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どこの誰かは知りませんが、おかしなことをする人らがいるようです。
絵描きなら、山や木々、花や空の雲、春らしさや夏の緑など絵全体を描き、人はそのなかの
全体を気にいったり、評価したりします。 山の雪がいいという人や、花が可愛いという人はいるだろうけど
絵の中に立っている「電柱」を切り取って「この作者の絵だ」という人はいない。 そういうのは嫌がらせか
揚げ足取りというんでしょう。 それを偉い人のいる壇上へ持っていって「こいつはこの傷のある電柱を
描いている。」という。 また路地を走るネコの後姿を切り取って「こんなものを描く奴だ」と話し合う。
何を考えているのかわからない・・・・・というよりも、その枯渇した現場を想像するに寒気がします。
それが「法の専門家」なら、浅ましいこと限りないとおもっています。 マスコミの人の一言を取り上げて
大きく見出しに使う手法や、たまたまの現場写真を事実のように載せる売り方は日頃、うんざりとしていました
が、見るほうもそれを信じたりします。 それに似た光景です。 ブログの記事のほんの一部を
法廷に出したり(ほかに、することがないんでしょうけれど) 勝手に人の記事を引用したり、転写したり
「尊厳」のかけらもない。 だいたい、その人たちは、その記事が誰のものなのかわかっているのか?
断りもなく人の記事を切りきざむということは、書き手の心を切り刻むことなのだとわかりはしませんか?
確かに、法の専門家はその職権により、他人の個人情報を入手することができます。 住民票や
戸籍でも、預金通帳でも。 だけど、役所や機関の窓口を通さず、勝手に書類を盗んでコピーしたり
認証印を押したりすることはできませんね。 それをされているのはどういう越権行為ですか。
今年は、検察の日付書き換えの違法も叩かれていましたが、あまり変わりませんね。
それが裁判なのだと、平然とされるのでしょうが、そんなことをしない人もいます。 ちゃんと断りを入れる
人もいるだろうし、作者が誰かを確認される人も中にはいると思います。 このブログは、
法廷に出れないけれど「自分のつながりで責任も感じている人間」が、法だけでなく、いろんな角度から
視野に入れて、浅いところで簡単に済まそうとすることを避け、真実を見極めながら解決の道をさぐる
ブログです。 「自分のつながりで起きた・・・・・人間」とは誰だかおわかりでしょうか。 法廷の張本人の
ブログではないということです。 それがわかってされているんだとは思いますけど。
でも、この際なので、それなら全部開放したほうがいいかもしれません。 切り刻まれた記事を
つなぎ合わせて、「これが全部の絵です。」と解放したほうが解決もしやすいかもしれません。
つたないですが、私は「書くこと」には責任をもっています。 文章の部分を切り刻んで構成するような
小汚い手法は妥協できません。 そのことを、知ってくださいね。
もうひとつ、今日の記事で明らかにしておきたいことがあります。 それは「個」というものです。
私たちは確かに夫婦で痛手を負いました。 三年以上前から二人三脚で歩まねばいつ倒れるかわからない
こともあり、二人三脚でなければ片方が死の扉を開けかねないこともありました。
ですが、それぞれが一個人であることも確かで、生存権は二人で一つではありません。
共有する思いや体験はありますが、立場や感情、身体や精神は別のものです。それをどれもこれも
一緒に扱われてはたまりません。 昨年、証人尋問を体験しましたが、法廷には一人の人間しか
立たなかったはずです。 少なくとも一年前の秋以降、このブログは一人で書き続けてきました。
訪ねてきてくれた人や応援くれてる人はよくご存知です。 本部さんもその弁護士さんも勘違いされて
