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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 今日は、久しぶりとなった吉野地方の和食研の出来事と交流を書こうと思ったのですが

以前、ブログで話題となった幼馴染のみいちゃんが、突然実家のある御所から訪ねてきたので

急遽、記事を変更します。  みいちゃんは、実家の隣町の公務員でした。

 「あれ?みいちゃん、今日はお休み?」 「ううん、やめてん!(さっぱり)」

病院の医局勤務を何十年も続けてきたみいちゃんは、定年を待たず、後の人生を思って辞めたんだそうです。

昨今の不景気から公務員への風当たりは強いとは思っていましたが、いまどきは夜の10時11時は

当然のようでした。 昨年、朝、犬の散歩に出るとき、ばったりと倒れ意識不明に・・・・・・

 その後、何とか回復したものの、すぐに復帰せねばならず、もう身体もついていかなくなったということ。

背中押されるように、仲間が早期退職をし、定年まで勤めても、後に病気で亡くなったり医療費に

退職金をつぎ込むなど「さあ、これから~」と思ったときに、追い討ちがかかる人をたくさん見て考えを

変えたのだといいます。  「正解だよ・・・・みいちゃん」 みいちゃんはまるで、水を得た魚のよう・・・・・

鳥かごから放たれた小鳥のように、開放感に満ちた明るい顔です。 

  そして、先に辞めた友人を訪ねて北海道の富良野へ行ったこと。 関西弁でのびのび生きる

友達に影響を受けた話。   故郷の実家の父母のこと、物心ついたときからのみいちゃんとの日々。

・・・・・人生なんて、あっという間・・・・・・つくづく思います。 生まれて20年くらいは、長い年月の

感がありましたが、その後は年々早くなりました。 ここ十年はとくに、苦しいことも「夢のよう」です。

一年一年もこれまた早い。どうしてなんでしょう?  日本が加速を止めないこと・・・・・も一因なのでは。

加速をしなければならないことが遅く、 ゆっくり進まなければならないことにアクセルを踏んでいる。

  みいちゃんは方向音痴・・・・(長いつきあいで初めて知る) 無人駅から家へ帰りかたが解らない^^

一時間に二本しかない万葉まほろば線のホームで見送り、みいちゃんは帰っていきました。

ああ・・・・・時が流れに流れたなあ・・・・・みいちゃんは「第二の人生」、期待に胸が膨らんでいた。

私たちもそうだったなあ。  生き生きとがんばろうとしていた。  随分転んだけれど何とか起きよう。

また土を払い、問題を解決しながら最後まで生きよう・・・・・少しだけ元気をもらいました。

 みいちゃん、ありがと。


   *  ブログの転写、引用はお断りいたします。
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 みんなに優しい人だった  いつも笑顔の人だった  辛さを言わない人だった・・・・・

そう言われる立派な人生を歩んで終わる人がいる。  そういう人には拍手を送りたい。

でも 「そんな人間でなくていいから生きていろ」 そう言われているようなここ数年でした。

「立派でなくてもいい、プライドなんか捨てていいから、死ぬな」 そう言われているようでした。

何かをまだ伝えて行かなければいけない。 経験から世の中に道しるべを残さなければ・・・・・

 JRの福知山線の脱線事故から6年が経ったといいます。 そして裁判がやっと始まるのだといいます。

ラジオのキャスターが話していました。「JR西日本は未だに会社の実態を隠している」 すかさず

アシスタントが応えます。「何を今ごろ隠す必要があるんでしょうね」・・・・・そりゃあ、・・・・隠すでしょう。

と私は思う。  不利な材料をぺらぺらと並べ、原因の真相を残らず語るなら裁判は要りません。

 あれだけの人が犠牲になっていても、裁判は弁護人もいて、できれば罪が軽い結果を目指すことが

法廷です。  法廷に限っていうならば「法廷力」は持っているはずです。 あるとき、めちゃめちゃに

荒らされた精神世界からの歩みに、必ず心は叫びました。  「心を置き去りにしてはいけない」

 福島の警戒区域に取り残された家畜を殺処分するという・・・・え?   「心を置き去りにしてはいけない」

私はそう声をあげます。 黙って耐える人々の心をもう一度、地震でぺしゃんこにするようなものである。

「しょうがない」「だったらどうするの?」と聞かれても、もちろん答えはないけれど。 人々は言いたいのだ。

「原発は危険だと、ずっと言っていただろう」「安全神話を誇張していたのは、誰なのか」 その雄弁をふるって

いた人と家畜の処分をいう人が、同じコートの人なのだ。  その時々で「好きなことを言っている」からです。

こういう理不尽なことに耐えながら生きているプロセスに、声をあげていく人が一人でも多くなければ

いくら頑張っても、日本は生まれ変われないと思います。 何故なら、やり直そうとする心が何度も

折られていくからです。  同じ日本人によって・・・・・・ その後、人々はどうなるのか?

