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「苦しみを外に出し社会に活かされなければ苦しみ損」だといったのは加藤諦三さん
でしたか。 これからは、経済活動と社会活動の中に、自分の体験を活かし
「知らずに乗ったレール」から降りれなくなった人や追い込まれた人へのゆっくり正確
な救急隊をしていきたいと思います。 訪ねてくださる方には問題解決への
月の光を照らしていきます。 これまで、連絡くださった方々ありがとうございます
。 どうか、懲りずによろしく御願いします。 自分の歩いた苦労を思うと、とても
人には勧められません。 だから、同じことは責任をもって勧められない。 人は
みな違うものですから。 途中で引き返すことができなくなってから見放すことは
できませんから、自分の道を進むしかありませんが、それでも小さな一歩を諦めない
ことで必ず越えていけると思います。 乗り違えたレールはできれば乗り換えたら
いいのです。 でも、そのときに誰がどんな風にかかわったのか、ちゃんと思い返し
降りかかる火の粉は払わないといけません。 その力が生きていく資格となります。
だけど、あまりにも酷い目に遭ったときは、その力はなくなる。 強いものの中には
その弱ったところをさらに打ちのめすものもいます。 今、何かを約束することは
できないけれど、とにかく諦めないで生きましょう。
これから歩く道は、人がどう思うかではありません。 (続)
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一週間ぶりの更新になります。 ここ一週間、ことに週末にかけて「本性を試される」出来事がありました。
それについては、もう少し落ち着いてからにしますが、 世の中はふと息を抜くとあっという間に
何かに押し流されて、違うところに行ってしまう時代だと感じます。 ふとした隙間をさらっていくのです。
さて、今までブログを書いてきて、ここで少しはきちんとしておかねばならないいくつかのことを書置きます。
このブログはいつしか(この四月よりはとくに)裁判についての心ねを書き続けてきました。
それで、閲覧の皆さんにはフランチャイズ裁判を起こした元加盟店の記事・・・・・という風に思われているかもし
れません。だけど、裁判とは無縁の暮らしで、大半の人達がそうであるように「裁判とは怖いもの」であったので
できれば法廷での争いにならないような解決を望んでいました。 2007、7月に本部との話し合いをしました
が、そのときの大事なテープや先方の録画はこれまで公表されていません。 こちらは法テラスで最低限費用
での裁判で提出をしていません。 でも、その日以来、仕入れを控え小さな買い掛けにして週払いにしたい
意向を話し、本部がしぶしぶ了解した事実はどこにも提出されていません。 もちろんそれまでは一切
認められなかったことです。私はこの日、経理と卸しの連携のなさを感じました。 会社内の大矛盾でした。
それを修正しなければ、本部と加盟店は絶対うまくいくはずはないと実感しました。 それで自分たちから
実行するために話したのです。 これによって解決したかどうかはわかりませんが、とにかく仕入れを
小さくさせてほしいと願い出ました。 (今から思うと仕入れは当然、買い手の自由で都度、調整できるはずで)
その話し合いから、かなり無理な状態でしたが(断れない配食が多かったので) 実行していきました。
その一ヵ月後、取引停止で閉店、廃業に追い込まれました。 そして大切なことは先方から裁判になったと
いうことです。 もちろん本部は書類はそろえていたので勝つつもりだったでしょうし、実際勝訴しています。
追い込めば破産するか・・・・逃げるか、死ぬかどれかで終わることを承知の裁判だったと思います。
実際、それに近い日々が沢山ありました。 それでもなお、追い込む裁判とはなんなんでしょう・・・・・
聞けば、相手によっては加盟後も途中で 「お金で解決」しているところもあるようです。なぜ、「金もない」ところ
をそこまで追い込むことになるのか。 どういう勢いでなるのか、どうして途中で誰も止められなかったのか。
追い込まれた私たちはもう、相手を止めることはできません。 なぜ、もういちど、2007、7、30のビデオを
見て話し合って解決を誰も考えなかったのか・・・・・本部の役員さんも含めて全部です。
私は反省してもらいたい。 話し合いをと望んでいたし、本部と加盟店がうまくいくフランチャイズのために
そう最後まで努力したはずです。 なぜ、死に追い込むかもしれないような閉店に追いやったのか。
なぜ、脅してまで書面をとらねばならなかったのか。 廃業したら当然立ち上がれないような立場に追い込んで
それでもなお裁判して勝とうとするのか。 お金をたくさん使ってまで。 私たちは、法の神様が下さった
弁護士さんが二人ついてくれたんですが、「強い立場」「優越的地位」にある本部は二人も弁護士さんはいらな
いではないですか・・・・・もともと「勝つ書類」もそろっているし。 それを弁護士費用などご近所から聞かさ
れてもしかたない。 理由は本部にこそ私情が働いているからではないですか。
「何かをしてやった」感が抜けないのではないですか。 高額請求書つきの支援はありません。
売り上げをどれくらいにするのか、食数はどうすれば利益を残せるのか、決めるのは加盟店ではないですか。
本部の売り上げと加盟店の売り上げは違う。 そうでしょう。 これをはっきりするために私は経営を
やめなかったのです。 もちろん、店を閉じる方法も知らなかった。 何か続けるしか選択しがなかった。
だけど、どうしても「卸し」に関して腑に落ちなかった。 原因を確認しないではいられなかった。
