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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 休みは「努力してでも休む」。   「貧乏暇なし」に自分から入りこんでいるときがある。

 魚を見る機会があった。   水族館なんて、子供が小さいときに行ったままだったのに。

回遊式の水槽をぐるぐると、いろんな魚が泳いでいる。   「マラソンよりも1000m走のほうが疲れる。ぐるぐる同じところを泳ぐのは辛いはずや」   というと大人になった息子が「同じところを回っているとは思ってないんちゃうんか」と返してきた。      魚の話しではなく、もちろん人間界の話し・・・・・「そうか、気がつかなければいつまでも、同じとこを回って泳ぐよな」     しかも水槽という選択肢のない世界に「閉じ込められてる」ことにすら気がつかない・・・・・

 「あ、あの魚逆走してるわ。しんどいのにアホやなあ。流れに乗っとけよ。」  哀れむのはもちろん、自分と同じタイプだからか(笑)    息子もわかっている。  「流されまいと踏ん張って止まっててる魚もいるわ」
「労力いるのに、クタクタになるで」  「うん・・・・」     息子はもう成人を越してばあさんたちをいたわりながら歩くようになった。  娘はいくらか陽のあたる道に出はじめたのか、国の援助でパソコンを習えることになり、
先に奈良へと帰ってしまった。    時は過ぎた・・・・・親孝行も長いことできないまま、数年が過ぎていた。

  あの事件さえなければ・・・・と思うこともある。   今、最後の闘いをしている「法」に関わることである。

でも、月日は過ぎていきます。   もう、親子三代、会えることも指折り数えるばかりだろうか。

 身体も心もクタクタになって、生きているのさえ不思議な今日。   それでもやはり、時折「非日常」という空間が必要だと感じている。   旅というような大げさなものではなくても、日常の延長に、一度ピリオドをつけて
「非日常」をおいてみる。   大人になった子供たちと、赤ちゃんに近づいていく親たち、   限りある時間の一こまだからか「安堵感」とともにある非日常・・・・・どんな暗闇にいても、至福を感じて過ごすこと。

  普段別々で心配している人が「そこにいる」安心感。  しばらくはメールも気にしなくていい。  

車窓に流れる風景を見ていよう。   赤い大きな落日を見送ろう。  先頭を切っていた父の、遅い足取りを待っていよう。  母に襟巻きを貸そう。   今さら、何もできないわたしたち・・・・・ ゆうべの雨があがり雲ひとつない冬晴れになったこの日だけに感謝をこめて。

          みんなにとって「非日常」は・・・・・どんなですか・・・・・       夢りんごK
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 休みは「努力してでも休む」。   「貧乏暇なし」に自分から入りこんでいるときがある。

 魚を見る機会があった。   水族館なんて、子供が小さいときに行ったままだったのに。

回遊式の水槽をぐるぐると、いろんな魚が泳いでいる。   「マラソンよりも1000m走のほうが疲れる。ぐるぐる同じところを泳ぐのは辛いはずや」   というと大人になった息子が「同じところを回っているとは思ってないんちゃうんか」と返してきた。      魚の話しではなく、もちろん人間界の話し・・・・・「そうか、気がつかなければいつまでも、同じとこを回って泳ぐよな」     しかも水槽という選択肢のない世界に「閉じ込められてる」ことにすら気がつかない・・・・・

 「あ、あの魚逆走してるわ。しんどいのにアホやなあ。流れに乗っとけよ。」  哀れむのはもちろん、自分と同じタイプだからか(笑)    息子もわかっている。  「流されまいと踏ん張って止まっててる魚もいるわ」
「労力いるのに、クタクタになるで」  「うん・・・・」     息子はもう成人を越してばあさんたちをいたわりながら歩くようになった。  娘はいくらか陽のあたる道に出はじめたのか、国の援助でパソコンを習えることになり、
先に奈良へと帰ってしまった。    時は過ぎた・・・・・親孝行も長いことできないまま、数年が過ぎていた。

