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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず・・・・といいますが 

人は人の下に人を作りたがる、人の上に人を置きたがる生き物です。

世の中は ほぼ 不公平で たいていは人の上に立ちたがり人の下に

入りたがるようです。  私は 人に むやみに謙らず だけど健気に生きたいと

思っていますが、誤解も多い。   だけど 金融機関とのやり取りは 疲れはてます。

「そんなものは素人だ」と 鼻で笑われる人はそれで(’-’*)いい。

事業の底からは、金融機関との関わりが避けられないんです。 破産をしないので

当然なのですが。  今まで関わったうち (心底はともかく) 対応が一番悪くないのは

なんとカード関係なのです。  銀行や その代位弁済をされた 保証会社などは

まだ返済中にもかかわらず、扱いのひどいところもあります。 世間にはここまで返済をしようと

する人や店は いないようで ( ´∀`) 破産のペナルティを負っているのと同格であったりします。

「少額ですがついこの間まで返済をしていましたし、これからもしていきます。」と言っても

ここまでくると、法律家が 唯一の選択肢をいうように破産してしまうことが多いんでしょうか。

こちらの言い分を言えば 破産費用があれば 返済しよう・・・・なんだけど(・∀・)以前、廃業に追い込まれた

とき、そう三年~三年半くらい前でしょうか。お金はなくなり

借入をしないといけなくなったので、借りたことのないカードを主人が使ってみました。

2~3社を回してみたようで、返済は駆け足でひどくなり、追いつかなくなりました(’-’*) 

淡々ということではもちろんありませんが、ついぞ数年前のことです。 当然ですが 電話が立て続けに

かかってきて生真面目なつれあいは 追い込まれました。 生真面目なので抱え込みますし

プライドもあるので泣き言はいいません。 男なので 泣く(´;ω;`)ことはもっとできない。

私も初めてなので どうしようかと思いました。  世の中の借金地獄で自殺する人のことを

目の当たりにしました。  あっという間にそういうことになるんだと思いました。   考えてとりあえず

携帯電話を 私の電話と取り替えました。 そして つれあいの気持ちを味わってみました。

繰り返しいいますが・・・・淡々ということではありません。 感受性は強いので私も追い詰められ

ました。  ある日に集中してかかる電話は 始め強気で対応しましたが やはり疲れてしまいました。

そのうちに・・・・・電話番号を見たりフリーダイヤルを見ると もうその種の電話だと思ってしまいました。

多分、世の中の多くはそうなるような気がします。 頭も麻痺してきます。 自棄を起こす人の

気持ちもわかります。  ですが、ふと我に返りました。  そして かかってきた 電話を 自分が

ポジティブな時にかけなおしてみました。  すると 意外なことがわかりました。  (続)

 * 著作権は放棄していません。 コピーや引用はお断りします。

  

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 集中的に お手紙や返事や原稿に 取り組んだからでしょうか?

右手は 腱鞘炎で痛みが続き、左手は震え(笑)  腹痛に脱水と 夏場の不調に

見舞われました。 つれあいは、店と自宅を三往復して 周囲が心配するので一応、

久しぶりに病院に行ってみました。 (点滴は効かず、薬も出せず勿体ない医療費でした)

