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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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まあるさんの手作りのブログ、楽しんでくださいましたか?  う~ん・・・・ようできてるなあ^^

くうちゃんも可愛いし、夢りんごもかわいいし(笑) 店内もうまく紹介してくれて、楽しいブログやった・・・・

(え?人のふんどしで相撲とるなって? まあまあ、よろしいやんか・・・・春場所もないことやし)

さて、シリーズの終盤に入ります。 最近の出来事とこの間の旅で私が「はっ!!」とわかったこと。

それは、日本がほとんど加速病に侵されていて、その流れが速く大きく、たいていは長いものに巻かれて

流れていく。   そして、遅れていくものを置き去りに走っていくために、おこるトラブルがほとんどだと

いうことです。  走っているとその勢いで、自分のしていることが見えません。 そして大抵の責任は遅れた

もの、乗り遅れたもの、止まって考えているものに押し寄せてきます。 遅れていても判断は正しい。

しかし、加速病はその良し悪しの判断さえ許しません。   そればかりか、どんどん勢いを増して責任を

押し付けていきます。  たった一日の旅でした。   でも、ひとつ乗り間違えたことで、その責任が

すべて自分達にかかりました。 それならば、かまうことはない。 お流れに任せてスルーもできました。

でもどこかに「本性が違うといっている」。  そんなことを言っている間にどんどん流される。

「申し出」をしたら、もっと色めがねで見られて追い込まれる。   実は、これが問題です。

加速人間とマイペース型とがうまくやれないのは、遅れた人にはどんどん負い目と責任がかぶさる。

これでもかと押し寄せる。   あきらかに「アンフェア」な国である。   世の中に格差は必要という。

だけど、限度があるのです。 そして「格差肯定」にはある鉄則がないといけない。それは、

恵まれたものは、あるポジションから見下ろすのではなく、できる支援を惜しみなくし、頭も下げ

社会に返していくという鉄則です。    日本は、富裕層が「まだ足りない」とその畑をふくらませ

貧困層は、我慢にがまんを重ねても満たされず、追いやられ、蹴られ、踏まれる。「踏まれても」の健気な

人間は死ぬまで叩かれる。  昭和の時代は少なくともそうではなかった。 嵌めるものも嵌められるものも

いたけれど、こんなひどい時代ではなかった。  努力はまあまあ報われた。 誰かが手を伸べることも

あった。  ひとりがひとりを救える時代でした。  これでは、人の精神世界はこなごなです。

 「癒し」は必要ですが、「こわくて、その中から出られない」状態。  そして、具合の悪いことに

加速病の病人はそのことに気づいていない。  なぜなら走ることをとめられないから。 止まると大事故に

なるからです。   主人は以前、ブログに清見村で犬を供養させてもらった記事を書きました。

 それが法廷に引っ張り出されたことがあります。(皆さんは安心してくださいね。管理人が守ります。)

