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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 意識的に朝の散歩にでかけました。    今日は、女々しいけれど愛犬の四年目の命日なんです。

家族の太陽だったコーギーのこお太が急に逝って四年です。  いつまでも立ち直れなかったのは

事業的に生活が追い込まれていたこと。  今年は、一人で、いつもの朝の散歩道を歩いてきました。

 蝉の声が、以前と違うのは、少なくなった柿の木のような低木でもしきりに鳴いているということ。

「あれ?蝉ってこんな手の届く距離で鳴くんだっけ」と思いました。  古い公民館が新築中でした。

見覚えのある表札たち。  旧家が多い町なのでした。 でも、確かに、その家、この家にいたはずの

飼い犬たちの姿はどこにもありません。 鳴き声すら聞こえない。みんないなくなったのかしら・・・・・

手持ち無沙汰の帰り道、保育園から見える我が家の裏山古墳を見上げて驚きました。

  以前から二羽のシラサギが棲んでいて、界隈を飛びまわっていたのですが、なんとその数は

ざっと見ても15羽以上になっているんです。 そういえば、最近「裏山のサギがうるさいね」と話して

いたのですが「カラスと縄張り争いでもしてるのかな」と思っていました。

こんなにたくさんのシラサギだったとは・・・・荘厳な限りでした。時が過ぎたんだ・・・・と思います。

昨日は写真たてを全て拭き、白いお花を飾りました。  失くした時も犬も帰らないけれど、この夏は

「目の覚めた自分」で歩いていこうと思いました。  気持ちを落ち着けて「大事なこと」を見極めて

行動していこう。  池は埋め立てられ、分譲の看板が立ち、ノウゼンカズラのこぼれていた垣根は

今年は花のかけらもありません。  夏の朝の始まりです。  雲が湧いていて、今日も暑そうでした。

「竜巻注意報」なんていうのも昨日奈良県で、でていました。  「対処法」のわからない予報は

人の不安や恐怖心を掻き立てるだけですよね。  具体的に「こんな場所には近づかないように」とか

「こういう注意を払うように」とかでないと漠然と「竜巻注意報発令なので十分注意を」では人はうろたえます。

 時代が動いていきます。 焦ってはいけないけれど、悠然と急ぎます。  遠回りでもいい。

歩きましょう。  遠回りだと気付いていてもいい。  それでも、たどり着けるなら。 納得する道を歩きます。

    そうそう、報告遅くなりましたが「控訴」しています。   未踏の道、まだ続きます。

  「法と哲学」は続きます。    重いけれど、また読んでくださいね。

 愛犬、こお太の名の下に・・・・・           (続)

                                                 


