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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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本部と良い関係で経営されている加盟店様・・・・・悪い影響与えましたね。どうもすみません。
でも私達のブログで本部はよりよい関係を作ろうと努力されればそれは素敵なことではないでしょうか?

「買掛金」についてひとこと言わせていただきますと、私はこの中味について本部と話し合い、過去の話との
行き違いを認めあい、「なってゆく」かたちで払っていけることを望んでいました。

あくまでもそのつもりでした。
どうしても話し合う必要がありました。今もそう思っています。そしてそうなれば真摯に向き合うつもりでいます。

相手がそう望まない限り、何かの方法で食い止めなければなりません。
「双方がなる」ことを目指していますが、片方はあくまでも「打ち負かす」ことを望んでおられる。
中味を話し合う。結果、払うべきは払える形で支払う・・・
この話しは違っていたら、引き続きコメントお待ちしています。

「打ち負かし」て壊れたら、何も入らないではないですか?本部の損害は加盟店様にもご迷惑がかかるのではないでしょうか?お話ししましたように、私は本部、代表者とは同郷です。

いえ、一歩踏み出せばおかずの匂いのする近隣の関係です。
そこに住む年老いた父母、そして本部の役員さん・・・・・私達もそこでまた、生きていかねばならないかもしれません。

地域に悪い伝説を残したくありません。商売は未熟なので失敗もしましたが話しあって「なってゆく」ことがなぜできないかと。中味に意義があれば解決して結果、払える形で終わりたい・・・・・・この言い分を聞いていただきたかった。これはフランチャイズ問題でなくてもそうなのではないでしょうか?

どうか・・・・・賛否をお願いします。
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ゴールデンウィークもお仕事だった人は、お疲れ様です。

奈良は遷都1300年祭もあり、あちこちでイベントもあり・・・・・「鹿男」の影響もあり??で観光客の方で
いっぱいです。

配達は毎年、大変でした。

近年、修学旅行も奈良を外したり、日帰りにして宿泊は京都・・・・・という設定も多いそうですが、それでも
四月、五月、六月初旬くらいはやはり観光シーズン、ゴールデンウィークはさすがに修学旅行はありませ
んが観光バスが行きかい、車に自転車、昨今は人力車、そして鹿・・・・・・遊んでいる人も、労働者も、分け
隔てなく渋滞に巻き込まれます。

奈良は一方通行も多く、ならまち界隈は細い路地、これまた歩く人多く、配達は一苦労でした。

今年は斑鳩の藤ノ木古墳の一般公開で、法隆寺方面が賑わっているようです。
なんでもさんざん並んだ末、前列わずか30秒で見学交代だそうで、遠路はるばる藤ノ木古墳へおいで
下さった方々ご苦労さまです。

奈良は県庁所在地といってもまだまだ神社仏閣、国宝天然記念物に囲まれて風致地区として景観が護ら
れており、いたるところ自然の溢れた、穏やかな地域だと思います。

働くことは、どんな働き方であれその地域と密接につながり、やがてはその地に根をおろし、地域とともに
なってゆくことだと思います。

もちろん利益も必要です。

私達は五年にしてようやく地に足がつく働き方ができ始めたといえます。

問題はまだ取り残されているのですが、逃げずに闘う姿勢が時代を越えて解決に向かうことを信じていきす。

どうぞ、奈良めぐりを兼ねて立ち寄ってみてください。

  
高齢者救急隊は私達が約4年間加盟していたフランチャイズ事業の仕組みと、真実を追究する大切なブログです。
また、このブログを訪問して下さる方との対話のブログです。

できれば、この場を広いコミュニティの場所にしたいとも願っています。

加盟していた時期の「モト本部」と私達のやりとりをこのブログに書き綴っていますが、それは単に「モト本部」
に対してうらみ・つらみを書いているわけではなく、真実を追究するために多くの方に事実を知っていただき、
また、私達のようにフランチャイズ事業に行き詰ってしまったお店がでてほしくないと願っているのです。

