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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 心の整理をしながら、相手のことも考えると、これはもしや?とてつもない勘違いが潜んでいたんじゃないか

と思いました。  なので今日は廃業に追い込まれてから訴訟に至る経緯を考え直してみたいと思います。

 そもそも法的というのは、何か怖いことのように民間人はとらえます。私たちも裁判沙汰は初めてなのでやは

りそれだけで窮地に陥ります。 縁のない人間は弁護士さんを救世主のように頼るばかりです。

実際、それだけの社会的地位をお持ちです。 でも、そもそも、「頼る」行為がかえってよくないといえます。

とはいっても・・・・・初体験ではやはり仕方ないでしょう。お金のない法テラスだとそれはもっと困難です。

 これは「ご縁」です。 普通の弁護士さんはにべもなく断ります(実際、私たちも二人あっさりと断られました)

でもご縁のあった方がひとり、この問題に食いついてくださいました。 以前からこの件に社会的意義を感じて

おられた方でした。 そうして違うタイプの先生が二人、応援してくれることになりました。   言うまでもなく

私たちは、当初人間不信と深い不安障害、脳細胞に傷を負って生きる術をなくしていました。店を閉める

金はなく、力はなく、不整脈で身体は震えて危ない日々が続きました。   一方、本部は破産をするとおもって

いたようですが、実際は店を解体する百万以上のお金も破産のお金もなく、ただ空虚な身体でいきていました

。  この状態は続き・・・・翌年1月に訴訟になりました。 そこにはどうも「破産もしないのなら、金を持ってい

るんだ。」という、先方の「勘違い」があったようです。  噂で「普通の暮らしをしている」などと聞こえました。

 実際は・・・・そんなものではなかった。  このあたりの暮らしはちょっと今はスルーします。(思い出したくな

い)  二人の弁護士さんがついてくれたことから、何故か先方も二人になりました。(何の見栄か)

