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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 なぜか、うちの子供たちは示し合わせた訳でもないのに、

一週間遅れの母の日のプレゼントをくれた・・・・・

娘は、町家のカフェでお茶をおごってくれたのだけど、

追加があったようで、「玄関にある紙袋は母の日なのでどうぞ」というメールが

月曜日入っていた。 中身はバスソープ・・・・・いちおうナチュラル系を気にしてくれた。

同じ日、息子とその彼女が「母の日」に主人の誕生日もかねて(しかし誕生日は3月)

どんだけ遅れてるねん! おそろの湯のみ・・・・(ちなみに若い衆の間ではペアをおそろ

というようだ) 彼女はナチュラル系のハンドクリームもくれた。 今まで息子の彼女から

母の日を戴いたことはなく・・・・嬉しさと微妙が・・・・そしてちょっと年老いた気がした。

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 「あ~ねこ~ね塾」とは 先輩の宇野さんが 関西の仲間とつくる瀬戸内の別荘・・・・(空家)

広島の宇野さんは、大好きな起業家の一人で・・・・失いつくした私を心配して、空家の

案内を送ってくれた。   尾道にある「高根島」(こうねじまと呼ぶ)である。 広島までは遠いし

お金もかかるからまずは、尾道に何とかいらっしゃいと呼んでくださった。 飛んでいく訳には

いかないけれど、何とか訪ねたい。  「ご飯を一緒に作ってたべよう」と・・・・・・

この人は、はや70歳になろうとされてるけれどバイタリティに溢れている。 自分と同じ匂いの人です。


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階段を~   については、後日詳しく書きたいけれど

人間には「階段を登る人」と「階段を作る人」がいるといいます。 (片岡氏より)

多分、圧倒的に登る人のほうが多いだろう。  私はもはや、「階段を作る人」になった気がします。

正確にいえば「階段を作りながら登る人」というべきか・・・・・そのため、一段一段踏みしめて

具合を確かめつつ、修正しつつ登る。  「何をしてるんだ」と隣の階段をすいすい登る人が追い抜かして

いくんです。   多分、人が登りつめたときに、私はまだ遥かな階下に(笑)

死ぬまで、階段を作っていくんでしょう・・・・・ 私の人生は「階段を作ること」

     *  ブログの引用、転写お断りいたします。

         

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 フェアトレードからコミュニティトレード、夢をかなえる市民バンクなど立ち上げた

片岡勝氏は、生きるレールを乗り換える提案をしてきた人です。

 彼の本「君はいつでも始められる」にはずいぶん、励まされたものです。

すべてではないが、うなづけることが多い。

彼は小学校の雪合戦で偶然、一番前に立ってしまった。隣のクラスの子供らの

投げる球が全部自分に向かってきて怖くて仕方がなかった。逃げたくてしょうがなかった

でも逃げなかった。何かを先頭に立ってするとき、自分に非難が集中して見えるという。

だけど、それを跳ね除けてこそリーダーだという。そうやって自分は逃げない癖をつけたと

いいます。生まれたときから正義感に満ちた人はいないから「逃げない」選択をしたときに

自我の芽生えにつながると。  乗り越えたときには、たくさんの褒美が待ってたと。

 遅くないと私は思った。 ただし、そこにたどり着くまで、緩くてもいい、レッスンが必要です。

この低いハードルを越えていく「小さなレッスン」が、みんなにわかりにくい(笑) 

「何をやっているんだ?」と誤解されてしまう。 しまいには「気がふれてるんじゃない?」(笑)

そんなささやきまで聞こえるときがあります。  OK!       辛いけどそのプロセスは本人には

大切なんだ!     「何をもたもたやってるんだ?」「遅いんじゃない?」だけど・・・・自我を

眠らせてきた本人には、まず根こそぎの改革、むりやり眠らせてきた人格を、人に合わせてきた

過去を自らひっくり返す必要があるんだ。  だから、他人には理解できないことも乗り越える。

なあんて~ 片岡流にちょっとかっこよく書いてみた^^   社会の中で、はじけず眠ってきた自我を

まとめて吐き出すと・・・・ちょっといびつになっちゃうか^^  これから・・・・さ。 マイナスからの

生き方をまだまだ手探りで低いハードルを越える。 その過程で返すものは「返せるようになって」

返すのが筋を通すこと。 エジソンは言うたそうな・・・・「失敗ばかりでどうすんだ?」といわれたときに

「自分の失敗は失敗を証明することで社会に貢献している」と。 私は常々、同じ考えだったので

「YES」とうなづいた・・・・・・「このやり方ではできない」という証明を私はいくつもやってきた(笑)

