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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 偶然、先日「本当のことを言う人は、叩かれてはいけない・・・・・」といったテーマのドラマに出くわした。

本部のことにしろ、別のことにしろ、「生き方」を一つにしたらなるほど「本当のことを言う」と叩かれる世の中である。この話しは「むしろほめられるべきなのではないか?」と投げかけている。といっても私たちを「ほめてください」というつもりではないので(笑)。しかし、叩かれるのは現実よく分かる。実感もしている。「本当のことを言う」のは、勇気がいる。まず、「本当」であるためには「自分の否」もふたをせずに話さなければならない勇気。結果、これが「叩かれて」しまう。なので傷つく「覚悟」が必要になる。それから、「人を傷つける、或いは面子を潰す」痛み・・・・・を乗り越えなければならない。心通う人ならば、余計にその痛みはひとしおである。
当然、関係は壊れてしまうし、自分も傷つく。「本当のこと」を話さずに何とか行きたい・・・・・とも思う。

偉そうに、正義を振りかざす身分でもない。でも・・・・・ほっとくと、どんどん無神経に進んでいく。これも耐えられない。人生がかかっているならばなおのこと・・・・・。ここで相手の否を叩きあいするのではなく、「本当のこと」から話しあいたい・・・・・と思っていた。叩きあいもいくらかは仕方ない。でも自分の否も表に出すことで、「話しの真実性」を読んでいただけたらと思う。相手のこと、たくさんの加盟店のことを思うことで、できれば、傷つけずに面子を潰さずにいきたかった苦渋の選択を垣間見てくださればと思う。今も私は泣いています。上下関係の「下」からは「上」にものいうことはできない。私達はいえなかった。では、何故「下」にあえてなるのか?対価を支払って。「上」からの二者択一はいつも無理な選択である。どちらを選んでも地獄だと思う。思い出すと震えがくるし、今も身体を引きずって仕事をしている。一生治らない身体の痛みもある。はかり知れない心の傷みもある。ブログはあえて「陰陽」の「陽」で闘っているけれど「本当のこと」はむしろ「陰」である。私達は、普通加盟店が見なくてすむことまで見え、知らなくてすむことまで知る。教えられる。それは「信頼関係」ではない。私達には雇用関係はない。私達は社員ではなく、私達は本来上下関係はないはずだと思う。「本当のこと」を話したい。そう望んでいる自分たちが叩かれてもっと傷ついてしまう。今の社会の構造、縮図をともに考えて下さい。心あるブログのリピーターさんへ。このブログは本部と私達の闘いのハンディを縮める意味もあります。資金のない自分たちの闘いが純粋で素手であるほど、その差は大きい。せめてブログの中から自分たちの地位を少しでもあげないと土俵にものぼれません。本部の方も役員さんも、言葉の責任と重みを大事にして欲しかったです。書面以外は「記憶にない」ならば、日常会話も商談も言葉という言葉はすべて、「証拠がなければ何をいっても良い」になります。また日ごろの会話もひとつひとつ「加盟店」に聞かせる話であったかどうか?会社が伸びたり、大きくなるのは代表者や役員さんの力だけではないはずです。すべて「震える小さなアンテナ」がたくさん集まってできるのではないですか?もちろん内部の人も加盟店もこのアンテナになっていると・・・・・そんな風に思いませんか?何もかも、全部が相手のせいでしょうか?
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 コメントを下さる人には申し訳ないのですが、何かの発言をされたり意見をいう、勇気や元気がある。

生きていく力のある人という見方をしています。配食の廃業のときにも感じたのですが、確実に、黙っている人のほうが、「自分に堪えている」といえます。このブログを見ながら、毎日淡々と働き、とにかく働き、どんな職種にしろ、文句も言わず、何かされても抵抗もせず、希望がなくてもとにかく働いてため息をつき、じっとこの行く末を見ている、黙ったままの労働者。かつての私達のように、不自然に怒りを抑えて、がんばるしか選択のない人たち・・・・・・そんな人がきっと・・・・・・一番堪えている・・・・と思います。

高齢者の配達を終わるときも、惜しみながらわいわい言って下さった方にはただ感謝でした。でも、何もいわずに、こっくりうなずき、相談すれば「自分で決める」とつぶやき、ただ余生をひたすらに日々淡々と過ごしておられた利用者さんは、無言のうちにただ、胸に堪えてる・・・・・・この人たちを忘れられません。