 週末に少し落ち着き、 県南の仕事をこなし、 日曜日 かねてより申し込んでいた無料の

チューナーが送られてきたので、大家さんの御好意で 地デジのアンテナ工事をしていただき

ました。  テレビまでは買えないので 非課税世帯の無料チューナーを申し込んでいたのでした。

危うく、テレビが箱になるとこでした。 でも 古いテレビはどのみち、もうすぐ 寿命です。 

高いハードルは越えず、無料チューナーで、大家さんの好意のアンテナでぎりぎりですが

とにかくテレビは一台、つながりました。  とても(*´∀`*)嬉しいです。  すぐに、買い替えの

できるお宅とは違い、 やっとつないだ 幸福感です。   ちょっとは家らしくなるかしら・・・・・

 久しぶりに息子が 家に帰ってきました。   ちょうど、残りものと春雨で 自家製の春巻きを

作ってあったので、短い時間でしたが 春巻き、味噌汁、豆腐のサラダ、干物で食卓を楽しみました。

家出同然に出て行った息子でしたが、二年以上たって、やっと自分から 歩みよってくれました。

ほんとうに、短い時間を 家族ですごし、息子は部屋へと帰っていきました。 洗濯があるそうです。

以前はたくさんの、私たちの仲間が集まる 自宅でした。  場所は変わっても 必ず人が集まる家でした。

子供たちはそんな 中で 仕事で戦う 私たちを見てきたので やはり・・・・弱くても 闘いを選択して

生きています。 あ~ もっと 逃げればいいのに~  (;´Д`) でも また(o・・o)/~ 闘う仲間が

集まればいいなと思っています。  本来の家の姿です。貧しくても 生きる。 生き延びる姿。

木村さんの りんごの木の 物語から私が得た こたえ。  それは「きれいなものやいいものばかりを

集めては土は育たない」  ということです。  自分を浄化させた今、 少しずつ 今まで自分にとっての

苦手な人やトラブルの人、 遠ざけてきた人、 嫌ってきた人や環境を 自分の畑に 混ぜていく。

ということです。  自分の畑に 仕事場に 雑草をわざわざ肥やしていくということ。 そう 心がけて

動き出してから 身体が楽になりました。  今まで敵やライバルだったものを 少しずつ混ぜていく

それが 畑を育て、木を育てる。   そして 他所にない いい実りが生まれる。  と気づいたのです。


     * ブログの引用、転写はお断りいたします。

 何度か書きかけて、記事にできずに今日まできました。

「法的拘束力」を持って かかってきますから(法に逆らうのがこちらということに

なります。)   経験のない世界ですから、極端をいえば何が起こるかわからないので

たいていの人は ここで逃げ出します。(破産などに追い込まれても安心したいから)