  あの事件さえなければ・・・・と思うこともある。   今、最後の闘いをしている「法」に関わることである。

でも、月日は過ぎていきます。   もう、親子三代、会えることも指折り数えるばかりだろうか。

 身体も心もクタクタになって、生きているのさえ不思議な今日。   それでもやはり、時折「非日常」という空間が必要だと感じている。   旅というような大げさなものではなくても、日常の延長に、一度ピリオドをつけて
「非日常」をおいてみる。   大人になった子供たちと、赤ちゃんに近づいていく親たち、   限りある時間の一こまだからか「安堵感」とともにある非日常・・・・・どんな暗闇にいても、至福を感じて過ごすこと。

  普段別々で心配している人が「そこにいる」安心感。  しばらくはメールも気にしなくていい。  

車窓に流れる風景を見ていよう。   赤い大きな落日を見送ろう。  先頭を切っていた父の、遅い足取りを待っていよう。  母に襟巻きを貸そう。   今さら、何もできないわたしたち・・・・・ ゆうべの雨があがり雲ひとつない冬晴れになったこの日だけに感謝をこめて。

          みんなにとって「非日常」は・・・・・どんなですか・・・・・       夢りんごK

多種多様な世の中です。   だから、法律さえ犯さねば、いいだろうという風潮の今日です。

簡単にいえば、「携帯通話しながら運転」はいけないけれど「佐世保バーガーのような食べ物をかぶりつきながら運転しても」規制はありません。   だから、みんな、見ためは平気そうに生きています。  心のぶるぶる震える思いを表面化して歩いている人はあまりいません。  言い換えれば、裕福なおぼっちゃまも、ネカフェ難民も、町で見ると差がない。    みんなが「何でもないように」生きている。    何でもないように生きなければ更に、世の果ての果てに追いやられるんです。

 病気の人もそうでない人も「しゃんと」生きていかねばならないんです。  病院に行くと、患者が「風邪をひいたんだと思うんです」と、診察前に「申告」している人にあいます。(笑)   うちの母もそうです。   風邪なのか風邪に似た症状だけど別の病気なのか見抜くのは「医師」です。   「今日は温かいものを食べてゆっくり休んで」と医師はいいます。    「おかゆを炊いてくれる人」がいる人といない人がいるんです。  病院に「送ってもらえる人」と「ひとりで来てひとりで受付して説明して薬も会計も自分でしなければならない人」とでは、身体も心も病んでいる状態が、同じ風邪でも相当違うはず。      なのに、実は「一人の人」はしゃんとしている。  「苦痛を何もかも外にだせない」んです。     だから、誰が重傷で誰が大したことがないかなどは、わかりません。    医師は・・・・検査や統計、数値を基本材料とする人が多いんです。   

 でも・・・・聖職はやはり、人の心や状態をもう少し見るのが大切です。大切だと感じてほしい・・・・願望です。

神様から与えられた仕事なのですから・・・・・   普通の暮らし・・・・・こうしてみんなとかかわっていると

みんなさまざまな「普通の暮らし」をしているなあと思います。大きな意味で、みんな正しい。

 昨日、商品を委託で預かっている、ある施設のスタッフが、置き場がなくてちょっと道に車を停車させて
うちに駆け込んできました。   そこに左折の妨げになったのか、一台の車が、思いきりクラクションを鳴らして
窓からうちに向かって「だれやあ!!」と怒鳴る声。   見るとお姉さんです。    確かに止めてはじゃまになるのはわかります。   私も車中で「誰やの」ということがある。  しかし、大トラブルになるような怒鳴り声は出しません。    こういう場面に出会うと私は、何故かみんな「普通の暮らし」はしていない気がしてしまうんです。   もちろん私も含めて。    みなさん普通の暮らし・・・・してますか?