「今の状態が崩れること」を恐れて、「崩れたあとの生活と仕事や家族の行方」を案じてただ、黙って先が不安でもやめるわけにいかない、黙って働く人・・・・・・そんな人に私は・・・・・・命だけはつないで何とかなる方法を希望が見える生き方を伝えたい。どれだけ働けば「無力感」はなくなるのですか?どんな状態になれば「成功」といえるのですか?去年、一度だけの話し合いの最後にその本部の代表者は言われました。「生半可な仕事してるんじゃないんです。」と。私も最後にいいました。「私達も生半可ではないです。」これは、人生がかかっているオーナーならみんなそう思っていると思います。黙って働くオーナーさん。成功を祈ります。

廃業に追い込まれてから私は、出会うべくして出逢った本があります。
文化人類学者の辻信一さんが大学生に講義の教科書として使っている「経済成長がなければ私達は豊かになれないのだろうか」という本で、著者はC、ダグラス、ラミスさん。

ブログを読んで参加してくれてる人は、そのほとんどが「経済成長が、とにかくなければ・・・・・」という現実主義ではないかと思います。その流れで自分達も生きてきたので、否定するつもりはありません。
この本はとにかく私がこの危うい状態の中から、世の中に向かって動き始めている小さな仕事の一部であり、まあ、すぐに踏み潰されるのも覚悟の上でマイナスのマイナスからとにかく命だけはくいつなぐために見つけた生き方なので、もし今、どんな仕事をされていても何かとても危機感を感じながら走り続けている人には、きっと役にたつのではないかと思われます。

あまり普通の本屋さんにはないので。「平凡社ライブラリー」から~発行されています。

この中に貧困についての四つの種類があり、私が興味を持ったのは三つめの貧困、「金持ちの前提になっている貧困」という章。ある社会の中に経済力のある金持ちがいれば必ずその相手になっている経済的に無力な人がいる。
その社会の中では金持ちのいうことを聞くしかない、リッチのために働くしかない人のこと。

とにかく私達は、これに値するとまず感じました。
貧困についてはおなかがすいて苦しいということもありますがそれより多いのは侮辱的な社会関係です。
見下されていても反抗できない無力さ・・・・・これがこの貧困の特徴です。
なにか・・なぜか・・お金を支払って私達はこの立場を受け入れていたような・・・終わってみるとそう感じます。

受け入れた弱さは当然私達の罪かもしれません。
では、相手が私に対して公正な目線で仕事をしていたかどうか・・・少なくとも最初の目線と最後の目線の限りない隔たり。契約書軽視の約束、契約書、その他の書面を山ほど突きつけられた最後。とにかく批判はあるでしょうが、生きる道は今はこれしかなく。

このお話しの最後はいつか、何とか生き延びて報告するしかありません。
このブログはフランチャイズの手痛い体験を綴っています。
そして、その中から私達が出会い、見つけたものとは・・・・・・


昨年の夏、その暑さも覚えがないくらい、事業の最後の闘いと味方のない孤軍奮闘の中にいました。

支払いを大きくしたくなくて様々なことを考えました。
そして、「買掛金の中味を見直し、支払い方を話しあいたい」旨を何度も本部に連絡し、話しを聞いていただく
ようにお願いしましたが、結果、取引は中止され廃業へと命が下されました。
この時、私の耳に確かに声が聴こえました。

「とどまれ、逃げるな、闘え」と・・・
その声に促されるように、以前から手を延べてくれていた専門家に素直に手を差し出すことができたのでした。

思えば、その選択は正しかったと思います。あのままでは、私達は事業に失敗したばかりでなく、完済から逃げた加害者としてこの世を生きねばならなかったからです。

取引を中止されたということは、私達は沖合いで見放されたわけですが、それは本部の大船が小船の沈むのを承知で見放したことになります。
そして、それでも沈まずにいる小船に大波をたてている・・・と私には見えます。