  後から来るものは楽だろう・・・・・^^    

   *  ブログの転写、引用はお断りいたします。

身近なところに、精神的に障害を負った人がいて、仮に何かの迷惑をこうむったとします。

その迷惑なことがらを、その人に伝えることができますか?

もちろん、伝えなくてもいいのですが伝えなくては「事柄」が通じません。

伝えないことは自分が我慢したり耐えたりすることかもしれません。 すると・・・・・

相手に伝わらないだけでなく、それが「偏見」「レッテル」へとつながります。 そして

精神世界が研ぎ澄まされたその人には 「何が起きてるかわからない」けれど

「誰かが何かを言っている」 というのが見えるのです。  今、物事を黙って

過ごすことが多い。トラブルを避けて「口を閉ざし」ます。 しかし、その偏見は見えるのです。

人は「良かれ」と思って黙っていることが実はかなり人を傷つけている。

もし、ここに「可哀想」などという心があるなら、もっとも傷つく行為だと思います。

 それは鋭利な刃物よりも、切れない刃物を真綿にくるんでずっと傷めるようなもの。

もし、その人が「きっと自分が何かひどい迷惑をかけているんだ」と理由もわからず

責任を背負い込み「自責の念」にかられたら、深い深い思いに落ちたら、どうなるでしょう。

これって日本から自殺が減らない要因だと私は思います。  いま、フェアトレードから

コミュニティトレードへの活動とベーシックインカム(基礎所得)の考え方は「政府がすべての国民に

対し必要最低限の生活を送るのに必要なだけの所得を公平に無条件で支給するというものであるのだ

けれど、つまりベーシックインカムによって生活最低限が保障されれば人々は、もっと社会に役立つ仕事や

「生活のため」という働き方が変わって自殺減少の問題解決になるのではという論なのです。いささか

重いお話になりましたが、ひとりでも多く、固定観念、狭い了見から抜け出すことが課題だと自殺の

不条理を考えるプレス・オールタナティブは書いています。  物事の終わりはむしろ、その事件で

体験した傷みよりも、後からくる(例えば、かつての隣人との別れや対立、疎外感)ものの方が

辛いのではないでしょうか。  「世を渡る」とはむしろ「人を渡る」ということ。 人と「離れる」ときに

私は 「問いかけ」を残します。 解決など急いでも得られないので最後に「問いかけ」を渡して

私のほうから 前をむく。これが今の私のフェアトレードです。  迷惑をかけたことの次第が

解らなければ、何もならない。  「多分自分がわるい」のでは命がいくつあっても持たないですね。


     *ブログの著作権は放棄しません。引用も転写もお断りいたします。

    

 



 


ネットの社会も同じだと思うんですけれど、心が通うということは

あるんですね。 気持ちがつながるというか出会いというか・・・・

出会ってしまい心が通うと嬉しいし、味方がいるようで強くなるし・・・・

仲良くなって、親友になったり恋人になることもあるようです。

 一緒に暮らしたり結婚もありではないでしょうか・・・・・

私は以前、犬の供養の記事をとんでもないことに使われて傷ついた

ことがありますが、「物事が解決していないのに」 外で楽しそうに過ごす

記事に相手は腹が立ったのでしょう。心情的にはわかります。 

  ネットのトラブルも多いのは「心が通う」からだと思います。

心が通った人とのトラブルは、目の前にいるより厄介です。間違いなく・・・・

気を許すからこそ「本音」が見えてしまい、その本音を知っているからこそ

ネット上の「建前」 が我慢できなくなるんでしょう。  本当は心の底では

とても傷ついていたり落ち込んでいたり死にそうだったりするけれど表だって

それを表現したら、たいていは退いてしまいますからね^^(私は時々しましたけど)