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誰かのコメントにもいただいた本音と建前ということ。

一般に近しい相手は本音で付き合い、社会に出るに従い、建前の分野が広くなる・・・・ような気がします。

 今、私はほとんど本音オンリーでブログを書いています。 建前のある人の「面子」というものに

ずっと縛られてきました。   ある段階まではそれを守ってきた。   でも、人の建前を守るために

自分たち家族を犠牲にしてはいけない。 本音に逆らい続けて生きれば気が狂うといっていいくらいです。

 今は「親しさ」の表現しにくい時代です。  少し本音を言えば、相手がひいてしまう。黙り込む。

それは、自分たちに「親しさ」がないからだと思う。   いや、私はあると思っていてもそうではないらしい。

「本音」を語らう人と「建前」を通す人の落差があればあるほど、問題は大きくなります。

本音だけで生きたらもちろん、世の中は揉めて揉めてしょうがないでしょう。   でも、親しさのキャッチボール

ができない世の中もさみしい。  話せば話すほど、答えが返ってこないときは、やはり水面下で

ごたごた動いているのだと思ってしまいます。   喧嘩のほうがきっと、切れ味がいいでしょう。

揉め事は嫌だけど、人間が胸に収めきれる度量は限度がありますね。   たとえば、以前に

辛かったことを話す。 嫌だったことを打ち明ける。 でもそれは過ぎていて、今はそのことから立ち直りつつあ

る。だから、打ち明けるつもりになった・・・・でも、ここに本当の親しさがなかったら、「あの時そんな嫌だったら

言ってくれたらいいのに」という答えになるでしょう。  「なんで、その時言わないか」という風にこじれるのでは

ないでしょうか。  でも、ほんとうは「そんな思いをしたけれど、そういう出来事のおかげで、自分の心に気付く

ことができた。そして闘うことができた」という感謝を伝えたいのだとしたら。 親しくなるには、時間がかかるし

ぽんぽんと言い合う関係も大事になる。   親しさは、片方だけでは成り立ちません。   これを

人間関係というか友達の喧嘩というかの違いのようなものです。  「友達の喧嘩」という方が「人間関係」と

いうより親しいと思いませんか^^   本部との関係というのも、会社の関係というのも、これは本来、

親しさでは通用しないもの。  親しくしないように、襟を正していたにも関わらず「親しさで攻めてきた」という

しかありません。  そしていきなり、建前~本音に切り替えた。いや、逆かな・・・・・とにかく「親しく」しては

いけない関係というものはあるようです。  ネットの世界はどうでしょう。  メールなどを証拠として、法的な

事態になることもあるでしょうけれど、私はそれは違うと言い切ります。  メールなどを保存して残すことが

そもそも、信頼関係の欠落した証拠です。  法的な事件になったとは言え、私は本来、小さなトラブルや

行き違い、誤解、そんなものからは訴訟など起こるのはまれだと思っています。 法の事件に巻き込まれた

からこそ、「安易に法的な揉め事は作らない」と思ってます。   以前、市の事業のトラブルから「出るとこへ

出よか!」と半ば脅しを受けましたが(笑)  それこそ、出るところへ出ないと解決しない人はいますが、

そう簡単には、裁判沙汰は起こりません。   例えば、夢りんご~が裁判をしているので何でも訴訟に

結びつくような関係ならば、関係自体が元からあやふやな、信頼のある関係ではないということなんですね。

 だから、できれば一般的なつながりの中では、「親しくなる」行為を自然に受け止めたい。 こちらも

親しくなる行動を自然にしたい・・・・・ということなんです。  その中に「裏がある」とか「何かある」とか

思うことがあれば、それはその関係自体が、未熟で不確かな壊れ物だということです。

信じる人だけがいればいい。   そう思います。   ちなみに、つれあいはそういうことには、相当強い人

だと感じます。   心がどよめくことが少ない。  淡々として、乗り越える。  不思議な強さの持ち主です。

「黙って越えていく」強さの持ち主です。え? どうしたの?って? さあ(笑)  今日は半額の刺身でも、

買いますか^^・・・・・・・      猛暑です。    みなさん、ご自愛くださいませ。     (続)


                                                 夢

 

更新がゆっくりになりました。   ごめんなさい。 仕事、生活、体調のバランスに兼ねてよりの猛暑で

歩みがのろくなりました。  本題については、そろそろまとめてしまうつもりですが、今日は、

このシリーズを書くことになったきっかけの一部を再度お話ししておきます。

何かにつけて「自己責任か?」の問いかけが色んな分野でされていますが、私は「騙される側の責任を

放棄してはいない。」ということを、きっぱりと言っておきます。  騙される側の責任は、ここ三年以上に

渡って「十分報いを受けた」と思っています。 死なずに受けれたことを感謝しないといけません。

 それでも、相手がそこにいる限り「騙された方が悪いんです」とすべてを被ることはおかしいと思いました。

普通は相手と闘って責任を問うのですが私たちは「騙された方の責任」をまず果たしてから「これはおかしい」

ということになったのです。 弱者すぎて闘う力も生きる力も失っていたんだと思います。  ここら辺が普通

暴露といわれるお話しと違っているということだけ、理解して貰えたら嬉しいです。


 さて、夏の思い出なのですが、ちょうどかき氷プロジェクト発足の当時のこと・・・・・

それはオーガニックのお師匠であった引き売りの秀さんに誘われて奈良の鹿野園という田舎での
空や農家を借りて、焼畑農業の映写会が開かれたときでした。
 三年前と言えば・・・・いよいよフランチャイズの配食が決裂する寸前でした。 いくら壊滅寸前でも人は
社会では極めて普通に見えるもの。 どうしたらよいかの葛藤の中で秀さんに呼ばれて、その年
発足したかき氷プロジェクトが映写会に参加することになりました。   のっけから、秀さんには
嵌められました(笑) 八時集合のはずが、農家はもぬけの空。 やっと人が集まりだしたのは10時ごろ
でした。  しかも当の秀さんは正午を過ぎて現れ何の悪びれもなく・・・・・

 何かの渦中で葛藤して生きているということは、 「見失う」ということなのかもしれません。

娑婆代を気にかける私たちに「では、売上の9割を本部に!」とさらっと言ってのける秀さんはかなりの
おっちゃんですが、妙に格好よかったのです。 この真夏の映写会が実に不思議でした。

ブログには二度目かもしれません。 まず、とても不便極まりない田舎でした。 雑草を掻き分けて駐車場
はありましたが、乗換え乗換えてバスで到着、そこからまた歩いてたどり着く民家・・・・・

 しかも、映写会は1500円。 昭和30年代ころの、四国地方の山奥の農業形態のお話ですが
はっきり言って面白くてしょうがない映画ではありません。  お金を払って、時間をかけて、ぞろぞろと
県内外から、たくさんの人が集まってきたのです。  一見、宗教的な集まりのようでもありました。