現在多くのフランチャイズのお店が毎日頑張っておられます。
もちろんご自身の血もにじむような努力で成功されてる方もおられると思います。

私達の失敗例を参考にしていただければいいのですが、もしこのブログをごらんになってフランチャイズ事業に失望されたり、お店のご家族や、ご利用者の方に何不愉快な思いをさせてしまっているのなら、このブログが私達の意志とは違った方向に展開する危険性があるので何か方法を考えなければなりません。

私達が、うらみ・つらみだけで、このブログを綴っているのではない事を、どうか理解してください。

できれば、現在継続中のお店や、関係者、ご利用者の心も考えて、固有名詞やそれとわかる形容詞の表現のコメントは差し控えていただければと思います。

一方からの偏った見方ではなく、賛否両論を下さることを願っています。

「否」の意見を聞くこと、受けることで事業の本当の公平なお話ができることと思います。

私達の後悔のひとつに、加盟当時、他店との横のつながりをもっと取るべきだったことです。

多くのお店が同じような悩みを抱えていたにもかかわらず、日々忙しく戦いの毎日で、とくに夫婦の小さな加盟店だった自分たちにはその必要性を感じてはいたものの、実際は近隣のお店さえ、きちんと向き合ったことがなかったと思い悔やまれました。

他所のお店の出来事が耳には入ってきたものの、自分たちの経営が大変でしたから、実際は何もできはしませんでした。

退店の際の利用者様の引継ぎも、他店との日頃からのコミニケーションが出来ていれば、もっとスムーズにできていたはずです。

自分達の足元に火がついていたにも関わらず、最後の社会的責任を果たすために奔走しましたが、一部のご利用者の方に不便な思いもさせてしまいました。

私達は貧乏ですが「先もたつ、我もたつ」を心がけていました。

資金のない事業主のくせにそんな綺麗なことを考えなくていいのでしょうけれど、こんな私達を今も支えてくれる方もおられ、虫の息で生きながらえているのはその気持ちで細々と、淡々と小さく大切に根を生やしているからだと思っています。

対話はとても大切なことだと思っています。

「モト本部」の社員の方も、雇用関係ゆえに思いと違う行動をしなければならない人もいるかもしれません。

代表者でさえ、甘いことをいって肩をくんではいられないでしょう。

事業を継続させるのに利益が必要には違いありません。

でも、契約がどうであれ、「高齢者のために・・・」と向き合って、お互いの社会的役割を果たすために事業に加盟したのです。

現実は厳しいものかもしれないけれど、契約がこうだからこうではなく、「本部も加盟店も、お互いが成功するように」と、同士として人生を賭けて走り始めたのなら、もっと対話があればよかったのではと思います。

フランチャイズでの月日の流れを思い出すと、途中から本部の「あしでまとい」になった・・・・・・という表現が
あっている。
本部の社員ならば、雇用関係があるので上下関係が基本的にあり、上層部にとっての「あしでまとい」の存在は置き去りにされることがよくあるだろう。

加盟店が自己資金を費やして、本部の指示の設備機器を購入して、加盟金を支払い、自分で顧客を開拓し、本部の食材を仕入れ、その仕事一本で経営を貫き、指導は「食数を増やすことが成功」のみで、その場その場で言動が変わり、・・・・・・それでも加盟店が「なっていく」ことができたら、上下関係もわからなくはないけれど、後はどうなろうと「自己責任」・・・・・とは私には到底理解できないビジネスなのです。