この事実をどうしても「闇に葬る」必要が本部にあった。そうではないのですか・・・・・まさか、本部が
それを知らなかったことはないでしょう。 私はこれをいうのを何度もためらいました。何故か、かばって
しまうのでした。 でもかばうことはもっと相手を苦しめると知りました。 なぜなら本部は本部として
これからちゃんと成長せねばならないからです。 この試練は越えなければいけないからです。
ここで、ちゃんと伝えねばならないことは裁判は本部から起こした・・・・ことです。
忘れないでくださいね。 重いお話しを聞いてくれてありがとう。
そして、応援ありがとうございます。 連絡くださる方や来訪、感謝しています。
この痛み・・・・・社会に活かされるように、これからの人生歩みます。
※ ブログの転写、引用をお断りいたします。 法の関係者はご一報くださいませ。
それについては、もう少し落ち着いてからにしますが、 世の中はふと息を抜くとあっという間に
何かに押し流されて、違うところに行ってしまう時代だと感じます。 ふとした隙間をさらっていくのです。
さて、今までブログを書いてきて、ここで少しはきちんとしておかねばならないいくつかのことを書置きます。
このブログはいつしか(この四月よりはとくに)裁判についての心ねを書き続けてきました。
それで、閲覧の皆さんにはフランチャイズ裁判を起こした元加盟店の記事・・・・・という風に思われているかもし
れません。だけど、裁判とは無縁の暮らしで、大半の人達がそうであるように「裁判とは怖いもの」であったので
できれば法廷での争いにならないような解決を望んでいました。 2007、7月に本部との話し合いをしました
が、そのときの大事なテープや先方の録画はこれまで公表されていません。 こちらは法テラスで最低限費用
での裁判で提出をしていません。 でも、その日以来、仕入れを控え小さな買い掛けにして週払いにしたい
意向を話し、本部がしぶしぶ了解した事実はどこにも提出されていません。 もちろんそれまでは一切
認められなかったことです。私はこの日、経理と卸しの連携のなさを感じました。 会社内の大矛盾でした。
それを修正しなければ、本部と加盟店は絶対うまくいくはずはないと実感しました。 それで自分たちから
実行するために話したのです。 これによって解決したかどうかはわかりませんが、とにかく仕入れを
小さくさせてほしいと願い出ました。 (今から思うと仕入れは当然、買い手の自由で都度、調整できるはずで)
その話し合いから、かなり無理な状態でしたが(断れない配食が多かったので) 実行していきました。
その一ヵ月後、取引停止で閉店、廃業に追い込まれました。 そして大切なことは先方から裁判になったと
いうことです。 もちろん本部は書類はそろえていたので勝つつもりだったでしょうし、実際勝訴しています。
追い込めば破産するか・・・・逃げるか、死ぬかどれかで終わることを承知の裁判だったと思います。
実際、それに近い日々が沢山ありました。 それでもなお、追い込む裁判とはなんなんでしょう・・・・・
聞けば、相手によっては加盟後も途中で 「お金で解決」しているところもあるようです。なぜ、「金もない」ところ
をそこまで追い込むことになるのか。 どういう勢いでなるのか、どうして途中で誰も止められなかったのか。
追い込まれた私たちはもう、相手を止めることはできません。 なぜ、もういちど、2007、7、30のビデオを
見て話し合って解決を誰も考えなかったのか・・・・・本部の役員さんも含めて全部です。
私は反省してもらいたい。 話し合いをと望んでいたし、本部と加盟店がうまくいくフランチャイズのために
そう最後まで努力したはずです。 なぜ、死に追い込むかもしれないような閉店に追いやったのか。
なぜ、脅してまで書面をとらねばならなかったのか。 廃業したら当然立ち上がれないような立場に追い込んで
それでもなお裁判して勝とうとするのか。 お金をたくさん使ってまで。 私たちは、法の神様が下さった
弁護士さんが二人ついてくれたんですが、「強い立場」「優越的地位」にある本部は二人も弁護士さんはいらな
いではないですか・・・・・もともと「勝つ書類」もそろっているし。 それを弁護士費用などご近所から聞かさ
れてもしかたない。 理由は本部にこそ私情が働いているからではないですか。
「何かをしてやった」感が抜けないのではないですか。 高額請求書つきの支援はありません。
売り上げをどれくらいにするのか、食数はどうすれば利益を残せるのか、決めるのは加盟店ではないですか。
本部の売り上げと加盟店の売り上げは違う。 そうでしょう。 これをはっきりするために私は経営を
やめなかったのです。 もちろん、店を閉じる方法も知らなかった。 何か続けるしか選択しがなかった。
だけど、どうしても「卸し」に関して腑に落ちなかった。 原因を確認しないではいられなかった。
この事実をどうしても「闇に葬る」必要が本部にあった。そうではないのですか・・・・・まさか、本部が
それを知らなかったことはないでしょう。 私はこれをいうのを何度もためらいました。何故か、かばって
しまうのでした。 でもかばうことはもっと相手を苦しめると知りました。 なぜなら本部は本部として
これからちゃんと成長せねばならないからです。 この試練は越えなければいけないからです。
ここで、ちゃんと伝えねばならないことは裁判は本部から起こした・・・・ことです。
忘れないでくださいね。 重いお話しを聞いてくれてありがとう。
そして、応援ありがとうございます。 連絡くださる方や来訪、感謝しています。
この痛み・・・・・社会に活かされるように、これからの人生歩みます。
※ ブログの転写、引用をお断りいたします。 法の関係者はご一報くださいませ。
一体、何やってんの?夢りんご・・・・・と言われそうやね^^ お仕事ですよ!