いませんでしょうか? このブログは私「夢りんご」個人が一年以上一人で書き綴っています。
私、夢りんごは・・・・・・誰なんでしょう。 今日はコメントのお返事下さる方、知ってるかただけで構いません
。 おつきあいくださってる人で、答えてもいいと思ってくださる方は、お答えください。
夢りんごは、男ですか?女ですか? ここは夫婦でも「個」と「個」の分かれ道です。
こんな話題につきあってくださってありがとう・・・・・・ 夢りんご
※ ブログの転写ご希望の方は、コメントでもメールでもお知らせください。 相談させていただきます。
フェアトレードの展示会の権利をいただいている私は、取引もままならない状態ですが
最初で最後・・・・と本日、神戸の展示会を覘きにいきました。 午前中で帰還予定でした。
神戸までは一時間十五分・・・・会場までは一時間半くらいで到着します。 いつもの出勤時間を
少し遅らせたら十分間にあう予定でした。 神戸は青空、風が気持ちいいし、六甲山系の
残り紅葉がとてもきれいでした。 前日の雨に洗われて透明感、清涼感のおしゃれな神戸。
駅前についたけれど、地図ではわかりづらく「向こうの道かなあ」と迷っていると、名古屋のフェアトレード
ショップのozoneさんが声をかけて下さって見つけてくれました。 (反対・・見つけて声をかけてくださいました)
一人だときっとフラワーロードをぐるぐる歩いていたと思います。 ピープルツリーの展示会は初めてで
とてもおしゃれな洗練された感覚です。 森をイメージした雑貨などとてもかわいくて、手作り。
詳しくはピープルツリーさんをご覧くださいね。 さて、半ばというか完全に見学の傍観者オーナー(笑)
スタッフの説明を細かく聞きながらチェックをしていきました。 さすが~洗練されたピープルツリーの
神戸展示会です^^ こういう権利は、ちゃんといただいておきます。 貧困でもちゃんと、こんな
展示会に呼んでくださるんですよ~^^ そして胸をはってのぞいてきました。 威張るとか見栄ではなく
「胸をはる姿勢」 これは自信をなくしたり、心身を喪失したりしている人には大事なことです。
うつや、心身障害でもちゃんとこういう社会的な場所に公然と出向く習慣をつけましょう。 嫌でも
賑やかな場所を歩くことも大切です。 「疲れ」に慣れましょう。 ピープルツリーさんにお土産いただいて
名古屋に帰るOZONEさんと三ノ宮に向かいます。 時間は11時半・・・・手っ取り早く出張を終えたら
なにやら怪しい雲行き。 風は寒くないけれど強い感じ。 もう少しで駅というときに、交差点でにわか雨が。
「傘を持ってた甲斐があった」と言う間にすごい暴風雨に。新神戸に行くOZONEさんと地下鉄の入り口で握手
でお別れしたら、三ノ宮駅はなにやら騒然。 突風で明石から運転見合わせ中。 遅れ時間は
「5分」から見る見る「十分」「十五分」「二十分」に。 ホームは列車待ちの人で溢れて時々暴風雨が吹き込み
ます。 「う~ん」しかたないので列に並び、復帰待ち。 やっと遅れた列車が来るころに今度は
進行方向の「芦屋」で運転見合わせとか・・・・ぎゅうぎゅう詰めの電車は、止まることなく遅れて大阪に到着。
大阪から大和路快速がなく、「関西空港行き」で途中下車することに。すると車内ではまたまた「大和川河川敷
の突風」とかで柏原界隈で運転見合わせ。 う~ん! どうやら私は「突風」と進行方向が同じらしい・・・・・
途中の天王寺ではまたまた遅れてきた「快速高田行き」になんでもいいわい!と乗車。 するも・・・・・
また車内では乗り継ぎ駅での「遅れ情報」が。 あと二駅というところで、また電車待ち。 しかも待ち時間は
だんだん多くなる・・・・・「郡山駅でビニールシートが付着して、撤去作業のため・・・・・」もうどうにでもなれ!
