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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 今朝の朝日新聞、天声人語より・・・・・

 エミリー・ディキンソンという米国の19世紀の女性詩人の短い無題詩をしたためます。

  「失意の胸へは  誰も踏み入ってはならない    自身が悩み苦しんだという  

        よほどの 特権を持たずしては   」

 *****  *****  *****  *****  *****

ここからは、私のつぶやきと思いです。

わたしには、小さな仮住まいがあります。  地盤が緩んで他所よりも倒壊しそうな

危なっかしい家ですが、それでも朝ははいずりながら目覚め、夜には月を確かめて

寝床につきます。   上着を脱ぐだけの行き倒れ状態の日もあります。

 それでも、食べ物は あり、  壊れたストーブはいよいよ危ない不完全燃焼で

この震災を機に使わないことにしました。 衣類は買わず、いえ正確には仕入れの

残りを着て、何とかしのいできました。 なので貧困だけど豊かな日もあるのです。

 それでも、現実にガスや水道が止まったとき、最初は笑っていましたが

だんだん笑えなくなりました。 でも、その屈辱や不安を心から味わいながら生きました。

 昼間は笑っていなければならず、夜や一人になると嗚咽をもらしました。

こうやって三年、四年、五年と生きました。 だから・・・・・ほかの人よりは、今

失意に閉ざされた人に近く、踏み入る資格が少しはあると思っています。

 何をしていいのかわからない、多くの日本人の中で、 私は知識と知恵、生きるしくみを

伝える役目があると、はっきり見えています。 自分の基盤を何とか耕しながら、

被災の多くの人々の失意に時々、踏み入ることを お許しください。 そして何かの

生きるしくみと、勇気、癒しを得とくしてください。   

        

  * ブログの転写、引用をお断りします。



 

 

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 関東のお友達から聞きました。 買占めが横行していて普通の買い物ができないそうです。

関西でも、同様に起こっています。 陳列棚に商品が品薄になるのを見ると、

自分も買わねば気がすまなくなる連鎖反応が起こるようです。  カップメンとかが多いそうですが

死ぬか生きるかのとき、そんなにインスタント食品を持って逃げることはできません。

 「備えあれば憂いなし」は時と場合によると思います。 ひとつ二つの余分にしませんか?

被災された方で「食品をたくさん買っておいて助かった」という人はほとんどいないと思います。

身ひとつで辛うじて生き延びた人々。  被害の浅い社会ほど「物がなくなる恐慌状態」に

なっていく。 心理として解らないことはありませんが、度がすぎるといえます。

 売り切れたら、業者は仕入れを急ぐでしょう。  卸し元は生産をあおるでしょう。

でも、そんなうまくはいきません。  停電もあり、生産もままならないはずです。 

 無駄なものが消費者に流れ、買いすぎて捨てられます。 そんなにいらない・・・・・

私の知る卸し元は東京ですが、週明けまで営業を休止しています。  それでいいと思います。

もちろん、稼動できるところは動いていればいい。 でも流通の「津波」のままに稼動するのは

とても危険です。     物に溢れた日本は、物がなくなることに耐えられない。 

 戦争など「物がなくて当たり前」に生きてきた人は、もともとなので買占めなどしませんね。

うちも、「なくて当たり前」なので買い物はしません。  マスクを少し買いましたけど。

水も高価になっています。 必要なところに使ってもらうために、余分には買わないようにしましょう。

被災地と離れた私たちにできること。 手持ちのもので簡単に食をとり、物に頼らず小さく生きること。

無理やりの我慢をしても仕方ないけれど、世の中の流れに任せず、自分で考えて選択します。

今、その訓練をします。  今、生きるしくみを作り直すことです。  電気もガスも止まってしまう。

そんなとき、どうして生きていくのか、今、生きるしくみを作り直すことです。

 それが、間接的に被災地の助けになります。  必ずなると私は思います。

   *  ブログの転写、引用お断りいたします。


    

