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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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強い風とともに、近くの公民館の庭の桜の花びらか・・・・・地を這うように舞っています。

はらはら~という感じではなく、上から下へでもなく、風に無常に散らされ 音もなく

地面をすれすれに這うように、くるくると渦巻きながらころがっていく花びら。

ん?  これが桜?  と思うほどの速さで。 今年の震災のあとの短い春を散らしていきます。

自粛という、理由を知っているのか知らないのか・・・・今年はそそくさと散りゆくさくらです。

 夜桜にぼんぼりがない訳を、 夜店の列もない訳を、宴の賑わいもない訳を、

不思議に思うているのかもしれません。   膨らみかけて、流された北国の桜仲間を知っておるのかも

しれません。   校庭は桜一本も残らず、 ついぞさっきまで響いていた合唱の声の主も

ピアノを弾く白い指も どろんこの体操服の主も流してしまいました。   天災は無差別に暮らしに襲いかかり

命を亡くした人々の無念の魂のつぶやきと、紙一重で生き残った人の生涯の哀しみをあの日。

 呆然と立ち尽くし、幾日も幾日も幾日も、家族を呼びひたすら生きたのでありましょう。はや一ヶ月。

まだまだ、道は遠いのです。 そして爪あとは、いまだ大きく。  何とかして欲しい気持ちと

あきらめきれないがれきの下と、 黙って生きる人々の胸に、誰一人まだ春はきていない。

  どこかに、生き残った桜が咲いていれば、どうかしみじみと 短い時間の今年のお花見をしてください。

どうか神様が見ているのなら、桜でなければ若葉でもいい。  そこに町があった証を、そこに街が生きていた

証を、そこでまた人々が生きていく心の支えを  くすのき一本でもいい。 残っていますように・・・・・・

生きることは「もう一度」を願うこと、それが信条の私でしたが、それにしても長く遠い道のり・・・・・

それほどがんばらなくてもいい。  長く生きていくために。 黙って生きる北国の人に、壊れた人生を生きて

きた自分が僭越ながら少しかぶさります。  泣いたり怒ったりしてもいいんです。 いつかの私のように。


                   * ブログの著作権は放棄していません。

                      転写、引用 かたくお断りいたします。
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三月~四月の過渡期。  二人とも体調不良と、深夜労働などの多忙から

ブログが久しぶりになりました。  たくさんの人や出来事に出会い・・・・

別れながら、ここ三年半以上 鬱の時代を越えてきました。

 ブログは、その治癒のためもありました。 心を社会に拓いているためでもありました。

「拓」と言う字は息子の名前の一字です。 「拓く」(ひらく)と読みます。 人生をたくましく

拓いて行ってほしくて、この字を選びました。 もともと保守的な男子ですが、なんだか

この字が似合う感じになってきました。  もうひとつ、「悠」と言う字は娘の名前の一字です。

「悠然と」 生きてほしくてこの字を選びました。  でも青春時代はどちらかといえば、

引き籠もりかちで、内向的な娘でした。 本質はあっけらかんとした朗らかさがあり、

私と同じ、音楽好きでした。 ここにきて・・・・この「悠」と言う字の由来を話し、娘は

悠然と生き始めています。  でもね・・・・「悠」の字も「拓」の字も~その字のごとく生きると

いうことは、つまり「巣立っていく」ということなのです。^^  私の手元にいては拓いていくことは

できないし、悠然と生きることもできません。 つまり、私は 我が元から離れていくように

名前をつけていたのでした。   ここ数年、生きてきて私たちは「鬱」の時代を越えてきました。

 法律はなかなか、そういう精神面を見ませんが私の関わった法律家さんは、その向こう側を

何とか見ようとする方でした。 それは、とても救いだったと思います。 今の世は大震災を思っても

「真実は見たままではない」と思います。  ひとえに「がんばる」一色で一束ねにはできません。

 心が、群れからはぐれて海に佇む人も多いように思います。 もし海辺で戯れている被災地の

人に会っても、その人たちの心まで本当にはしゃいでいるかといえば違うと思います。

「笑っているのは泣いてもいるのです」・・・・・と私は思う。 その全部を、両方を知ること、受け止めること

が日本に必要なことだと思います。  精神が壊れてどうしようもなく、田舎の知人のところで

犬と戯れていたとき、そんな姿を叩く法律家もいました。 どんだけ、薄っぺらな視線かと思いました。

 復興を否定はしません。必要なことだと思います。 でも、亡くなった人や行方不明の人とその家族、

それらの思いを置き去りにしていないか・・・・・そんなにさっさと復興(もちろん最低限生活の基盤は必要)

を提唱して大丈夫かなあと思いもします。 高速道路や高層ビルを建てて復興できるところではありません。

もっともっと・・・・がれきを歩いて、呆然とした人々の心を受け止めて整理することは遠回りでも

大切なことのように思います。    日本のこれから・・・・それはもっと深くゆっくり、耕すことが

復興なのだと思います。   人は見たままではありません。大きな声で笑っているあの人は

実は元気なのではなく 心は泣いているのだと私は思います。   

先日、広島の宇野さんに「久々に声が聞きたくなった」とお電話しました。

 宇野さんはとても喜んでくださり、今次々と押し寄せる問題や苦労の時期であると伝えると

こう、おっしゃいました。  「それは、もうすぐ春だからよ」・・・・・「やっぱりそうですよね。」

ありがとうございます。      でも宇野さん、私は知っています。 もうすぐ春と思うけれど

春は短くあっという間だということを・・・・・・・・


   *  ブログの転写、引用かたくお断りいたします。

関西でもお水がなくて、大きなペットボトルのお水欠品です。

余分にはいらないけれど、500mlのボトルは持ち歩くので

evianのボトルを買ってみると、「キラキラドロップマスコット」という

キティちゃんのおまけがついていました。 普段、見向きもしないもの、

子供のコレクションだと思うけど、二つほど集まったので、次は何色?