昨日、久々の県南、吉野地方の和食研究会に参加しました。 またまた遅刻です。
わざとではありませんが、もし遅れても「ちゃんと言い訳する」とか「ごめんなさいと笑って話す」とかそういう
自己訓練もしています。 取り返しのつかないことではないからです。 許されないことではないからです。
以前完璧主義だったことから、うちの事件は相当こたえましたし、心の傷も尋常ではなかった。
ちょっとしたミスや遅れは「取り返しがつくと」言い聞かせて失敗にも少しは慣れないと、もっと完璧に
なろうとしてしまうからです。 人の評価を気にしない。 人の顔色も、動じない。そういう訓練をしています。
さて・・・・・雨の県南、吉野大淀、飛鳥~壷阪から芦原トンネルをくぐると、大台、大峰の山々がぐっと近くに
なります。 ひなびた公民館は田舎の匂いです。 メニューは・・・・・・
3分づき米、 鶏肉の柚子照り焼き、さつま芋と大豆のサラダ、梅干の澄まし汁
今回はたくさんの参加で、賑やかな調理室です。 ネパール支援では大きな顔をしている私ですが
同じ相手でも、ここではよそ者です(笑) 元気なほうれん草を洗っていると、なんと大きなナメクジラが!!
みんなが「先生」と崇めている講師に向かって「樋口さん!こんなんおるう!」・・・・・
普段、そんな人だと想われてないので、みなは一瞬、驚きます。「そんな可愛らしいこというんや」・・・・
そうなんです。 私は本当は可愛らしいんですよ(笑) 澄まし汁以外は、本当美味しかったです。
え?澄まし汁は?・・・・・美味しかったけれど、やはり「自分でつくったほうが、もっと美味しい」と感じました。
柚子も皮を丁寧にすりおろし、鶏肉の照り焼きにはぴったりでした。 ほとんどをお土産にタッパーにつめる
私を見て、講師は気の毒に思われたんでしょう。 サラダを半分分けてくださいました。 サラダには味噌を
隠し味に使い美味しいでしたよ。 ちなみに吉野は電波が通じないところが多く、携帯は通じなかった・・・・
まだ、携帯を持たない人もいるんですよ。 私も卒業しょうかな^^ この研究会は「いのちと食」
これからもできるだけ、参加いたします。 そして、都会の流れも持っていきますよ。ごちそうさまでした。
お土産は、そのまま、うちの夜ご飯に。 もう一度、研究会をしました。ほうれん草など根も食べるんです。
そして奈良に戻ると、安曇野の夢りんごが到着していました。 洋梨の「ル♪レクチェ」 もようやく
到着です。 毎年お待ちのリピーターさんがいます。 それを届けに夜は引き売りです。
「こんばんわ!押し売りです」が合言葉。 物騒な言葉ですが、本当に待っててくれる人がいるんだよ。
押し売りは迷惑ですが、欲しいものがあって呼んで買ってくれるのは「いい押し売り」です。 しかも損害意識
などない。 「選ぶ」のはもちろんお客さんだからです。 しかも伺うと、計算メモ用紙やペンも用意してくれる
。 シクラメンの鉢植えと、茶羽織をいただきました。 (笑) 手のかかる押し売りです。
万が一、損害がでても、大した金額じゃない。 私は、トラブルやアクシデントに慣れようとしているのです。
怖くて世間を歩けない時期がありました。 身体が震えて、というかしびれて、立てない時期も。
自分でリハビリをしているのでした。 だから・・・・・「夢りんごさん何やってんの」・・・・・仕事と生活とリハビリ
心と身体を自分で癒しながら、治癒していきます。 もう少しかかります。
さて、今日はもうひとつのテーマがありました。 それは「取立て」というようなものです。
この話題は近日中にアップいたします。 人の心がどんな風になり、追い立てられて、死に行く人もいるのか
私は、ぎりぎりの体験をしました。 そして、わかったことがいくつかあります。 ただ、成功するのかどうかは
わかりません。 だから、自分のした行為をしたためていきます。 たったひとつ、これは一人ではできませ
ん。 家族、友達・・・・・恋人とにかく、共有できる「味方」が必要です。 その味方は、常に自分の身になって
くれると同時に「違う目を持つ味方」であることが大切です。 相手のことを救いたいと切に願いながらも
冷めた目で「真実」を見抜く人でなければなりません。 「研ぎ澄まされた心」が必要なんです。
私は、この関係がこれからも、今の現代病、依存症も治癒していくと感じています。 取立てに限らずです
が切羽詰った人は「思い込み」を切り捨てる必要があります。 たとえば電話。 見知らぬ電話番号、
フリーダイヤル、・・・・・同じ日に数回・・・・・これらは「思い込み」を引き寄せます。 自分の思い込みは
誰も指摘しませんから、「思い込み」=「事実」ということに成り易い。 ここから、全ての方向が変わって
しまうことも多い。 思い込みで人生、棒に振るなんて最も愚かなことなんです。 (続)
※ このブログ、無断転写、禁止します。
昨日、久々の県南、吉野地方の和食研究会に参加しました。 またまた遅刻です。
わざとではありませんが、もし遅れても「ちゃんと言い訳する」とか「ごめんなさいと笑って話す」とかそういう
自己訓練もしています。 取り返しのつかないことではないからです。 許されないことではないからです。
以前完璧主義だったことから、うちの事件は相当こたえましたし、心の傷も尋常ではなかった。
ちょっとしたミスや遅れは「取り返しがつくと」言い聞かせて失敗にも少しは慣れないと、もっと完璧に
なろうとしてしまうからです。 人の評価を気にしない。 人の顔色も、動じない。そういう訓練をしています。
さて・・・・・雨の県南、吉野大淀、飛鳥~壷阪から芦原トンネルをくぐると、大台、大峰の山々がぐっと近くに
なります。 ひなびた公民館は田舎の匂いです。 メニューは・・・・・・
3分づき米、 鶏肉の柚子照り焼き、さつま芋と大豆のサラダ、梅干の澄まし汁
今回はたくさんの参加で、賑やかな調理室です。 ネパール支援では大きな顔をしている私ですが
同じ相手でも、ここではよそ者です(笑) 元気なほうれん草を洗っていると、なんと大きなナメクジラが!!