だから人はだんだんと「心を通わすことを避ける」ようになるんです。

 心の通う人ほど、トラブルが起こりやすいから。 今はそんな日本です。

震災で支援が必要ですが、最後の最後は支援のままでは続かない。「自立」を

目指すことが一番大事な目標です。 心の通う人との別れが来たとき、もちろん

喧嘩別れもしかたないことです。でも、ネット社会でも現実でもできるだけ解決して終わる

努力は必要だと思います。  それはなぜか????   そこかしこでまた出会うからです。

 出会ったとき「未解決」が甦るんです。これは本能に近く甦ります。 その矛先は

本人ならまだしも何処へいくかはわかりません。 甦ったら、できれば本人に返すことがよい。

それくらいの信頼感は残しておくことです。  一路「味方」を「敵」にすることはありません。

そういう繰り返しに慣れていくことが「これからの生きていく課題」のひとつだと思います。

避けたり、逃げたりばかりではどこへ行き果ててしまうかわからない。我慢ばかりでは

やはり心の病気になります。 逃げていても病気になります。 心が通うことを避けてばかり

では生きられないのです。 「いいコミュニケーション」は長くは続かない・・・・・どちらかが

妥協して迎合していかない限りです。   少々ぶつかってもつながりを絶たないことが

本当のおつきあいです。  いわば、ぶつかってからが「始まり」なんですね。次のステップへの

始まりです。 昔は友達と喧嘩しましたが、そのままずうっと喧嘩したままの関係はほとんどない。

しいていえば、ライバルのような人同士は切磋琢磨しながらながく闘うこともありました。実は

これが一番の理想です。  お互いが争っているようで、実は闘いながら負けまいと伸びていく

できればそれが理想です。でもなかなか、そういう関係は見当たりませんね^^  


   * ブログの著作権は守っています。 勝手に転写引用お断りします。 

 一度も恋愛経験のない者が、いきなり結婚詐欺に出会ったらどうなるだろう。

後世はどんな人生になるだろうと考えてみたい。 これはあくまで喩えである。

しかし、あり得ることなのだ。 何故なら結婚詐欺師はあえて恋愛経験の希薄な人間を嗅ぎ分ける。

そして、愛情に欠如した人間も嗅ぎ分けるのだ。  いささか物騒なお話になりますが、

レイプ事件の裁判なども、立証されずに提訴してもぼろぼろになるケースはある。

 人を適度に信じられない人生は不幸だと思う。  人に虐げられた職場でもずっと耐えるのは

不幸である。  私はそこで、同じような立場でも虐げられない人間もいることに目を向けた。

 経営者の都合のいいように扱われない人間が必ずいる。 それでいて経営者から切り捨ても

されず、あるポジィションで生き延びる人である。 以前、ある会社で働く二人の社員と話した。

彼らは、後に資格者となり、事業を開くことになったのだが、二人で会社に遅れそうになったという。

ある朝のことである。   「もう遅れることはわかっている」と悠然としていた。 そして彼らは

どうしたか?   公園だかトイレだかで頭から水を浴びた。会社の手前、数メートルから猛ダッシュで

走りこみ、汗まみれで上司に謝ったそうなのである。(上司は汗まみれで走ってきて謝られたので

許すしかなかったようです。)  そうやって知恵を使って世の中をのしていく人がいる。

 片や、遅刻を大真面目に受け止め、まともに上司の怒りを受けて後々まで響く人間もある。

でも世の中はそんなに甘くはない。 汗まみれで一芝居打った彼らも、日ごろの行動を見られていて

「これはまんまと一芝居食わされた」とバレていたかもしれない。でも彼らにとって強みは

要するに「人にどう見られても構わない」ことである。一方は「人に嫌われては困る」タイプである。

これくらいのしたたかさでなければ時代は生きていけないかもしれない。  のびのびとやることが

大切だと思う。   私のいうことは「身体は拘束されていなくても精神的に拘束されている」ことの

危険性である。   大きな力が圧倒的な力を持つ場の競争を英国の1800年代のJ・S・ミルという

研究者も否定している。  緊急時の支援は必要だけれど先を見通すなら必要なのは「自立」であると

ある経済学者も言っていた。  それにむけての支援であるということだ。とりとめのない話になったけれど

震災の支援は、物資や義援金を越えて「自立」にむけての援助となっていくのがいい。

 「いつか離れる日」を想定しての支援である。   

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