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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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私たちは、家族四人の多分、普通の暮らしでした。

格差が進むなか、どんな暮らしを普通というのかはわかりません。

例えば、朝、犬の散歩に出かけました。  つれあいは勤めに出かけました。  子供たちは学校、バイト、小さな趣味、・・・・・私は、延長保育士、   夕ご飯の時間は少し遅い目かもしれないけれど、愛犬と過ごし、

時には、病院に通いました。時には、遅れそうな学校に送りました。   時には参観日。時にはPTA役員会。

時には、週末田舎にでかけました。   時には釣りにもでかけました。   時には友人の家族とりんご狩りに。

時には、親と電話で喧嘩しました。   親が病気になり、通院したり・・・・子供のごたごたに巻き込まれたり、

時には市民農園で野菜を作りました。  時には喧嘩しました。  後輩を家に呼びました。  たぶん・・・・

今、閲覧のみんなが暮らす日々とそんなに差異のない暮らしだったかと思います。   育ち盛りでお金は足りませんでした。  小さな貯金も崩しつつ生きました。

  そんな暮らしの家族でした。   ただ、ちょっとだけお人よしだったかとは思うくらい、ちょっとだけ優しくて責任感のつよい家族でした。   振り込め詐欺ではありませんが・・・・他人事としてみれば「あんなことには巻き込まれない」と思う人は多いでしょう。   自分も慎重派だったと思うし、石橋を叩く人間でした。

  実際、巻き込まれるときは、気がつかないのではないかと思います。   事件に巻き込まれていくときは
そんな気がします。   「ちょっと、おかしい」と感じた時は、もうかなり遅いのだと思います。

 何事にも巻き込まれずに生きる人が時々います。まれな幸運な人だと思う。   「人を信じること」が真逆の裏目にでた出来事でした。   お金の苦労だけではない、人を嫌悪しながら、人と関わること、 人に踏み込めないこと、みなが簡単にしていることが、できないつらさ。    具合の悪いことに、たいていは「強い流れ」の味方でした。      私は・・・・・普通に生きている人がいきなり、滑り落ちる落とし穴があることを、まず警告したいと思います。    そうして、嵌める相手は大抵、ニコニコ笑って近づいてきます。  搾取するためです。

泥棒が「泥棒です」と現れないように。  詐欺師が「こんにちは、詐欺師です」と入ってこないように。

その人は、「大丈夫です。まかせて」などと・・・・笑っているのです。  その怖さ・・・・・ならば笑っている人はみんな、実は敵なのか?   そのスレスレを見極めるために、私は今、ちょっと足を踏んでみたりします。

 ちょっと水をかけてみたりしています。   関係に傷をつけて、或いは汚して、そこから生まれる人間関係が本当のはじまりだと思っています。     普通に生きる人々が、何かに落ちないためには、騙されないためには、自分もすきを与えず、見下されない強さを身につける必要があるのだと思います。

  フェアトレードに生きることに出会ったのは、必然だったと思うし、すべてのことは天の瞳が見ていたように思います。  だから、この先のシナリオも、もう書きあがっているような気がするんです。  父が倒れたことも
田舎の父の死も・・・・何か、この時期の出会うべき出来事なのかと思えます。  

そして、このハードル(極めて高いハードルでした)を越えると、実はまたハードルがある。

それを越え続けていくことが、この世・・・・生きることなんだと。 「もう立てないよ・・・・」何度も叫びながら。つぶやきながら・・・・・・
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 こんなブログを書いていたら、お客様まで変わってきました。

今日は、営業マンの若い男子の二人連れ・・・・  となりの保育サポートセンターのイベントで、臨時出勤していた保育士さん・・・・   そして、近くに住んでた、子連れ弁護士さん・・・・

 法の専門家さんも、週末はパパさんです。   お菓子を買ってくださり・・・・大仏さんを見にいくそうです。

今日はちょっと、おいしい奈良名物の「おくたのみたらしだんご」を完売直前にゲットしてもらい、贅沢にもおやつをいただきました。    映画監督の河瀬直美さんが、ちゃりんこで買いに走っていた有名なみたらし団子です。     「あまいの」と「からいの」があります。    こんがりとした焦げ目がおいしいんです。

このブログは携帯写真が取り込めないんで^^  また、違うページで^^

ぺったんこの団子は辛口。ころっとしたほうが甘口です。  辛口が人気かな・・・・奈良では昔から「みたらし団子」はぺったんこだったように思います。   このお団子は、ちょっと硬い歯ごたえでしっかりしてること、
黒い焦げ目が実は美味しい(香ばしい)  そしてさらっとした辛口のしょうゆととろっとしたたれが甘口。

毎日、限定数の販売で早く行かないと売り切れなんです。   奈良に来たら、ならまちを歩いて、早い目にゲットしてね!  昔の縁日の味です。   こういうの作った人って偉いなあ・・・・多分、おばあちゃんが孫におやつとして作ったのか・・・・団子としょうゆの素朴な味、きっと焼いてる匂いはたまんねえだろうなあ・・・・