 人生はそんなに長くない。 避難区域に10年入れないとして 10歳歳をとったのち、もう一度戻って

暮らしを作れというのか? 人の寿命は知れているし、年々弱っていくのです。 物理的にも不可能です。

もう少し、巾のある、深みのある考え方ができないものなのか? 人の心を置き去りにして、次の問題が

見え見えではないのかな・・・・・もしもこのまま進むなら確実に、精神世界の病は増え続け、最終的に

人口のほとんどが、その種類の病気になってしまいます。心と身体はつながっているので、身体も

弱る人が増える。 それは、お金の問題よりももっと深刻だと思う。 新品を何枚かもらうより、心通う人から

の古着が、心を温めることもあろうと思うのです。 私がその地で生きていくなら、そうやって自分に

肥しを与えながらしか生きていけないと思うのです。


        *  ブログの著作権は放棄していません。

             引用、転写すべてお断りいたします。  


同じ日の朝、同じようなことを考える人がいるようです。

夜明けに目が覚めて、「この世には三種の人間がいるよな」

ふとそう思いました。 何気の朝のテレビの中で、同じことを

言っていて奇遇でした。 「遠くへと行く人」「運命を受け入れて同じところで

生きる人」   の二種類に「どちらでもない人」がいると。

 同じだな・・・・私はどちらでもないな。  実はこの「どちらでもない人」は

結構、数奇な大変な人生を歩む人だと私は思いました。

 前者の二つが明快に選んだ生き方に対して「どちらでもない」

は、「運命も受け入れて遠くへも行き同じところにも生きる」ということ

ですべてを否定しない人生を歩く重さを感じました。 でも、その分

世の中のことや、人の哀しみや傷み、あらゆることを感じて受け入れて

生きる。  いつしか、この先のことまでよくわかるようになる。

 私に至っては「ああしよう」「こうしよう」ではなく、次のすることが

勝手に舞い降りてくるというような生き方になります。

あるいは引き止める声も力もかかりますが、自然に逆らわず行動します。

それが逆方向でいったん悪化したように見えても、実はその悪化の

プロセスが次への道への通過点であるというような生き方です。

 同じような生き方の人がいれば、これは苦労の多い人生だと

明言できます。 でも不幸とは違う。 ・・・・もうひとつ、好きな茨木のり子さんの

エッセイにあった一文、「本当に教育の名に値するものがあるとすれば、それは

自分で自分を教育できたときではないかしら」と。 これにも共鳴です。

受容的ではなくもっと能動的なもの、自分の中に一人、厳しい教師を育てえた時

だと。  私はこれを「何者でもない自分」が厳しい教師を作り、運命を受け入れて

時には遠く時には近く人生を歩むということに専念する・・・・私自身の生き方と

しようと思いました。   それは他人を否定しないことではなく、自分を曲げない部分に

おいて自他に厳しくという意味で。  この自分に深く染みとおる生き方は、やがて

人の苦しみもそれらの傷みも受け入れて、災害のような長い長い深い道も生き抜く

力になればいいなと願っています。   生き方を受け入れたら、迷いはなくなります。

どちらにしようか・・・・はなくなります。 目の前の道を歩くことになり、かたまります。

 何者でもない生き方は、何にでもなる生き方です。 不幸にさいなまれた人もどのタイプ

と決めず、柔軟に「何者でもない」と解放できたらいいなと思います。


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        転写、引用、乱用お断りいたします。

 好きな作家さんが、人生最後の小説・・・・というので、取り寄せて読んでみました。

概要は省きますが、そこに京都の六波羅蜜寺におわします、木像の空也上人像があります。

口から六体の「阿弥陀仏」が点々と出ている像ですが、実際にはまだ見たことはありません。でも

この空也上人像のお顔、まっすぐ見るのとしゃがんで仰ぎ見るとは違うようなのです。

「どこが?」    ひとことで言えば「目」だという・・・・その目が人を「見透かしている」というのです。

 人は、ほとんど不可抗力のようにでも偶然何かをしでかしてしまうことがある。

「意識的な悪事」とはいえなくても 偶然犯してしまうことでもいいんですが・・・・ 例えば

人にケガを負わせて、たまたま誰もいないときで本能的に逃げてしまったとします。    そう、

ひき逃げのようなことでもです。    あるいは痴呆の介護のおばあさんをケガさせたというようなこと

でも。  人はたまたま、誰も見ていないと逃げたりごまかしたりするようなところがあるかもしれない。

 そして、自分の責任は問われなかった・・・・というようなとき。  忘れてしまおうとするかもしれない。

