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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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ネパールのはぎれで作ったアイピローです。ポチとタマ・・・・・はぎれの色合いがひとつひとつ違うので一点ものです。    優しい色合いで、肩や目の上に乗せて、ほど良い重さ。職場のお返しにも喜ばれてます。

22932eba.JPG¥945円   別売り¥300円で洋服もあります。在庫の絶やせないロングヒットの
商品です。  表情も一つ一つ違います。   夢りんごではポプリをつけて販売しています。










こちらは新商品のシルクのペンケースとキイケース。   鮮やかなストライプが綺麗でしょ。

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カンボジアから・・・・ファスナーが角から角に幅広くついていて取り出しやすいです。  キイケースはキイホルダーからファスナーで中に入れてポーチになるんです。   シルバーと光沢のバイオレット。

ペンケース ¥1500円   キイケース ¥1200円 




「全身用クリームクインタブルヴェール  レディローザ」  ¥2700円
637381d4.JPGこのまあるい入れ物・・・・・女性が必ず興味を持ってくれます。「働女性のためのオーガニックヴェールケア」 首すじ、リップ、ハンド、全身用保湿ケア&アロママッサージクリームです。   高貴なヒマラヤ産ダマスカスローズ油、カカオバター、ホホバマカダミアナッツオイル  心と肌を潤す芳醇な成分を凝縮しました。100%天然素材、固いクリームですが、人肌でとろけます。  甘くて爽やかな香りを届けられないのが残念

ただいま、一番人気商品です。   








ちょっと見えづらいですね・・・・・ごめんなさい。   これはうちのスタッフ~幅広いリピーターを持つ
化粧水です。  「朝摘みばら水」  ¥1890円   薔薇の芳香蒸留水(化粧水~お出かけ前のコロンにも)

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アレルギーはまずありません。モロッコの朝摘み薔薇水・・・・アトラス山脈の裾野
カスパ街道、涼しい気候と豊かな水。古くから薔薇の産地です。  ムゴナという地域で香り高い早朝に一輪一輪手摘みしました。爽やかで柔らかい心地です。

毎年、初夏~初秋は発売がありません。厳選された薔薇水は10月~の販売。

お店の一押し薔薇のエッセンスです。       以上おすすめアイテムの紹介でした。      興味ある方はお尋ねください。  送料もフェアトレードで^^
興味ない方はどうぞ、スルーしてね・・・・・・
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二人とも、黙々と仕事をこなしながら、小さなことを大切にして歩みを続けています。

告別の行事はあっと言う間に終わり、何があったのかわからないまま、すぐに日常に戻らねば、生活ができません。  生きることは・・・・・そうです・・・・・死に向かって歩むことなのです。

 それでも、桜は気がつけば満開状態。   紅茶プロジェクトのイベントのマーケティングにも加勢し、
カナダからの友人が訪ねてきたり、プランニングの相談を受けたりしながら、日々の店頭販売もこなしているうち、私のほうは日常を取り戻しつつあります。    娘の受けた国の助成のあるパソコンの学校も終了して就職活動の日々・・・・・単位不足の息子の心配もあります。   3人になった老親の気がかりも明日をもしれない事業の行く末も、自宅のトイレの詰まりも、壁に浸みた雨水も、数年していない喪服のクリーニングも、数知れない支払いや税金の延納の願い出も・・・・・ひとつこなせば、5、6個増え、全てを直視できずに足元を見てただ淡々と歩む日々・・・・・せめて白い闇の向こうに行かないように・・・・互いを気遣いながら歩む日々・・・・・

 裕福であれば、こんなに家族を心配したり気遣うこともなかったかもしれません。

この歩みを、人は「気の毒」というかもしれません。或いは「不幸」と見るかもしれません。でも、人生は
どこかでつじつまが合うものだと私は思います。  暮らしに四季があるようにです。

 夜明け前に何事か起こる・・・・そう思っていました。  無理やり高いハードルを越えて、元気に生きるのではなく、小さなハードルを越えながら、またささやかに元気を取り戻したい・・・・・そう思います。

 「黙っている」ことが実は一番堪えている・・・・・とわかっている。  

だから、歩む。      走れば走るほど哀しみは閉じこもる。   心の整理はできそうにない。

だから、歩む。       吐息のように哀しみを小出しにして、うつむきながら顔を挙げ、空を仰いで足元を見る。              こうして生きていけば、いい・・・・・こうして生きていくだけでも結構大変な日々。