身体と心を壊し、犬のなきがらを供養させていただいたこと。 家族は重症の心身症でした。

だけど、ブログではそれを胸に秘め、でかけました。   加速で走る強きものには、それがゆるゆると

遊んでいるとしか見えないのです。  本当の哀しさや苦しさがわからない。 だから、叩いてもっと傷めていく。

 つまり、怒りや苦しさを表現していかないと通じない。   表現したらしたで、あの手この手で叩いてくる。

つまり  「なんとしても滅ぼそうとする」  意識的かどうか別として、直情的で容赦ない攻撃は加速病としか

いいようがありません。   旅のなかで私達は「脳内経路」をすべて行動していきました。  人から見れば

お気楽に見えるでしょうし、海岸を歩く姿だけでも「うらやましい夫婦」に見えないことはない。

  心のもやもやや葛藤は見えないから。  コメントの中に「自分なら夫婦喧嘩でえらい旅になる」という人も

いましたが、当然ですね。  たったひとつ、違うのは「不条理を社会に出して解決する」ということでしょうか。

「問題が起きた場所を舞台に解決する」  これが私の学んだことです。 自分に閉じ込めた解決は心身を

壊したままになります。(引きこもり) 夫婦だと夫婦喧嘩になる。(内乱、家庭不和)  勇気を出して、舞台に

関係者を引き出していく。 これが「問題が起きた場所を舞台に解決する」ことで、自分の弱きところもさらけ出

す必要がありますが、その分「フェア」な解決を得ることができる。 心と身体が雨晴海岸です^^

 このときの、行動のひとつとして「加速病を止める」ことが必要です。 簡単には止まらない大きな流れです。

舞台の人に少し転んでもらう。 もしくは全体を見渡せるそれなりの立場の人に対応してもらう。

遅れた人を走らせて解決はできません。 走る人間が少し止まって話す努力が大切です。これは代理の人

ではできません。とっくにバブルも壊れて、凍れる時代なのに、いつまでも走って成功するはずはありません。

「いつまで同じことをしているんだ」・・・・・私はそう思います。   止まって話しましょう。 解決して歩きましょう

。   これが願いです。   もう少し続きます。  (とびとびに^^)

* まあるさん、ベリーさんはじめ数人のかたから、コメントがはじけるとご連絡がありました。

   原因はわかりませんが、もう少し調べてみます。  ご迷惑かけてすみません。


  * ブログの引用転写は、まじでお断りいたします。             (続)


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車が出せず困りました^^   ちゃんちゃんこのまま人の歩かない道を歩いて

急な坂道の積雪を見にいきました。  「うわあ・・・・これは登れんわあ」  休日でもあり雪に慣れない

奈良人は、ほとんど車に乗らずチェーンを巻いたバスが県道を走っていきました。

 どないするかなあ。   普通タイヤの軽自動車で、県道までが出れません。  電車にするか迷いながら

結局、雪の小止みを縫って奈良についたのはお昼過ぎでした。

 昨日の出来事と、CDの曲が甦ります。   昨日の夕方のできごと・・・・・電話が鳴り

「はい、ポエム村です」 ・・・・「県庁にいるんですけれど、・・・・・」聞き覚えのある名前です。

「え?」       和歌山のながいお付き合いのまあるさんでした。 「え?ええっ!来てくれはったん?」

「お店の近くを通ったんだけど、どういけばいいですか?」「あ・・・・ああ、今県庁ですか?」

「はい、突然すみません。お店開いていますか?」「あ、あ、はい・・・・いえ!閉めます!」「??」

「開いてますが、恥ずかしいから閉店します!」(爆)なんつうことを・・・・「え?いや閉めないでください!」

 驚きでとんでもないことを言ってしまいました^^ お店なのでもちろん訪問はありがたいけれど、まさか

今日お見えになるとは・・・・・「ど、ど、どうしよう!」わけもなく鏡を探して覗きトレードマークのベレー帽を

被りなおしたわたくしでした(笑)    まあるさんは、セラピー犬「クッキー」と一緒に車で来られました。

「こんな可愛いトイプードル見たことないわ!」  ふかふかのぽちゃぽちゃのわんこです。

 「バレンタインのチョコレートをいただきにきました」 まあるさんは今までチョコレートをお身内以外に

プレゼントしたことないけど今年は「お礼をいいたい人が一杯いてチョコレートを渡そう」と思っていた矢先

うちからのチョコレートの案内が届いたそうです。 「神様のお告げ」(笑)  そういう受け止め方は私と同じ。

 「騒々しいブログですみません・・・・でも、やっと会えましたね!」 そうまさに「時」が来たのでした。

くうちゃんはお店に入ると少し警戒気味でしたが、すぐに慣れました。 ほんとうに、もこもこです。

懐かしい犬の「温み」が伝わってきました。    実は三日ほど前、私とつれあいは亡き愛犬の夢を見ました。

なぜかな?と思っていたら、まあるさんとくうちゃんが来訪。 「わんこがくるよ」というサインでしょうか?

