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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 友人の知人ですが、こんな方がおられます。  小さな子供を乗せて車を運転していた。

信号もほとんどない、直線道路、普通に走っていた。  ふと、子供たちが、はしゃいだので慌てて急ブレーキをかけたと聞きました。  そこへ、後続の車が追突した。 この事故はこじれて、最高裁までいったと聞きました。   もちろん、追突した側は加害者ですが、  普通に走っていて何の前触れもなく急ブレーキを踏まれては避けようがなかったのでしょう。  前の車は、前後をよく見て、安全な停車場所にとめることがマナーです。

 車の前後は、知らない人同士であることを、普段から自覚して運転しないといけませんね。   私は個人的にこの事故は、加害者側を気の毒に思います。    「普通のことをしていた」のは後ろの車だからです。

 また、知人のまた知人ですが、こんな事故のお話。      お店のオープンで賑わっていた店先、お祝いに訪れた人が、帰りぎわ、中のスタッフと笑いながら入り口を出てきた。  彼は中の人との会話に気をとられていた。  前を見ずにふらりと歩いて出て、そこに車の老人が低スピードで走行してきて、運悪く車のボンネットに当たった。  とくにけがもないようで、そのまま走行しようとしたら周囲に「当て逃げ」と取り囲まれてしまった。   この場合も車のほうが加害者です。    声をかけずに行きかけたのは、よくないかもしれない。
 しかし、歩いてうかつに出た大人は、単に被害者でしょうか。    このときも、何らかの騒ぎになった。
「私は被害者」とおおむねを張っている。    

 まだまだ、こんな事件は山ほどあります。 事故に限らず、一方的にどちらかが悪いということはないとおもうので、例えば、自分たちの事業も、悪いところや素人だったこと、優しいが弱い人間だったことなどを反省して
その責任は、貧困と向き合い、お互いを癒し、励まし、周囲の助けも借りながらきました。  でも、相手は一向に反省どころか、どこまでも叩き潰そうとかかってくる。    これは、法であろうと哲学であろうと、どこかで
ちゃんと向き合う必要があると思いました。   中味を考え直し、システムのどこがこんなに人を、家族を追い込み、破滅するまで転落させるのかを話しあう・・・・・その手前で「取引を停止して廃業」に追い込まれました。

   今から思えば、「自分たちが具合が悪くなった」からだと思います。   ここで、90%の方が破産を掲示されました。   でも、どうしても、何だか違う・・・・。  こちらの財政を顧みず、アクセルを踏んで数を増やしてきたのは先方なのに。   ここで破産してしまうと案の定「うちは被害者」と相手に言わせてしまう。そう漠然と思いました。     看板をおろして、看板を取りに来た本社の下っ端さんに「これは私達がお金を払って買った看板です」と追い払いました。    安っぽいシールをはがし、今は店のパーティションになっています。

その秋のことを忘れることはできません。  店の前に小さな苗木を買って植えていたつれあいの姿を。
私も、もう少し明るめの趣味のいい、苗木を植えました。 ポケットから投げなしの小銭でした。
                                                              (続)  
    
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応援ありがとうございます。     影ながらの応援、日向からの応援、とても感謝です。

基本的には、自分たちの問題なので、人にたすけを求めるつもりはありません。

でも、人生の一幕をとにかく、一度はきっちりと下ろす準備をしています。

 この歳から路頭に迷うわけにも行かないので、ここで無人駅前で根を張っていくつもりです。

しかし、日頃心通わせていて、元気をもらう仲間と、「本当の苦しみ」を胸に、はしゃいだり笑ったりするのも
少々疲れてきました。     ここは・・・・「自分は何者なのか」を鮮明に生きて、後づさる人もよし、うなずく人もいてよし、こんな狭い文面ですが、何かのご縁・・・・・無理のない程度に巻き込まれてもらおう・・・・と判断しました。

  人生は人と入れ替われません。    後悔してもしょうがない。

これは修業と向き合うしかない。    それは先方も同じです。    ここで勉強するしかない。

たたき潰しあうのではなく、ここは修業です。     

ずたぼろですが、最後の力で何とか、悠然と生き抜きたいと思います。  それを見る社会の目の代表が
ブログの閲覧者だと思っています。 

   今日は20年来の友人が一年ぶりに訪ねてくれました。    こうした長いつきあいだけが夢りんごの財産です。    携帯が止まったり、電話なんかしょっちゅう止まり(笑)   水道やガスも止めて生きてきました。

