう一度をひとつずつ実現することが「生きること」です。


   *  ブログの転写、引用お断りいたします。


今は待ち伏せというと、ストーカー呼ばわりで^^   双方が怖くてできませんが(笑)

昔はユーミンの歌にも同名の歌があり♪ 「執拗」ではなく「一途」という意味だったように思います。

 だいたいそうかもしれないけれど、三月一日といえば公立高校の卒業式でした(今もだよね?)

一年と三年のときに同じクラスだったBFと彼氏の間のT君は、二年で離れ、これまた私の友達

の彼氏となってしまいました。 (涙)

 三年では熱も半ば冷め、単なるクラスメートとなり、私は部活と生徒会の役目で忙しく、

受験も終わり、芸大に進むT君と偶然芸大の付属保育科に進む私は卒業式を

迎えました。   その日の朝から、何となく視線が向けられていたのですが、

いまさら、うぬぼれるのも不自然で無事、式を終えお別れパーティも終え、仲良しの

女友達と時を惜しみながら裏門への校庭を横切っていったとき、裏門のフェンスにもたれて

二人の男子が立っていました。  その一人がT君で、「お茶を飲みに行かないか」と

誘ってきたのです。  「え?」 もちろん、私たちは三人で、もう一人の男子はロックグループの

ピーター・セテラに似ていて評判のイケメンでした。帰路も同じなので断る理由もなく商店街の

当時の純喫茶に入りひととき楽しい時間が流れました。  それでお開きかと思いきや

「家に行きたい」と言い出しました。  一番近い家が私の家だと彼は知っていました。

 そしてみんなでうちに来るはめに・・・・。  ピアノを弾き、コーヒー(いや紅茶だったか)を

飲んで、暗くなるころやっと解散となりました。 JRで帰るT君は「乗り遅れたら戻ってくるよ」と

冗談とも本気ともとれる言葉を残し、当然戻ってきませんでした^^

  すんなり卒業して終わればいいものを^^ 余計な思い出を作り(笑) 忘れられない卒業式に

変えたT君は、まったく罪な奴です(爆)    私の詩に彼が曲をつけて、そんな誰も知らない歌が

ありました。  おおむかしです。    完全なプラトニックラブでした^^弥生の空でした。


* ブログの転写、引用お断りします*

 

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イオンモールに用があり、数分だけ立ち寄った。

買い物は三百円×2^^  人ごみが辛くなるのでつれあいは場所を離れた。

用を済ませて・・・・・そうだ・・ 携帯で呼び合うのをやめてみよう。 

行きそうなところへ捜しにいこう。

そのうち、会えるのだから。     

本屋の前、 靴屋のまえ、いない・・・・・^^まあいいか・・

そのうち会える。    メールがきた。

「どこ?」 「行きそうなとこさがしてる。」 返事は来なかった。

そのうち会える・・・・・・
  

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* ブログの転写、引用しないでください。

 



 

 

 

卸しのお仕事         取引先から、入金の依頼が入ります。 きちんと理由を伝えこちらの状況も

聞いて、自分の現状も伝えてくれます。     たとえ、大義名分だとしても、気持ちよく、誠実に答えを

返すことができます。  そして、ちゃんと払おうとする。   それができる会社になってほしいです。

 「そんなことくらい、会社はちゃんとやっている。」  そういうかもしれないね・・・・・

そうしたら、訊ねたい・・・・・「どうして、うちには、そんな風にお話して下さらなかったの?」

どうしてかな?          どうして、うちにはこんな酷いことをされるのかな? 

明日は三月です。       温かな雨の奈良でした。       少し寒くなりました。

                                       晴れるんでしょう・・・・^^       

 


 



 


前回の記事で、悪役になってしまったみいちゃん、実は小学校時代は何となく上から目線

で遊んできたんですが、中学校くらいから立ち場が逆転し始めます。

 大好きな音楽をしたくて中学一年から花の吹奏楽部に入部したのですが

みいちゃんは何故か一年時は当時流行っていたバレー部。二年から吹奏楽部に

変わってきたのです。  私はこの中学二年が第一次全盛期^^ 今までの

大人しさが一変して人気者となり青春を謳歌し始めます。  何が原因かと考えましたが

おそらく顧問の音楽の先生でしょう。  コミュニティのためか庭先でバレーボールを

始めた先生。 「バレーが嫌だから吹奏楽してるのに!」私なりの言い分で反抗し

参加しませんでした。 この先生が受け止めてくれたことが多分力になったんでしょう。

水を得た魚のようでした。  高校時代は一変、真面目で大人しい女子学生に戻ります。

 みいちゃんは高校時代も一緒でした。 二年で何故か生徒会に入った私にみいちゃんは驚き

このころから幼少時代の立場が逆転し、何かと頼って相談に来るようになりました。

卒業しても恋愛をしても、結婚を反対されたときも、みいちゃんは私を頼ってきました。

長い人生・・・・・どうなるかはわかりませんね^^     そう、人生なんてどうなるかわかりません。

そのプロセスを楽しんで傷んで、すったもんだすることが人生なんですね。 本気で傷つきながら。

びっこを引きながら・・・・・ふらふらと・・・・・あちこち傷だらけで笑っている自分。


  どんなときも、生きよ・・・・・・・この私を。      

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        今日は、春の暖かさです。  人も多いです。  お花も咲いています。


     冬が寒すぎたからよけいに感じるんでしょう。   駅前のお花を見にいきます。



     仕事の合間に・・・・・・・


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* ディジーのお花


 

 
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  ブログの転写はお断りします。