若葉の匂う季節です。   鹿たちも、最近はどんどん・・・・奈良公園から市街地まで降りてきていて、
道路の中央分離帯なんかで、若草を食む姿に出会います。   「草食系やねえ、あんたら」当たり前のことをつぶやいてみたりします。    若草は、寒さと雨の匂いをおびて、見ていても新鮮そうです。「んなん、うまいんか?」呼びかけてみたりします。  夜中は市街地のゴミあさりをする姿も見受けます。 目的があるのでしょうか?   迷うことなく、細い路地を集団で走りぬけていく群れもみました。    一般道路で混在して、過ごしているので、まさに「鹿に注意」です。  とろり・・・・と道に抜きん出て、どうすることもせず、佇んでいたりします。    行動が読めないので、速度落として走行するしかありません。       

 今年は遷都1300年・・・・・鹿たちも、プライドを持って、胸を張って、奈良を歩いているように見えます。

生き物と自然とがフェアトレードしてる。   今年のちょっと騒がしい奈良の風景です。

夢りんごも、ちょっと騒がしい昨今です。

世界で一番、貧乏な国ブータンは貧乏だけど、豊かな国だと聞きました。

失敗を薬、或いは修業と捉え、がんばることは基本的に賛成ですが、その薬の「致死量」によると思います。

人の、一家族の生死を分けるような致死量の薬、はやはり、与えた側の責任が重いと思います。

  小さな暮らしでよい・・・・・もはや。  そう思います。   生活と仕事を同化して、卸しで身体にいいものを
販売しながら、自分で買いうけ、衣食住をほとんど、補いながら生きてきました。

ときには、チョコレートのように、シェアするお店が多く、仕入れを便乗されるオーナーもいて、ちょっと無理しないと成り立たないこともありますが、金額にして過去の事業の5分の1、10分の1・・・・ハードルを低く設定していくつも越えていくようにしています。    過去の事業はその選択ができませんでした。
 顧客が60件あれば60人分の仕入れ。  しかし、顧客を60人にするか、30人にするか、20人にするかはオーナーが決めて調整していけばいいはずだと後で(事業を継続していて)わかりました。

 そのヒントを得たのは、最後の半年の、担当者の訪問時でした。  150くらいあった加盟店の中で、自分たちは「何位?なのか」尋ねたところ、30番台だったのです。   「こんなに経営が苦しいのだから150番でもおかしくないな」と思っていたので驚きました。  30番台だと自分たちの後ろに120店舗くらいあるのです。

  そのとき、「売上が店の経営状態を表さない」ものだと知りました。   みんな、少しの売上で、継続できるようにしていたのです。  もちろん、売上がなければ、事業は成り立ちませんが、支払いを減らすためには
顧客の件数を増やさないことが必要だときづいたのですが、もう遅かったかもしれません。   小さく軒数を増やしつついたお店に「他所の会社の加盟店が撤退するから」と突然名簿を回されました。社長は得意がおでした「ほら、言ったとおりでしょう。こんなに増えたから成功しますよ」という意味のことをいいました。

 しかし、それは断らねばならなかったのです。でも高齢者が困るから、迷惑するからと、許されませんでした。

継続して営業すること・・・・・これがお店にとって一番大切なことです。  

お話しすること、ちょっと疲れました。  また、少し休憩します。    問題が解決したら・・・・私は小さな暮らしをしていきたい。     このまま少しだけ、少しずつ、小さいけれども豊かに暮らしたい。

左うちわで大もうけを望んでいるわけではありません。できれば、最初の資金を一番多く出してくれた母に少しでも戻してやりたい。母は苦労して貯金をしてきましたから。  そして順に借り入れやお世話になったところに
可能な限り返し、もし残れば、小さな資金でやりくりしながら、小さな旅をしてみたい。  

ささやかな、望みです。    誰かを打ち負かしたいわけではありません。 最初に近い状態にお金の流れを戻したいだけなんです・・・・・・                     

 子供の頃の好物といえば、ネーブルでした。    今は、たくさんの柑橘系が出回り、国産みかんも種類が豊富で、でこぽんやぽんかん、清見オレンジ、・・・・・いっぱいありますけど、昔むかしは、ネーブルと、やっと
グレープフルーツが出たころで、八朔はどこかで頂き物がたくさんあったけど、すっぱくて、お砂糖をかけてやっと食べれる果物でした。        ネーブルは祖母が時々買ってくれて、そのおへその開き具合で熟がわかると聞いたことがあります。    ネーブルも「へそ」という意味なんですよね。

 ネーブルが出回っていて、昨日二つ買いました。   形もおいしそう。  皮が硬いので、カットしていただきました。   水分もたっぷりでジューシー。   小さいころと同じ味。