 地震、津波、土砂、火災・・・・・すべての犠牲になってくれた方に

哀悼を捧げます。  小さな島国の傲慢の犠牲になって下さって

ありがとうございます。 何もできずにすみません。

 生きてるだけでいい。   そうですよね・・・・せめて、小さく生きていきます。

それしかできずにすみません。  すべての被災に祈ります。

そして、なんていう傲慢な国でしょう。  ものごと、何がどうなっているのか

よくわかりませんね。  でも、それもまた、命あるからだよね。

 トラブルの多い世の中も生きてるからです。  全部、受け止めていきましょう。

それくらいは、「どっこい」笑って乗り越えましょう。  些細なトラブルに泣くことも

人生を踏み外す大きなことも、何とか生きていきましょう。  何とか生きていきましょう。

 この人間、全不信時代に。  ため息、いっぱいいっぱいついて、何とか生きていきましょう。

何故なら、この国に生まれてしまったのだから。 小さな島国の自然には絶対勝てない私たち。

身の程知らずな私たち。  せめて、今くらい、身の程を知りましょう。 

  

「自分が変化になる」と決めてから、いろいろなことが起こります。

人が踏み込まないことに「一歩だけ踏み込む」と、何かの反応がついてくる。

反応は「変化の歩み」なので、ないよりはあったほうがいいんです。 

 しあわせというには程遠いけれど、なにせ

元気を出さないとしかたないですね。  人が離れていくことも

今までは怖かったけれど、これも「変化」と認めましょう。

 気がつけば、人がたくさん集まりすぎました。  まだ私が

必要な人だけ・・・・そこにいてくれたらいいのです。

  そして元気に「卒業」しましょう。 両方が卒業しあうのです。

笑ったり、泣いたり、怒ったり・・・・・心配しあった仲間ほど、

卒業のときがくる。   それは「旅立ち」です。 次の人生に

歩めばいいんですね。    かつて、学生時代に出会った仲間はそうだったでしょう。

そして、いろんな人たちに送る言葉・・・・ちょっと誰だったか忘れました(笑)

 「どんなときも生きよ。この私を」   そう、自分とは嫌でも付き合うしかないよね。


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下町のがらくたの上のねこちゃん・・・・・

 

   








*   ブログの転写、引用はお断りします。  著作権は放棄してません。



 
 


いささか、強烈で驚く人もいるでしょう。

でも私の知る限り、死に行く人は人に相談したりすることが少ない。

相談事態が迷惑をかけると思っています。 そして声をかけたとしても

かけられたとしても「大きな人間不信」のなかにいるのは確かです。

何故なら、その人は優しすぎたんです。みんなに優しすぎたんです。

人のことを考えすぎて、いい人すぎてしまったからです。

 それは概ね間違いではありません。 でもすべてにいい人でいてはいけなかった。

いい人にも悪い人にもいい人すぎたんです。  それを嗅ぎ分けられたので落ちたんです。

人の下に下に入ってはいけない。少なくとも、そうしてはいけない畑はあるんです。

 人が不信で人に近づけない人がいます。 内面が解らず過剰反応する人も多い。

「ノウ」と伝えただけで「終わりだ」と思う人もいます。  なんだかおかしい世の中です。

そのため、社交辞令や無難な言葉で対応すると、なんとも悲しい、すさんでしまいますね。

人が怖くなったときは、とにかく受け入れたものを弱弱しくてもボールを返す訓練をします。

悪意ある人は少ないと思いながらボールを返します。 「大丈夫」な人口を自分で増やします。

それでも人と小さくあたる時がある。 それは訓練のステップアップです。 何が返ってくるかは

わからないけれど、ボールを投げてみます。 これが結構大変です。

 強いボールを投げると返ってこない。 弱くても慎重すぎて返ってこない。 笑うと・・・・大丈夫ですが

常に迎合するばかりになる。 ここで終わる関係も多いです。しばらく経って同じなら

あきらめましょう。   またいつか出会うかもしれません。

 人が普通に信じられるには、「風」「世界」を選びます。 あなたが商売をしていても商売の尖がった

世界にはできるだけ触れないことです。 ハードルを下げて世渡りをします。 お金だけではない。

人にばかにされるほど辛い心の貧困はないからです。 でも、そんな人ばかりではない。

だから、レッスンが必要なんです。 精神世界を自分で回復する・・・・・・   がんばれ・・・・

   *  ブログの転写引用、お断りします。


」