 かき氷は、待ち時間や暑さしのぎによく売れました。 二人が交代で市街まで氷を買いに行きました。

するとなんと、古い映写機が途中で故障してしまったのです。 お客さんは待ちぼうけ、その間にも
かき氷はおかげでよく売れたのですが、いつまでたっても映写機は治りません。  ついに、続行は
断念され、あろうことか、お話しの続きを秀さんが語り部となって話し始めたのです。 でもお客さんは
誰一人帰りません。  エアコンなどはなく秀さんが、筆でそこいらに書いた張り紙には

「暑い人は、脱いでください」(爆)   と生真面目に毛筆で書いてありました。古い扇風機が回っています。

映画の半分が「語り」となったために、代金は半額の払い戻しとなったのですが、結局誰一人払い戻しを
受ける人はいませんでした。 それどころか、みんな文句一つ言わず、映画の内容を興味深く話し
暗くなるまで、会話を楽しみ 満足して、また歩いてバスに乗り帰っていきました。  

 子供時代の昭和の風景のような一日でした。  流れが全く違い、面食らっていたし正直どっと疲れたので
すが、異次元のような一日でした。   

「こんなことをしてる場合じゃないよな・・・・・」といいながら、でもだからと言ってどうすることもできずに
不思議な夏の日を過ごしたのでした。    今もとても不思議な体験です。

これが、今の私たちのオーガニックマーケットの原点です。フェアトレードで生きるきっかけでも

ありました。   大変な時期だったので今だに「懐かしい」などとはいえません。あれから事態は
急激に悪化したのだから、どちらかといえば「思い出したくない」思い出です。

 だけど、そういう人とのつきあいから、生き方が根こそぎ変わっていき、生き延びてきたのは事実です。

引き売りの秀さんは、いつの間にか、店には来なくなりました。 今も、30年間同じ生き方で

八百屋を経営しています。   風の噂で元気だと・・・・・先日聞きました。       (続)



梅雨明けと夏休み到来が同時期でしたね。   

巷に人が急に溢れて、まさに夏到来・・・・・ですが私には「夏はいつも闘い」だったように思います。

思えば夏は遊びの季節だったことなど、本当になかったな・・・・・去年の夏はじっと堪える夏でした。

一昨年もそうでした。 何をしていたのか、絶えず仕事と暮らしと向き合いながら、ただ生きることを

目標に歩きました。  そんな時期があるものです。そんな時期に、耐える力を育むのだと思います。

 ぐいぐい生きるだけが人生ではない。  煮え湯を飲まされて、痛手を負ったときは忍耐も必要です。

 そんな力がないと、これから切り開く人生にはならないと。   だけど・・・・ずっと耐えるのではない。

その時期に力をつける。弱者はとくに、はなっから、闇雲に向かっていっても無理なので力をつけて自分が

相手と対等かもしくは、ちょっとは太刀打ちできるくらいにならないと闘えません。その基盤を作る時、

簡単な機材で作れば、諸共崩れてしまいます。  その基盤は少々苦しくとも、しっかり地固めしておくこと

が大切です。    でも・・・・・これがなかなか辛い・・・・・黙って黙々・・・・は今の日本人に一番辛い修業

かもしれませんね。      何しろ、世間はおおむね、大きく、早く流れています。逆らう形になります。

でも、ここで小さくてもいい、建設的に生きることが大事でした。  お花を育てるようなささやかでも。

 底にいるときは気付かない。でも、這い上がる時、周囲とちょっとした摩擦が多くなります。

夜明けはすんなりとやってきません。  でも、何だか夜明けが近いかも・・・・という気がするときです。

生老病死に出会いもします。  それは、いちいち奈落に落ちるためではなく、死の上に生きるときです。

  辛いですけどね。  私もこれから、まだ出会います。もしかしたら自分かもしれませんね^^

そうやって、少し普通に近い立ち位置になるように思います。 そこからは、今までほっておくしかなかった

無数の問題の解決のときです。 できることから、解決していきます。 例えば、電球が切れてるというような

単純なことから。  暮らし全般を積み上げるように作りなおします。 そろそろ、色んな機械や電化製品が

壊れます。テレビなどもアナログだし筋が入ってたりする(笑) 洗濯機が壊れて数ヶ月、コインランドリーにも

通います。 修理や買い替えに追われないで生きます。 自己判断で今できる生き方で越えていきます。

 闘いどころみたいな時期がやってくる。  一瞬、暴走に見えるけれど、ここで闘います。

ここまでは私たちの体験です。       精神的には人間不信が募った状態ですが、全てを疑うのでは

ありません。  単純にたいていのことは「信じていい」と思います。   権力者と「嘘が平気でつける人」は

信じなくていいのです。 嘘は誰だってついたことがあるけれど、日常茶飯事、当たり前のように嘘をつく

ような人は信じない。 人を騙して「騙されるのは勝手」などと日頃の会話でもケラケラという人などは

警戒したほうがいいと思う。 これは長いこと、人間不信に陥った人間の最終的な結論です。 世間が全て

不信になれば、表を歩けませんもの。  要するに「ちょっと気をつける」習慣をつけるんです。 

奈良は遷都祭は宴たけなわです。 夢りんごも、出店はしませんが、協賛はしています。 仕入れのシェア

もできます。  何かにつけ、少し建設的にいくこと・・・・これが目標です。        (続)