 先方は、「優位な材料をすべて、取り揃えている」のだから、一人でも十分なのに。  訴訟の最中に

犬の供養の記事が法廷に出されたこともありましたが、これも・・・・「金を隠し持っている」という妄想が先方に

あったのではないかと思われます。 実際は犬の納骨をする時間もお金も適切な霊園も見つからず、ずっと

自宅にあったので、知人の花畑にお墓を作らせていただいたのでした。 これはオーナーのご好意で、

私たちを、プライベートルームに泊めていただいたのでした。  夜中に着き・・・・・・

「いろいろ疲れたでしょう」とお風呂をいただいて泊めてもらいました。 料金はとらないといわれましたが、

供養として微額を渡しました。  これもなにか、先方の妄想を感じます。「人を疑いきっている」ということです。

 この訴訟は2年半くらいかかりました。  何か、思い立ったように「攻め込む」という行為が都度見られました

。  私たちは今、とくに食生活については粗食ですがちゃんとしたものを食べています。 ブロ友さんは、私の

料理好きもよくご存知です。 今日は割引の「新茶そば」を大根おろしでいただき、昨日の怒りのきんぴらごぼう

とトマトとオニオンとみょうがのサラダを、ブロ友さんの来訪のお土産の「TBぽんず」でいただきました。

 これがどうも「金を隠し持っている」という妄想、先方の「普通の暮らしをしている」という「思い込み」の観念

がとれない一因のように思います。   それでも、「貧乏でずたずたの姿」を目の当たりにすればよかったのか

?貧困で自殺に追い込まれて「本当に死んだ姿」をみれば納得したのか?  とにかく、相手からみれば

「困った様子もなく落ち着いている」と見えたのでしょうか。   しかし、人は社会にいる限り、闇の部分をさらけ

出して生きることはあまりありません。  余計に社会から疎外されるのが怖いからです。  何とか、心の糧に

誰かとつながっていようとするんじゃないでしょうか。 私たちも何度も死の白い闇が見え吸い込まれていきそう

になりました。  ブレーキになったのは家族、父母、「何も悪いことはしていない」ということぐらいでしょう。

 今、決して裕福でもなく、借り入れや税金も止まったままのも、延納もあります。 それでも、

「全部をやり直す」選択に、破産もなく逃亡もありません。 「ただ生きている」だけでも大変なのです。

とくに「食」だけには困らないように、小さな取引で「良い食べ物」をおいているので日々はとにかく困りません。

「住」については遅れながらも家賃を辛うじて払い、光熱費は最低限、(とてつもなくエコな暮らし)「衣」に

ついてはほとんどここ数年は買いません(笑)   フェアトレードの衣類を卸しで少しいれ、売れたらありがたい

し残ったら「着る」ようにしています。 病院は時々「歯科」に交代でいく以外はほとんど行かないで、自然療法

食療法で乗り切っています。(歯科は二人で交代で医療費を打ち合わせながら通います。代金がないときは、

予約をキャンセルします(笑))。    その暮らしと生き方、事業がどうも理解されないようです。

 というより・・・・そう生きるしかないのです。  だから「隠しがね」なんかありません(笑)  あればとっくに

金融機関などに支払っています。  私は「貧乏」でも「豊か」な暮らしをしようと思ったのです。 「豊か」とは

金や物があり溢れ、それでも「足りない、足りない」と不平、不満で生きることとは正反対の生き方です。

金があり、事業もいちおう成功して、周囲にもたくさんの人がいて、みんなが自分の言うことを聞いてくれて

好きなことをしてジムで身体を鍛えて、社会的地位もあり、生きていけるのに、それでも「不満」。なにか

いつも「足りない」・・・・人を信じない、思い込みで行動する・・・・いつも、倒すことを考えている・・・・・いつも

先手ばかりを追っかける。・・・・・・それとは正反対の生き方です。  だから隠し金などないのです。(続)
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いつも、ありがとうございます。  自分の心の整理をしながらなので、重たいブログになってるね。

ブロ友さんはじめ、コメントはないけど応援くださってるみなさん。ほんとうにありがとう。

また、コメントくれてる仲間もありがとうございます。ただ、味方になってくれてるだけでなく、ちゃんと冷静に

見てくれてること感謝しています。   ひとつひとつ、ちゃんとお礼にいけなくてごめんなさい。

 今日は、少し明るい話題にしたいな。 と思いました。   そう、「怒りのきんぴらごぼう」(笑)はすっかり

私の定番です。  サポートセンターのランチやゲストハウスの仲間にも好評で。  今年春から、役所関係

のバイトを始めた娘もお弁当に。  これは「怒り」が大切(笑) テンションの低いときや、うつ気味のときは

もう少しゆるいメニューが向いています。     夢りんごの「怒りのきんぴらごぼう」は、うまくいけば

食べられますよ。     この前、ブロ友さんが、慰問?に来てくださいました。(笑) ありがとうございます。

国立博物館を見学されて、立ち寄ってくださいました。  ちょうど、オーガニックシロップのかき氷プロジェクト

を始めたばかりだったので、かき氷や木頭村のゆずみつをのんでいただきました。  

 元気をたくさんいただきましたよ。 ありがとうございます。  また来てくださいな。 

梅雨にぬれた奈良は鹿たちも、雨上がりは芝生に出て、おいしそうに草を食べていますよ。バンビもちらほら。

イベント真っ盛り。  夢りんごも遷都祭り、来月予定しています。といっても直接出店するのではなく

あるプロジェクトの応援で、買い付けをシェアいたします。   心の整理をしながらですが、一歩ずつ歩んで

います。  思うとおりに少しずつ進むしかありません^^   無人駅前でお待ちしています。

  「怒りのきんぴらごぼう」は怒りを、和香ごぼう・・・・・いや、若ごぼうのささがきにぶつける惣菜です(笑)

あまり、細くしないで適度に「歯ごたえ」しっかりとささがきをつくります。  しゃきしゃきとちゃんと噛んで脳を

活性化しましょう。  私は基本、こんにゃくと人参も加えます。  濃い目の味です。ご飯がこれだけで食べら

れます。  砂糖は是非、無漂白、調味料は可能な限りこだわってください。  できなければ、普通のだしや

濃口醤油で大丈夫ですよ。 これがあれば、もうあとは冷奴や納豆。 少しのしじみ汁などで大丈夫。

 もし、パパさんとかなら、あと一品割引のお魚やコロッケで。 粗食だけど身体にはちょうどなんだよ。

私は、一週間でも同じメニューで食べれます。  あとは「残り野菜の酢漬け」が夏の定番。

この間、ブロ友さんにいただいた「手作りポン酢」が美味しかったので、野菜をつけこんでみました。

おいしくなってるかな・・・・・・今日は、ちょっと脱線。  料理の小部屋でした^^

いよいよ梅雨ですね。   今日は記事をお休みするつもりでした。   

しかし、ひとつでも多く伝えていくことにしました。   ふとした時に、怖い目にあったトラウマが襲うことがあります。   小さなお店が何かで追い込まれると、大変だということをお伝えしておきます。