でも、逃げてもペナルティはつくし、それで楽であるはずはないと思います。それに

そんなお金があれば・・・・それだけでも支払いに使いたいと思う。要はお金もない・・・・

そんな人は 通帳を差押えられたまま、どうしてこの先生きていくのだろうと思う。

 私たち、いったい何回、殺されているんだろう(笑) 不況で自殺も絶えない世の中のせいか

こんなことをする相手もあまりないようです。(弁護士談)この先は余程の憎しみか何かだと。

そういえば・・・・ひと月ほど前、実家のご近所がまた騒いでいると連絡があったかな。

 そんな世界にばかり引きこもってはいけないといろんな方面から元気や勇気をいただいたのは

救いでした。  ありがとうございます。 そして、私はお店を主人から引継ぎ、オーナーとなり

営業をすることにしました。  自らの問題解決と共に歩む「風の吹く丘」です。  この小さな

オフィスのことは以前にも記事にしました。  「問題は自分の目の前にある」そう教えてくださった

フェアトレードの先人の言葉で「まず、自分の問題を明示し、自分が何者かを鮮明に生きる」ことに

しました。  今、置かれている立場や状況を話さず、人と迎合して生きるのはもう嫌なので

嘘のない人生であるように最初に話すようにしていきました。 驚く人もいるし、携帯メールで返事の

来ない人もいます。  同情は好まないので、ざっくり話し、そのリスクを承知で付き合える関係を

つないでいきます。  まず、傷を見せる。 その傷を 好きになってくれる人、または、気にならない人

そういう人間関係を築いていきます。 まさにフェアトレードです。 障害のある立場からの歩みです。

途上国の傷のある製品と同じです。 その傷に風合いを感じてくれる人、にじみ出る味を感じてくれる人

とのつきあいです。  お店にそんな表示はしていませんが、何故か訪れる人が 駆け込み寺のように

来てくれる人が増えました。 そして元気な人も きてくれるようになりました。 お店の商品ではなく

つながりのためにきてくれる。  あるいは呼んでくださることが増えました。 そんな中、奇しくも

裁判所からの連絡と同じ日、一人の経営者が亡くなりました。  それは、お世辞にもお世話になったと

は言えない人でした。 側近で仕事をしてきて 8年のうちの7年は虐められたのでした。

 自分のポジションを少しでも高くして、近い将来、もう一度向き合おうと思っていたのでした。

あっけなく、この世を去ってしまわれました。 ある日、私はその人に別室に呼ばれ「あんたにはもう、何も

いう事がない。一つとして文句が浮かばない。このままずっとここで働いてほしい」  と言われました。

私は「いえいえ、今はないだけで、また言うことがでてきますよ。私は完璧ではないので」といい、その一年後

辞めました。 別にしがみつく仕事ではなかったけれど、権力のある人が言いたいことを言わず

虐めたり、嵌めたりするのが気にいらなくて闘ってしまったのでした。 自分よりずっと長生きするはずの

人でした。 私は、人の命に限りがあることを改めて思い知らされました。この世の出来事は

うたかたの夢・・・・・あっという間に終わってしまう。 できることは 後世に何かを残すこと。

かき分けて歩いた道を 子供たちに後輩に 生きる標を残すこと。   もうその年代であること。

 この先、何があろうと、また傷つき殺されながら (*´∀`*) 鮮明に生きることにしました。

そして、これからも、できるだけ目をそらさず書き伝えることにしました。  記事にするだけでは

私もどこか「遠吠え的」なのでちゃんと向き合うべきことにも向き合うことにしました。 

   
  * ブログの引用、転写はお断りいたします。 (著作権を主張いたします)
   

青森の無農薬りんごで、有名になった木村さんの長年の闘いに

何かを学ぼうと思いました。 法律は時々、治癒力を培った畑に

一気に農薬を散布することがあります。 「法律」は犯していないと

農薬の散布です。  するとどうなるか・・・・・努力が水の泡と.。o○ ○o。.なる。

 自殺を決めた木村さんは夏の夜、岩木山をどんどん奥まって登ります。

納屋からロープを持って、適当な木を見つけて死のうとなさいました。

その夜中の見上げた木々に つやつやとした葉っぱの生き活きとしたどんぐりの

木を見つけます。  ロープをかけそこね、その木と森のふかふかの土を見て

彼は 死ぬのを忘れて思いを巡らせ、一気に山をかけ降りて自分のりんご畑に向かい

ました。    木村さんのこの、死に直面したときの紙一重からの生き方は何なのか。

彼は何に気づいたのか?  自分が今見るどんぐりの木と土は何に置き換えたらいいのか。

降り続く雨の夜、  辛そうな家族の寝息を聞きながら思いつめてみました。 そうバカになって。

 ここ数年の法廷や、みなが逃げ道に使う破産は、私たちにとって農薬散布のようなものだ。

解決は一見、早いかもしれない。  ガン治療でいえば、手術や抗ガン剤の治療のようなもの。

でも、根本治療にはなっていない。 それどころか身体も心も尚更、病めるのではないか。

 差押えの農薬が、あちこちの金融機関に撒かれた。 これにより、何年も少額返済を 受けながら

続けていたことも一気に水の泡となる。  自身は財産などはないけれど、 高齢の保証人は

年金を凍結されてしまった。 これには、周囲も参っていた。  遅いと思うかもしれないけれど

経験のないことだから、だいたいそういうものじゃないだろうか。 普段から年金を管理するのは

本人なので 「何か起こる前から」 通帳を取り上げるわけにはいかない。 だいたい、顧問の

弁護士さんもおらず、日々は生きて仕事するだけでいっぱいいっぱいなのだ・・・・・・

 会社が勝手に動いて、自分は 問題に専念できるという立場じゃないんだ。 当の弁護士さんは

何か起こるまで おいておこう・・・・と言われる。  通常は知らないが、農薬散布にも・・・・・

声くらいかけるんじゃないかと私は思う。(そりゃ、声などかけたら財産を抜き取る人ばかりだろうが)

