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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 去年、ちょうど判決の少し前です。 私は書物で偶然この言葉に出会いました。

「空っぽの勝利」・・・・・・英語でしたが、本を遡らないと記憶にないので、省略します^^

 強いものが弱いものを追い込んで勝っても何の得もないというような時に使うようです。

お金のないものを、追い込んで追い込んで潰しても勝者は何の得もありません。 私たちがその実験例です。

そんなことで開き直ったりしているわけではありません。 裁判もお金がかかります。 法的な処理には

多かれ少なかれお金がかかります。 早い話が金に困ってするはずの破産とて費用はかかります。

・・・・・書類で固めて強者が弱者に勝っても、ない袖はふれません。  それは使ってないのではありません。

もとから、ほとんどない・・・・・。  そんな無駄な結果になるのなら、法で追い込む前に、なぜ考えないのかと

不思議でした。  それならば、原点に返り、話し合いをして「事業がうまくいく方法」を模索しながら

返済に向かうことが一番、遠回りでも確実な方法ではないのかな・・・・ということを話している途中で打ち切られ

たら、しょうがない。       えらい人や社会的立場のある人たちへ・・・・・・

 何もない者を追い込んで勝ってもしかたないのです。   得にはなりません。  むしろ格好が悪いでしょう。

まして、相手が勝手にしていた事業ではなく、自分たちの指導のもとにしていた加盟店ならば、余計です。

取引を切ったら、とにかくもっと返済などない。  追い込んで破産や自殺をすれば気がすむのでしょうか。

  どうすれば、経営が成り立つのか、プロであるはずのスーパーバイザーを従えている会社が、ひとつの

加盟店も落とすことのない事業にするために、自分の利益だけでなく本気で取り組むことが、一番大事なの

ではないかな・・・・・・  お金のない小さなお店を追い込んでいる間にこの、小さな店は何を言おうとしてるのか

どんな約束をしてきたのか、どんな誓いをして、どんな理想を語って、一緒にきたのか思い直してください。

  それは、思い違いだったかもしれない。  いうほど甘いものではなかったかもしれない。 それでも

何百回となくした力強い約束や言葉を今、振り返ってみてください。 そしてとことん、追い込んだこの

小さなお店の、実験を無駄にせず、果たせなかった約束の代償を返してください。 何のためにこの小さな

フェアトレードの店が、命からがら生き残ってきているのか。・・・・・ 逃げずに何度も壊れかけながら

あれから三年近くも生き残ってきたのか・・・・・卸しの勉強を重ね、買掛金は何なのか、どうやって作っていく

ものなのか・・・・途上国の労働を強いること、買い叩きをして生活の保障もないこと、それと自分らが携わった

事業との類似点。 問題の共通点・・・・・。   解決をするための法以外の考え方。 自分や家族の癒し方。

途方に暮れながら切り開いた小さい道。  星の数ほど出会った人達。  対立を越えて目指した自立。

「双方が成り立つため」のフェアトレードの道。      えらい人達は・・・・・もう一度、考え直してもらいたい。

小さなものを追い込んでも、何の得もありません。    ・・・・・・・

  ふふ・・・・・みなさんごめんなさい。     思わず力調してしまいました。    
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底というものは、なかなか居心地がいい・・・・というと変な言い方になりますが

底というのは、実際実感のないものだと思いました。  二、三年前 お店にくる人がよく「不思議な人ね」

といいました。 きっとそのころが「底」だったのだと思います。 あがく力のないところ、これが私にとって底

というところの体験です。   そして今、ちょっと歩くことができるから「底」が見えたのです。

 落ちるときは見る間もありません。  いや・・・・・少しはありましたか(笑) それでもど~んといかない

でズズ~って感じだったのは、とっさに手をついたというか「いかん!」という反応があったからでしょうか。

 もし、人と違うところがあったとしたら、「ここが底なのか、もっと下があるのか見てみよう」なんて思ったこと

かもしれません。   元来の物書き精神かもしれないけれど。 しかしそんな甘いものでもありません。

本気で身体も心も傷みましたからね。   耳を澄ませば聞こえた声 「何をしても底は底」。

 つまり、そんなときにじたばたしても消耗するだけだということです。 でも単に人間だからじたばたしました。

今も、はい!   やはり時々じたばたしてるんですよ。  本来ナイーブなので、弱っているときは

どんなささいなことでも傷つきます。   でも、それでは生きていけない^^ 傷は泣いて癒すか、夜更けに

そっと、傷口を洗うのです。  だけど、どうしても自分たちだけのせいではないという時はブログで話したり

叫んだりします。  これは命と引き換えです。  どんな風に見えても生きるしかないじゃない^^

 そう、もう私は思うとおり生きるしかない。   そう思っています。 本性に逆らわずに。

「争ってもしかたない」と笑って人を許してきた。 その人生に決別です。 それは、争ってから出す結論なので

す。   勝手に結論を急いではいけないんです・・・・・    草まみれの廃線みたいなレールを私は

錆を磨きながら歩いています。  時々、声を聞きながら。  今は少しずつ登るだけ。 そうロッククライミング

のように。 斜めに斜めに・・・・・・    時々、千円札を愛しく数えて・・・・(万札はなかなかお目にかかれない)