まあるさんは私達の愛犬の名前も出来事もよく覚えてくれていてパネルを見て「こおたくんやね」と声を

かけてくれました。 「この人、亡くなった犬の間では神様なんやよ」・・・・こおたはそう言ってるんでしょう。

  たくさんの人間のエゴで捨てていかれた犬や動物たちを救い出し、一匹残らず助けようと日々活動されて

いる姿には頭が下がります。 私達は捨てられた犬を見て「かわいそう」とは心から感じますが、自分が

何か出来るかといえば出来ないですよね。「なんてことするのか、罪のない犬たちを」と思うけれど

「じゃ、助けたら?」と言われたら何をすればいいのかわからない。 現実として、「自分は捨てない」としか

いいようがない。  彼女たちはその迷いがない。 それがとても素晴らしいんです。シンプルにまっすぐに

「この子達を助けるだけ。一匹でも多く。」  このストレートな精神が潔くて気持ちいい。 私が評価するような

ことじゃない。 心と身体が立ち直ったら自分たちも、また犬との出会いを受け入れよう。 そんな貧相な誓い

くらしかできないんです。   しばしの楽しい時間を過ごし、シンガーでもある彼女は一枚のCDを置いて

行ってくれました。   くうちゃんは 帰り際、車に乗るのを渋りました。 「もうちょっと居ようよ」そういって

いました。 ふふ! めちゃくちゃ可愛いわんこです。  このわんこは まあるさんブログで会えます。

そして、「生命」というCDに、くうちゃんは声の出演をしていますよ。   透明感のある歌が3曲。

  まっすぐな 命への歌声です。   みなさんも聞いてください。 これもまあるさんとこで(笑)

急だったけどやっと会えたつながりです。本当に嬉しかった。ありがとうございます。

  CDの3曲め、  「れんげ畑にて」より  ワンフレーズをお借りして今日の記事にいたします。


  ♪  失うことを おそれるよりも 出会えた奇跡を  感謝しよう ♪   ありがとう。

まっすぐで、いさぎよい愛のまあるさんとくうちゃん・・・・・

まあるさんのブログはこちら

  *  ブログの引用転写、お断りします。           (こんな国シリーズは次回となります)


 修羅場というと、とんでもない喧嘩のおっぱじまりを想像しますが、私のいうそれは

精神世界の糸をほぐし、本来の関係を取り戻すという意味があります。  そこに人間としての

双方の成長が付随すればなお良い。  でも相手があることなので思うとおりの解決はできませんし

できれば納得のいく解決に向かってポジティブに低い石段をあがっていけたらと思っています。

 自分達では気がつきませんでしたが、これらの経験は解決への通過点。  そうこの思いひとつひとつが

過程だと認識すれば、結びをきちんとすればよい。   漠然とそう考えていました。

こんな冷静な気持ちではいられませんでしたが、今思えば先の解決を信じて歩んでいたような気がします。

もちろん、方向はわかりませんが「思いを伝えて心を晴らす」という目標は漠然とあったように思います。

 えらいさんは二人いました。 通りいっぺんの話しのあとつれあいはまた、しっかりと語り始めました。

「思い違いで乗ったことはわかります。でも、そのまま知らん顔していくこともできるし、そんな人もいますよね」

「なぜ、わざわざ改札で申し出て厄介なことをしたのか解かりますか。」   最初は一方からの見方だった

おえらいさんは話しを聞き始めました。 いくらか話しが続き 私が話しました。

内容はまず、自分たちの乗りちがいは認めること、でもそれはめったにない夜に出て青春18切符を使い

旅をするという自分たちにとっては「夢の旅」であったこと、だから切符に対しては緩みも多少あったこと、

よくよく考えれば、そんなお得な切符ではないなあとは解かること。   次に最初の駅の対応、乗り継ぎ駅の

対応(企画切符の確認)、特急内の対応、降りた改札の対応、 昨日の夜のこと、朝の改札のこと、氷見線に

乗らなければ目的が果たせないこと、到着駅の対応(申し出てからまるで、罪人かのような執着の言葉)、

雨晴駅で途中下車、そして今・・・・・・。   切符の精算は簡単です。 でもこの一連の対応は何なのか?