  誰かさんの記事に載っていた、この夫婦・・・・安売りの刺身を買う買わないで揉めていた夫婦が

結局、奥さんの独断で買えずに物別れに終わりながらも、一緒に去っていく・・・・多分、次の日も同じ

トラブルで、なのにいつも一緒という夫婦のお話ですね。 別のブログで読んだ方もいるでしょう。

 これの解説編を書きます。^^  夫は多分、刺身が食べたくてしょうがないのではないでしょう。

(いくらなんでも、駄々っ子です)  夫は妻と親しく話したい。 「この刺身安いなあ」 「本当やね!」と

会話がしたいんです。「でも、あなた昨日も食べたでしょう。今日は肉じゃがにするからまたにしてね。」

「でも新鮮やで!」「そうね、三つもいらないけどね。」と続く会話がしたいのです。 結果的には、今日は肉じゃ

がと決まってる。 妻は家にある常備野菜と割引のお肉を買って、あとは冷奴とお味噌汁にしようかと、

知恵を絞って買物をしてる。そこに夫が、「見たまま」の安さと欲望で「刺身買いたい」と言い出した。

  奥さんは、「毎日毎日、少ない予算で家族に食べさせるために苦心しているのに」・・・・気楽に夫は

刺身だと?・・・・・・という思いがにじみ出ています。    でも、きっと夫は「刺身が食べたい」だけではない。

「やわらかな会話」がほしいんです。     言葉のキャッチボールがしたいんです。でも夫自身もわかって

ない・・・・もし、そこでお刺身を買って貰ったら、その場はうまくいきますが、だからといって夫は機嫌よくは

なりません。  次の日もまた、同じような要求をします。 買物で要求するのが「当たり前」になります。

 奥さんは「甘やかしてはいけない」と財布を締めているのかもしれません(笑)  この夫婦が、とにかく

まあうまくいっているのは多分、数日に一度は夫の要望を聞いているのだと思います。  そこでずに乗って

「今日も」といったところで「ぴしゃり」と渇が入るんですね。 間違いなく実権は奥さんが握ってます。

 え?うち?   うちは、あるスーパーしか買物はしませんが、魚が新鮮なのでそこで、半額の時には

お刺身を買います。 だって、~手抜きできるやんか~  それで一品確保! あとは常備のきんぴらでも

枝豆でも、味噌汁でもいいもん。 毎日それなら、楽やし~   しいて言えば・・・・身体のバランス的には

刺身ばかりだとね・・・・ 私は普通に煮たき物が好きなので。   週末や休日は割引がないのでそんな日には

わざわざ買いませんね。(二、三日待ったら~)  要するに奥さんは「毎日家計が大変なのよ」といいたい。

夫はそれでも「優しくしてほしい」んですね~。  え?うち? だから、うちは・・・・そんな喧嘩する暇も

なかったんですって~ 貧乏なのでいいことは「寄り添っていなければ、もっとひどいことになる」から

壊滅的な喧嘩はできませんでしたね。  これ以上、ひどいことになれば、もう犯罪になっちゃいますって。

 「喧嘩ができない」ということは辛いことでもありましたね。 気遣いながら暮らすことは時には、大変な

忍耐でした。  暴力や大喧嘩も耐え難いですが、「耐え忍ぶ」ことは今時、なかなか辛いものです。

かえって、心身症になります。  昔のちゃぶ台ひっくり返しの方が、わかりやすくて、ストレス解消になるかも

しれません。   え?なんで刺身から、こんな話しに?   とにかく、家族は今、ストレートにぶつけると

大変なことになるし、顔色を見ながらだと、心身を壊す。  適度に距離を置きながら、お互いを池のなかで

「泳がす」のがいいですね(笑)  そして少し余裕ができたら、その池を少しずつ大きくしていく・・・・・

 間違って海で遠泳しそうになったら、黙って結んでおいた紐を引く・・・・・ (どっちが?どっちか・・・・)

黙って結ぶ紐・・・・が夫婦の人生を決めるんでしょうか・・・・・ 今日は、人のふんどしで相撲を取りました。
          
笑・・・・・・・・        怒られそうです・・・・・・・・

                                                        (続)