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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 いつまでもアンフェアの中に身をおいていると

何がフェアなのかわからなくなります。 心も体も萎えてしまい

抵抗する力もなくなる。 もう・・・・これで仕方ないんだ、とね。

 自分の努力では どうしようもない世界に身をおいていること

見えない束縛と精神の呪縛に捕われていること、それに気づかないこと。

 アフリカのナイジェリアで監禁女性に子供を生ませて売買していたと

先日聞きましたが、世界には途方もないことひどい出来事がある。

生まれた子供を売買したり、臓器移植に使ったり、テロリストに育てたりと

人を人とも思わない組織がこの世にはある。   日本の場合は目に見えない。

犯罪にならないようなしくみになっていて、それでいて精神的な束縛で

井の中の蛙になっていることが多いのです。  衣服も着ていてなんなりと食べ物も

いちおうある。  鎖につないでいるわけではないので普通に生活している姿に見える。

日本古来の辛抱強さや、やせ我慢、プライドなどが働いて心の奥へ奥へと追い込まれる。

人と笑い話している。 辛さが滲み出てくればいいけれど人は気がつかない。

 「苦しみを外に出し社会に生かさなければ苦しみ損である」  この言葉をもう一度記そう。

人それぞれの苦しみは理解されないかもしれないが「そんな苦しみがある」ということが

伝わる・・・・・  あなたがアンフェアだと感じているなら、とにかく一歩進むことです。

自分が次の世界に踏み出すと、なんて理不尽な世界にいたのかと気づきます。 

 自分が開放されて初めて人を救うことができるんです。 それが社会事業です。

人は人生で一時的に苦悩の中にいるときがある。必要なときもある。 でも抜け出す出口の

ない苦悩は、どこかに出口を塞がれている。 鍵をもっている他者がいる。 それに

気づいて 動かなければ、いつまでも他者に鍵を握らせたまま 暗闇に座り込んでいるばかり。

 どうか、あきらめないで。  人生をいきましょう。 草を刈りながら 今 切り開いているところです。


   *  ブログの引用、転写はお断りいたします。
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 今年は、早くも台風がきて驚きましたね。