                                               夢りんご  K   

 うたた寝から目覚めて、つまらないテレビを消しかけて、ふと手を止めた。  「壊れたものから出来たおもしろさ」・・・・・古田織部・・・・「織部焼き」の由来になった文化人のお話だった。

「一度壊れた物」からできた、いびつな作品に味わいを見出した人らしい。   その「壊れもの」からの出発・・・に自分の姿を見るような気がして、見入ってしまった。  千利休に師事し、利休が茶の席で茶釜にきずを見つけて、ひしゃくでさりげなく隠した。    後にこの釜を譲りうけた織部は、利休を招いた茶の席で、なんと、その茶釜のキズをわざと客である利休に向けてもてなしたという。     

「自らキズを見せる」   なかなか人としてできないことである。  でも、その壊れ物の味わいこそ、「本当の味」であり、 その姿こそ美しい・・・・と。    同じように、著書の中で私にいただいた言葉がある。
「鮮明に生きよ」という言葉。      なかなかネットやブログの中では、いきなり誰彼なしに自分を見せることはできない。    まして、「傷」「壊れた部分」となるとなおさらである。   

そのにじみ出る美しさ・・・・を見つけるのが私の仕事です。   フェアトレードも同じです。時に、作品のなかに
小さな傷や汚れがあります。  商品として微妙な境目はあり、全てを肯定できませんが、その「否」の部分、傷の部分、人でいうと「ネガティブ」な部分、もっといえば「弱み」というか・・・・・だけどとても魅力的な部分。

  それが見せずとも、にじみ出る人は美しい。  それがにじみ出て輝いていると嬉しくなります。

その一生懸命のにじみ出た汗や涙を伝えるのが、私の事業です。    その美しさを垣間見て、まっすぐに
「詩」とのコラボを楽しみたい。   そんな人に一人でも多く出会い、にじみ出た優しさや命を伝えたい。

  それが夢りんごKの仕事です。   あ~かっこよすぎるやんけ・・・・

物のうわべの向こう側、自分もだんだんにじみ出るように。そして鮮明に生きるように。   そこに、必ず誰か
「味方」ができるはずだから・・・・・そして生きていれば、誰でも「傷」を持っているものだから。

                                       夢りんご  k 

うわさによると、「関西オフ会」・・・・ですが、夢りんごは稼働日なので、たいしたおもてなしもできず、

大阪、滋賀、三重のブロ友さんをお迎えしたわけです^^  大人の遠足のようにはしゃいでいて皆さんお若い!

  人生前向きに、いや、恐ろしいほど前向きに歩んでおられます。 お茶を出したあとはお出かけされたのですが、それぞれのブログにあるように、学生さんのように楽しそうです。   

最近、うつや不安障害の夢りんごも、元気をいただきました。   そうそう、おみやげもいただいて各地の味をごちそうになりましたよ。   鹿は・・・・・毎日見るんですが、みなさんには珍しい光景なんでしょう。

修学旅行のように楽しく鹿遊び(?)をされたようです。   昔から、東大寺界隈の鹿は割りあい凶暴だと聞いていましたが、運悪く、その方向へ行かれ、シカシ凶暴もろともせず、鹿たちをやりこめて帰られたようでした。

 前日は雨だったんですがさいわい雨は降らず、少々寒い奈良でしたが、散策には程よい気候でした。

奈良に来たいなあ・・・・という人はどうぞ、夢りんごに声をかけてくださいね。  つながりのあるゲストハウス(素泊まり2500円)で長期滞在も可能です。  ゆったりと、ならまちぶらぶらして「足湯カフェ」もくつろぎます。   なら公園案内人、バスガイドも勤めたこともある夢りんごが、特別コースもご紹介。「庭園コース」や「万葉の森コース」「安くながーく奈良に居座るコース」などいろんなプランを教えちゃいます。  「働きながら奈良にのさばるコース」もありますよ(笑)   お金がなくても、うろうろできる、お金がなくても「たまに旅ぐらいしたらあかんのかい!」と思う方はどうぞ募ってください。    夢りんごで「まかない」を食べながら、「居候」したい方、相談くださいね。    「臨時スタッフ」として採用も相談します。   農園のお手伝いや、夢りんごの
フェアトレードを中心とした「卸し」の手伝い、通販部門、県内のつながるお店に「おつかいドライブ」など、元気になって都会や故郷に帰ってもらうプランがいっぱいです。   ^^