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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 このシリーズを始めたとき、私は数人のブログの仲間に閲覧をお願いしました。  心配をおかけしてごめん

なさい。 そしてありがとうございます。  ありがたいことに、事情を話していないブログの仲間の人たちも

見捨てないで閲覧、コメントをいただいたりメッセージをいただいたりしています。  ありがとうございます。

 世間では次々と社会的に人を混乱させるような事件が起こり、宮崎はとくに大変なことになっているようです。

長年、酪農に携わってこられた方たちの、失意、焦燥感、怒り、哀しみ・・・・そして死活問題。何の罪もない

わが子のように育てきた牛たちの行く末。   混乱のなか、何をすることもできません。 本当に無力の何者

でもない。  自分たちにできることは、ほとんどありません。    祈りを聞き届ける何か、誰かがいるのか

さえわからない。  そんななかで、今、自分のできることを考えてみて、ひとつの答えにたどりつきました。

   それは、「命をいただくこと」を考えなおす・・・・・ことです。   毎日、当たり前のように、いただいている

牛肉や豚肉、鶏肉・・・・魚・・・・野菜まで。   とくに、人間が当然のように食べている肉は、どんな風に台所

にやってきてるんでしょうか。  「今、そんな悠長なことをいっても始まらない」と叱られるのを覚悟でいいます

。     そして、毎日大変な思いで暮らしている地元の人たちに、うなだれて頭を下げながら、なお、いいます

。日本の異常事態に危機感を募らせ、焦る人にも。  「じゃ、何ができますか?」対岸の火事ではありません。

 自分の仕事や生活を放りだして現地にいくこともできない。  自分の暮らしもままならない。

何ができますか・・・・これは戦後~高度成長期を経てバブルがはじけて今日まで・・・・日本が私達が

「命をいただくこと」 食べ物を粗末に追いやってきたことの結果のなにものでもない。    今、私達が

宮崎から離れて見守る私達にできることは、せめて「命を感謝していただく」、大切に考えることしかない。

  それしかできないということです。  そして、ゆっくりと変えていくこと。   ブログを見守ってくださる人たち

にも実は「何もしていただけない」ことはわかっていました。  だから、その事実は水面下において表向き

笑っていればいいのかというと、かなりの無理がありました。  事実を伝えながら、見守っていただいて

そして「自分の家庭や生活、人生を大切に思いなおして下さい」というのが私からの願いです。

 宮崎の牛達にも、農家の人にも、今何かできるかというと何もできません。   だから、あえて・・・・・

「命あるものをいただくことを考え直す」そして、実行するということです。  今日、食べたいお肉に少しブレー

キをかける。  ずっとじゃありません。  (お肉やさんにも生活ありますからね) 命あるものを「むさぼる」

ことをやめるんです。   500gを200gにすることでもいい。  ひとりでも、そういう流れを作ることから

世間がゆっくり変わっていくのを祈るしかないのです。  無力です。今すぐ何もできない者はその「無力」を

感じて認めたうえで、「命あるもの」を大切に扱う心から始めるしかない・・・・「牛さん、ごめんよ・・・・」とうつむい

て。      このブログに向き合ってくれてる人も「何もできない」でかまわないです。「自分の家族と生活を

大切に」生きてくださいね・・・・・  むさぼりをやめて、少しだけ食べていきませんか?  もちろん感謝を

忘れずに。                              夢りんごは 実行していきます。  宮崎平安な

暮らしが戻るように。                       

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退屈な思いでおつきあい下さってるみなさん。   ごめんなさい・・・・でももう少しです。