と問いました。 「切符の確認は出さないお客さんもいるようです」と言われたので「でも私達はちゃんと出しまし

たよ。 窓口もそんな混んでいなかったし、二人でちゃんと確認してもらいました。」 「新入の女子社員が見落

としたんですよ。」 「女子?  いいえ男性でした。窓口は若いけれど男性でしたよ。会えばわかります。切符

に時間もあるでしょう?」 どうやら新入女子社員に濡れ衣がかかったようでした。 不思議に落ち着いて話し

ができました。  「私達は旅を汚したくなくて申し出をしたんです。」・・・・・・雨晴の風景が脳裏に浮かびました

。  「富山湾ごしの立山連峰を見るためにここにきたんです。 その目的のために朝は時間がなくなって名刺

を預けて乗ったんです。 なのに行く先々の対応は何ですか? 主人は車窓からビールを飲むこともできなか

った。 ここにくるまで気持ちを張っていなければ酔っ払いのいちゃもんになってはいけないから。」

「帰りは特急は使えません」(・・・・・まだいうか!)「帰りには使わないですよ。もうわかっているんだから。帰り

に使うんなら申し出はしませんよ。」 「奈良までは遠いでしょう。特急で帰られたほうがいい。」

「いえいえ、18切符で帰ります。これは意地ではなく予算もないですし、そのつもりでしたから。」

どうやら、まだ帰路に特急を使うかもと疑っているようでした。  でも、自分達はシンプルでピュアな気持ち

でした。 「鈍行と快速?があれば乗れるんですね?」 静かにお話しは進みました。 そしてつれあいは

自分達の旅の時間と費用がどれだけであるか、現在の仕事とここにきたいきさつを話しました。

 「さいわい、立山連峰はきれいに見えました。雑多なことや厄介な事件に巻き込まれ毎日大変ですが、それ

だけでも恵まれました。」 「そう、こんないいところはないと思いました。だからこそ旅をもう汚したくない。」

そして話すうち、この駅の偉い人は「大事な旅を汚してしまいすみませんでした。」と頭を下げられたのです。

正直、めんどくさい相手だと思われたかも知れません(笑)  でも、それだけではないと感じました。

その後つれあいが自分達の趣旨と解決の希望を話し清算し相手からは大事な旅を悉く汚した謝罪をいただき

ました。  この展開に胸の霧は一気に晴れました。「雨晴」・・・・・その名のとおり。

 「奈良に鈍行ならばもう出ないといけないでしょう。時間を調べます。」 2時38分の列車に乗りに

私達は解決のお礼を言って部屋を出ました。お礼というのは「話しを聞いて信じてくれた」お礼でした。

お腹がぺこぺこだったのに気づき(笑) 10分で駅そばを食べました。 ものすごく美味しかった・・・・・

ほんとうに生きてる心地のする味でした。 そのあとの帰路の9時間に及ぶ車中は風邪の熱のあとの

爽快さ、気持ちよさ、物事が吹っ切れたさわやかさ・・・・そして勇気と自信のようなものまで訪れました。

五ヶ所で乗り換え、都度何回も特急が追い越していきましたが、時間まちの駅さえ新鮮で車窓の山も

清々しく、「この思いに行き着くための旅だったんだ」と気づきました。 幸福感とはこのこと、

もしも何の事件もなく、すんなりと終わったら確かに無事でよかったけれども「幸福感」もない。

しかも、なにか自分達で手に入れた手探りで手作りの幸福感だというきがしました。思い出にもなった。

もう一度行きたい場所にもなった。 もう一度会うのもいいような気がする。 だから・・・・・・

  私はその駅の名前も書きません。地図で見ればすぐわかるけど、私はその駅人に思いを救われた。

鉄道会社はとくにあの事故以来、叩かれることも多く、毎日のように人身事故や事件、点検・・・・

加速社会を走りながら批難にも追われています。  でも、すべての人間ではない。 一連の出来事の

総責任を自分が負うという人もこうしているのです。  その心に救われた。  だから、心にちゃんと駅を

とどめておきたい。    そしてJRはその名をあげた・・・・私は駅にありがとうといえる。

 人は頭を下げるときには下げないといけないと思いました。 えらくなればなるほど、大きくなればなるほど

実るほど~頭を垂れる稲穂です。  そして小さな私達は、こんな日本でも「声」を出して生きていかねば

届かない。  諦めたりするのは簡単だけど、自分の声を不器用でもいい。出していかねば解決も幸福感も

味わえない。  食べたものは駅そば280円とおにぎり。  氷見の寒ぶりも見学だけ(笑) でしたが