私は笑っていますが、子供たちは「お母さんはいいかもしれないけどね!」と怒りました。当然ですよね。

そうだよな・・・・・と思い、交渉に歩きました。(笑)   なんて親でしょうか・・・・でも、そんなことにへこたれて落ち込んでいては命がいくつあっても足りませんでした。   ほんの・・・・一年くらい前のことです。

 「水道って簡単に止められるんや」と感じました。   死んじゃう人がいても、不思議じゃないですね。

何だか、貧困自慢ブログ・・・・になりそうです^^             (続)                                        

世の中はイージーゴーイングに振舞わされている。  情報やシステムが複雑化され、裏があったりなかったり
「ありのまま」でいけばとんでもない落とし穴があったりする。

なのに、答えは即決。  制限のなかで右左を選択し、いつもぐいぐい進むことを「頑張る」と判断される。

 先日、とうとう携帯電話(かれこれ6年くらい使ったか)が使えなくなるというので、しょうがなしに機種変更をした。   カウンターの販売員は何を言ってるかよくわからないので、通訳に息子を同伴した。

ポイントだけはたまっていたが、使えないらしく、充電器はポイントで買えるというので、仕事と家庭用に注文をしたがせいぜい2台である。   「お客様のポイントだと18台まで注文できますが・・・・どうされますか?」
「は?」     笑い話かと思っていたが真顔なのである。・・・・・・そりゃ、元はとれるだろうけど・・・・・
充電器、18台発注するか?    尋ねるほうも尋ねるほうである。  それが、まかり通り、恥ずかしげもないのが今の時代。     そういえば、かなり前、小さな仕事用の掃除機を見ていた電気店で「そちらは、吸引力のないタイプの掃除機でございます。」と販売員が言った。   「え?」    顔を見て私は聞いた「吸引力のない掃除機なんて、誰が買うの?」・・・・・・「あ、そうでございますね^^」   冗談かと思えばそうでもない。

  これもちょっと以前・・・・・どこかの見たことのある営業マンがドアをふわりと開けて入ってきたことに、気付かず、流し台で洗い物をしていた。  「こんにちは!」・・・・・ふいに声かけられて、私はドキリとして振り向いた。
「びっくりするじゃない!!」と声高に言ったら彼は「どのように入ってきたらよいのでしょうか?」の聞くのです。

言葉はていねいなようで、内容は土足で泥を落としている。「そんなん、自分で考えてよ・・・・・」

何だかおかしい・・・・日本人。    これは・・・・法律違反じゃないからいいのよね・・・・きっと。

一方で、昨日も大和路線で人身事故。  それは、神経壊して死ぬよりは、とぼけた若者で生きているほうが
ましといえばマシだけどね。     こんな身近な空の下、毎日毎日、鉄道事故で逝ってしまう人がいる。
赤ちゃんを抱いて線路に横たわって死んだ母子がいた。  ついこの間のやはり大和路線。

  四月は人がおかしくなる・・・・と思っているけど、年々ひどくないか・・・・・どうかしてない人なんているのかな。



最近の哲学・・・・「相手を責めるより自己の甘さを反省してやり直す」というような思想が、講演などでも多くなっていると思う。   実は私達も、そういう考えの持ち主だった。  今もおおむね・・・・変わりなくそう思う。

しかし、始めから「自己責任」といえば、「そうでしょう?自分のせいでしょう」ということになり、本当のことが見えない。   自分の何処は自己責任で、違う部分はどこなのか?  どこかは反省するけれど、相手が悪いところはどこなのか?  と考えなおす暇もなく、世の中は強いもの有利に動いていく。

  「自己責任だ」と反省する人はどこまでも自分を責める。壊れてこなごなになっても自分ひとりを責め
病気になって死んでいく。   責任逃れをする人は、そんなことを何とも思ってはいない。