そして最悪の事態が・・・・・あれ? さっきまで見ていた資料がない・・・・・・↓↓
資料は何処に・・・・・・まさか資料まで風と共に去りぬ・・・・ (続)
みなさん、外出には突風にご注意を・・・・・朝の晴天に騙されぬようにね^^ ついしん 本日の
昼食は展示会でいただいたお土産の「ドライマンゴー」を車内でかじりました。美味しかった・・・・ケド
出会います。 もう西洋医学に見放された患者は、もちろん途方にくれます。 私は母が10年くらい前に
乳がんを患いましたが、その時大きな医科大学を相手にその大学病院のマニュアルをすべて崩して
母の治療法を選択しました。 大学病院はたいてい腫瘍の大きさや位置から女性の乳房の全摘出か部分摘
出が決まっています。 また、化学療法や放射線療法などはセットになっていたし、「断り」はいれるものの
リンパの一部も切除されます。 そのころ、漠然とですが西洋医学に疑問も感じていたし、近隣で抗がん剤
治療中や副作用で亡くなる人がいて、化学療法はお断りしました。 つまり、先生たち相手にノウを言ったので
す。 母の命がかかっていたからですけど。 必死で守りました。セカンドオピニオンもたずねました。
そして、自然療法でよいとされる食べ物を調べて服用させました。 髄膜腫のときもそうしました。
母の目の手術のときもそうしました。 何度も医師にあい話しました。 今、安保徹さんほかの自然治癒の
書籍を調べながら、ふとヒットラーの言葉だという「小さな嘘はばれる。大きな嘘は絶対ばれない」の名言を
考えています。 この意味どういうことだと思います? 私はなんだか頷いてしまいました。
具体的な話はなかったように思うんで自身の感じ方を少し書きます。 それは「ばれない大きな嘘」について
です。私はこういうことを想像するんです。たとえば戦争・・・・太平洋戦争、日本は勝つ、戦っていれば神風
が吹いて必ず勝つ!などという嘘・・・・これは「世間全体を騙しているのでばれない」のだと。
人を殺して、自分もお国のために死ぬなんて、とても怖くてできないことを国民は必死でやった時代がある。
命が虫けらのように消されても、戦争が正義だった時代です。 これは国全体が大きな嘘に騙されている
そう言えないかなと。 それで、ある時突然、「戦争は終わりました。」「日本はまけました。」と・・・・・・・
自決した人がたくさんいてもおかしくない。突然すりかえられて「平和が正義」になるんです。でも、
もともと平和のほうが「正義」だったのです。
この本でいう大きな嘘は日本の医療についてなんですが、科学、物質万能主義で
検査の数値と薬で治すということに専念されて、脈や顔色を見るというようなことを除外していったということ
を書かれています。 患者が五感で受けた病気ではなく、機械が発見したほうが本人の病気と重視される。
私が数年前、母の病気に疑問を持ったのは、母は「関係のない違う症状で通院した」ということでした。
例えば、貧血、頭痛・・・・・でもガンが見つかって治療の中心がガンになった。それではもともと母が自覚の
あった貧血や頭痛はガンと関係あったのかというとなかったと聞きました。そして術後、そのもともとの症状が
なくなったかというと、なくならない・・・・それはどういうことなのか? 極端にいえば、痛みで病院に倒れこん
だとして、医師が別の大きな病気を発見した。 本人は痛みを治したい。 でも医学上、重要な病気を
医師は治そうとする。本人は楽にならない・・・・ということなのではないかと思うんです。 もちろん病気は嘘
ではない。 病名も事実かもしれない。 でも病院に行った事実が「どこかで刷りかえられている」と思いません
か? 私は自分たちの事業と同じことを感じます。 そう世間とのつじつまが合うようにどこかで刷りかえられ
てしまったんです。 「僕のいうことに間違いないから、買い続けてください」「成功します。」という何千回もの
肯定から・・・・突然攻撃に。 このすりかえた嘘はばれないんです。 社会が、法律が認めているからです。
そして「道義」にあっているから。 「買ったもの払うの当たり前やろ!」と世間を味方にしていくからです。
そして本人でさえ「そうなのかも」と思ってしまいます。真面目な人間ほど。 自信のない人間ほど。
病気も、自分のもともとの症状は忘れて「重いがん」のほうに意識が流れてしまいます。 だからこそ
早期発見・・・・も疑問なのです。 交通事故で亡くなった人を解剖すると、結構がんの人も多いと書いてあり
ました。 それらは「自分が、がんだとわからないまま」交通事故で亡くなっていて、知らないでも、まあまあ生
きてきたということですね。 「買わない権利」の行使については、書では抗がん剤や、治療の選択。のこと
を言ってるんですが、そのままフランチャイズ事業にあてはめます^^ なぜ、「買わない権利」がなかったの
か・・・・増減の調整もできないのか。 ノウといえない事業なのか・・・・これは何度でも言い続けるつもりです。
ノウといえば、肉親の弱みにつけこんで脅すのか。 今日、母に電話しました。今日は粗大ゴミの
収集日でかなり離れたところまで、老夫婦が自転車を押して早朝から運んだそうです。坂の途中で
ご近所の方に会い、重い荷物を一緒に押してくださったと。 「時々親切に頼りながらぼちぼちいく」と
言いました。 お天道様や仏様の「加護をうけている」・・・・・と母も私も感じました。 こういうことは
大切にしたい。 だけどね! 事業は別だと思います! 以上、長い、だるいお話しでした!