だから、歩む。      哀しみを癒すことが「甘え」になる時代。だけどしっかり癒さないとしっかり歩けない。

歩む、歩む、・・・・・・・   その歩幅でいい・・・・・

 小豆島は穏やかにして火山島です。  あの風光明媚な瀬戸内にあって、寒霞渓のような、奇岩の渓谷もあり、フェリーの港は姫路ルートの福田港、岡山日生からの大部港、岡山、高松からの土庄港、島の南部の池田港、坂手港。   すべて赴きの違う不思議な島です。

 私は結婚したとき、つれあいもですが、何よりこの島が「故郷」になることが嬉しくてたまりませんでした。

まるで、受験に合格するのが嬉しいけど「定期で電車通学」が心嬉しいように・・・・・・

橋の計画から外れ、今でも「地続き」ではないために今回のように急な帰省には船の最終便を逃すと
翌朝まで渡れない・・・・難点はあります。  目の前に見えていても「遠い故郷」なのです。

 故郷の村は島の西側、「大阪城残石公園」の近くにあります。  なので対岸は岡山になります。

今回は家族が別々に帰郷したためもあり、高速バスで四国高松に渡って船に乗りました。  このフェリーでの楽しみは「船中さぬきうどん」なんですが、今回は食べそびれました。 でも父からの見送りの贈り物「瀬戸の夕やけ」を見ることができましたので、別につれあいのブログで良かったら見てください。

 高松~小豆島土庄はフェリーで約一時間です。 船中からは瀬戸内の島々、四国山系、屋島、瀬戸大橋も垣間見ることができます。  波は比較的穏やかで、風雨の中も揺れませんでしたので、船酔いの心配もなさそうです。   島の小学校の運動会に父の書道の教え子が走るので見学に行ったことがあります。

 二十四の瞳の小学校は別にありますが、北浦小学校も十分、島の分教場で児童が少ないので学校の運動会というよりも「村の地域対抗運動会」のようでした。   大人が再三借り出されます・・・・・・というか、大人が率先して参加しなければ催しが成り立ちません。   父と二人でリレーを見ました。  年老いた老人といるのにまるで「青春時代」のような思い出なのが不思議です。  父の話を引っ張って申し訳ないのですが、
もうひとつ、覚えている父の句を書きとめておきます。

   「 俺んちの  つばめ追うなと  隣の子  」

軒先で子育てに忙しいつばめが行き交うのを父は、杖で軽く振り追ったのでしょう。  それを見て隣の子が
「じいちゃん、うちのツバメ追い払わんといて」と苦言した様子がほのぼのと伝わります。

のどかな、そして厳しい自然もそそり立つ小豆島・・・・・オリーブの薫る島。  故郷です。 みんなの故郷はどこでしょうか・・・・・・   香川県小豆郡土庄町小海・・・・

                                               夢りんご K

義父、徹が他界しました。   かねてより療養中だったのですが3月23日の昼前・・・・眠るように逝きました。

義父とはとても仲良しでした。  楽しい思い出ばかりです。 私には実父がいますが、第二の父である義父とは仲がよく、事業を始める前まではずっと文通していました。 なので、以後「父」と称します。
   
 父、徹は信州、丸子の出身でした。(現在、長野県上田市)  私達家族は本籍長野県なのです。

肺を患い、大阪から小豆島に渡りました。   その後、終生を小豆島で送ることとなりました。

父は、書家であり俳人でした。   今も島の道の駅には、父とその弟子さんたちの句碑が残ります。

60歳を過ぎてから、書道師範をとり、島の村の自宅の一角でつい数年前まで「寺子屋」を開いて「書」を教えていました。   帰省するのを楽しみにしていて、帰ると待ちかねたように「寺子屋」に呼んで、遺作となった
「千曲川旅情の歌」  を見せてくれました。    「この書は少しずつ書くのですか?それとも一気に書くのですか?」と尋ねるといささか興奮して、語尾を強めに「一気に書く!」と言い放ちました。

そして、もういちど、今度はつぶやくように、自分に言うように「一気に書く・・・・」といいました。エネルギーのある
存在感の大きな父でした。   さて、急死の知らせを聞いて、事業の段取り、調整をするのが大変でした。悲しむ時間はありませんでした。 大阪から、高松までつれあいと息子が先に高速バスで小豆島に向かい、
店のあとかたずけをして、段取りをして、夜、私と娘が同じルートで向かいました。 連日の雨は三日、降り続きました。        つれあいと息子は通夜に向けてフェリーで帰省しましたが、私達は深夜に高松につくため
フェリーはなく、高松のビジネスホテルで泊まり、翌朝フェリーで帰島しました。   強い風雨でしたが、不思議に船は揺れませんでした・・・・・   

