忍者ブログ
 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


今日は数ヶ月ぶりの紅茶プロジェクトの集まりがあった。  近くの会館を手配して集まるのは

元教師、大学教授、法律事務所の人、施設の理事長婦人など層々たるメンバーである。

ネパールの学校作りに取り組むメンバーであるが、私はたった一人「下層階級代表」として、みなさまに引けを

とらずに加わっている。   相手が誰であろうと、「フェア」に物言いをするのも私だけ。

 「人々の格差」を小さくするのも私の密かな目標です。  壮大なヒマラヤを知る人々でもあるから

その息吹を頂戴するのもいい。   とにかく、私はここで寄付もせず、プロジェクトの恩恵を少しいただいて

大きな顔をしているのです。 ^^     

  帰ると今日はどっと疲れが増してきました。  このところ闘いの日々だったからかもしれない。

今日は店頭のお客さんの流れがよく、食品がとくによく流れました。

新しく入ったラオスのコーヒーやポテトチップ、フェアトレードクッキー、トマトケチャップ、マーボー豆腐の素

など・・・・・全て、自分の暮らしの食生活用であり売れたら売れたでありがたい食品がよくでました。

   やはり・・・・・現金化はありがたい・・・・^^  みんなもよろしくね。

時々・・・・何か生きることに焦点があってない人が来る。  何か、世の中を信じていないというのがわかる。

 笑っているけど、あさ~いところで流し、基本的に人を信じていない。 「どうせ~」という言葉がみなぎって

いる人です。   それは、今すぐどうにもならないので、しかたない。  そんな人も多くなった。

「悪い人」とはいえないが「世の中を諦める以上に不信に流れていく人」哀しいが多くなった。

自分たちもそんな時期があった。まだ来るかもしれないな。    そういえば、昨日だか・・・・また

近くの踏み切りで19歳の女の子が鉄道で亡くなった。 線路に侵入している。  これは、もう

自殺というのか・・・・「生きることを辞めた人」なのか。 死にたいのではなく「生きたくない」のだと思う。

 死ぬというより「生きる境界線を踏み越えた」だけというかもしれない。   まだまだこんな人は減らない。

生きることに焦点があっている・・・・・というのは「今することがわかっている」ということかな。

私たちも「何をすることがいいのか」わからずに「ただ生きていた」と思う。そして「ただ生きる」だけでも

結構大変なことなのである。   ただ、死ぬのは違うので生きている。ということがある。それは

人に指摘されて、立ち直るようなことではない。  人に責められて「はっ」としてやり直すようなことではない。

 ただ生きてみて・・・・・時が来たら「一歩前にすすむ」ということをする。それが「生きること」を取り戻すのだ

と思う。  生きることに疲れてもういやなら、とにかく「ただ生きてみよう」少しぐらい人に迷惑がかかっても

いいのだと割り切ろう。         (続)

