忍者ブログ
 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


連休の奈良はあいにくのお天気でしたが、今日は秋晴れとなりました。

ならまち界隈も人出が多く、行楽に出る人達で賑わっていました。

 気合をいれて働くと、最近はすぐ身体や物にきてこたえます。  バイク、パソコン、ときて今度は車(笑)

バッテリーを交換するだけでも、夢りんごには一大事です。   ほかの段取りが全部壊れてしまうからです。

次から次へと、「これでもか」といわんばかりに、押し寄せてくる時期があるということで、今がそうなのでしょう。

 次から次・・・・^^      とにかくひとつひとつです。   

先週、やっと低所得の「救助の申請」が受け入れられて、控訴の再審議になることになりました。

六月に申請して、やっとです・・・・・どうなることか。     今まで弁護士さんも、したことはないようです。

「本当のこと」を審議してほしいなと思っています。    「本当のこと」を法廷で見直してほしいなと。

  秋になり、本当に気持ちよい季節になりました。    これからは、夢りんごの季節です。

今日は、「怒りのきんぴらごぼう」で「ライスバーガー」を作りました。  ご飯を両面こんがり焼きおにぎりに

して、得意のきんぴらごぼうをのせました。  しゃきしゃきです。

  新しいメニューになるかな?   きんぴらだけの、お弁当はないけれど、ライスバーガーにすれば

うまい!   よそのハンバーガーやさんのメニューだけど「自家製きんぴら」で作ればおいしい。

最近、ランチには 「具沢山みそ汁」をつけています。  これが人気です。 調味料がいい。

これがあれば、おにぎりでも十分です。   おにぎりは「梅酢おにぎり」がおいしい。  調子の悪いときも

これだとすんなり入ります。   料理には、少し気合いれましょう。

生活と仕事の同化・・・・・です。  このおかげで、何とか生きてこれました。ありがとうございます。
PR

 灰谷さんの晩年の小説に「天の瞳」というのがあるが、それにまつわる私の物語を今日は記事にします。

延長保育士で三時前に勤務していたころ、翔太という4歳児の園児がいました。

三時前に玄関を開けて入ると、翔太はその踊り場付近で遊ぶとも佇むともなく待ち受けていました。

 「おはよ!翔ちゃん・・・・」「おはよう、先生待っててん」「うまいこというてもあかんで。何したん・・・・」

翔太は、何かしでかして、部屋を追い出されていたのでした。 すぐにそうわかりました。でも一方で

登園する私を待っていたのも本当でした・・・・  ぐにゃぐにゃと身体を捩りながら、恥ずかしそうに笑う顔は

まだ4歳児のあどけなさなのですが、彼の頭の中は知恵の倉庫であることを私は知っていました。

 「また桜の木におしっこかけたんちゃうん?」「なんで知ってんの?」「すぐわかるは、翔ちゃんのすることぐら

い」「翔太、今怒られてるねん」「知ってんで・・・・・」  外はもう肌寒い季節。園は基本裸足保育です。

しかし、コンクリートの廊下はあくまで冷たく、園の廊下は園庭に開けていて吹きさらしでした。

 そんなことに負ける翔太ではないのですが、物事には限度があります。   着替えをして、保育室に入る準

備をしてきても、翔太はそこにいました。  「まだいるのん、早いこと島野先生に謝ってしまい~や」

  忘れ去られているのでした。  部屋にいくと島野先生は、おやつの後かたづけをしながら、机を拭いて