みんなが「先生」と崇めている講師に向かって「樋口さん!こんなんおるう!」・・・・・
普段、そんな人だと想われてないので、みなは一瞬、驚きます。「そんな可愛らしいこというんや」・・・・
そうなんです。 私は本当は可愛らしいんですよ(笑) 澄まし汁以外は、本当美味しかったです。
え?澄まし汁は?・・・・・美味しかったけれど、やはり「自分でつくったほうが、もっと美味しい」と感じました。
柚子も皮を丁寧にすりおろし、鶏肉の照り焼きにはぴったりでした。 ほとんどをお土産にタッパーにつめる
私を見て、講師は気の毒に思われたんでしょう。 サラダを半分分けてくださいました。 サラダには味噌を
隠し味に使い美味しいでしたよ。 ちなみに吉野は電波が通じないところが多く、携帯は通じなかった・・・・
まだ、携帯を持たない人もいるんですよ。 私も卒業しょうかな^^ この研究会は「いのちと食」
これからもできるだけ、参加いたします。 そして、都会の流れも持っていきますよ。ごちそうさまでした。
お土産は、そのまま、うちの夜ご飯に。 もう一度、研究会をしました。ほうれん草など根も食べるんです。
そして奈良に戻ると、安曇野の夢りんごが到着していました。 洋梨の「ル♪レクチェ」 もようやく
到着です。 毎年お待ちのリピーターさんがいます。 それを届けに夜は引き売りです。
「こんばんわ!押し売りです」が合言葉。 物騒な言葉ですが、本当に待っててくれる人がいるんだよ。
押し売りは迷惑ですが、欲しいものがあって呼んで買ってくれるのは「いい押し売り」です。 しかも損害意識
などない。 「選ぶ」のはもちろんお客さんだからです。 しかも伺うと、計算メモ用紙やペンも用意してくれる
。 シクラメンの鉢植えと、茶羽織をいただきました。 (笑) 手のかかる押し売りです。
万が一、損害がでても、大した金額じゃない。 私は、トラブルやアクシデントに慣れようとしているのです。
怖くて世間を歩けない時期がありました。 身体が震えて、というかしびれて、立てない時期も。
自分でリハビリをしているのでした。 だから・・・・・「夢りんごさん何やってんの」・・・・・仕事と生活とリハビリ
心と身体を自分で癒しながら、治癒していきます。 もう少しかかります。
さて、今日はもうひとつのテーマがありました。 それは「取立て」というようなものです。
この話題は近日中にアップいたします。 人の心がどんな風になり、追い立てられて、死に行く人もいるのか
私は、ぎりぎりの体験をしました。 そして、わかったことがいくつかあります。 ただ、成功するのかどうかは
わかりません。 だから、自分のした行為をしたためていきます。 たったひとつ、これは一人ではできませ
ん。 家族、友達・・・・・恋人とにかく、共有できる「味方」が必要です。 その味方は、常に自分の身になって
くれると同時に「違う目を持つ味方」であることが大切です。 相手のことを救いたいと切に願いながらも
冷めた目で「真実」を見抜く人でなければなりません。 「研ぎ澄まされた心」が必要なんです。
私は、この関係がこれからも、今の現代病、依存症も治癒していくと感じています。 取立てに限らずです
が切羽詰った人は「思い込み」を切り捨てる必要があります。 たとえば電話。 見知らぬ電話番号、
フリーダイヤル、・・・・・同じ日に数回・・・・・これらは「思い込み」を引き寄せます。 自分の思い込みは
誰も指摘しませんから、「思い込み」=「事実」ということに成り易い。 ここから、全ての方向が変わって
しまうことも多い。 思い込みで人生、棒に振るなんて最も愚かなことなんです。 (続)
※ このブログ、無断転写、禁止します。
法的な処理には限界があることも、矛盾がたくさんあることも随分教えられました。
冤罪で死刑や懲役を晴らされない人がいることも最近は身につまされます。
どんなことをしてでも「集めた書面」はどんなことをしてでも集めただけあって、効力は強力です^^
その「どんなことをしてでも」の部分は問題にならずに終わるのです。 お金のない分の弱いことも多いです。
それでも、私にはやはりどこかに「法の神様」はいたと思います。 神様が法に入ってくれたというのが正解
かもしれません。 たとえば・・・・・私たちには二人の弁護士さんがいてくれたこと。
良い悪いは別にして、こんな裁判を受ける弁護士さんはほとんどいないと聞きました。 事実だと
思います。 書類で固めてあるし勝ち目がないのです。 相手が勝つことをわかっていて訴訟しているので
す。 日々の事業をぎりぎりで追い込まれていた自分たちには「お金はない」は「時間はない」は法的知識も
ないは・・・・そのまま、「良くて破産」 悪くて「夜逃げ」「自殺」「心中」・・・・・の選択肢しかありませんでした。