    ひとつ大切なことを伝え忘れていました。   私は熱く固い約束を何百回もしたのでした。

それは、生計をたてていける事業であることとその後の成功です。 買掛金をためたとされるのは

「必ず成功する事業なので、このまま買ってください」と何度も約束を交わしたからです。  途中で確かめても

約束は変わりませんでした。   解決は三つあります。 そういう事業ではなかったごめん・・・・と相手が

頭を下げること、二つめは 成功するまでやり続けること、 三つ目は「この大きな失敗のおかげでいい人生

になった」 といえる自分になること、    前者二つが相手に伝わらない以上、三つ目を信じて生きるしか

道はないのではないか・・・・・というのが今の私の生きている道です。   とても寒い冬ですね。

 また、この冬一番の寒気だそうですよ・・・・・    

矛盾しています。 ^^  でもそうやって生きてきました。

振り向いて事実を確認すること。   だけど・・・・・振り向くと耐えられないこともある。

 たとえば、預金通帳。  なぜほとんど全部がないのか・・・・・  わかっているけれど感覚がない。

浪費家ではなかったはずなので、何かないと解約はしなかった。 せざるを得なかったのはなぜか?

そういうことを思い出すとまだ、受け止められない現実があります。 はっきりいうと気がふれそうになります。

 以前、同業の人に「助けてください。湯水のようにお金が流れます。」といわれたことがありますが

その感覚はよくわかります。  その人もおそらく、してはいけない事業だったのでしょう。

 昨日、帰り道のスーパー銭湯のポイントがようやく貯まって、無料チケットをもらえたので二人でよりました。

身体を温めて、いくらか生きてる心地がして、珍しく軽い食事をしてみました。  多くの人が、当然している

そういう楽しみを、たまに経験して、昔の感覚を取り戻すと、おっと! 風のように、消えた預金通帳の

数々が脳裏に現れました。  「そこを思い出してはいけない」  もう一人の自分がいさめましたが

みるみる涙が溢れてしまいました。    すると、乳幼児だった子供らの手をひいて、郵便局で学資をため

始めたはるかな過去まで甦りました。  それが泡と消えたことを事実として受け止めることは、とても

ネガティブなことでした。   でも涙は洗い流すともいいます。  抜けきるまで涙をこぼしました。

 まだまだこんな日はくるでしょう。  ほんとうに、生きるとは鍛錬の繰り返しです。  

涙は怒りに代えてまたぶつけ、それを社会へと活かしていく。  これがこれからの夢りんごなのです・・・・

大金持ちならいざ知らず・・・・・ささやかに預金を家族のために残して生きたそう、みんなと同じか少し貧乏な

そんな私たちでした。  だからこそ・・・・・滑り台はその辺にたくさんあります。

 人生のまさかは、本当に人事ではないと危機感も持ってください。 「なるようになる」確かに楽天主義も

大切です。  脳天気な私だからこそ、ここまでこれた一部分もあります。  明るく歌って・・・・・人生

笑って生きよう、乗り切ろう・・・・・と もちろんわかります。     限度があります。  危機感だけでは

寂しいですが、今の時代、途方もなく大きなものを失うことがあると思ってください。 耳を澄ませて・・・・・

本当の声を聞き、「違う」と感じたら「まあいいか進もう」ははっきりと断念する勇気が大事。 たとえどんな

揉め事や対立になったとしてもです。       これが夢りんごの問題解決の場所「風の吹く丘」の

始まりです。                       

昨年来より、フェアトレード団体であるピープルツリーとの対話をしています。

そのなかで代表のサフィア・ミニーさんの著書をお正月に開いていました。

がんばるフェアトレード奮闘記には頭が下がりますが、終章にあったガンジーの言葉が

私の年頭にふさわしい言葉と思い今日の記事にしました。 それは・・・・・・

   Be the change you want too see(世界に変化を求めるなら、まず自分がその変化になりなさい)