 私がこのブログのシリーズを始めた理由はいくつかありますが、少なくとも「暴露ブログ」ではありません。

今になって「暴露」していることもありますが、これをすることで本部も社会的に少しでも加盟店に「ひどい」

ことをしなくなってくれることを望んでいます。  以前は自分たちは「試験的」に扱われてひどい目にあったの

に後々、いい本部になられては「悔しい」気持ちもありましたが、今は少し違います。

 関係者の人が見ていることで、会社的にも「陰でわるいこと」ができないとも思いました。 それは、自分たち

が犠牲になったその上に成り立つものですが、それでもいいと思うようになりました。自分らの「怒り」は怒りと

して、伝える一方 最初に理想を語ったとき「良い本部にしたい」と切にいっていた、その人の約束どおり、

「いい本部」にしてもらおうやないか・・・・と思うようになりました。  未熟な立ち上げで、犠牲的になった加盟店

への謝罪の思いが生まれたら、きっと両方が解決するはずだからです。 黙っていたら、どんどんいってしまう

から、止めたんです。  ・・・・・    ・・・・・    さて、初夏のような暑さがやってきましたね。

  夢りんごの初夏は、「オーガニックシロップのかき氷」の準備から始まるのです。   おいしい「ナンドック」

も好評です。  フェアトレードコーヒーも無農薬だし、ネパールの有機紅茶もおいしい。  こういう食べ物に囲

まれている「幸福感」は、誰よりも手近にあるのです。  みんなのブログのように、なかなか有名なレストランに

は行きませんが、小さなスペースで、「おいしいレストラン」が自分ちだと思っています。

  季節は初夏。   「若葉」が生き生きと芽吹き奈良鹿も美味しそうに草を食べてますよ。

「そんな、うまいんかな」とちょっと食べてみたくなります(笑)   いちおう菜食主義、草食系なので。

「え?その性格で草食系?」という人は・・・・・間違ってますよ^^  ものすごく、薄っぺらで柔らかいとこがある

ので「弱肉強食」の餌食にあやうくなるところでしたから。     先日は、ちょっと親孝行、土と苗を買いに

両親をつれて出ました。   もう随分、歳老いました。 ささやかな、親孝行はしておかないと、こちらは

あまり時間がありません。   「口げんか」する父母を見ていると、最近は「ほっ」とするから不思議です。

昔は嫌で嫌でしかたなかったのに。   「お!絶好調やな」と思うんです。  何度も病気や手術を越えて

きてるので余計ですね。    みんなも「日々のささやかな幸せ」を大切に。  家族に嫌気がさしたときは

夢りんごの生き方を思い出してくださいね。  「あんなバカもがんばっとるんやから、家族でがんばろう」

なんて思ってくれたら・・・・・ちょっとはみんなの役にたてて嬉しいです。

ストレスや欲望は、半ば生理的な現象で、努力してもどうにもならないことが多いものです。

人の体質と関係があるから、 簡単に変えることはできません。  でも、少なくしたり小さくしたりすることは

可能です。     極度なストレス社会にいたため、私は真逆の生き方をしてみました。(これより生きる道はあ

りませんでした。)   すべてのハードルを下げ、ぎりぎりの暮らしに生きたのです。  すでに、身体も心も

ボロボロだったので、できるだけそれよりストレスを増やさない生き方、人からどう見えても凹凸の高低を小さく

欲望を感じない(我慢を少なくする生き方)に変えていきました。  それが、生活と仕事の同化です。

  今、扱っているフェアトレードでオーガニックなものは、自分でも使える、生活用品や食品なので、できるだ

け、買物はせず、すべての品物を使って人に話しながら販売もするようになりました。

アンフェアな思いに苦しんできたので、両方が成り立つような、関係を築き 何かに行き当たったときは

フェアトレードに進めました。   売れ残りを使ったら自分が豊かになるし、売れれば少し経済が動きます。

  どちらになっても「幸福感」があるということは、ストレスを小さくできるし、   少しづつ買いいれることで

欲望はどこかに行ってしまいました。  自分の位置づけ、ポジションを明確には見ず、貧困でも何とか、

のしていけるように暮らしました。   離れる人とそうでない人を知ることができました。  表向きは笑って

いても、いざとなれば「血相をかえて去る人」もいました。   「そうであったか・・・・」と見送りました。

 世の中は強いものに・・・・だいたい支配され、巻かれていきます。   その方が楽だから、そうしたい時も

ありました。  でも結果的に、楽なほうを選ぶと、もういちど壁にあたりました。  なので、ひとつずつ、

思ったほうへ歩きました。   今、そのギャップに、ちょっと苦しい思いをしています。

  娘と、近くに出かけました。 「炊飯器も限界よなあ」と思うけど、棚の商品の蓋をあけてみるだけ。

そうしてるうちに、「あ~なんて、普通じゃなかったことか」と思いました。 みんなが、買物を楽しんでいるのを

「あ~何年してないかな」とも思いました。   たまに、自然のなかに、出かけても基本的に「おにぎり」を

持っていき~出先で「駅そば」を食べてすます、アウトドア。   でも、それでも「生きてる心地」がすれば

幸福感はありました。    つれあいと関係がうまくいかない時は、電車の席を別々に座りました。

 「うまくいかない日もあったなあ」と、後から笑えばいいと思いました。   そんな風に生きると・・・・・

そのうちに、生きる希望が生まれてくるようになりました。     (続)