子供らに呼びかけています。    挨拶をして、延長保育の部屋に入り、次々と話しかける子供らと言葉をか

わしていました。   冷たい水で布巾を洗い、忙しそうな帰り支度を手伝っていました。  翔太は壁にもたれた

り柱を廻ったり、とりとめもなく時間をすごしていました。   時計を見て、翔太に近づき「翔ちゃん行くで」と

声をかけました。  翔太は待ってたようについて来ました。 島野先生の前にいくと「先生、翔ちゃん何しはった

んかな?どうしたらいいのかな?」と声をかけました。 島野先生は忘れていたのでしょう。 でも、そうともいえ

ず「翔ちゃん! ~」   翔太は「ごめんなさい」と謝りました。 そこから、ひとしきり、懇々と説教を喰らい

翔太は許してもらいました。  基本、保育は担任がその責任をおっています。 方針も違うので、あまり

人の保育に口出しはしないもののようでしたが、私は延長保育士という、いささか緩い立場でもあったし

その頃から上司に媚びない、ちょっとなまいきな保育士でした(笑)  限度を感じると、さっさと解決するように

流れをすすめました。  翔太はそれを知っていて私を待っていたのでした。

 寒空の園庭で、日が落ちる頃まで、父兄を待つ子供らと遊びました。  大半は砂場で遊びました。

「翔ちゃん!!」また先生の声がして翔太は鉄棒付近で叱られていました。  桜の木にまたおしっこを

かけたのです。  考えたら、まあ立ちしょんで、子供で、笑い話程度の出来事なのですが、保育園では

重罪で(笑)  許してしまうと、子供たちがみんなそうなることを思えば厳しく叱咤するのでしょう。

 あきれて見ていた私に翔太は「ばれてしもた!」と話しかけました。 「ばれてもばれんでも、一緒や」

「何で?先生」  「ばれんでもな、天の神様が見てはる」   曇り空を指差していいました。

翔太も空を仰ぎながら「天の神様て?」「空には天の神様がいてはって、翔ちゃんのすること見てはるんよ」

「なあ、先生、天の神様で恐い?怒る?」 「怒らへん」「笑ってる?」「怒りも笑いもしはらへん・・・・・ただじっと

見てはるねん。」  翔太の顔が一瞬こわばりました。     「何もいわんと見てはるねん」「ふう~ん」

 翔太は考えていました。   翔太は恐い先生は平気でした。  怒られることも慣れていました。

放り出されることも慣れていました。   何時間でも忘れられても 大丈夫でした。 大抵のことは平気でした。

何も言わずにじっと見てる・・・・・天の神様のことはどう思ったでしょうか。  たった一度話しただけでした。

私が園を去ることになったことを告げた日、翔太はもくもくと自由画帳にクレパスを運びながら

ひとこと、ぼそっといいました。「せんせい、辞めたらあかんねん・・・・・」うつむいて、そうつぶやいてまた、

もくもくと、クレパスを動かしました。     私は、ここで誰がどうと言っているのではありません。

ただ、事実のお話しを記事にしています。                         

 児童文学作家の灰谷健次郎さんが亡くなってもうすぐ4年になろうとしています。

「やさしさと厳しさを併せ持つ人」で教師を辞められてからも「生涯教師」だったとききます。

晩年は沖縄の果ての西表島に居住されたと思いますが、その前は淡路島の北淡町で自給自足の生活を
されていて、もう氏は逝去されましたが、淡路島なら行けるな・・・・とぼんやりと思っています。