「世の中がそうなっている」とは理由にならず・・・・・頑固ですが、「騙された」とあきらめるにはあまりにも「人生」がかかっていることの重さを誰も考えていない。

人が、とくに素人同然の独立を目指す人が、事業にどんな思いで汗水を流すのかをまるで省みることもない。

「あしでまとい」になったとしても一度は本部が選んだ加盟店、継続して経営が成り立つように尽力すのが本部の役目と、これだけは譲れない思いなのです。

やめた人がほとんど傷ついたり、軽症ならば「あきらめる」「騙された」「こんなもの」と解決を葬っていかれたとしても、私達には「致命傷」であること、終わりかたのあまりにも無残な傷は、人間を精神的に潰すに値する出来事だったとしか思えません。

最終的に「あしでまとい」であるならば、その最初の天地をくつがえす扱いは、目にあまる行為。

営業としての「方便」にも限度があります。

「度がすぎる」のです。

買掛金が増えそうなので、「本部の足を引っ張ってるのではないか」と相談しても、「三年はがんばらないと」「三年後にはうまくいく」、との今にして思えば根拠のない言動の千回、万回の繰り返し。

突然攻めてくる精神的な苦痛。

人間として「度がすぎる」の一言に尽きるのです。

 「商い」・・・・・・の常識というのを知らないのかもしれませんが、利用者の受け入れ先を決めるとき、私達は
仕事の時間を引き裂いて、市役所の介護の係へ出向き、配食サービス業者の一覧をいただいて、利用者様に
お渡しして、できる限りお客様の意志で選んでいただくようにしました。

あとで語るは簡単ですが、実はこれは大変なことでした。

配食の利用者様は誰のものでもない・・・・・というのが基準ですが、昔の方はどうしても慣れ親しんだ私達に
配食をと、惜しんでくださる声が多く、電話やお手紙が溢れて、嬉しいけれども辛く大変でした。

中には、「他所のお弁当など絶対食べない」と言い切るお手紙もあり、手放すのに大変でした。

自分たちの明日の暮らしの保障もないのにそんなことをしていて・・・・・・でもやはり、それをしないと明日の
自分がないと思いました。

中にはお客様を「買い取りたい」申し出もありましたが、目の前のお札は受け取れませんでした。

商売をしていた友人からは「あほやなあ。そんなん一人いくらですって、こちらからお金ゆうねん。」ってあき
れられましたが。
閉店・・・・・となるとあちこちから、なんやかや声がかかったり、来られたり、引かれたりします。

お客様を「買いたい」人もいれば、お客様を「引き取って助けてやろう」という考えもありました。

また、エリアによって「欲しい人だけ欲しい・・・・・・」など同業者にも千差万別でした。

また、これをエリアでばさばさ束にして、わけ捌くような考えもありましたが、私達はこの受け入れ先を確保することを「事業の社会的責任」と思い、私達の方法で責任を果たしました。

以前、関わった法律の専門家は「社会的責任は本部にあるでしょう」といわれましたが、だからといって、どんな風に本部が社会的責任を果たしてくれるのか?わからないままにお客様を投げ出すことはできません。

事業の最終回は大変なうちに幕を下ろしましたが、現実に大変なのはそれからでした。

「閉店のものを処分する」ことすらできず、何とかあるものを生かそう・・・・・・と思いましたが、すぐにはうまくいきません。
片付けをして、ともすれば「燃え尽き症候群」になりそうな自分を保ちながら、私達はそれぞれ、投げなしのお金を少し使って買ったもの・・・・・・・申し合わせたように、別々に買ってきたものは、花の苗木でした。

商売に感傷的な話で笑われるかもしれませんが、店先に置いた苗木は・・・・・心の支えだったと思います。

そしてその感傷的なバカ正直な商売才能の皆無な私達が、マイナスを作りながらも生き残っているのは、人の支えや力はもちろんですが、一番大きい理由は底辺からお金の流れを見て、人を見て、離れる人とは別れを告げ、根本的な「生き方を変えた」ことだと思います。

もし今、どうなるかわからず不安だけど走るしかない・・・・・そんなお店の方がいたら、「いつか来る、けりをつける時」のために参考にして下さればよいと思います。