ここまで、そのどれもが現実化しなかったことに、感謝をしなければなりません。 それには二人の弁護士さ
んの存在はやはり「神様の差し金」と想わざるを得ない。 何しろ、探したのでもなく「舞い降りた」としか
いいようがない。 私が数人の弁護士さんを訪ね歩いていたにも関わらず、母方の親戚が勤めていた
事務所を紹介され、半ば義理のように会った人でした(弁護士のせんせ、ごめんなさい) 偶然、奈良に来られ
ていて、主人が相談できたのです。 フランチャイズの問題にも関心があり、ご自分の信頼する先輩弁護士
さんと二人で関わってくださったのでした。 今も、後遺症がありますが、「人間不信のどん底」でした。
「一緒に闘おう」といって下さってもなかなか心を開けず・・・・(本部も最初そうだったからです)為るように
していると、取引を切られて看板をとりに追い込まれて訴訟になりました。半年後、生き延びる道がなく
闘うことになりました。 それから三年・・・・ 長所も短所もありますが、言い出したことは最後まで投げず
対応してくださいました。 法テラスだし・・・・敗訴したら儲からないはずなんですが・・・・・^^
私たちが「闘える舞台」を用意してくれたのは「法の神様」だと思うのです。 勿論、お二人の人間性もあり
ます。 最初に聞いた言葉は「研ぎ澄まされる」という法廷には似合わない言葉。 書類を包んだ大風呂敷
。 もう一人は「嘘をつかないでいきましょう」 裁判所の廊下の片隅で四人で「頑張りましょう」と声を
掛け合った法廷の「キックオフ」。 「闘える自分になって乗り越えなさい」と天上高く、神様はいたと・・・・
今年春の敗訴でいったん、一部の幕を閉じました。 控訴まで進んだのは奇跡です。 常に却下の
覚悟をしていなければなりませんでした。 それでも、「本性に逆らわず」向き合いました。
「弁護士さんがいなくてもやる」 そんな覚悟をどこかでしていました。「お金がなくてもフェアにやる」
現実は、そうはいきませんが^^ お金がないので 無理やりでも「胸を張り」ました。
実家の近所の本部さんからは罵声も浴びましたが、父母もがんばりました。 それは、法にも
神様がいたからだと思います。 「そこまで言うなら、草を分けていきなさい。」と・・・・・神様は道をあけて
くれました。 (私は、クリスチャンではありません。念のため・・・・・) 年月は人を変える・・・・・
諸行無常です(あれ? 仏教徒か?今度は) 私は、「それぞれの何が違っていたか」を考える時間を
いただいたと思っています。 騙されたり嵌められたりした根源。 相手は「何故そうなったか」の根源。
もちろん、今も闘いは続いています。 そして、百歩譲って共通の根源があるとすれば、それは
人間の「優しさ」から始まったものだと気付きました。 もともとの何の深い思惑もないものだと。
これについては、またいつか書きます。 法の中に神様がいることで、子供達にもいつか、
この話しを伝えられるようになりたい。 そして、今日は読んでくれてるみんなに、「法的」という言葉に
決して小さくなったり震えたりすることはない、と伝えたい。 もしも、そうなったら、冷静に「五感」を使って
「ほんとうに、裁かれることをしたかどうか?」と問い掛けてみてください。 数字や書面に惑わされず、
「感じ方」がまず大切です。 戸惑うかもしれないけれど「心を研ぎ澄ませて」感じることです。
怖がることはないのです・・・・そこから始まります。 法的という言葉だけで「何も起こらない」ことも
あるんです。 過去の自分で何かに負けたり、小さくなって生きたりしたことがあれば何でもないことが
罪の意識になったりします。 (親に抑えられてきたような時など) 実際にやましいことがあればもっと
そうなると思います。 でも、よく考えると人生すべてにおいて「自分は何もしていない」ときづく。
単に人や周囲に萎縮してきただけだと気付きます。 (独裁者のいる職場で長くいたということなど)
要は「責められることに慣れていた」というようなことにも気付く。 しらない間に人のしもべになっていたと。
だから、いちいち「脅し」に負けてはいけないのです。 自分の心を信じることができる人になること。
法的なことに大きく巻き込まれないためには、「心」「人格」を育てていくことが大事です。
巻き込まれかけたら 「その機会」が与えられたと思うことです。
※ ブログの無断転写、引用をお断りしますね^^ 夢りんご・・・・・・
冤罪で死刑や懲役を晴らされない人がいることも最近は身につまされます。
どんなことをしてでも「集めた書面」はどんなことをしてでも集めただけあって、効力は強力です^^
その「どんなことをしてでも」の部分は問題にならずに終わるのです。 お金のない分の弱いことも多いです。