そのまま沈んでは私達の願いは届かない。
私達のような、実に馬鹿な加盟店は少ないだろうと思いますが、せめてこの体験が今、奮闘されているフランチャイズ加盟店のオーナーさんの何かの役に立てれば、傷つきながらも意見を受け入れて生きているのは、商売が、「法」のすれすれでまかり通るばかりではいけないと感じること、せっかくいるSVさんがプロの目で加盟店の未来を見極め、冷静にアドバイスできる本部に育っていただくこと、それが遠回りでも私達と本部との関係の良い解決への道となるのではないかとの願いをこめて。

これからもメッセージをつづります。永くおつきあいのほどを・・・・・・

コメントありがとうございます。おいおいお返事させていただきます。

「そんなことはわかっている!」とおっしゃる方もいるでしょうけれど、もしもたった一人でも、この岐路におられる方がいたなら・・・・・そして、そこで迷っている人のために、あえて書きます。

加盟店はさまざまなお店が入っておられるでしょうけれど、ここでいうお店とは、一年生で独立のために加盟して、夫婦、或いは小規模の家族ではじめられ、食数が低迷していて「どうしようか」と思いながら続けておられる加盟店についてです。つまり、始めて半年あまりのまだプロとは言いがたいかつての私達のような・・・・・・

港に近い湾内を走りながら経営をしていたころ、今から思えば、確かにそこが分岐点だったと思われる時点があります。
燃料が切れかけで「思っていたのと違うな」と感じ、本部に聞いてみたときのことでした。

「大丈夫です!これ一本でいけます。」と一も二もなく答えは返ってきました。
そこは、間違いなく大事な岐路だったと、今だからこそ思えます。
私達はその時、間違いなく機材を積み込まれアクセルを踏まれたと思います。

もちろん、そうさせた側の責任もあるとは思っています。
でも上下関係のはっきりある中で指導にあたる方が、自ら采配をふるのに反抗できませんでした。
「こんなに言われるならそうなんだろう」とあくまでも純粋に思いました。

小船は一路、沖合いに出て行き、戻ることはできませんでした。
お客様を魚に例えて申し訳ないのですが、あくまで漁師の仕事として聞いて下さい。

沖合いはどんどん魚が獲れたりしますが、波も荒く、小船は燃料もつきそうです。
魚がとれてしまうので大船からは仕入れが必要です。
でも、燃料は尽きはてそうなので、必死で借りねばなりません。
借りたら返す・・・・・・なので利益などあるはずありません。

港に戻る燃料もありません。
船が沈むまで、或いは人が死ぬまで漁をしなければならない・・・・・こんな状態です。
この状態をわかっていて大船からは、大きな請求と怖い書面がくるのです。

ここで契約書や、書面を振りかざさなかったら。
あくまで個人的な問題にもできたでしょう。
最後に書面を振りかざせばフランチャイズの事件になると私は思います。

この岐路では燃料の備え、健康、設備、家族の状態、今後の覚悟、燃料がなければ莫大な借り入れの準備
と返済の覚悟。これらを湾内で、或いは風まちの島で入念に行う必要があったことを今、痛切に感じます。

この湾内、風まちの島こそが私は本部の役目ではないかと思います。SVの方は今からでもすぐにこの、分岐の加盟店を見極め、進むべきか戻るべきか(戻るといわれても人生の決断がまた必要ですが。

或いは、一時停泊して今後を考える時期だと思います。
また、自己責任であるなら、この判断は最終的に加盟店のすることです。

でも小さな小船の加盟店はやはり、「戻りたくない」に違いありません。
人生の大選択をして始めたのですから。
それでも、本部の役目は慎重にブレーキこそかけても、アクセルはもってのほかだと思います。

どうしても前に進む、沖合いに出る・・・・・小船があれば、それこそ書面で「契約しなおし」の一文でも交わし、
自己責任を確認すべき、それくらい、沖への分岐点は危険だと思います。

本部の大船と小さな加盟店ではすべてが違うのです。
「そんなことはわかっている」と思われるでしょうが私達は今でこそ分かりますが当初はわかりませんでした。

この時点のノウハウがわかるからこそ、指導があり上下関係があるのではないでしょうか?
小さなお店が沖に出るとき・・・・・・それが最初のプロの腕の見せ所だと思います。

それを信用して加盟したのは間違いだったとは思えないです。
最初に「信頼から始まったこと」はそれなりの解決があるように思います。