不公正や不条理に腹を立てたり、あきらめたりしているだけでは世の中はかわりません・・・・・・

そうです。  私は その第一歩として 最初はあきらめた・・・・・次にやはり腹がたったので怒りを出した。

ここまでは、順序や方法は違えども、普通、人間ならすることです。 その一歩を踏み出さなければ、この

ガンジーの言葉も私には無理があるのです。  その次のステップとして私は、この言葉に出会いました。

「世の中に変化を求めるなら、まず自分がその変化になる」 そして、彼女の書籍を通して、ダボス会議にも

出席した彼女がビジネスによって社会問題や環境問題を解決しようと活動する人達を「社会企業家」という

呼び名があることを教えてもらいました。  そうか・・・・小さいけれど私のやろうとしていることはそうなんだ。

 三年以上、四年以上・・・・・繰り返しの疑問符を投げかけながら続けてきたことは、ここに行き着くためなんだ

と気づきました。    そして、こういう活動の最大の成果は人の考え方やビジネスのやり方に「変化」が

生まれることだと・・・・・  無駄ではない。  必ず、ほかの人や組織にそのやり方に変化が生まれている。

  変化せざるを得ない。 というのが正しいかもしれません。   たとえばどこかの組織に、何かを叫んでいる

。 怒ったり嘆いたりもする。  ・・・・・でも相手からは何の反応もないとします。ボールを投げても返ってこな

い。  それ自体はやりがいがないようでも、必ずその組織に響いている。そして変化せざるを得ない。

 例えば、昨年から不通になっているご近所がいる。 こちらから、できるだけソフトにもきつめにもボールを

投げている。それでも答えはこない。 黙っているから拒否されているのかなと思っている。 解決したい思い

は報われないけれど、相手には必ず響いていて、相手は変化をしていく。  それが成果なんです。

 たとえば・・・・遠くはなれた友人と何かの行き違いで音信が途絶えたとします。  何かを勘違いしているの

かもしれないけれど、コンタクトはとれない。 時々ボールを投げるもボールは返ってこない・・・・・

彼は何かの依存症だとします。 周囲は「病的なのだから」とソフトに扱うか遠ざける。 でも私が直球を投げる

と必ずその人は傷ついてしまうでしょう。 触れてはいけないことに触れて恨まれるかもしれません。

 でも、それに触れることで、依存症がいつの間にか治っているのではないか・・・・答えは返らなくて

関係は修復されなくても、その人は傷つきながらも変化していくのではないか?そう思うんです。

これが私の、ビジネスのスタイルで生きるコンセプトです。  当然嫌われもするかもしれない。

でも心の社会問題を解決するには、誰かが触れなければ変化しない、そう思いませんか?私はそうやって

社会問題と向き合うつもりです。   そして、ひとつの結論を出して歩むこと。 その通りに歩むこと。

それが 「自分が変化となる」ということだと思います。  法律だけでは解決しない「本当の問題解決」

社会企業としての納得のいく解決。   今年はこのガンジーの言葉とともに歩みます。

    

お正月、使い損ねた食材をさがしていたら、あったあった・・・・・好物のゆり根・・・・・

ちょおっとめんどくさいけれど、一皮ひとかわめくって、おそうじ。  卵とじがすきですが

今回は甘く煮付けました。  とろっと溶けるまえに火をとめます。 う~ん、手間がかかったけどおいしい。

 お昼のメインディっシュに、スプーンでいただきました。 あとはレンコン、ごぼうの根菜汁、

のりの佃煮、梅干、番茶・・・・・ 残りごはんをキャベツチャーハンに。 お正月、外で雑多な食べ物の

機会が多かったので、ちょうどいい。  風邪もひいてるようだし、体調もすこぶるよくない。

 お正月にとっておきのフェアトレードチョコレートをいただいたのも少しこたえているみたい。

年末に、もと同僚の保育士さんと作ったおせち。  今年は正統派の正しいおせちをおいしく作れました。

野菜が中心で、煮しめが基本です。  主人の得意ななますと高野豆腐。  直売の野菜はふんだんに

使いました。   お正月早々、洗濯物やお掃除もありましたが(笑)  うちはうち・・・・・ささやかでも

生きてお正月が迎えられることこそ、感謝です。   実家にも帰り、お墓参りにも送りました。

 お正月明けの四日が祖母の命日なのです。 ミキサーで食事を作り介護をしていた昔が甦ります。

祖母の年齢を随分越して生きてきた父母。  もう確かに老いぼれています^^  「食事したい」という父母

を押し切って、買い物優先にし父母たちの食材を買いに送りました。 この寒さ、徒歩で買い物する日が

一回でも少ないほうがいいよね・・・・・ もう、こちらで判断してやらねばなりません。  生きるための優先順位

は。   それにしても寒い毎日。体温を少しあげましょう。  根菜類を多くとり、番茶、梅しょう番茶で

身体を芯から温めます。     寒さで痛いからだは、サトイモの湿布、こんにゃく湿布で。 しょうがの

手湯、足湯もいいですね。     くれぐれも自分を大切にして前に進みましょう。