それでも、私にはやはりどこかに「法の神様」はいたと思います。 神様が法に入ってくれたというのが正解
かもしれません。 たとえば・・・・・私たちには二人の弁護士さんがいてくれたこと。
良い悪いは別にして、こんな裁判を受ける弁護士さんはほとんどいないと聞きました。 事実だと
思います。 書類で固めてあるし勝ち目がないのです。 相手が勝つことをわかっていて訴訟しているので
す。 日々の事業をぎりぎりで追い込まれていた自分たちには「お金はない」は「時間はない」は法的知識も
ないは・・・・そのまま、「良くて破産」 悪くて「夜逃げ」「自殺」「心中」・・・・・の選択肢しかありませんでした。
ここまで、そのどれもが現実化しなかったことに、感謝をしなければなりません。 それには二人の弁護士さ
んの存在はやはり「神様の差し金」と想わざるを得ない。 何しろ、探したのでもなく「舞い降りた」としか
いいようがない。 私が数人の弁護士さんを訪ね歩いていたにも関わらず、母方の親戚が勤めていた
事務所を紹介され、半ば義理のように会った人でした(弁護士のせんせ、ごめんなさい) 偶然、奈良に来られ
ていて、主人が相談できたのです。 フランチャイズの問題にも関心があり、ご自分の信頼する先輩弁護士
さんと二人で関わってくださったのでした。 今も、後遺症がありますが、「人間不信のどん底」でした。
「一緒に闘おう」といって下さってもなかなか心を開けず・・・・(本部も最初そうだったからです)為るように
していると、取引を切られて看板をとりに追い込まれて訴訟になりました。半年後、生き延びる道がなく
闘うことになりました。 それから三年・・・・ 長所も短所もありますが、言い出したことは最後まで投げず
対応してくださいました。 法テラスだし・・・・敗訴したら儲からないはずなんですが・・・・・^^
私たちが「闘える舞台」を用意してくれたのは「法の神様」だと思うのです。 勿論、お二人の人間性もあり
ます。 最初に聞いた言葉は「研ぎ澄まされる」という法廷には似合わない言葉。 書類を包んだ大風呂敷
。 もう一人は「嘘をつかないでいきましょう」 裁判所の廊下の片隅で四人で「頑張りましょう」と声を
掛け合った法廷の「キックオフ」。 「闘える自分になって乗り越えなさい」と天上高く、神様はいたと・・・・
今年春の敗訴でいったん、一部の幕を閉じました。 控訴まで進んだのは奇跡です。 常に却下の
覚悟をしていなければなりませんでした。 それでも、「本性に逆らわず」向き合いました。
「弁護士さんがいなくてもやる」 そんな覚悟をどこかでしていました。「お金がなくてもフェアにやる」
現実は、そうはいきませんが^^ お金がないので 無理やりでも「胸を張り」ました。
実家の近所の本部さんからは罵声も浴びましたが、父母もがんばりました。 それは、法にも
神様がいたからだと思います。 「そこまで言うなら、草を分けていきなさい。」と・・・・・神様は道をあけて
くれました。 (私は、クリスチャンではありません。念のため・・・・・) 年月は人を変える・・・・・
諸行無常です(あれ? 仏教徒か?今度は) 私は、「それぞれの何が違っていたか」を考える時間を
いただいたと思っています。 騙されたり嵌められたりした根源。 相手は「何故そうなったか」の根源。
もちろん、今も闘いは続いています。 そして、百歩譲って共通の根源があるとすれば、それは
人間の「優しさ」から始まったものだと気付きました。 もともとの何の深い思惑もないものだと。
これについては、またいつか書きます。 法の中に神様がいることで、子供達にもいつか、
この話しを伝えられるようになりたい。 そして、今日は読んでくれてるみんなに、「法的」という言葉に
決して小さくなったり震えたりすることはない、と伝えたい。 もしも、そうなったら、冷静に「五感」を使って
「ほんとうに、裁かれることをしたかどうか?」と問い掛けてみてください。 数字や書面に惑わされず、
「感じ方」がまず大切です。 戸惑うかもしれないけれど「心を研ぎ澄ませて」感じることです。
怖がることはないのです・・・・そこから始まります。 法的という言葉だけで「何も起こらない」ことも
あるんです。 過去の自分で何かに負けたり、小さくなって生きたりしたことがあれば何でもないことが
罪の意識になったりします。 (親に抑えられてきたような時など) 実際にやましいことがあればもっと
そうなると思います。 でも、よく考えると人生すべてにおいて「自分は何もしていない」ときづく。
単に人や周囲に萎縮してきただけだと気付きます。 (独裁者のいる職場で長くいたということなど)
要は「責められることに慣れていた」というようなことにも気付く。 しらない間に人のしもべになっていたと。
