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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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開業当時、10食程度のお弁当の配膳にかなりの時間がかかりました。

もちろん不慣れな事もありましたが、それよりも配膳する以前にその日の食数分の分量をうまく使いこなす

テクニックがなかったため、かなりのロスをだしていました。

本部にロスをできるだけ出さないテクニックを教えて欲しかったのですが、こちらが期待するほどのノウハウ

もなく、時には家族で食べきれないほどのおかずが余ってしまう日もありました。

薄味を好む方や、濃い味を好む方もおられ、全体のバランスを整えるのにほぼ一年近くかかったと思います。

これは、配食の際にご利用者の方と直接お話しして、その方たちの嗜好を聞きながらできるだけその方にあっ

た、例えばひとつの鍋で何かの料理を作るとき、調味料を全部入れる前に薄味嗜好の方の分量だけとっておく

とかというように、出来る範囲で配膳していました。

「食数が多くなるとそんな事していられない」と言われるかも知れませんが、ちょっとした工夫で出来ることもあ

ります。私は少しこだわりすぎたのかもしれませんが・・・

このあたりがいつも思う、「配食サービス」はビジネスとして成り立ちにくい理由かもしれません。

ベルトコンベアーで流れてくる食材を、ただひたすらに箱に詰める作業では、決して高齢者の方が望むお弁当

作りはできないからです。

仮にそれでお店の収益がでて事業が成功しても、それは「高齢者配食サービス」ではないと思います。
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食事を取ること・・・それは生きるために必要不可欠なものです。

人間は生まれてから死ぬまでの間、一生食べ続けます。

お腹がすいたから何か食べたいという場合もあり、また本人の意思にかかわらず、生きるための手段として

食べなければならないという場合もあります。

高齢者配食の仕事を始めてから、「高齢者の方の望む食事とは何だろう・・」とずっと考えていました。

高齢者の方でもお肉の好きな方や、揚げ物を好む方もいます。

嗜好はさまざまで、お一人ずつの好みのお弁当をを作るとなると、提供する側はかなりの負担がかかります。

お店は採算のことも考えなければいけないし、そんなに多くの種類のお弁当作りもできません。

ただ毎日出来るのは、安心して召し上がっていただけるお弁当を、出来る限りその方にあったものに工夫して

提供する。毎日がその繰り返しでした。

少し手を加えることで食べやすくなったり、盛り付けの工夫で食欲がでたりします。

それは人から教えてもらうものではなく、いつのまにかやっているうちに身につくものだと思います。

たかが4年やって偉そうにと思われるかもしれませんが、これは私や家内やお店を手伝ってくれたスタッフの

みんなが同じ思いでしなければ出来なかったことであり、私にはとても大事なことのひとつです。

今日のお昼、お弁当を配食している車とすれ違いました。

なんとなく目に留まって、「ごくろうさま」と心の中でつぶやきました。

一般のお弁当と違って、配達する人はいろんな意味で気を使っていると思います。

中には「そんなもの頼んでない」とか「昨日のが残ってるから持って帰って」とか言われる方もいます。

でもご利用者の方の言うとおりにできないし困ってしまう場合もありますが、何とかお話しして受け取って

いただくまでに相当な時間を費やすこともあり、配達の苦労もさまざまです。

身体が御不自由で、玄関先まで受け取りにこられない方は中までお持ちしたり、特に大雨の日はカッパ

を脱いで、長靴を脱いでそれはもう大変です。

一定時間内に配達しないといけないと、多少急ぐ気持ちもありましたが、でもご利用者の方の「ありがとうね」

の一声で何だか気持ちがほぐれ「安全運転しなきゃ・・・」と思ったものです。

道路が渋滞する時間帯は、配食専用のレーンがあってもいいと思いますが、さすがにそれは無理ですね。

配達されているみなさん、今日もお疲れ様でした。

明日も安全運転でお届けしてください。

コメントありがとうございます。

そうですよね。

ご利用者のお宅にお弁当を持っていったとき、「ありがとう・・・」この一声だけで今日も安心して召し上がって

いただけて、ほんとうに良かったなと思います。

自己満足や・・・と言われるかも知れませんが、この一声がどんなに意味のあることか、ただの挨拶ではなく

本当に「ありがとう」とおっしゃっていただける方がほとんどなんです。

配食を初めて利用された頃は単に「お弁当を持ってきた人」にしか見てもらえませんが、毎日配達をしていて

いるとある日ご利用者の方の顔が変わるんです。

うまく言えませんが、単なる「お弁当を持ってきた人」から少しだけ家族の方に近いというか、そんな思いで日々

のお弁当を待ってくれているような気がします。

いつも配達の時間になると、玄関先で待ってくれている方もいます。

「来るのを待っているんじゃなくて、他の用事で玄関にいるんだよ」と言いたげなお顔が、本当は「今日はまだか

な・・・」と待っていただいているのがよくわかるんです。

だからお店の経営が多少苦しくても、その方のためにも明日もお届けしないと・・・と、毎日その繰り返しになっ

ていました。でも経営者である以上、お店のためにも家族のためにも利益を出さないといけません。

だからとても難しい仕事です。

お店の利益が出て、ご利用者の方にも喜んでいただける・・・それがこの仕事の目標だと思います。

今も明日のお弁当作りにがんばっておられるオーナーさんも大勢おられると思います。

そんな方たちを私は心から応援します。ほんとうに、ほんとうに、心から応援します。






フランチャイズ店を撤退してから、高齢者の配食サービスという仕事について同業種のお店の情報や、ご連絡

いただいた方のお話を聞いて思ったのは、やはりこの仕事はビジネスとして非常に難しい仕事だと思いました。

お店が行き詰った理由を本部に聞いたとき、「経営能力がないから」と言われました。

もちろんそれも原因のひとつかもしれません。

でもお話しを聞いたほとんどのオーナーの方は、サラリーマンをやってた頃の給料ほど利益は出ていません。

みなさん毎日朝早くから、夜遅くまで懸命に働いています。それでも利益が出ないのは、この仕事が真面目に

コツコツやってもなかなか利益が出るシステムにならないからだと思います。

どんな仕事でもそう簡単に利益がでないのはわかります。

でもこの仕事の大変さは利益がでなくても、毎日お弁当をを待っている高齢者の方がいることです。

おそらく高齢者配食サービスの仕事を始めようという方のほとんどが、人に対してやさしい心を持った方だと

思います。出来る限り食べやすくて、高齢者の方に喜んでいただけるお弁当を提供したいと思ってる方が、ほと

んどではないでしょうか?

お店である以上利益を追求しなければいけないことは当然ですが、心のどこかで自分たちが作ったお弁当を

高齢者の方が喜んで食べている姿を思い浮かべながら、ふと利益よりもそちらの方を重視してしまうところが

あるような、そんな気がします。

ボランティアではないので自分たちの生活基盤をしっかりしておかないと、いい物は提供できません。

お店に利益の出る適正な価格で、より良いものを提供し、利用者の方にも喜んでもらえることが理想ですが、

同業種の価格競争や、フランチャイズ本部の「遠方でも一食から配達料無料」など、お店の負担がますばかり

で、本来の利用者の方へのサービスはもう少し違ったもののような気がします。

市町村の配食を900円から1000円で請け負っている社会福祉法人や団体と比べて、お弁当の内容が特に

違いがあるとも思えません。

何か根本的に仕組みが間違っているのではないでしょうか。

もう撤退した仕事だからどうでもいいのではなく、4年近く心血注いだ仕事がなんだったのか、私はこれから

そのことに疑問を持ちながら追求していきます。