忍者ブログ
 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


田舎の父母について書くのはつらい・・・・・住みかが動かせないので、正直、危険に冒されることが今でも

どこかで怖いと思っています。   母は、常に相手の話の聞き手になっていました。

会社の愚痴や、不平を常にお向かいから聞かされていました。  よその加盟店の話も聞かされていました。

情け深い部分のある母なので、いつも多分、真剣に聞いていたのだと思う。   時には、相手が涙を流し、

母の胸でなくこともあったという。  社員の愚痴や辞めさせたい話しは、脅威で聞いていたという。

 少なくとも、無関係の人にならともかく、一加盟店のオーナーの母親に様々な話をするのは、親にとって

権力の下に置かれているようなものだと思います。 そんな裏話を聞いていると「いつか娘にも・・・・」

と感じることもあったといいます。 逆に「娘の店だけは守ってほしい」との願いもあって黙って聞き役をしていた

こともあるんでしょう。  とにかく、会社が大きくなると、その話はだんだん大きくなっていったようです。

物言いがだんだん高飛車になっていくようでした。   お向かいからのファクスが手元にあります。

「買い掛け金をためておいて、おまけにバイクや冷凍庫を買うなんて!」といわれたこともあります。

 この人は・・・・・気がふれているのかと怖くなりました。  バイク~などは、お宅の息子さんが、断るのも聞か

ず、送りつけてきて・・・・・随分あとに高額の請求書を送ってきたではないのか・・・・そのことはご存知でした。

  買い掛け金は「ためたくなくても、たまっていく」「仕入れを少なくするシステムがない」などは言っても無駄

でした。  「この事業は無理ではないのか」と聞いても「大丈夫です。続けてください。数を増やしてください」

といい続けた人が・・・・・突然、人が変わるさまを、目の当たりに見ました。 

 私は細々と今、こんなことを書いています。 どれほどの人が読んでくれていて、共感すること、おかしいと

思うこと様々でしょうけれど、ここに書くことが社会への窓口です。  訴訟も社会との窓口です。

こうして社会に向けて解き放っていかなければ、もう私たちに救いはありません。 人の心に訴えかけていく

地味な作業を繰り返さなければ、押しつぶされてしまいます。 確かに本部の弱みも知っています。

 「嘘」だといわれても、確かに知っています。  でもそれを、武器にしようとしたことはありませんでした。

どこかで、気がついてくれることを願っていました。  ここまで話さなければならないなんて、情けないです。

私たちはもう、自分らは離れているから、かまわない。年老いた父母が、小さな実家で最後まで、平安に暮らせ

るように闘います。                              (続) 
PR

相手との言い分で決定的に食い違っていることをこれからお話しします。

たとえば、小さな出来事。 オープン三ヶ月。   知名度もないところに、名前から広めていかねばならなかっ

たことから、少数の配食を少しずつ増やしていきました。  「食数が増えることが成功」の一点張りの指導だっ

たので、そのまま「食数はなかなか増えないですね」と相談しました。 すると、社長、担当者はとんでやって

来られました。 そして「バイトをいれましょう。」と言われさっさと求人情報誌に申込み、掲載されました。

  当然、募集したら希望者が数人、面接に来られました。   ですが最終的に「こんな食数で人件費は無理

やないか」とこちらで判断して、お断りしました。  社長は不服そうに「なんで断ったのですか」とその後何度か

怒っていました。  でも、人を雇うか否かは、加盟店が決めて募集、採用することだと思うんです。

「あなたのためにしたのに」・・・・・と思っておられるようでしたが、そのへんから行き違いが多くなったと思いまし

た。   訴訟が始まったとき「情をかけたのがいけなかった」と遠巻きに耳に入りました。  それはビジネスで

はない・・・・・と思いました。  でもこちらから頼んだことではありません。  またあるとき、私は熱を出して

支払日に寝込んだことがあり、「申し訳ないけど一日待ってください」と電話をいれました。 すると、

次の日、本部の若い人が突然、「手伝います」と来店されました。「お気持ちはありがたいけれど」急に、土地勘

のない人が来てもらっても、していただくことがなかったので、半日ほどいて貰い、茶菓子を持って帰っていた

だきました。  私は「支払いを一日待ってほしい」と頼んだのであって、助っ人を頼んだのではありません。

普通はそれを「なさけぶかい人」というのかもしれませんが、好意であっても善意であっても「優越的」には

違いないと思います。   廃業されたお店のお客さんのリストを多大に回されて当然のように「数が増えただろ

う」と言われました。三ヶ月支払い続けましたが、一向に支払いがスムーズにいかないので「来月にはこんな

大きな支払いはできないですが、(この事業は)大丈夫なんですか」   と聞いたところ「大丈夫です。 あ、こ

うしましょう。」と、何度か話したバイクとストッカーを送ってきました。  これらは、すべて「あなたのため」という

善意に見えますが、私には「優越的地位の乱用」だと思えます。 請求書が多大についてくるからです。

 そのことが、何度話しても理解してもらいにくい。  「助けてもらっていいじゃないか」という解釈のほうが多い

んです。  そしてたちの悪いことに相手は「助けた」と思っている。 「悪いことはしていない」といいます。

でも、もし、この人がいなければ・・・・・私たちは地道に一歩ずつ、少ない食数でこなしていったのではないかと

思います。 「払える」だけ買い、支払う。 少し無理するときもあるかもしれないがその時は「借り入れ」の覚悟

をして、自己責任で経営する。だから、お客さんは一変には増えない。  ・・・・・これが後に私が出した結論で

す。  急に他所のお客さんをどかんと貰ったり、バイクを送ったり、採用を手配したり、そんな手助けは

したらいけない。  オーナーの判断でしなければいけない。 断っても「聞かない」お方でした。

 「人をたてる」・・・・長所が仇になりました。  いったん増えてしまうと「高齢者が迷惑する」といわれて

やめることはできません。  これを「優越的地位の乱用」と私たちは言っているのです。   その後は

急激に本部での経理が具合わるくなったのでしょうか。態度を一変し、コンサルタントの斡旋や無理な合意書

と襲い掛かってきました。  頭が真っ白になり、心身症や不整脈がひどくなりました。

 「不都合な店」になったのでしょう。 最後は途中で切り捨てて取引を停止して大きな請求額が送られてきまし

た。  それが今回の訴訟の最初です。   力強く、理想を語り、勤めていたw社のような会社にはしない・・・・

と誓って漕ぎ出した本部の豹変でした。  その最初の生き生きした事業家のあまりにもの変貌でした。

人間不信になり、人の親切や優しさには「裏」があるように思い、人を見て怖くて震えだしたのもこの頃です。

 「何もしないでほしかった」「断りを聞いてほしかった」・・・・というのが私のつぶやきです。

こんな店はないかもしれません。  担当者は私の店にきて何もいいませんでした。 「無理ですよね・・・・」

と呟かれました。  担当者の責任ではないけれど彼は責任を負わされて会社を追われました。その彼の

スーツの肩先も震えていました。  フェアトレードと出逢ったのは必然でした。  途上国・・・・・と私の店は

同じでした。                                          (続)


 