PR

昨日であったアメリカの心理学者のシーベリーの言葉に

「松の木はその枝を伸ばそうとします。樫の木と張り合おうとしているわけではない。・・・」の一節がありました。

松の木はまさに今の私です。枝を伸ばそうとしています。 でも近くの樫の木と張り合おうとしているわけでは

ありません。   松の木は「松の木にならんとして枝を伸ばす」のだと思います。

枯れかかっていた松の木が水を与え、根を強くし、大地に深く根をはって、元気を出そうとしている。

枝を伸ばして、自分の人生を拓こうとしているのに、そばで見ていた樫の木が「こしゃくな奴」と躍起になること

はないのだと言っているのです。   そう、あなたと張り合っているわけではないのです。

 もともと、張り合うものではない。 松の木は松の木だったんです。 自分自身であることの権利を信じようと

してるだけ。  だから樫の木と張り合う必要はないんです。 自分を伸ばして高めているだけ。

 樫の木さんも張り合う必要はないんですよ。  もともと違う存在だったのです。

 さて、むやみやたらに話してきて、今、ひとつの締めくくりをしようと思います。

それは、「始めから終わりまで・・・・・では一体、どこでどうすればよかったのかという結論がない」ということで

す。 どこでへらそうとしても、引こうとしても、方法はない。「途中で店をほっぽりだして、雲隠れするしかない」

という結論です。経営というのは「売上を増やす」だけではない。 リスクの高い売上ばかりを増やしても

破滅の一路だったということです。  事実、設備投資の段階でも自分たちは三重の業者を訪ねて中古設備

でいきたいと思っている。でも本部は「H社の新品でいってください」(フランチャイズとはこういうものです。だか

ら成功をやくそくできるというような言いまわし)で買うことになった。でも実際蓋をあけたら中古の店など山ほど

ある。  店の内装は本部がきて、ぽんぽんと決めていく。 もちろん請求書がくるわけです。

でも相手は「わからないからしてあげた」と思っている。 そんなものは中古でよかったし内装も見積もりを

あちこちとって本部からのを断ればよい。しかし、強引も度がすぎていた。  

  まさに、私は「踏みつけられたへび」のイソップのお話とおり、これも加藤さんの書籍であるが

何人もに踏みつけられた蛇がゼウスに訴える。「何故こんな目にあわねばならないのか」と。するとゼウスは

「お前を最初に踏みつけた奴に噛み付いていたらこうはならなかった。」・・・・・・何人もではなく、同じ相手に何

度も・・・・・と変えればその通りである。    「加藤諦三、不安のしずめ方」より。

  私が最初に踏みつけられた時に噛み付いていたら、おそらくその場で揉めただろう。 気に入られずに

話しはご破算になっていたかもしれない。 しかし、それでよかったのである。  踏まれたときに痛みをこらえ

笑って頑張ったのがよくなかったのである。   少々のことなら笑って許してもよい。でも人生を塗り替えてし

まう一大事だったのだ。 噛み付かなければいけなかった・・・・・怒らせて、争って壊れていたら、お互いが

迎合することはなかった。    ゆえに、私は過去に戻り「噛み付かなければならなかった」ことに

きちんと噛み付こうと思います。 もちろん、暴力ではなく「言葉」と最低限の権利と冷静な心で。

その昔、仕入れのお金の返済を、「50万払って解決してもらいましょう」といとも容易く、会社の社長に言われ

て、コンサルタントを紹介されたことがありました。 予約の連絡を入れるようにいわれて、アポをとり、

約束をしましたが、なんだかおかしい・・・・と感じました。  その後、そのコンサル会社のことを、別の人との

電話で「とんでもないですね・・・・」と社長が言っているのを聞いて「なんで、とんでもない会社を紹介するのか」

とはっきり思い、お断りしました。   この頃から「何をいってるのかな」ということが多くなりました。

 外から見ると、はっきりわかりますが、井の中にいるときは、大人でもわからないものです。

その世界にいると、わからないようになっていきます。   これは、会社でも勤めでも同じです。

自分の世界に居場所が必要なので、その世界の中での居場所をさがします。  もし・・・・・何か今の生活

仕事で辛いことや、苦になることが心に負担したり占領したりするときは「これは生きてることの数十分の一の

ことだ」と自覚することが必要です。     要するに「小さなこと」なのです。  もちろん大きなことになる場合