そうではなくて、払う払えないではなく「どうしますか」という声をかけるのは普通だと関わった弁護士さん

は言われた。  その世界を私たちは知らない。 差押えがどんなものなのかも実際は知らない。

ただ・・・・・世間は恐れるものらしい。だとしたら私たちも同じだ。 裁判所からの書類など怖くて

見たくもない。  これだけで死ぬ人もいるんじゃないか。 自宅と奈良近辺の金融機関に分配金が

かかれている。 通帳などない機関でも網を張ることできるのかなあ・・・・・人ごとのように冷静な

主人を見てちょっとだけ落ち着いた。 でもひと事ではないはずだ。彼はそう思うことで辛うじて

生きているんだ・・・・そうだね、そう思うことで辛うじて生きよう。   ただし、影響は大きい。

  実家の父母や田舎も巻き込んでしまう。  それが辛いようだった・・・・・・

記事に書くまで十日くらいかかった。  書くのはよそうかとも思った。  へらへらと笑っていて

書かずにいようかとも思った。  でも、自分のミッションではないか・・・・・客足がぴたりと止まった。

軒下のつばめも逃げていた。  取り込み中には みな遠ざかるというわけか・・・・しかたない。

それにしても、自然はよく知っているものだ。  語らずとも、なんだかわかるのだろうか・・・・

そんなことを言っている場合ではない(_Д_)   でも・・・・しようがない、木村さんみたくバカになろう。

生きているか、死んでしまうかはわからないけれど、バカになろう。  それにしても

こんなふうに、とこトンまで来たのは初めてだ。  自分はこういう人間なのか・・・・・


     * ブログの転写、引用はかたくお断りいたします。 私の人生の著作権は私。

 

                                             

                        
 


 弱者が全部、守られて当然とは思いません。

 自分が全部、正しいとは思いません。

 だけど、強者の「GO!」は弱者の人生をひっくり返します。

 弱者の一声は、か細くこだまするだけです。

  そういう意味で弱者と強者は立場が違います。

だから、少しずつ積み上げて、足場をかためました。

砂山を大事に作り、また人生を築いていました。

波はまた、  その山を押し流しました。  強者の、一波が砂山の

努力を押し流しました。  「世の中はそんなもの」かもしれません。

 それなら、弱者は死ぬまでうかばれない。 それが正しい法律の世界と

いいます。  強者は自分がしたことを償うことはありません。

そういう意味で 弱者と強者という言葉を使いました。  弱者は

泣いてばかりいたくない。 声をちゃんとあげていく。 ポジションを少しでも

あげていく。  それがミッションです。 人に助けてもらうことではなく

声をあげていくこと。 嫌なものは嫌と。違うものはノウと。怖いものは怖いと。

help・・・・・声をあげていくこと。  それが役目です。  何ども人生に絶望します。

 返済をしていても、大きな波が呑んでしまう。 せっかくの努力が水の泡です。

「返したい」ものを返させてくれない。  だからみんな、とりあえず早く逃げるんです。

でも中には逃げた理由のわからない人も多いんでは? わけもわからず法律家や世間の

勧めのまま逃げてしまえば事は終わるかもしれない。でも、ペナルティはつきます。

「もう終わったとすればこれからなのだ」   まど みちおさんの詩にありました。

  絶望の中にいて とにかく私を支えたのは 人々からの激励の手紙でした・・・・・

「必ず(行く末を)見てますから」  というお手紙でした。  ありがとうございます。

そして、ブログおやすみしていてごめんなさい。    ぼちぼち 何とかいきます。

(o・・o)/~  ふふ  (*´∀`*)  暗くてごめんね~m(_ _)m                



                                                   ゆめ