 ここでいう小さなお店とは、いわば脱サラして夫婦二人から始めた規模の小さいお店をいいます。

資金は小さな自己資金と、本部からの開業計画書(売上予測などを表にしたもので借り入れの時必要です)
で借り入れ金(当然返済がついてきます)とで開業したようなささやかなお店です。

脱サラしているということは「生計を目的としている」ということです。辞める前の給料などを提示していたので当然「生活目的」だとわかるはずです。 先方も「この事業一本で成り立つ」と確認済みです。

途中で雲行きが変わったころでしょうか。「アルバイトしてますか」と尋ねられました。 できるはずがありません。  夫婦に少しのスタッフで切り盛りし、食の安全や交通の安全、すべて行き届かせれば、早朝から夜までの長時間労働です。 不幸なことに、勤務時代、相当な働き者だったことが裏目に出ました。

 つまりは、前述の記事と少し矛盾しますが「夫婦でささやかにするお店ではなかった」ということになります。

これは、別に収入源のある夫婦(例えば駐車場を持っていて決まった別収入があるなど)は該当しません。

また、家族でも持ち家を使って祖父母、親戚など一族を挙げてしている家族も該当しません。 

  先述の記事で「マイナス」ができない、調整することが許されないと書きましたが、現実問題、借り入れの返済をして行かねばならないので、数を減らすのは望みではありません。 しかも、お年寄りに食を配るという
「責任」を担っているので現実は減らすことはしにくいです。(注文をまとめて断らねばならない)
 夫婦二人で走り回れば、冷静に事業を考える時間もありません。  あれも無理、これも無理・・・・・ということになれば、結局最初から最後まで「破滅の一路」を辿っていたことになります。 そこに「不可能な合意書」や
「取引停止」などが負いかぶさると、どうなるでしょうか。 「始めから潰れるために経営した」ということになります。      少し・・・・・怖くなったので、この過去はここまでにします。

 角度を変えて、終わってからの日々に・・・・・生きてるだけで精一杯だった・・・・・と何度か書きました。

「誰が死んでもおかしくない」と思いながらも、できるだけ明るく生きました。  そんな暮らしでも

追いかけてきて、例えば「犬を供養する」一日のブログでも「法廷」に提出されました。  どんな暮らしをしているかは、いちいち見せないけれど、「普通に」「気楽に」生きてると見えたようです。 今・・・・・・

私たちほどではないかもしれないけれど、「どん底」でも這いながら何とか笑っている人・・・・はほかにもいる
ように思えます。 それを・・・・・少しでも解かる人がひとりでも増えたらいいな、と単純に思います。

 「人は見た目ではわからない」とはっきりいえます。   無理している、傷を一人でなめて無理している。

そんな人がどんどん増えている。  だから日本は・・・・元気になどならない。  (続)


土曜日の記事が行方不明・・・・・? なので、うろ覚えで編集をかねてやってみます。

傷口を洗う作業をしているという記事だったかな・・・・・?

人間関係の傷口を洗って膿みを出すことが、身体や心の病気を治すのに役に立つのではないかと思い

実行しています。   病気の根源を知るとそれはできる。  なんか、見てる人はがっかり?するかな?

大丈夫です。きちんとお話しは繋がっています。   今回の傷口はやはり実家と近郊にあります。

でも、今までテープを貼って膿みをためたままで生きてきました。   今がちゃんと治すとき。

 傷口を開くと、もう一度ひどい痛みがきます。  切り裂いて洗う作業は、耐え難い痛みです。

しかし、何年もこの膿みを出さずにいたことが、今回の私のミスです。  傷口を洗うのは自分も相手も傷む

からです。   なので・・・・・一見、悪化したように見えるかもしれません。  雑菌が入るかもしれません。

 痛みのために声を出すので、相手を刺激しているかもしれません。  そして相手は我慢できずに大声を

出すかもしれません。  この状況で・・・・・声を出されたら、苦しいのは高齢の父母なのです。

だから、黙っていたことも多い。  でも、それでは根治しないことに気付きました。

    そこで、もう一度考えてほしいことがあります。それは、この「買い掛け金」という代物です。

これが純粋な買い掛け金かどうかはここではさておき、そうだとして、私の話を法でも哲学でもなく普通の

頭と心とで考えてください。 実家がすぐそばの親しい知人で、万一、金もないのに買いすぎたとして

破産や夜逃げ、逃亡をしてしまったら、残された父母に迫害や弾圧がくることがわかっているのに、どんどん

買いかけを増やして「払えない」ようなことをすると思いますか・・・・・・?    単純に「買物」としましょう。

その金額が払えないで逃げたら、売り手の目の前にその両親がいたら、両親に迫害がかかることがわかって

いたら、あなたは逃げますか?    その前にその「支払い不可能な」買物をしますか?