 夢りんごの好きなことは料理です。  これは男の手料理より大雑把だったり、きぬさやの一枚まで繊細だっ

たりしますが、とにかく人のために(自分のためにも)料理を作ることが好きです。 つれあいはほぼ・・・・

この手料理にころっと騙されたかもしれません(笑)    料理以外の家事は、不得手かなと思いますが、最近

掃除、片付けに凝っています。   もう、数年・・・・意欲のなかったことでした。

 し始めるとなんと・・・・不要なものが多いことか・・・・・基本的に病院に行かないので(アレルギーもあります

が、お金がかかること、費用と待ち時間のわりに、一向に治癒しないこと、医師や看護師さんが若すぎて、忙し

すぎて、ミスをしないか不安なこと、・・・・・などが原因です)   以前の薬の使えなくなったもの一切を整理し

ました。   今日は、ゲストハウスなどのイベントがあり、お料理のお手伝いもしたので稀にみる多忙でした。

  でも、定番の得意料理を心置きなく披露して気持ちよかったです。   今、疲れを少し癒しています。

思えば、素人デビューでした。  素人のすることではなかったのです。 でも、突然、取引を停止して、断崖

から落とされた時、何が起こったかわからないまま、逃げる理由もわからないまま、私達は世間知らずに歩き

はじめました。   「ふうん・・・・そうなのかよ」とそれほどふて腐れた気持ちではなかったけど、「ちゃんと話そ

う」としているのに追い込んで切るなんてあんまりなので、「どうなるか」はわからないけど歩いてみたのです。

 当然、普通の暮らしではありませんでした。  でも本部の役員さんは「普通に暮らしている」と、ご近所に

触れ回りました。  今、ここで正確に伝えると「普通に暮らしている・・・・ふりをするしかない」ということです。

 一体、どれだけの人が似た思いをしているでしょうか。 そうしなければ、生きていけなかったことが、本部の

役員さんにはわかるでしょうか?  人の180度の裏切りと貧困と、それでも生活しなければいけない毎日と。

 「普通の暮らしをしている」と不満なようでしたが、取引の停止が「普通に暮らせないだろう」とわかっていたと

いうことですね。 どうか、訂正をお願いしますね。  触れ回った人に「普通に暮らしているふりをしてきた」と。

 「多分、こうなるだろう」という定説を、ひとつひとつ確かめて、いくこと。  それが私達、世間知らずの事業者

のテーマになりました。   たとえば「普通待ってはくれない借入先」 「信頼関係のなりたっていない取引先」

・・・・・多分、相手にされないであろう助成金など、ハードルを越えていく作業をしました。   最初は焦って

高いハードルに挑戦してしくじりもしました。   まだまだ、未解決な問題が山と積まれています。

 ときどき・・・・目がくらみます。  世間知らずで歩く荒野が、ちょっとずつ道になりかけています。

   荒野にも「薔薇」が咲きます。   そんな花を見つけたときは、嬉しくてしゃがんで見たりします。

仲間はそんな「花」に似てますね。   小さな旅も、子供達や親の笑顔も、音楽も・・・・荒野の花のような

存在です。   「時々、あ、生きててよかった・・・・」と思えます。  逃げたい人は逃げればいい。

「なんかおかしい」と思い、どうしても納得いかない人は、「世間がどうであれ」  荒野を歩くことです。

世の中に流されるかもしれない。でも、ひょっとして、思わぬ薔薇に出会うかもしれません。  言うまでもなく

「ほとんど、未踏の茨の道」です。    それでも、ただ逃げて落人になるよりは納得ができるかもしれません。

                                                  (続)

 いろんなことが、付きまとう事件でしたが、辛かったことのひとつに、人の好意を単純にうけられないように

なりました。   「裏」とまでは思いませんが、後からどんな風に返ってくるかは解からず、簡単なことでも

人に甘えたりできなくなりました。  そして、それは事実、あとから怖いかたちで翻されたりすることがありました。

「人間恐怖症」でした。  手足も震えてその場所にいけなくなりました。でも、仕事で行かねばならないときは

震えながら行きました。スタッフの心に障害のある人に付き添ってもらったりしました。  そんな風に怯えて生

きると、物事が、当然悪い方向へいきました。  かなり、心臓にも負担かかったことでしょう。          経済的な負担を、自分もないのに実家が助けてくれたり、知人が資金を少し調達してくれたりした時はありがた

いのですが、困りました。  それで、ていねいに「お断り」をするのですが、どうしても置いていかれます。

返済の目途はないからといっても「必要ない」という好意が一番辛かった。  支配されるのではないかと不安

が募りました。      母は、80歳を越えていますが、娘(私)が何を考えているのか最初はわからず当然

対立しました。  でも・・・・時と共に・・・・「フェアトレード」に生きるようになってくれました。

お断りしても、資金を調達いただいた時は、いただきました。  でも、後日、「子供達に」と孫の着ない服を

持参されたときは「お断り」しました。 その際、母は、前日のお金も一緒に丁寧にお返ししようとしました。

「お金だけもらって、リサイクルの服はいらない」とは勝手だと思ったこと。それと「見下されている」と感じるのだ

と、先方に正直に話したそうです。   母は、正しいと感じます。    もちろん、先様は受け取られません。

私はこれを「債券発行」と名づけてお預かりすることにしました。   もちろん、助かりました。

 こうして少しずつ・・・・人の心を信じる気持ちを回復させてきました。 もちろん、まだまだです。

先日も事業に力を貸したいと、閲覧の仲間が声かけていただきました。  にべもなく・・・・お断りしてしまいまし

た。  申し訳なかったです。でも今、私達と事業的おつきあいは、やはりしないほうが賢明だと思いました。

  時がくれば、自然につながることがあるでしょう。  誤解を与えてるかもしれませんが、今は

孤軍奮闘しておきます。   母は、貧困になっても、対等につきあおうとしているようです。やっと、同じ心

になりました。  私も同じです。   みなさんと、引け目なくおつきあいさせていただいています。

  さいわい、ブログの仲間は個性的ですが、いろんな経験をもつ人がおられて、それぞれに、辛い体験も

されているので、とても幸せなことだと思います。 これからもよろしくお願いします。世の中には・・・・・

結構大変な人もいるとも感じました。  励みにもなりました。   だから・・・・この月まで、きちんとお話しして

一応のけりをつけることにしています。