 明石海峡大橋を越えれば、北淡はすぐでしょう。  この人ほど子供を命を慈しまれた人は

いないんじゃないかと思います。「寄り添う」ということを、言葉だけではなく行動し続けた人でしょう。

著書「すべての怒りは水のごとくに」  角川文庫  のなかに汗まみれになって畑の畝作りをする著者の

文面がある。 地元の人が息ひとつ弾まないで美しい畝を作っていくのに自分のはひいひい言いながら

しかも出来上がった畝は不恰好だという。しかし、だんだんわかってくる。  彼は土に逆らっていたと。

 鍬は「使う」のではなく土の方が鍬についてくる・・・・という感じになって初めていい畝になるそうなのです。

力ずくで土を持ち上げようとしてはいけないのです。  この「土に逆らう」というのが自分の首をしめて

いるのだと私も気づきます。  あるがままのものに逆らっているとき、確かに実りはなく苦労だけが後を

絶たないと感じます。流れを遡るのも同じです。  無駄な抵抗というか、どうせ力尽きるのに・・・・・

というやつです。   理不尽なことに抵抗するときは、どうしたものかと考えました。

いまさらながらですが、物事はすぐには変わりません。  自分の仕事もそうだと感じました。

 例えば、いきなり反旗を翻しても人の謗りをうけるだけ。  地盤に逆らわずに鍬を入れながらついてくる

土を畝へと変えていく。  そういう風に生きられたらいいなと思います。  少し実り始めた自分の仕事を

見るとき、その畝がきれいかどうかと。    いやはや、不恰好ですわ(笑)  しかし、習うより慣れです。

 その畑仕事で出会う人達を灰谷さんは敬意とともに書かれています。 朝早くから働く老夫婦がいる。

二人はいつも一緒で何をしゃべるでもなく、しゃべらないでもなく一日を過ごしています。 二人とも癌なのだ

そうですが手術は断り「こうして生かしてもらっている。しあわせなこと」と悟られている。 もういないかもしれ

ない老夫婦。  灰谷さんも癌で逝ってしまわれた・・・・・  夕方、仕事を終えて帰路の途中の川辺の土手

に夫婦はたたずんで、いつまでもいつまでもまわりの景色を眺めているのだそうです。

 その風景に出会いに、淡路島に行こうと思っています。  いつか・・・・

(すべての怒りは水のごとくに・・・・・・「やさしい人々より」)    こんな風に歳をとりたいものです。

まだ、生かしてもらえるのならば・・・・・ 灰谷さん、あなたのように優しさと厳しさを併せ持つ人になり。

登るということは、しんどいことです。 諦めてひっくりかえって寝転んでいるときよりもずっとしんどいです。

底は底なりに、しんどいけれど居心地もいいときがあるけれど、登る途中で止まって考えることはしんどいです。

底はまた、ねっころがるのが簡単だけど、登り始めたらねっころがれません。 ロッククライミングのように

途中で休むことはできません。 また落ちたろかなと思います。 どっかに行ってしまおかなと思います。

こんなとこで止まったらしんどいけれど、考えながら登るのでしょうがない。 どっかでぶらんぶらんと

休まないともたへんな・・・・思います。    身体も心もくたくたやのに、まだ登らなあかんねて^^

らく~に鍬を下ろして、土がついてくるようになるまで、あとどんだけかかるんやろな。  

灰谷さん、そっちの居心地はどないですか?  海も山も見えますか? 