もあります。でも、今いる世界より・・・・外の世界はうんと広いんだという捉え方が大切です。

  自然にであったり、山や海を眺めると「自分のちっぽけがよくわかる」というでしょう。それと同じことですが

時間も少なく、休みもとれない日々では、自然のなかには出にくいですね。   お庭の花でもいいし、図書館

でもいい。   懐かしい友達に会うのでもいい。 恩師を訪ねることもいい。アルバムを見ることも・・・・・

 町に出ると、いろんなお店があります。会社があります。自分のいる場所は・・・・その中のたったひとつ

なんですね。  (つまり、行こうと思えば他の道もある) 心配ごとは、ひとつじゃない・・・・だから集中して

辛いひとつに埋もれていかないことです。 井戸から出る時間を作ること。 ・・・・・それが案外、みんなできにく

い。  気がつかないことが多いし、大事な一生を井戸のなかで過ごすことにもなります。そんな人が案外多い

と気がつきました。   「考えたらはっきりわかること」も気がつかなくされている。騙されているのに

そのままになっている。時々、笑って話しかけるその人は実は、人を嵌めている。場合もあります。

 「おかしいシステム」の渦中にいるのに、止められないのもそうです。 気がついている。なのに止められない

。  おかしいのではないか?と尋ねたら、バサッと闇に捨てられる・・・・そんな荒っぽい横行した社会を

最近も見ました。   これでは、世の中全員、病気になる。   うつになる。  

あなたが、小さな世界の辛いことにはまっているのなら、とにかくその世界とは違う世界にちょっと出てみれば

いいと思う。それは、お出かけのような大層なことでなくていい。   ・・・・・・

井の中にいることに気付くことです。外から自分を発見することです。  生き延びることです。

それに気付くことが、折れずにしなりながら生きること。  井の中では働かないことです。

 奈良は梅雨空です。時折、スコールのような雨が降ります。こんな日は・・・・雨の配達を思い出します。

お疲れ様です。  びしょ濡れだよね・・・・一人でびしょ濡れになるんだよね^^  本当に大変なんだよね。

最後の日、ブログを見て、元スタッフが駆けつけてくれました。  ライダーだったので、大雨のなか

ほとんど配達してくれましたね。  オーナーは本当に喜んでいましたよ・・・・最後の日、みんなびしょ濡れでし

たね。 改めて、ありがとうございました。    もう、ここは井戸の中ではない。 



 金融機関の法改正があるたび、金融界や世間が振り回されます。   間接的ではありますが

多分、うちにも影響があったと思います。  これは、正直大変な思いをしてきています。

いえ、改正のせいではありません。 借り入れてからの苦労~廃業に追い込まれてからの苦労。

言い尽くせないことばかりです。  なんと「荒っぽい」事業に振り回されたのかと今さらながら思います。

これは正直、「生活が成り立つ」ための事業ではゆめゆめなく、どんどん借り入れを増やして返済のために

走り回る事業です。  そういう事業だとは社長自らは言いませんでした。  給与明細を見せて、生活費の

保障を約束しましたので。 3回自宅に来て話し、加盟店を訪問して話し、本社に一度伺いました。

 それ以外にも実家と向かいの近さで何度話ししたでしょう。 心身症になるのは当然でした。

話しを金融関係に戻すと、当然返済は残っているので、再度再度、関わりながら勧めるしかないのですが

そういう話しの風向きは「担当者」によって、大きく変わると最近実感するところです。

  時には、喧嘩ごしになることもあるでしょう。 そんな時、最後に私がたどり着く結論があります。

「私たちの最大の反省は、相手ともっと喧嘩しなければならなかったこと」です。

だから、今は「違うな」と思うことは、ちゃんと伝えるようにしています。  関係が苦くなっても仕方がないと

思います。それは消耗するし、自己嫌悪にもなるけど、「ちゃんと闘うときだよ」と言われているんだと思う。

父母が近くにいることが何故「弱み」になるのかはまだ伝わりきらないと思いますが、少なくとも訴訟を進める

ことで父母の「生きる権利」がいくらか守られているのは確かです。  父母はそれを実感できるといいます。

怖い思いをしてきたのは私たちは立場弱く、仕方なしにとはいえ「迎合」してきたことはたしかです。

自分のポジションをもっともっともっと高い位置に、対等に向き合える立ち位置にいなければ相手と闘えない。