素人で小さく事業をしようとした人は、多分一年や二年で破産するはめになるとは考えません。

 でもどうしても、そういう選択肢に追い込まれたとしても、人は人によって受け止め方が違います。

破産でリセットしてさばさばとして、第二の人生をいく人も中にはいるだろうけど、いったんは楽になったきが

するけど「払えなかった」無念を背負って生きる人もいるだろう。   後者のほうがずっと多いように思うんです

。  以前、お弁当の時代にきたバイトさんで、事業失敗経験者と思しき人が数人いました。

 次の職の前に、何でもいいからバイトしよう・・・・・という感触のおっちゃんたちですが、働き盛りなのに目が

うつろで、焦点があいません。   食器を持てば、手を離してこぼれるし、指先は小刻みに震えています。

ものをこぼすとものすごく慌てるし、ミスを注意すると怯えるか、異常な反論がかえったりする。

 そうこうするうちに、次の正式な就職が決まったらしく辞めていくのですが、あるとき同じ市内の工事現場で

やつれて働く本人を見たりする。  すぐに首を切られたとわかります。  見ればわかるのに、挨拶もない。

 いえ、人を責めているのではなく、自分を見失って心そこになく、ただ仕方なく働いている。 その後また

どこかへ行かれてしまいました。  そういう姿を見ると、「生気」のない人たちの多いことか・・・・

  私達も、そんな日がたくさんあります。   とにかく仕方なく何かをこなす日が・・・・・強い日ばかりでは

ありません。   人は見かけではありません。  リセット・・・・・という逃げ道を有効に使える人もいれば

一貫の終わりで・・・・もう生きられない人もいる。 とくに、嵌められた人は人間不信もかぶさって社会全部が

怖くてしょうがないのです。  だから、相手からみれば諦めて「破産さしたるわ」という状態でも、こちら側から

は「想定外」なのです。  「破産させたほうが早い」から追い詰めたつもりでも、「何で?」なのかわからない。

 何で?なのかわからないまま、追い込まれた人も少なくないはずです。  先日、弁護士さんから、「名義を

夫婦で変えたりすると意図的だということになる」と聞きました。  でも現実には、そんなことは横行しています

。  もし私達が、どこか作為的に名義を変えるものがあるとすれば、それは咎められるでしょう。   なのに

悠然とそれが通る人もいるのはどうしてですか・・・・・そして、そんな人のほうが法的に強く、優位であるのは

どうしてですか?    そこで笑っている人との会話を「出会い」から録音しなければならない世の中です。

 経済的な困窮は耐え難い。 貧困は耐えがたいことです。  しかし、人間の「本性を否定」されることは

見えないけれど耐えがたいと加藤さんはいいます。   今、「本性を否定」されて生きている人がどんなに多い

でしょう。   また、ひとつ、つれあいは花苗を買ってきました。 こういうことも優越的な相手は「花なんか買っ

てる場合か」と見るし、もし破産でもしたら「破産された」というし、音楽でも聴いていたら「呑気な」というでしょう

。   何をしても「腹がたつ」「気に入らない」・・・・・それが人間関係のこじれです。  親しいほどひどいこと

になります。  そういう人を感情的恐喝と呼ぶのだと書いてありました。  よく覚えていてくださいね。

仮に小さな日帰りの旅におにぎりを持って出たとしましょう。 「気楽な!」と罵声をあびます。

それが、借金の相手だったりすると「気楽な!(そんな金があるなら)金返せ」となります。「じゃ、お出かけを

やめた分2000円返します。」と渡したら「これっぽっちで足りない」というでしょう。どうやってもおさまらない

。  関係を断ち切るしかないんです。    覚悟するしかないんです。  だから、とにかく悠然と生きる

・・・・・というのは無理がありますが、一歩だけ前に歩きましょう。 ・・・・・・   (続)

 