秋晴れの今日、ついに今年もあと三ヶ月となりました。  きっと転がるように早いでしょう。

猛暑が長かったので秋がひときわ愛おしいですね。    役所の健康保険税の分納も

長きにわたると、力が尽きる思い。  命が萎えるきがします。  できない約束もつらい。

 半年に一度、相談に行かねばなりません。   自分はともかく、家族の身体がかかっています。

四月に行ったときは、とても不愉快な思いでした。 新任の職員二人が担当者の横にぴったりとつき

研修の要領でした。   ただでさえ、相談し辛いのに、入ったばかりの研修職員が「興味本位」に

苦しい人生を聞いているように見えてストレスが募った覚えがあります。  そういえば「研修なので三人に

なりますが、よいでしょうか?」 という断りもなかったのでした。  こちらも不意を衝かれた形で反論する

暇もありませんでした。  今日は、仕事で遅くなったので電話を入れたら「遅くなっても担当がいますから

きてください。」ということで、日が落ちる前に行きました。   事前に名前を言って約束していたから

よかったのかもしれないけれど、いつもより良い対応で、(こちらが普通かも) 話しができました。

 よかった・・・・とはいえないけれど、半年ごとのハードルをひとつ越えたという感じです。

裁判所に使う所得証明があったので、コピーして掲示し、借り入れや現状をできるだけ説明をして

生きることが精一杯で税金の優先順位が後になること。  控訴のことなど。 今まで話しにくかったことも

できるだけ話しました。 自分のプライドも失くすし、心萎えるんですが努力したつもりでした。
 
 そのせいなのか、たまたま良い担当者にあたったのかはわかりませんが、可能な限りの手続きをしました。

外はもう真っ暗でした。   役所の電灯もところどころになりました。   「つるべ落とし」・・・・とはうまく

言ったものですね。   本当にあっという間に夜でした。   ひとつひとつ、説明しなければ、理解して

もらえない。   見えない障害と同じでした。  心や脳に傷がついているのだと感じました。

 苦悩は世の中の流れに沿ってスムーズに行かないことを、ひとつひとつ説明しなければならないことでした。

それでも、当事者でなければ理解できないことも多いのでした。  しかたのないことでした。

そんなつもりはないけれど、生きるために世の中の流れに逆らう形にもなりました。 

 たとえば、中古のきれいな洗濯機があるとの情報がありました。  好意で5000円でどうかといってくれまし

た。  一見いいお話ですが、マンションの最上階から、階下まで運び、小一時間かかる隣町の自宅まで

トラックを借りて運び、古い洗濯機を廃品で引き取ってもらう・・・・・その一連を考えると5000円ですむ訳

はないと思い決めかねていました。 相手はいい話だと進めてくれましたが、私からすれば、交渉権を貰ったら

「不要な機械なら無料ではだめか」と思うところでした。  そうこうするうちに話しは流れましたが・・・・・

 リスクのほうが多ければ諦めもしかたない。  トラックの手配、人手、費やす時間とそれに伴う費用。

精神負担などを考慮すると、2万円くらいかかるのでは・・・・すると、安価の機械を買ったほうがということに

なる。   その全部を考えて返事をするので、苛立つ人も出てくるわけです。  しかし「好意」だからと

受けてしまうと、リスクの多さに難儀するのは自分たちです。そのうえ相手は「私たちのため」と思ってくれて

いるので良い気持ちで終われるけれど、こちらはストレスが残る。  だからしょうがない・・・・・

 どう思われても「ノウ」しかないこともあります。   十月の青空を仰ぎながら、ため息をついてまた

歩きます。    新しい、自分の道を行く  小さな闘いが続きます。  すべてこの世はレッスン・・・・・

宇治川の畔は自宅の最寄り駅からJRで45分くらいで行くことができます。

わずかな費用で自分癒しをするには良いところで、とうとうと流れる宇治川を見ていると

何かが洗われて流される、気持ちになります。   やっと休日の午後、おにぎりを作り簡単な惣菜を

買って宇治駅から徒歩で川中にある塔の島に着き、川の本流と発電所からの放流の出会うところが見える

ベンチに座って流れを見ていた。  ここはとても好きな場所で本流との合流地点はみなぎる流れが心地いい。

   水量も多いので激しい水のぶつかりあいが美しい。 この日はあいにく水量が少なかった。

ご存知かもしれないけれど、宇治川は琵琶湖から流れ出ているたった一つの川です。 琵琶湖に流れ込んで

いる川はいくつもあるけれど、琵琶湖から流れ出ているのはこの宇治川だけ。

宇治川は、淀川となって大阪湾に流れている。  琵琶湖の水位は何故か一年中同じだと聞いたことがありま

す。 そういえば、琵琶湖沿岸で、海のような湖なのに洪水だとか水害は聞いたことがない。いったい

どうなっているのかな・・・・・私は、この琵琶湖から流れ出るたった一本の宇治川が、とても大事な水量調節

をしていると思っています。 画像が何故か入らないので、言葉一本で伝えきれるかな・・・・・・

 闘いの狭間で自然にできる限り出会う努力をします。  小さな出会いでも。  生きてる心地を取り戻す。

気がつけば時間はずんずん過ぎていくのです。   本流はすべてを流していく。  

小さな争いも、大きな争いも、  出会った人も別れた人も・・・・・たぶん、本流に合流するかどうかの位置に

いる。  一緒に流されてしまうかもしれない分岐にいるのだと思いました。  

宇治川の川岸を歩みました。   豊かな水でした。   小さな自分でした・・・・・

流れの先には、京都の西方の愛宕山が見えました。  かすんで見えました。 ささやかな時間でした。

快速に乗れば、あっという間に奈良に戻りました。   ささやかな現実逃避でした。

                                                夢りんご