幸福感が最後に味わえた。    奈良に着いたのは11時^^  車をとりにお店に寄って帰宅は12時近く。

それなのに、この足取りはなんだろう。   この気分はなんだろう。 平穏無事なみんなよりひときわ

輝く気持ちはなんだろう。   「起承転結」・・・・ものごとにはすべてあるもの。でも今は今の日本は

「転」に対応できないでいる。 お話しでいえば「朝、改札で申し出た」あたりか。 そして「転」に向き合うため

「雨晴」でいったん降りたと思う。 いったん流れを裏切るのです。  そこで砂を慣らす。

  これらは脳内経路にしたがって行動しましたが、実際は途方もなく疲れます。 真似されてもいいけれど

ものすごいエネルギーを消耗します。 消耗するから道が開け、爽快感で生きていけると思ってください。

そして私は、この出来事でもっと大きな収穫に気づきます。 「あ!」・・・・・

                                                   (続)

  *ブログの転写、引用は絶対お断りします。 著作権をまもります。




 なんだか物語になってしまったなあ・・・・すみません。

たった一日なので、この景観だけで帰路に着かねばなりません。 それでも好天気だけでも感謝です。

低い雲が降りたような気分で(多分、うつ病^^) 駅に戻りました。  その駅のことはよく覚えていません。

駅中の観光ブースで少しうろうろとした記憶があります。 それでも改札を入るときの嫌な思いは

強く残りました。 「必ず、向こうの駅に立ち寄ってくださいね。」  二人で「むかっ!!」としたのを

覚えています。 「わかんない奴らやなあ・・・・スルーするなら始めから言わんやろ。」同じ気持ちで

憮然と乗り込みました。 不快感ぎりぎりのところに、とどめのような一言で 我慢は限度を越えていました。

そんな気持ちとは裏腹にローカル列車はごとんごとん・・・・「忍者ハットリカンゾウでござる・・・・」(爆)

 つれあいは黙っているけれど頭はぶちきれているとわかる。私も同じでした。  電車は「雨晴」に

到着しました。 海が目の前の無人駅です。  「降りよう」  私がつぶやきました。「うん」・・・・・

このまま、網を張っている人間の中に戻るのは屈辱でした。  せめてもの抵抗もあり、海がすぐ前も

あり、もう一度海岸へ出ることにしました。   今思えば、とても素敵な無人駅でした。

 無人・・・・・ですが小さな人だまりのできるスペースがあり、職員か界隈の村人かはわかりませんが

古いストーブを囲んで談笑していました。  改札は誰も振り向きませんでしたが、心には一物ありました。

普通なら、その輪の中に入って地元の人と話してみたい・・・・そんな雰囲気でしたがとても今の状況を

話す気にはなれませんでした。 玄関を出てくるりと線路をまわり海岸へ向かいました。

  すばらしい海と立山連峰でした。  ひとつの小島がさらに風情を作っていました。

小島には一本の木が生えていて冬日を浴びていました。  木枯らしの日も吹雪もここで立っている・・・・

そう思うと愛しいような木でした。 小島の中なのでどこにも避難できない。逃げられない。  それが

なんとも自分達に似ていました。  「この風景を堪能するんだ」と言い聞かせ、心いっぱい深呼吸をしました。

電車を一本遅らせるだけの逃避です。 今思えば 修羅場を越える勇気、覚悟がこのときできたような気が

しました。   心に雲が張っていなければ本当にいい無人駅でした。 小さな木造の待合室があり

中は温室のような温かさでした。 三、四人腰掛ければいっぱいの小部屋でした。  まだ海が見えていました

。  名残惜しいけれど、まだピークを越えていません。 大人なのでここは覚悟しないといけません。

でも、そのためにつれあいは、車内で楽しみなビール一本飲めませんでした。 とにかく、今逃げてはいけない

と神様かなんかに言われていると思うしかありません。   でも心の中で何か大切なことのような気がして

いました。   電車はやっぱり、ハットリカンゾウ^^   海の風景は消え駅に到着です。

改札では、「申し送り」を聞いていた駅員が対応しましたが、やはり話しは進まず、みどりの窓口へ

二人くらい話ましたが・・・・・つまりは立場を変えて話しを聞く体制は誰ひとりいませんでした。

 駅員も私達も知らずに声高になっていたのでしょう。奥から「えらいさん」が出てきて応接に通されました。

                                                (続)