だから、いちいち「脅し」に負けてはいけないのです。 自分の心を信じることができる人になること。
法的なことに大きく巻き込まれないためには、「心」「人格」を育てていくことが大事です。
巻き込まれかけたら 「その機会」が与えられたと思うことです。
※ ブログの無断転写、引用をお断りしますね^^ 夢りんご・・・・・・
あれは15歳の頃かな・・・・幼馴染でもう40年以上付き合っている友達が鈴鹿にいます。
お友達を登場させると怒られるかな? 彼女がまだ奈良県にいたころです。
商業高校に進んだ彼女と普通科に進んだ私。 近鉄電車の南大阪線で藤井寺を通って阿部野橋へ
出かけました。 大阪へ行くのは「大イベント」でした。 車内で彼女がささやきました。
「お金あんまり持ってないねん。足りなかったら貸してくれる?」 「え?・・・・うん・・・・」と私はいいました。
私は両親がいて母は公務員でした。 一人娘でした。 なので彼女は私のほうが「持っている」と思ったようです。
でも実際は、父は広告などの商業デザインをしていて不安定でしたし生活はほとんど母と私が看護婦さんの
アルバイトをして賄っていましたから、収入が自由になる暮らしではありません。 その日も、
財布には二千円だけ入っていました。 大阪へ出かけることがイベントでしたので、余計な買物の予定も
なくお金もそれだけなので父の誕生日プレゼントだけ買うつもりでした。 そして後で話すと彼女は
五千円を持っていました。 私の財布の中身を聞いて「うそ・・・・」と驚きました。
何を買うつもりだったのか知りませんが彼女は五千円でも足りないと感じていて、二千円しか持っていない
私に「足りなかったら貸してね」と頼んでいたのです。 そして私は私でとにかく「いいよ」と言いました。
貸し借りはなかったのですが、この話しをふと思い出しました。 この経済観念はとても影響があります。
一見、私のほうが経済観念が無駄もなくしっかりしているようですが、搾取型の人間にあえばいいように
扱われてしまうな・・・・と改めて思いました。 しかも、どこまでもフレンドリーで彼女にいいよと言っている。
相手は五千円でも足りず、「買いたい夢」を描いて「貸してね」と甘えてくる。 私は二千円の枠のなかで
必要なもの、それも父親のために少し使う予定でいる。 ショッピングが楽しいのは私ではなく彼女で
私は最初から「見るだけ」のつもり。 父のプレゼントを買うプレッシャーや友達の財布の心配まで
している。 これが15歳の私でした。 最も友達関係は今まで続いているし、相談は彼女の
ほうもしてくる。 これだけではないのですが、自分の育ち方の要素に何か今につながる過去があるんだと
思いました。 もちろん、そんなことは 罪でもなんでもない。 限りなく搾取型の人間にあえば
ひとたまりもないかもしれない。 それに親が弱みとなれば、結果は当然かもしれません。
とはいえ(笑) わたしとて15のままではなかったので、人並み以上に世の中の荒波に揉まれて
きました。 手厳しい仕事にもいくつか向き合ってきたと思う。 でも何故か、このときの要素がそのまま
どこかに残っていたのかもしれないと思いました。 もちろん・・・・そんなことは何の罪でもありません。
血と血液は違うんだと聞いたことがあります。 自然療法の東城百合子さんだと思いますが。
血液検査というようなものが血液です。 理科的な響きかなと個人的に思います。 それに対して
「血」というものは「血統」「血筋」「血のつながり」というように、過去の歴史や家系と深いつながりがあるようです
。 何か起こったとき、或いは病気のとき、自分の家系や家族の歴史、宿命的なものを掘り下げると
解決にもつながるといいます。 「何故こんなことになったのか」と思うとき、自分が悪いことをしていない
と思うときもです。 「そういう系統なんだ・・・・」ということだけでもわかったりします。
だから、「家系図」は大事なんですね。 ~家の家系図なんて宝物だったりするものです。
私の場合は父が売れない画家で印刷会社をやめて不安定な収入の商業デザインを始めています。
母は、遅くに調理師免許をとり、公務員試験に合格。 20年勤務して父と喫茶店をしました。
「後を継ぐ」というような喫茶店ではなく、私に「しないか?」と言ったんですが、若かったし人生開いてみたかっ
たので保育士や糸巻き工場、法務局、司法書士事務所、そして保育士とこなしてきました。 途中、そうそう
新聞記者なんて受かったりもしましたね^^ 母方の祖父は生まれる前には亡くなっていましたが、この人が
なにやら事業家の手腕だったと聞いています。 しかし戦中戦後と混乱の中、病気で早く亡くなったので
母は祖母を支えて苦労したようです。 事業の血がいくらかあるとすればここでしょうか?