おつきあいありがとう!
「この程度のことは、まあ、あわせておこう」「こんなもんでいいか」「ちょっと違うように思うけどまあいいか」
こういう解決を、しなくなりましたね(笑) とことん・・・・ではないけれど、「何か違う感じ」が残ることは
解決を急がなくなりました。 いったんお話しを止めて整理したり、考え直したりします。
人はいらいらしたりするけれど(ご迷惑でしょうが) 協調や迎合は後回し。 対立といえば大げさですが
腑に落ちないことを先に言い合う。 「自分をきちんと出す」訓練をしています。
その結果、握手することになればすべて良し。 でなければ、お流れでよし。 喧嘩で距離を置くもよし。
(相手も辛かろう)(人にはそれなりの事情があろう)・・・・これは、本性に逆らわない主張のあとの
心配りだと思います。 自分を押し殺して相手の立場だけを尊重するのは「傲慢」でありうぬぼれでもあると
気がつきました。 「いい人」を演じていては、自分の本性がどこにあるのかも解らなくなるんです。
例をあげればですね^^ 夫婦の夫が浮気をしたとします。 それが発覚したときは妻は
怒ることが先決です。怒らないのは「愛していない」と言っても過言ではない。 それなのに、
「自分に悪いとこがあったのだ」「夫もさみしかったのだろう」「相手の女性も辛かろう」などと言っていては
多分、ことは解決しない。 相手もますます、力を発揮してきます。え?うちのことではありませんて(爆)
うちは今、そんなことをするレベルの暮らしではない(笑) とまあ、先に弁解しておきます。
自分が悪くないなら、火の粉ははらわねばならないし、とりあえず夫を取り戻すことが先決です。 でなければ
妻は「耐える人生」になってしまうし、相手が悪いのに自分が不幸になってしまう。 本性で戦えば、
解決するはずなんです。 妙にプライドが高かったり、いい人でありすぎると、悪くないのに叩かれて辛い
人生になる。しかも「何故、辛い人生になったのか解らない」ままになる。 夫婦のことではないけれど
私はここ、三余年確かに妙なことがありました。 そう、明らかに「悪い人のほうが、威張って怒っている」
「悪い人に加勢する人が多い」・・・・・人のことを考えて動いたことが、逆に追いやられることになる。
こういう経験が本部のことから後にも、起こることになりました。 そして自分の最大の欠点は
いい人でいたことだと気付きます。 相手の辛さを受け入れてきた。 するとどんどん、相手は強くなり
わがままになり、襲い掛かるまでになる。 まさに・・・・・以前話した「踏まれ続けた蛇」のイソップのお話
です。 「最初に踏まれた時に噛み付いていたらこんなことにはならない。」というお話し。
少し違いますが、障害のあるスタッフがいます。 彼は一週間に一度だけ、半ボランティアで通うのですが
夏以降「水曜日の仕事を火曜日に変更してほしいです」といいました。 了解して火曜日になったけれど
体調が悪くてほとんどこれません。 ある火曜日、また電話で「今日は体調が悪いので水曜日にしてほしい」
というので「今週は水曜日、イベントだよ。 とても忙しいけど対応できるなら変えてもいい。 考えてもう一度
電話して」と答えました。 夜、連絡があり「それなら木曜日にいきます」と。 一応了解しました。
案の定、想像どおり彼は木曜日に「体調が悪いので今週はお休みしたい」 と。 そこで「じゃ、いったん
ここでお話しをとめましょう。」といって次の出勤日は決めませんでした。 彼は病気で社会的弱者です。
それでも、許していくとずっと、好転せず続かない。 こういうときはボーダーラインを決めておきます。
一度、突き放して頭を冷やし、それから関係を埋めていくほうがいい。 これらの例からいくと私たちの
買い掛け金は「払わずズルズルためてきたお金」にされている。 本部はズルズル許してきたことになるのでは
ないかな・・・・・。 でも、こちらの主張は違います。 「買わない選択」「減らす選択」資金を見合わせて
「調節する」しくみが何故ないのか・・・・止めようとすると何故「もっと買ってもっと働け」となるのか・・・・・
減らすと高齢者が迷惑するという。確かにそうです。 では、どうすればよかったのか?またここに
行き着きましたね^^ 一体どうすればよかったのでしょう・・・・・?