それでも意識の中にその記憶がある・・・・そして、この木像の目にあったときなど、ふいに蓋をした

過去などが甦ってくるというようなお話なんですが。  私は「だからこそ人なんだ」と思いたい気持ちが

あります。   以前パートに入ってくれていた初老のおばちゃんが今日、寄ってくれました。

 介護のお母さんが入院中、二度も骨折されて、院内ではみな責任逃れをされるということも今日ききました。

たしかに、仕事はきついのでしょう。 でも、・・・・・        私は今、人の潜在的な意識の中に必ず

自分のこれまでの行いがあると信じています。 長い年月、たわいない嘘もつくこともあるかもしれません。

 だけど、人の命にかかわること、人の人生をひっくり返すいつわりや、行いはもし、証拠が残されて

いなくても、ひとの潜在意識の中から消えることはないと思うのです。    以前、もういなくなられた

タレント議員さんで、犯罪行為を提訴された人がいましたが、あんな出来事も 本人と相手以外は

証拠もなく、ただしらばっくれれば済むと思われたかもしれません。  だけど最後には罪を認められ

ました。    自責の念というんでしょうか。   私は救われたなと思いました。  

 人を見抜く空也上人の目・・・・が その人を見ていたのでしょう。  大きなことでなくても、些細なこと

でも、そう感じる人もいます。 私などは高校時代プールの授業を一回さぼっただけで、ずっと抜けない

後ろめたさがありました。 最近、そのたわいなさが、本当に感じられるようになったのでした。

 もし・・・・・私がそんなふうに人の隠された一面を知っていたらどうだろう。 そしてそのために

自分や自分の家族が犠牲になっていたとしたらどうだろう。  そして知らぬ存ぜんで、こちらに

濡れ衣をきせていたらどうだろう。   事実を暴くよりも「空也上人の目」で向き合うしかないのでは

ないだろうか。  ただ、濡れ衣をきて犠牲になる人生にはできないとしたら、・・・・・・

 人が、「やはり人であった」と信じることができるまで、向き合うしかないのではないか・・・・・・

散り初めた今年の桜を見つつ、そう思う私でした。


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以前、電話で何度か応援をいただいた盛岡在住の知人からの被災地の情報を見ました。

主に石巻の情報でした。それは、テレビなどではなぜか報道されない、治安や衛生・・・・

放射性物質の飛散は東北地方も深刻であること。 進入した窃盗団のこと、町を守ろうと

自警団を作るも全員、被災者のためどうにも動かないこと、そして避難所以外の自宅被災者に

救援が届かないこと、 ヘドロや埃の中の遺体の収容の困難さ、 ・・・・・ 体調を崩す人々など

実に「がんばろう」ではできない現実が伝えられているのでした。  そうだろう・・・・

 こんな災害のなか、「ひとつになる」どころか窃盗団が多くいる・・・・・同じ日本の辛い現実です。

また、支援されることでかえって辛いこともあるでしょう。 そう、がんばることを休めない。

身体も心もくたくたで、少し休養が必要な人もそろそろいるでしょう。 でも応援支援を裏切るようで

休めない。  真面目な人はとくにです。    どうか・・・・少し息をぬきましょう。 長い旅路です。

まだ、地震も毎日、おさまり様もなく続いています。  たまには「なるようになる」と過ごさないと

身体がもちません。   いろんな病気も誘発されます。   

 私のつたない経験では・・・・支援はとてもありがたい。でも、追われて自分を失うことが結局は

苦しみにつながります。  自分視線を失わない。  ながく、続いていくために。

支援に感謝しつつも、自分の速度を失わない。 くたびれることを許すということです。

 やがて、それぞれが思いもかけず心の病を迎えることもあります。  それはPTSDを引き起こす

ことにもなります。  その怖さは、世間が忘れたころにやってきたりする。  長期間続いたり

繰り返しフラッシュバックされることも多いです。  心に間違いなく傷を受けていることを自覚すべきです。

 がんばろうで済まない現実がそこにあります。  だからこそ、花見をする人はすればいいんです。

自粛がすぎると、自粛、されているほうも生き辛くなります。 日常に少しだけ祈るような気持ち、

北国を思う気持ち、明日は自分たちかもしれない気持ち、を組み込んで生きればいい・・・・と

私はそう思っています。   岩手には10年以上文通した友人、宮城志津川にも友人がいました。

 何気に名前をさがす時もあります。  そして盛岡の人は、とにかく現状を真実を伝えてくれました。

これが日本なのです。 いろんな人がいる地震王国なのです。  私たちの国なのです。

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        転写、引用お断りします。