  大好きな茨木のり子さんの詩にも「ネーブルの樹の下で」という詩があります。

そんなことを思い出していると、初老のご婦人が立ち寄られました。   オーガニックコーヒーを注文下さって
「電車待ちですか?」と尋ねると「はい、乗り間違えちゃって」とお返事。 どうやら、奈良駅で大和路線と万葉まほろば線を乗り間違えられたようでした。    よくおられます。

引き返す、電車を待つあいだ、立ち寄ってくださって、なんと店頭の書籍、茨木のり子さんの詩集、
「見えない配達夫」を買ってくださいました。

 茨木さんの詩集は、ひとつずつ、取り揃えていて、ひとつ買って下さるたび、また入れる・・・・という繰り返し。

嬉しいのですが、手放す寂しさもあります。  「え~売れちゃうの」もちろん現金は必要なんですが。

聞けば、奈良には思いいれがあるとかで、広島県の生口島から来られたようです。

夢りんごらしいお客様でしょ?    無人駅のお話しをして、茨木のり子さんのお話をして、列車時間が来たので「いい思い出になったわ」と駅に向かわれました。    夕暮れの近づく無人駅は、毎日いても旅情を感じることがあります。      また、いちどおいで下さいね。   みんなで飲みましょう^^   

ブロ友さんには、ブロネームで来て下されば、オーガニックコーヒーをごちそうしますよ^^   おつきあい、いつもありがとうございます。              

変なタイトルですみません。    実は私の父が昨日急病で、急遽実家の近くの病院へ走ったのです。

  こちらも大変なときなので、親たちはみんな、年寄りなのに「自立」を強いられています。

でも、さすがに昨今は、やはりそろそろ、危ないと感じます。  先日会ったときも父は杖を持たず(おじいさんみたいだからと)「おじいさん」なのに我を張っていて、転びました。 「しっかりしよう」としていたようです。

昨日も父は結果的に少し回復しましたが、やはり、少しましになると「早く戻ろう」として日常生活を続けようとします。   鍵なども鍵穴になかなか合わないのに、自力であけようとします。   まるで、うなされていたのが夢のように、(或いは夢だったのかも)、危ない手つきで日常を取り戻そうとします。   手を貸そうとしても聞きません。      少し意識が戻ると「誰が呼んだんや(娘の私を)」とつぶやきました。   でも、それまで
私の手を頼っていたのです。   周囲が面食らうほど、自力で動こうとし、できずに倒れることもありました。

  父は言語の障害もありますが、認定も受けず、頑固なまでにへんくつで石のようなところがあります(娘が私)  この父は、根っから対人関係が下手で、容量も悪く、損をする方なんですが、私達の事業に対して、事業もわからないのに、本部の役員さんが家に来たときひとこと言い放ったことがあります。

  それは、交わされた書面についてでした。  まだまだ、素人で支払いに困っていたとき、困っているうえに
月5万の上乗せ払いを要求されたことでした。   「支払いに困っているのに、その上、月五万など、あんたが考えても払えるわけがないのじゃないか?」  (何故、娘夫婦はそんな無理な約束をせねばならなかったのか、できない約束をする娘じゃないと言いたかったようです。) 相手は「うん」とうなずいたと聞きました。

  父ちゃん・・・・・あんたらの為なんだ・・・・「老夫婦に何かあれば、助けるから」  と約束を強いられたんだ。

それで、事態が怖くて私、倒れたんだ。  それを見て水を飲ませて介護してくれたつれあいが、みんなを守るために約束したんだ。  そんな無理なこと、「死ね」というような約束、普通はするわけないよ・・・・・四月のある日、夕方から来た二人が深夜、日付が変わるまで帰らないで約束を取り付けたんだ。  とても怖かった。
 それ以来、時々、心療内科も言ったけど、不安とどきどきの障害は治らないんだよ・・・・・次の日、この人は
実家に訪れ「昨日は夜中まで大変やったわ。帰ったら二時や」と母に伝えにいったと聞きました。(今から思えば、母が昨日の出来事を聞いていないか偵察に行かれたのでしょう)       ごめんなさい。緊迫させました。    しかし、最後まで  自分たちの弱さも恥も含めて、伝えねばなりません。

  これを伝えるのは、大人としてのプライドも実は崩さねばならず大変でした。   日頃、人には騙されないと
自信のある人は多いでしょう。   私もその一人でした。   真面目で弱くて優しい自分、相手の立場を考えること、すべて裏目にでてしまいました。    事実を話すのに、4年かかりました。   私は今、たんたんとですが、実は涙がとまりません。    こんなことまで言うとは思いもよらなかったのです。  

  さて、そこで父ちゃんです。   もはや、私達にとってたった一人になった父ちゃんは、家では文句ばかりいいながら、母とひっそり、石のように生きています。   早く、手元に引き取りたい。    だけど・・・・・
  そうかい・・・・・父ちゃん、あんたは娘の世話にはならんのかい・・・・   (続)    緊迫させました。スルーしてね・・・・・