このところ、いろんな人からお手紙をいただきます。 お返事を書いて往復書簡を繰り返す

のですが、また私の番になり^^  温みのある肉筆の流れを見ていると素直な気持ちに

なりますね。  思えば私は、人の話も聴きながら 騙されたと思う気持ちが強かった。でも

「まだ遅くない」「まだ通じるかもしれない」と思うほうが、実は私の生き方だと思い始めました。

「それでも人生にyesという」という言葉(これは本のタイトルなんですが)に出会い、

あ・・・・・・! と思ったのです。 私が逆境を生き抜く のに一番の強みだったのは

人を裏切っていないという確信でした。  大きな考え方をすれば、今はまだ実験の途中です。

人の勧めや流れのままに (つまりは世の中の大半がそうであるように) こういうものなのかと

流れてしまっていたなら、いつのまにか誹謗される立場になっていたでしょう。 そして裏切り者

呼ばわりされていたでしょう。 そして後世末代まで続いてしまったでしょう。

 自分の人生にYESというには、肯定が必要です。 肯定し続けるには自信が要ります。

NOなのか?NOなのか?と深みにはまればどんどん自信は喪失します。 でも私は深みに

はまりにはまっていきました。 結果、人生を大掃除することになり、過去や関係を総ざらいして

いったのでした。 たしかに何かの因果関係はありました。 ちょっとしたことを気にするあまり

それが弱みになっていったことも。   だけどそれは、部分に過ぎなかった。プロセスに過ぎなかった。

「回復」のプロセスに過ぎませんでした。 自分の人生にYESというには、「何故」よりも「どうして」よりも

自分と向き合う自分に〇をつけること。自分を評価する自分がYESと頷くことです。 正直に正確に。

世の中で一番怖いのは「まっすぐな目」「見抜くことのできるまっすぐな目」だと映画で見たことが

ありましたが、嘘のない人はこれを持っている。嘘のない人生は楽しい・・・・その通りです。

追い詰められてもどこか、悠然とする自分がいたのは嘘のない人生だったから。 そのことに

自分でYESと言ったとき、人生が扉が開いた気持ちでした。 それは 政治でもなく裁判でもなく

倫理でも道徳でもない。   嘘のない人生のほとばしる明るさ・・・・・雨が降る日の青空と太陽と虹。

闇夜の月の光と星☆彡   正しさは自分で持っていればいい。そして社会にこの明るさを

散りばめること。   それが私のこの世の役目。 そう思えば次の行動が見えてきました。

  この世の中のNOをYESに変えていくことです。 人の不幸をYESに変えていく・・・・・

これが私の役目です。   あなたのNOの人生をYESにするノウハウを伝えます。

逆境は順風になります・・・・・・


    * ブログの引用、転写はお断りします。 

 誰しも、縁のない法の舞台は驚愕するものです。

常日頃からそんなことを日常茶飯事に関わる人ならともかく

普通の人間はかなりのハードルがあると思う。

日々の生活もままならないのに、降りかかる火の粉は

何とかはらわねばなりません。 小さな地位と立場で不利な条件だと

身体も精神世界もぐちゃぐちゃになります。 今回、それを体験し

そして、負けを選んで終わりました。 少しよい条件の和解もありましたが

応援してくれた人たちや団体さんにも突然、翻すのはどうかと思うし

(真剣に向き合ってくれた人なので)  それに私は、相手を潰す気持ちは

ありませんでした。 相手が潰れたらもっと辛いことになります。

 ただ、犠牲になるわけにはいかなかった。 言い分や事情を聞かずに

頑張って払い続けていたのに、闇に葬られたように事業を断ち切られたまま

すべてを自分たちのせいにして死ぬことはできませんでした。

 破産をすることも、単なる0解決をすることもできないのは

どんな解決をしても、相手は気にいらないで父母や私たちに向かってくるのは

目に見えています。 みんなに認められている人権・・・・が私たちにはないことに

なる。  なぜなのか・・・・それはきっと「心」が通うことと関係があると思っています。

戦いながら、私は、底辺の暮らしをしながら、なお 相手を壊すことはできないのです。

それはフェアトレードではない。  大きな組織を 壊したい感情はないのです。

もちろん、これ以上、踏みつけにされ、精神世界を荒らされたらもう、生きる手立てもない。

それでも、あの人たちを 壊してはいけない。 そう思うと「ここは負けを選ぼう」と自然に

思いました。 きっと違う解決がある・・・・・時が来る。 いやきっと来ている。

 何ももう失うものもないこの時に、向き合う時がきている。  でもそれは、もう罵声では

解決しないと・・・・・・・・・。

雨の吉野地方でした。

県南に近づくほど、緑が映え トンネルを越えてまた、風景が変わります。

寒い雨でしたね。 つながりのある 人が増え 奈良からはるばる訪れても

気持ちよく迎えてくれるようになりました。 作ったのは

   * 玄米とテンペの巻き寿司

   * アスパラとエノキのちぢみ

   * ビイシソワーズ

   * きな粉葛ババロア        素材がいいのに 材料費は450円  

いろんな人たちが集まっています。   元教員の方たちがほとんどです。

中には、小さな子供連れの若いママもいて、途中で泣き出します。子育て中のママの参加も

大変です。   ここでは、フェアトレードも徐々に伝えています。

最近、奈良では いろいろな「食の安全」や食を伝える研究会が増え、声をかけていただく

ことが多くなりました。  小さなマンションの一室から、公民館や会館まで、さまざまです。

吉野でも「命と食」と題して、お話から始まりました。 今回はやはり・・・・放射能に克つという

お話。   大切なことだけど、うん・・・・・ ヨウ素を含んだ食べ物を日頃から摂るんだって・・・・

  玄米、おから、梅干、梅しょう番茶、海草、味噌汁、鉄火味噌、しょうが・・・・・

これらは免疫力を高めること、  ハブ茶、毒出し効果の薬草、などは排泄力を高めるようです。

みんな、いろんなことを勉強してるんだね。  私は今、雑穀入りのご飯を主食にしています。

16穀くらいの穀物が小袋で200円くらいです。  炊飯の前にひとつかみ、(結構たくさん)入れます。

ご飯が長持ちするんですよ。  固くならないこともあります。 玄米は消化器官の弱っているときは

身体にキツイです。 軟らかめに炊き、しっかり噛むことが大事なんですよ。 白米とはエネルギーが

全然違います。   時々、食べてみませんか?  男子は、玄米を嫌う人が多いけど

雑穀を混ぜて炊くとハードルが低いです。 ポイントは混ぜものをお釜の中心などに集めて炊き上げます。

 食べたくない人には、ほんの少しだけ混ぜて、普段との格差を小さくします。  ここでも格差を小さく

する運動をしましょう。(笑)  いろんな栄養素が詰まっているので、おかずが少なくても満足します。


   *  ブログの引用、転写はお断りいたします。

今週は、ごみ当番です。  月曜日は何とか、収拾車を待って御当番を

したんですけど、木曜日は仕事の約束が朝入っていてできないので

ご近所の、お世話してくれるおっちゃんに声をかけておこうと立ち寄ったら

おっちゃんも留守。  しかたなく出かけ、昨日はくたくたで 夜行き倒れ(笑)

今朝、遅ればせながらほうきとちりとり持参で出向いたら、ゴミ用ネットが

きれいに巻いてくれてありました。   「あれ・・・・してくれている」 助かったので

とりあえず近所のおじさんに声をかけて「おじさんですかあ」と尋ねてみました。

「私、昨日朝は仕事でゴミ当番できなくて遅いんだけど今見にいったらネットを

片付けてくれてありました。ありがとうございます。」 「いやあ、今回はワシやないよ」

「そうですか・・・・もしどなたか分かったら教えて下さいね。それでお礼言ってたと伝えて貰えますか?」

「よっしゃ、・・・・」  最近、こういう言葉掛けがつくづく大事と感じました。 

片付けてくれた人も こちらがお礼を言えば気持ちいいんだと思う。 でなければ

「当番誰やねん・・・・」と思いながらしてしまうし、文句も言ってこないとストレスになる。

ものごと・・・・・ほっとくと悪い方へいくことのほうが多いものね^^   かと言って、すべて

言い訳ばかりして回るのも大変・・・・ちょっと好かれてちょっと嫌われていこう(笑)


*   ブログの引用、転写はお断りいたします。