望まずして法的デビューをしてしまった私達。  裁判を知らず、相手のペースの「呪い」にかかったような

始まりでした。  「兆し」「匂い」はありましたが、どういう世界に入ることなのかはわかりません。  本部に

話し合いに行くも先は見えず。  ようやく、仕入れを小さくする話をしぶしぶ承諾してもらい、買い入れは減らす

ことになったのですが、もちろん大変でした。  高齢者は待っており、むやみに減らすことはできません。

 それから一ヶ月、もう一度話し合いを約束したのもむなしく、取引は打ち切られてしまいました。

それからの半月は本部からの廃業の催促、ブログ閉鎖の命令、高齢者への伝達と、次の配食さがし。市役所

の福祉への相談。 配食がお年寄りに途絶えることないように万全をつくしました。 すると今度は、本部から

「本部に廃業のクレームがたくさん来ている」と抗議が?  (一体、どうしろというのか!)廃業に追い込んだの

に「クレームを何とかしろ」と?わけのわからない連絡。  看板を外しに来る本部の新人二人。 怒涛のような

2007年の九月でした。  その後は放心状態でした。 しかし、かろうじて生きていました(死にかたも知らな

かっただけかも)      幸か不幸かフェアトレードの仲間やオーガニックの業者さん、農園の力も借りて

とにかく店頭に並べて生きました。  小さな仕入れをしては売れないものを食べたり生活用品を使いおろしま

した。 「買いかけ」は怖かった。  身体も心も震えていました。 つれあいは「花苗」を少し買ってくれました。

 「せめてもの、心の支え」だったことはいうまでもありません。 その金魚の木とゼラニュームは今も片隅に

残っています。  何でこんなことになるんだろう・・・・仕入れを減らして様子を見るはずだったのに。突然、

取引をやめたら「死ね」ということと同じやないか・・・・何か策謀めいたものを感じながら、夏に裁判を勧めてく

れた弁護士さんに連絡しました。  「法テラス」はそこで知りました。  「やってみよう」・・・・弁護士さんは

二人になっていました。   私はまだ、法テラスの制度をよく知りません。 この機会に学ぶことにしています。

  というのも、この道は思いのほか、遠くて長い、未踏の道でした。  生きるのにいっぱいいっぱいで、ほとん

ど弁護士さんに任せるしかなかったのです。  今となっては、たくさんの疑問符も残ります。  こんな風に

私達の法の舞台は始まりました。  それでも具体的に何をしたのか・・・・よくわかりませんでした。

判決とのギャップは、この辺にあったように思います。  つまり、この法の舞台も知らない素人だったのです。

 お気づきでしょうか。  商売ほど酷い目にはあっていませんが、これも法のプロについていくことになりました

。   しかし、これは心と脳に「見えない深傷」を負った旅でした。 傷はまだまだ増えました。 何よりも

社会的信用がなくなるので、借り入れ先やとにかく周囲との摩擦が大変で理解してもらえず、傷は身体中に

増えました。  治療をする間もなかったのですが、それでは結果、死ぬしかない・・・・と思い、医療費を使わず

自然のもので治癒する方法を研究しました。  不安障害、うつ・・・・は二人に交互にやってきました。

手足が震え、少し他人に叩かれても恐怖で外へ出ることができませんでした。 かろうじて店には通いました。

ちょっと思い出すのは、震えが出るのでまたにさせていただきますね。      今、抜けてきた真っ暗なトンネ

ルを振り返るのは少しづつにします。   法テラスは貧乏でもできる制度ですが、あまりに悲惨な人は、やはり

無理があります。  助成は何でもそうですが、「ある程度の安定」が必要になります。でも、本当はそれでは

だめですよね。   底辺が使えて一歩ずつ卒業できるようでないと。   私はそれも、多分「底辺」の人間の

最高峰(笑) として、未知の世界を歩き始めました。  ゆえに、底辺の人が使える道を切り開いて、報告

しますね。     もう少し待ってください。                 (続)