と思っていると全6色の4色まで集まりました^^ ここまでくれば・・・・・

と意識的に5色目、そしてついに最後の一色「水色」を見つけました。^^

こんなおまけでも「ただじゃないよなあ」と、眺めて見ました。 つれあいは

「そんなんするとこ、あったんや・・・・」とあきれ顔。  う~ん・・・・・・

多分、40年以上、こんなことしたことないかも(笑)  なんなんだろ?

社会での無力さ、 小ささ、 ささやかな希望、童心、・・・・ それよりもっと・・・・

いま、一緒に生きてる人への愛しさ・・・・(大げさか!)

とにかく、ブログに入るかな?

キラキラドロップマスコット・・・・・

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地震から流れ続けるCMが批判を浴びていると聞きました。

例えば女優さん親子が検診の啓発をするCM。 もちろん間違ったことを言ってるのでは

ないでしょう。 本人たちもとまどっているとありました。  でも・・・・・批判こそしないものの

何かしら耳障りで嫌悪感が伴うのは私だけではないように思います。

そう・・・・違っているのではなく「現実とずれている」のが私の見方です。こんな時期に

被災地はそれどころではないでしょうし、そうでなくても不安で貧困でそれどころでは

ない人も多くいる。 受けたくても受けられない状況の人もたくさんいる。 だから

頻繁に堂々と声高に提唱されると、心や身体を逆撫でされるような気がするんでしょう。

 それなら、いっそ、普通のCMをいっそ「無神経に」いつもと変わりなく流れているほうが

あきらめがつく。   そういうことではないでしょうか。 TVが勝手に機械的に事務的に

CMを流しているほうが、「無神経なTV」とあきらめがつくんです。  中途半端に

「気を使っている」CM自粛をするので返って腹立たしい・・・・ということではないかな。

多分、地震以外でも大変な人や暮らしがたくさんあるんでしょう。 

 被災地は、「元気」という言葉で元気になれる人は元気になってください。 でも

すべてが一変してしまい、失ったものが大きくて、すぐにはそうなれない人の方が

圧倒的な気がします。  行方不明の人がまだまだ多いこと、そしてそれをどうしようも

ないこと、がれきの撤去と地面の整地だけではどうにもならないことが多すぎます。

 一人、残された人もいる。 その人にがんばれとはとても言えない・・・・・・

変わり果てた街で自動販売機を探す少年がいた。 「飲み物買おうかと」と言っていました。

一人になってしまったのかもしれない。 「自動販売機が残ってるはずないだろう」そういう人が

周囲にいないのだ。 でも、取りあえず飲み物を買おうと探していた・・・・・実感がないのです。

何が起こったのか、わからない人が大勢いると思います。 だから・・・・いつもの日常をしてみよう

そう思って歩いたんでしょう。  被災地への思いは痛いくらいあります。  でも

顧みれば、自分が生きることもいっぱいいっぱいです。  コメンテーターの人が、

「一人が1000円の寄付をすれば」と話していました。  1000円・・・・できない人も多いと思う。

私の、今日は、私を精一杯生きること。  それで現状を少しでも変わっていくこと。

  そこからしか、何かできないかもしれません。  そこから生きるしくみを体験を通じて

被災地の一人でもいい、何とか生きる方法と精神力を伝えていくこと。 それが自分の役目だと

地震から時間をかけて出した答えです。


  *  ブログの転写、引用をお断りいたします。

 和食研究会が中止なり、吉野で農薬のない野菜を自家栽培されている

とよこおばあちゃんとお嫁さん、同じ地区の森本さんに会いにでかけました。

 分葱、水菜、キャベツ、春きゃべつ、便利菜、大根、ほうれんそうなど

たっぷりフェアトレードで分けていただきました。 上ってお茶をとすすめて

いただきましたが、駐車場で談笑して無添加の食品の紹介をして

みずみずしい野菜を積み込んで一時間半かけて奈良まで帰ってきました。

田舎人の温かさに触れ、大らかで謙虚な生き方に、家庭人でささやかだった自分を

思い出しました。  月日は戻らないけれど、大切なものを取り戻したような時間でした。

とよこおばあちゃんは、人懐こく元気に笑いながら畑人のたくましい風貌でどんどん人の

心に入ってきます。 不思議に「土足で踏み込む」感じがなくて、むしろ元から裸足で

玄関に座り込んだ感じがしました。  「今度は絶対、家でお茶を飲んでな」と嬉しいお約束を

いただいて、お別れしましたが、そのお野菜の新鮮なこと。