信州人の父は、夢りんごの「夢りんごジュース」をおいしいと言って、ほとんど寝たきりになってからも
こちらが送るりんごジュースを喜んでのみました。  奈良~小豆島 と離れている私達にとっての最後の親孝行は「りんごジュースを送ること」となりました。  父のことは、たくさん書きたいのですが、ひとまずここまでにしておきます。   ずっと、往復書簡をしていた父と私ですが、いつも俳句をしたためて送ってくれました。

そのなかで、一番心に残っている句を、今日の記事の終わりに書きとめておきます。

    「帰省子の   朝寝そのまま、そのままに」

これは、夏の盆、帰省した息子(といっても働き盛りの40代でしたか)が都会の喧騒から疲れて帰ってきたときの、ある朝・・・・・父の詠んだ、温かい句です。   そのまま・・・・そのままに・・・・と静かに繰り返されているフレーズが、優しく周りに伝わってきて、私の一番好きな句でした。   この句のように、まさに朝寝の延長のように、そのままに静かに・・・・・他界していきました。      

                                                  夢りんご  K

連休のたった一日のお休みの日曜日なのに、朝からがたがた娘とやりあい、追い出されるようにして夫婦で外へでた(実際は「追い出されてやったんだ」)。    あ!

なんと、外を見て愕然。   まるで廃墟の空と風景・・・・・何か天変地異の後のような「茶色」「灰色」の景色。

低気圧で大荒れの天候のうえに大陸からまたもや黄砂。  朝からこの空気感に「どないする?」

つれあいが「お墓参りしよか・・・・」とつぶやいた。そうよな・・・・・お彼岸だもの。そうそう、この前行ったときのまま「お線香が車にあるよ」「どんな家や・・・・線香がいつも車にあるて」

ここは、つれあいのいうまま、京奈和道路を一路南下して実家のある町に・・・・久々に死んだばあちゃんに会いにいくことに・・・・・すると、それは「仏さまの導きか」と思われる一日になりました。   実家はの両親は彼岸で
菩提寺へ行っており、私達はそこから更に南下して父母を迎えにいくことになったのです。
 
 おかげで、思いがけず彼岸供養をすることもでき、父母のおごりですが帰路で昼食をとり、母は久々に嬉しそうでした。   85歳と83歳・・・・・もうよぼよぼですが、こちらの生活がおぼつかないため、二人で生計をたてています。   そのまま、京奈和道路を北上して奈良に遊びに来ました。   午後からは黄砂も晴れてきて
父が前から行きたいといっていた「平城旧跡」へ・・・・・東には若草山、春日山、高円山、東大寺の大屋根が見渡せ、大極殿、朱雀門が左右に見える。    近鉄電車が真っ只中を走り、散歩道は遷都1300年祭にむけてそこかしこの工事中。   しかし芝生のなか、風が渡る。     父の歩幅がかなり短くなった。

母も痩せた・・・・・注意しておかねばならない・・・・・     遺跡の中を半分歩いて、半分は車で迎えた。

私の手をひいてさっさと歩いたしっかり者の母ではない・・・・「東大寺に行って大仏さん見とこかな」と意外なことをいうので、ごった返す南大門まで乗せたが門の石段の高低が大きく断念。お茶をのんで、お好み焼きを食べて駅に送った。    ささやかな親孝行の一日・・・・これは仏さまの差し金とも思えるほど、都度都度、うまく運んだのだ。    「もう意地をはらず、自然に家族と向き合いなさい」との言葉が聞こえてきそう。   ということは、家族の時間ももうあまりないということなのだろう。     苦労ばかりしましたね・・・・お母さんお父さん

頼りない娘ですが・・・・さりげなく「頼って」いいんですよ・・・・お手柔らかにね^^       幼少のころ、家族で奈良に来ましたね・・・・もう40年以上になりますか?  遠い遠い奈良でした。    県南の田舎町から電車電車を乗り継いで、猿沢の池に。   今、息子も娘も奈良でがんばっとるよ・・・・うちらもな・・・・・

  だから、安心して・・・・いや!   まだまだ安心しないで、!あっちに行っらあかんよ~  よぼよぼでも

  生きとってよ・・・・・・        杖も手押し車も買うけん・・・・どうにかして・・・・でも、今日はよく食べたね二人とも。   お好み焼き・・・・・       いい日やったね・・・・・・親孝行・・・・さしてもらってありがとう。