もし・・・・・途中でその話し合いが何度かできたら、ここまでの事件にはならなかったと思う。

うちの場合は2007、7月末に立会い人を入れて話しあいを試みたが、悉くかみ合わず、それでも事業に走りまわりながら、何度か交渉を依頼したにもかかわらず、9月には一方的に取引をやめて廃業に追い込まれた。
 それでも、ブログの閉鎖や看板卸し係が押しかけて、大変なめに・・・・・想像していただきたい・・・・今の店は
例えば、フランチャイズの代表であるコンビニが潰れて、その店主が店をたたむ金もなく、夜逃げもできず、自殺も一家心中もする力もなく、しかたなく同じ場所でよろずやを始めるようなものである。 それが・・・・今ごろ
私にも客観的にわかる。      一番大変なのは融資の返済である。  たいていの加盟店は金融機関から融資をうけている。   その返済は・・・・事業であれば数十万~果てはきりがないが、その返済がある限り、事業はやめられない。   田舎などで「どうもこの事業はおかしい」と思って本社の担当などに聞いても「法的に何も問題はないし、みんなちゃんとやっています。あなただけですよ。そんなことをいうのは・・・・(成り立たないのはあなたがちゃんとやらないからだ)」という風に言われると、正直な田舎のおっちゃんは「そうなのかなあ」と引いてしまうといいます。   私はこの話しを、実際の加盟店から聞きました。     どこまでも「自己責任を押し通す」のだと。    この世はよくなるはずがない。      良くなるはずがない・・・・・

  昨日も京終の通る万葉まほろば線で女性が鉄道で亡くなった。  線路にうつぶせていたという。
ほどなく、いくつか向こうの駅近く、男性も鉄道の走行中に踏み切り内に入ってきたという。    こんなことが
毎日毎日繰り返されて年間3万5千人以上の自殺者の一部となり・・・・国は、根こそぎやり直さねばならない時にきていると思う。    「自己責任」・・・・・そこまで責める必要はないと身近な人はいってあげねばいけない。

私もずっと・・・・祈りながらきた。   雨の朝、駅に送るとき、「どうか、ホームから主人がふわりと落ちないように神様」     自分もまた、白い闇を越えないように神様・・・・・(続)



*このブログの無断転写、引用はご遠慮ください*                 





ちょうど一年前、  清見村でペンションを営む夫妻が、私達一家を呼んでくれました。

悲惨なめにあっていたことを、いくらか承知でしたしご夫妻も大病を克服して、人生を見直し、再スタートされたあとだったので、お金がない私達を事務室やプライベートルームに無料で呼んでくれましたが、それではいくらなんでもアンフェアなので、2500円で素泊まり朝食をつけていただきました。    目的は、ずっと家に置いたままだった、愛犬の遺骨を敷地の片隅に葬らせていただくこと。 

 何の力も出ず、仕事と食べるのが精一杯だった私達は3年近く、愛犬と別れをできずにいました。

霊園に預けるのが普通なんですが、お金もかかるし、何だかしっくりこないので(愛犬にはふさわしい気がしない)そのままになっていたのを、清見のご夫妻の好意で敷地の一角を提供してもらったのです。

 家族四人とも文句なしに了解でした。    桜咲く、土曜日の夕刻、日曜の休みがやっとの日々だったので、
何とか家族が集合して清見村へ・・・・・ 着いたときは深夜になっていました。   お風呂をいただいてただ
朝まで眠り、朝食をいただいて愛犬の供養を・・・・・墓石の代わりにふきのとうをひとつ植えました。

  そこには今、ご夫妻がライラックを植えてくださっています。  そして清見の犬たちとしばし戯れ・・・・・

そんな光景のブログを、何を勘違いしたのか、 本部は法の闘いの場所に提出したのです。

「こいつらは、こうして遊んでいる」とでも言いたかったのでしょうか・・・・・傷の上に、塩を塗るような行為でした。

ブログの中で笑っているのが許せないのでしょうか・・・・・・つれあいは激怒しましたが、あきれるしかありませんでした。   ささやかに犬の供養に出かけた家族でした。   笑っていても心身はずたずたでした。

 人は・・・・・こんな生き物だと改めて悟りました。   「自分が何をしたのかまるでわかっていない」と思いました。     その後、こちらの法の専門家と何度かこの件を話しましたが、廃業させてもなお、支配しようとする態度にとことんあきれ返りました。   こんな風に、ブログはどこで何をされるかわからないので、どうかご閲覧のみなさんも、読んだらスルーを繰り返してくださいね^^    とことん、重たいブログですみません。

このご夫妻の好意のおかげで、何とか一区切りをつけて、家族は一歩一歩歩き始めたのでした。

世の中には・・・・・とてつもない方向に動くこともあるようです。  (続)