 自分にくるのは仕方ないこと、 払えない人が追い込まれることはよくあることです。

自分が追い込まれるのは仕方ないとして、その抑圧が年老いた親にくるとしたら、貴方なら逃げられますか?

その前に・・・・・買いますか? 普通は買わないでしょう。  ではどうして「買うしか」ないのでしょう。

   フランチャイズの商売はそんなものじゃないんだ・・・・という人がいます。  コンビニやレストランも

規模からしても「脱サラの素人」が決して扱えるものじゃないと。  それは一理あります。  でも・・・・

私は同じやないかとも思います。 オーナーが途中で小さくしたり大きくしたりできないとおかしいとおもう。

それは、どんどん売り上げて「潰れる」よりは小さくても「続く」ことのほうがフランチャイズとして正しいから

です。  その小さくする「権利」を私たちは奪われたといっています。  売上を上げていこうというのは、

本部の望みであって、加盟店の第一目的は「壊れないように続けること」が優先です。  この権利を

本部が認めてくれなかった・・・・と言っているんです。   でなければ、父母の短い余生を、本部からの

弾圧で暮らすような目にどうしてあわせるでしょうか・・・・・泥棒よばわりされることを望む娘はいません。

「泥棒」にならないために、まず、傷を洗っているのです。   今日は大丈夫かしら?この記事・・・・・

いえ・・・・・何度でも、記事を書きます・・・・・・・・                        (続)  

  



 何かで一歩動く時、閉塞するほうへ、蓋をする方へと動かないことを学びました。

そこには、犠牲が生まれ、弱者が生まれ、格差が開き、ことがこじれていくことが、はっきりわかったからです。

物事は社会に向かって、広いほうへ向かって、動き出すことが大切だと思います。困難を承知で。

 それは私たちにとって、大河を逆流するようなことでした。  流れはたいていは、大きな楽な流れにのって

いきます。たいていの人はその流れで生きていきます。   痛手を負うときは、自分の人生のターニングポイン

トだと自覚する必要があります。  人に呑まれるような種を過去に撒いてきているのだと反省する時でもあり

ます。   学校や職場の苛めもそうですが、たいていは「苛めているとは思っていない」と聞きます。

 今回も相手はそうは思っていないかもしれません。  売上をあげることが店の成功ではなく、

まず、壊さないように地道に作り上げていくことが大切なのです。 続けることが最大の目標です。

「続く」ように経営することが目標です。 「支払えるように仕入れをしたい」と申し入れているのに、「だめです」

という答えはないのではないか?と言っているのです。 マイナスができないのは何故なのか・・・・と聞いて

いるのに途中で切るのはどうしてなのか・・・・と言っているのです。    もしかして、そのお話しが理解して

いただけないでいるのか?と疑問に思うことがあります。  今だによく解からないブーイングが聞こえてくるの

は何故なのか?  何故、憤りが聞こえるのか?  相手は何を怒っているのか・・・・それでも騙されたほうが

悪いかもしれない・・・・なので支払うけれど無理な合意書を書かされたので見直してほしいと話し合いにいき

ましたね・・・・それで、経理の方は見直すことも考えましょうと言われた。にもかかわらず、切ってこられた。

  それで、システム自体がおかしいのではないかという訴訟、何故買い掛け金の調整ができないのかの訴訟

をこちらでしたわけですね。 そちらからは、返済の訴訟がなされたわけです。こんな風に、社会のなかに

問題提起していくことが、解決の一歩です。  話し合いができなければしかたがありません。

 もちろん自分の弱かったところも随分見直しました。  ここ二年半は「騙されたほうの罰」をちゃんと

受けてきたと思っています。 それでなおかつ、システムがどうなのかと伺っているんです。  訴訟は

幾分、内容がぶれていたかもしれないけど、求めているのはその答えなんです。   ごめん~また

ほかのブロ友さん~   ややこしい話しですみません^^