今日は自分を反省してみます。   自分は何故、こんな愚かな役割を果たすことになったのかを

反省することは大事だと加藤諦三さんは言っています。  何故、そんなにまで相手の下に下にならねば

ならなかったのかという反省です。  私は当然本部は様々なノウハウを持っているからこそ「指導」にいく

のだと思っていました。  成功に導くそれがあるからこそ、本部と加盟店は多少の上下関係があるものだと

思っていました。   しかし、それはない・・・・・自分で考えてするのなら・・・・・業者と客の関係と同じということ

になります。   買物の責任はこちらになるのですから、当然増減のできるシステムでないといけない。

   「これ以上買いたくない」と言っても「許さない」優越的な事業ではいけないはずです。  私の場合は

生まれてから今までの生き方を全部、根こそぎやり直すことになったのでした。  どこかに、こんなに虐げら

れる「種」を撒いていたはずだからです。   これはこの先、同じ目にあわないために必要なことです。

 すべてを「自分のせい」として抱え込むのではなく、弱かった部分を認める必要がありました。

私はここで「何かあればすぐに弁護士」という選択も考えものだと思っています。  お金のない人間には

今は法テラスなどの制度がありますが、これも最終的には「卒業」する覚悟は必要です。

 生きていく道として、いったんそんな助成制度に預けることもありますが、それに依存しっぱなしはいけないと

いうことになります。  ここは貧困者の切ないところです。  「ただでご飯を食べていいよ」といってくれる人

がいてもずっと~は無理なのです。  これは本部の件も同じです。 しかし、ひとつだけ道理に叶っていない

のは「だったら買うのを減らします」ということが許されなかったことです。  これは、いちど

話し合いで記録されているので明らかなことです。        大切なことは愚かさを顧みても、それだけで

は解決になりません。  事故と同じですが、どんなに小さな店であっても「車同士」というみなされかたになっ

てしまうのは心外ですが 経験のない弱いお店は多分、ひとたまりもありません。  ここまで生き延びてこれ

ただけでも不思議です。   「強くなることが大切」といっても、一変には無理ですね。  1ミリずつでも進む

ことです。  しかし、後退もあります。   言ったように世の中の大半は「長いもの」に巻かれていくので

逆流するのは、命を滅ぼします。    私達はいったん陸にあがることができましたが、流されて夜逃げや自

殺に追い込まれる人は多いはずです。  身体と精神の消耗は計り知れませんから、必ずしも勧めることは

できません。   「先を見越して」  このままではいつかダメになる・・・・・とはっきり認識できる人だけが

1ミリの前進ができるんでしょう。     マイナス思考プラス思考、両方必要です。  自分を知るために

「マイナス限度」も知っておくべきなので、落ち込みの訓練も大事。  とにかく、生き方すべてひっくり返した

状態でした。心の傷や脳の傷は人からは見えないと加藤さんも言っています。 理解してもらえない。外見から

見える怪我ではないからです。  傷口や損傷はわかりません。  それが精神世界の厄介なとこです。

 見えたら見えたで「引く」人もいますから、「傷のないふり」もしてしまうでしょう。    とにかく、そんなことか

らやり直すのですから並みの力ではないんでしょう。  そうならないためには、踏み込む前に

「それなりの力」をつけておくべきです。  そしたらかえって「相手はやってこない」と思う。   私達のように

「法」という武器を振りかざされたら闘うしかありませんが、そうなる前に、自らの地盤を上げることが必要です。

できるだけ「フェア」に近く。             (続)

                                          

    *記事の無断転写を禁止します*