対立を畏れていい人でいるみなさん。 どうか本性に逆らわない生き方に・・・・・
トラブルが多くなるのは当然ですが^^ 「ノウ」ということは、案外何でもないことだったりします。
物事がうまくいかないことがずっと続いたらきっと、「努力の方向が違っている」のだと思います。
今、私たちが闘わないと、残りの人生がもっと哀れで辛いものになる。 自己否定し人を信じず
太陽に背を向けて、小さくなって生きることになる。 今、生まれ変わらないと・・・・・
今日はその報告もさせていただきます。 夫も秋から体調を崩し、遂に一度病院へと赴きました。
そこで、検査となるのですが、予約が一杯で、11月半ば過ぎの検査となりました。
ずいぶん気が長いことで、少しの薬と、お店の自然食品で様子を見ていました。 そうしているうちに
「不調」が移行していきました。 消化器官から、今年の年頭に悪くなった首、腰の痛み。
そして、検査の当日は体調不良で、二つの検査のうち、「体調が悪すぎなので一つにしたい」と病院に
申し出ました。すると病院は「体調不良なら、二つとも見送りましょう」???? と断られたそうなんです。
こちらは、リスクの高い胃カメラのほうを断念して、残りは受けようと思っていたのに両方断られてしまい
ました。 ひとつずつ受けたほうが、医療費も分散されますし、(医療費のローンや買いかけはきかない)
ひとつでも受ければ「次の検査が必要か」もわかると思うのですが。 市役所にやっとの思いで
いただいている国民健康保険ですから、「使う権利」はあります。 しかし7割の費用は自己負担ですから
支払いのハードルも低くする必要はこちらにあります。 「お金がないと医療は受けられない時代」です。
でも、せっかく受けた検査で病名が判明しても、その後はどうすればよいのか? 小さなお店は二人で
賄っています。 保険もありませんし、保障はありません。 入院や手術は高嶺の花。 つまり
「早期発見がいい」のは、「治療に専念できる人」ということになります。 私の従姉妹は、良くない腫瘍です
。 (彼女のことを書くのは辛いので、こう書きます) 病院も通いながら、図書館にも通い、食べ物も調べて
改善してきました。 「入院したら最後」と言い聞かせて、悪い水を抜いてもらいながら病院は三日以上入院
せず、自宅療養と通院を這いながらしています。 見るのはとてもつらいことです。 周囲は病院にいるほうが
気は安らぎます。 でも、治療は常に「医療費の計算」が必要です。 「選びながら」闘病しているのです。
私は、それがどんなに辛い選択か解ります。 費用も考えながら、そして自分の「身体の声」をききながら
痛みは最も強いモルヒネで抑えています。 それでも痛みはひかない。かろうじて薬のために「うつらうつら」
しては痛みで目覚めるといいます。 「身につまされる」のは自分たちが病気になっても「そうするしかない
」 と思うからです。 交互に倒れながらも仕事と生活をしていると、明日、命がなくなっても「仕事」は残り
ます。 「命のほうが大事じゃないか」とわかっています。 でも倒れても、病院の費用がない以上、
ある日は頑張りながら、ある日は少し緩めて、たいていの日は黙々と淡々と・・・・仕事と暮らしを続けていく
しかないのじゃないでしょうか・・・・・・ そして、精神衛生の大切も身体に影響します。 だから、たまの休日は
電車で川を見に行く。 自然の空気を吸いながら自転車に乗る。 などをしているのです。
つまり・・・・自己判断で精神と肉体を癒し、鍛え、養生するしか生きていく方法はありません。
病院は嫌いですが、全部否定はしません。 必要なこともあるから。 でも、生きる選択は常に
自分と家族とでしていくしかない。 ご心配をかけていますが、「しょうがないなあ」と笑ってくださいね。
わざわざ、メールで応援くれた、みんなもありがとうございます。 あなたのおかげで、日々何とか生きて
いますよ。 報告遅れてごめんね! ちょっと説明しづらいので今になりました。
ロッククライミングの状況です。見ているみんなは「早く一気に登れ」と思うか「降りて休憩しろ」と思うでしょう。
見ている人が「はらはら」していると思います。 身体に悪いから、時々スルーしてね・・・・・・^^