夫婦喧嘩の絶えない、そして祖母との仲も険悪な家族で育ちました。 子はかすがい、の役目も果たし、
祖母の介護も8年間引き受けました。 ・・・・・ま、そのへんはちと、自慢になるのでこの辺で^^
「血」については、大人しいなかにもきっと「激しさ」を秘めてきた感があります。 最近実感します。
成績はいつも中の上、評価は「大人しい」「芯が強い」「我慢強い」「優しい」がしめ、子供らしさがなかったような
気がします。 でも、なかったのではなく「出さなかった」「出せなかった」んでしょう。 こうして遡っていくと
平和主義でぽわんとしていた自分が、実は巡り巡って「遠まわしな負けず嫌い」だったと知りました。
その負けず嫌いを象徴する青春の出来事を、次回書いてみますね。
おもろない・・・・ブログにおつきあいありがとうございます。
※ 私の過去を転写しないでね! 裁判所に持っていっちゃやーよ・・・・・
お友達を登場させると怒られるかな? 彼女がまだ奈良県にいたころです。
商業高校に進んだ彼女と普通科に進んだ私。 近鉄電車の南大阪線で藤井寺を通って阿部野橋へ
出かけました。 大阪へ行くのは「大イベント」でした。 車内で彼女がささやきました。
「お金あんまり持ってないねん。足りなかったら貸してくれる?」 「え?・・・・うん・・・・」と私はいいました。
私は両親がいて母は公務員でした。 一人娘でした。 なので彼女は私のほうが「持っている」と思ったようです。
でも実際は、父は広告などの商業デザインをしていて不安定でしたし生活はほとんど母と私が看護婦さんの
アルバイトをして賄っていましたから、収入が自由になる暮らしではありません。 その日も、
財布には二千円だけ入っていました。 大阪へ出かけることがイベントでしたので、余計な買物の予定も
なくお金もそれだけなので父の誕生日プレゼントだけ買うつもりでした。 そして後で話すと彼女は
五千円を持っていました。 私の財布の中身を聞いて「うそ・・・・」と驚きました。
何を買うつもりだったのか知りませんが彼女は五千円でも足りないと感じていて、二千円しか持っていない
私に「足りなかったら貸してね」と頼んでいたのです。 そして私は私でとにかく「いいよ」と言いました。
貸し借りはなかったのですが、この話しをふと思い出しました。 この経済観念はとても影響があります。
一見、私のほうが経済観念が無駄もなくしっかりしているようですが、搾取型の人間にあえばいいように
扱われてしまうな・・・・と改めて思いました。 しかも、どこまでもフレンドリーで彼女にいいよと言っている。
相手は五千円でも足りず、「買いたい夢」を描いて「貸してね」と甘えてくる。 私は二千円の枠のなかで
必要なもの、それも父親のために少し使う予定でいる。 ショッピングが楽しいのは私ではなく彼女で
私は最初から「見るだけ」のつもり。 父のプレゼントを買うプレッシャーや友達の財布の心配まで
している。 これが15歳の私でした。 最も友達関係は今まで続いているし、相談は彼女の
ほうもしてくる。 これだけではないのですが、自分の育ち方の要素に何か今につながる過去があるんだと
思いました。 もちろん、そんなことは 罪でもなんでもない。 限りなく搾取型の人間にあえば
ひとたまりもないかもしれない。 それに親が弱みとなれば、結果は当然かもしれません。
とはいえ(笑) わたしとて15のままではなかったので、人並み以上に世の中の荒波に揉まれて
きました。 手厳しい仕事にもいくつか向き合ってきたと思う。 でも何故か、このときの要素がそのまま
どこかに残っていたのかもしれないと思いました。 もちろん・・・・そんなことは何の罪でもありません。
血と血液は違うんだと聞いたことがあります。 自然療法の東城百合子さんだと思いますが。
血液検査というようなものが血液です。 理科的な響きかなと個人的に思います。 それに対して
「血」というものは「血統」「血筋」「血のつながり」というように、過去の歴史や家系と深いつながりがあるようです
。 何か起こったとき、或いは病気のとき、自分の家系や家族の歴史、宿命的なものを掘り下げると
解決にもつながるといいます。 「何故こんなことになったのか」と思うとき、自分が悪いことをしていない
と思うときもです。 「そういう系統なんだ・・・・」ということだけでもわかったりします。
だから、「家系図」は大事なんですね。 ~家の家系図なんて宝物だったりするものです。
私の場合は父が売れない画家で印刷会社をやめて不安定な収入の商業デザインを始めています。
母は、遅くに調理師免許をとり、公務員試験に合格。 20年勤務して父と喫茶店をしました。
「後を継ぐ」というような喫茶店ではなく、私に「しないか?」と言ったんですが、若かったし人生開いてみたかっ
たので保育士や糸巻き工場、法務局、司法書士事務所、そして保育士とこなしてきました。 途中、そうそう
新聞記者なんて受かったりもしましたね^^ 母方の祖父は生まれる前には亡くなっていましたが、この人が
なにやら事業家の手腕だったと聞いています。 しかし戦中戦後と混乱の中、病気で早く亡くなったので
母は祖母を支えて苦労したようです。 事業の血がいくらかあるとすればここでしょうか?
夫婦喧嘩の絶えない、そして祖母との仲も険悪な家族で育ちました。 子はかすがい、の役目も果たし、
祖母の介護も8年間引き受けました。 ・・・・・ま、そのへんはちと、自慢になるのでこの辺で^^
「血」については、大人しいなかにもきっと「激しさ」を秘めてきた感があります。 最近実感します。
成績はいつも中の上、評価は「大人しい」「芯が強い」「我慢強い」「優しい」がしめ、子供らしさがなかったような
気がします。 でも、なかったのではなく「出さなかった」「出せなかった」んでしょう。 こうして遡っていくと
平和主義でぽわんとしていた自分が、実は巡り巡って「遠まわしな負けず嫌い」だったと知りました。
その負けず嫌いを象徴する青春の出来事を、次回書いてみますね。
おもろない・・・・ブログにおつきあいありがとうございます。
※ 私の過去を転写しないでね! 裁判所に持っていっちゃやーよ・・・・・