      *ブログの引用、転写はお断りいたします。

 更新がお休みを挟んだので、遅れました。  ごめんなさい。

改札は はたまた簡単に通過できました。  でも今度ははっきりと決めて動きましたから

くるりと二人でターンしました。 そして口火を切ったのはつれあいでした。決めたことを実行するのは

彼のほうがきっぱりしています。 「この切符なんですけど」と話し始めました。

 改札は次々人が入るので、いくらか迷惑そうでした。  「最初の駅のミスですね」 改札の女性はいいました

。 いやいや・・・・そういう追求の話ではなくて・・・・一人では手に負えないと思ったんでしょう。

改札の担当と話しをする人・・・・三人の駅員さんと話しました。 「これでは特急は乗れないんです」

・・・・・ん・・・・・だから「それは車内で聞いて知っています。」 連れ合いは昨日のスルーの件を話しながら

基本、短気なので苛立ってきていました。 「今日だってこのまま使おうとすればできないことないんです。でも

ね・・・・・」 時間は過ぎていきました。 あと五分というところになって、私が口を挟みました。

 「すみません。私達八時台の氷見線に乗りたいんです。でないともう十時台までないでしょう?」

駅員は時計を見て慌てだしました。 「この支払いはいただかないといけません。」「だからわかっています。」

「わかっていて、それでもお話しを聞いてほしいんです。電車が待ってくれるのなら構いませんがそんなことで

電車を遅らせるわけにいかないでしょう?  私達、たった一日だけの旅にきたんです。これ以上旅を汚せない

んです。」「・・・・・・」  私は名刺を差し出して手渡しました。「これを預けておきます。氷見を往復したらここに

戻りますから、その時にお話しも含めて清算させていただけませんか?」 駅員は考えていました。

でも時間はありません。 「私達は氷見にきたんです。目的は旅でこんなことで話し込む時間はありません。

だけど、どうしてもちゃんと話しをしたいんです。お金の清算ではすみません・・・・」  必死で話しました。

なんでこんなことを言わねばならないのか。 涙が出てきました。 駅員は時計を見、名刺を受け取りました。

「氷見にも連絡しておきますので帰りに寄ってください。」   承諾を得て、ぎりぎり電車に乗りました。

 無言で乗っていました。 後悔の念もないことはなかったけれど、もう乗りかかった船でした。

氷見線は約30分、アニメの藤子不二夫A先生の故郷で電車もアニメ、車内放送も忍者ハットリ君の声で

説明しています。 ぼんやりと放心していたので、忍者はっとり君の声は妙に違和感がありました。

 氷見駅では駅員が「聞いてます」というような台詞でした。 駅から海岸沿いに出て歩きました。

渡り鳥がたくさん砂浜にいました。   振り向くとうっすらですが立山連峰が雪をかぶって美しいでした。

何度も何度も振り向きながら歩きました。 「この風景に会いにきた」 苦労してきたなあ・・・・・

人はほとんどいなくて、カメラを持った人が鳥の群れや立山連峰にレンズを向けていました。

 行き着いた道の駅? には車も人も多かった。  中は魚市場になっていて観光客が魚介類を見て

賑わっていました。 富山湾で獲れたての寒ぶりや魚たちがところ狭しと並んでいました。  干物250円を

迷って買い、軽い朝食を食べました。   心が全然晴れませんでした。  もったいない・・・・・

こんな綺麗な景色なのに、もったいない。    辛くはないけれど心が晴れない。  それは

チケット代のせいではないとこのあと気づきます。    海岸を今度は立山連峰に向かって歩きました。

海鳥は群れていて私達から知らん顔をして立っていますが、歩くと群れたまま距離を置いていきます。

近づくと見ていないのに「遠ざかる」んです(笑)    人間みたい・・・・・^^

駅が近くなりましたが、戻る気がしません。「もうちょっと見ていよう」といい、砂浜の防波堤にもたれて海と

立山連峰を見ていました。 とにかく、この風景に会いにきた・・・・堪能しよう。

                                                    (続)

   * ブログの引用、転写はきっぱりとお断りいたします。