そう気付いたのです。  加盟店は傘下にいるようなものですが、いつまでもそれではいけない。

  傘の中で犠牲になってはいけない。  びしょ濡れになっても、同じ土俵に立てる存在にならねば生きて

いけない。  そう思います。・・・・・その背伸びが前回の訴訟でした。  法廷の知らない訴訟はハードルが

高かった。  まして、相手には「どうぞ」といわんばかりに、勝てる材料を渡していた。  今回は違います。

ハードルは自分たちで設定します。  自分たちの反省はもう十分しました。 償いもしてきた。

相手の責任を細やかに・・・・・隅々まで問うていきます。      ずぶぬれになって向き合います。

家族と・・・・・故郷の父母と、見ていてくれる人のため。    今、小さいけれど何かに向き合って

闘っているあなた・・・・・     がんばろうね。    少しずつ人生を塗り替えていこうね。

今までの人生を、洗い流して、残りの日々の覚悟をしようね。  命の限りがあっても。 乗り越えよう・・・・


日々、いろんな勘違いが交差する世の中です^^   何か小さなことで、「そうか、そんな風になっちゃうんだ」

と思うことが時々あります。  もともと傷つきやすい物書きなんだけど^^  最近は落ち込んでも、時間と

共に、浄化作用が働いて、「ん~人間て、まあ、そうだよね~」って心がうまくバウンドするように

なってきたかな・・・・・ それで・・・・・・今日はこのブログと、自分たちの生き方について書きます。

 たとえば、 仲間がいろんなものを持ってきていただいたり、送ってくださるのはとても歓迎です。

そこに、何かの悪意があるとは、夢~も考えません。 なのでたいていは「ありがとう」といただきます。

これは本心なので、あまり深い読みをしないでね~  とてつもない「不愉快なもの」なら、夢りんごはちゃんと

本人にお伝えするはずです。  贈り物に「高額の請求書」がついてきたりしたら「怒り」ますが(笑)

 でも、これは私たちでなくても怒るでしょう^^  そうでない限りとても歓迎しています。

貧困が板について、「ひねくれてしまう」ことはありません(笑) そして、例えばそれが「会えない距離の人」

なら、お礼をお送りします。 みんなのように、お友達を訪ねる時間とお金はないので「手土産」ができないから

。    それはオーガニック食品やフェアトレード製品が多いんですが、ちょっとみんなと違うとしたら、うちは

「値札」を外さずに送ることがあります。それは、いちおう事業なので「またほしいな」と思ってくれたら、対価が

わかるほうがいいこと。  手作業、手仕事なので、「正当な価格」を知ってほしいこと。そして、そういう「お互

いが成り立つ世の中」にしていきたいこと。 お店のポリシーを伝達する意味があります。これだけはご理解

下さいね!  それ以外は「ありがとう」というお礼の気持ちです。 貧乏体験も身にしみているけど、だからと

言って「人間不信」のまま生きていきたくないこと・・・・・だから、このブログを続けていること。

 例えば、お野菜をたくさん頂いたら、もちろんお店でも個人でも役に立つし嬉しいけどたくさんなら、ご近所

やお友達、サポートセンターのスタッフや仲間で分けることもあります。 喜んでくれて「来年はお金払うから

ほしい」 ともいってくれます。そういう時は、送り主に「次はわけてください」と申込みます。

そういう、お店で生き方です。  今のところ、お断りするのは「古着」かな(笑) それから「事業のリンク」は

一呼吸おくことにしています。 それはお互いのためもあります。 時期がきて、つながることができたら

それは嬉しいこと。   フランチャイズの経験から「両方に利益があるようなつながりはなかなか難しい」と

思うからもあります。  だから、事業はひとまず、一線をおきます。  やがて、できることがあるだろうという

気持ちもあります。  それ以外は、大体歓迎です!  できるだけ、言葉でコミュニケーションをしながら

プレゼントはしたいですね。 もしや「不愉快だったのでは?」と感じることがあれば、遠慮なく尋ねてね!

 基本、お礼の電話を入れたり、品物が届いたりしたら、「ありがとう」って思ってるので、そこんとこ

よろしくね!    メッセージがついてたら「夢りんごのありがとうがより、強いってこと」ですよ!

みんなのおかげで、凄まじい人間不信から、徐々に立ち直ってきています。  ありがとうございます。