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 痛手を負った身体と精神世界から生きるしくみを 作りなおしています。  人と人がフェアトレード できる社会、幸福感を作ります。
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 フランチャイズで痛手を負うのは私達だけではありませんが、私達だからこそ、こんな思いをしたという

お話しをします。     だいぶん退屈されてきたかもしれませんが、あと少しです。^^

 普通は相手は会社であり、痛手は会社に負わされたというのが世間のお話ですが。  私達の相手は

たった一人です。いや・・・・二人かな・・・・どちらにしても、一人の人のひとつの勘違いが大きな間違いになった

と思われます。      それは、先方にとって私達の店は、「加盟店」ではなく「直営店」だという勘違いです。

 加盟金や保証金・・・・その他すべてを支払い加盟しているにも関わらず、店の実権がなぜか、最初から

本部の社長が握っていて、ほとんどその通りに動いてしまったことです。   普通では考えられないのですが

「最初に成功の約束」をしていて始まったので、向こうも「責任」を感じていたのだとは思います。

  しかし・・・・・オーナーにはオーナーのそれぞれのやり方がありますし、途中で立ち止まって暴走しないよう

に考えながらする「権利」はあるはずです。   そうしなければ、払えなくてもどんどん買いうけてしまいます。

  「暴走」はその人のやり方です。    ほとんどの加盟店が、数をさほど増やせないのは、「払えなく」なって

はいけないので、売上をそんなに伸ばせないのです。   「その権利と自由」が私達には許されませんでした

。   「とにかく数を増やすこと」だけが指導で、たくさんのお客さんをどさっと回されたこともあります。

「売上を上げてやってる」と思っていたようです。     「加盟店」・・・・・よりも「部下」だったのだと思います。

だから、清見村へ犬の供養に出かけたことを、法の書類に提出したり、腹を立てたりしているのでしょう。

本来・・・・・そんな権利はあるはずだし、「こういうことをしているから、だめなんだ。」と言わんばかりですが

もし・・・・・法で決着がつくことなら、「売上」が少なかろうと、潰れないように「小さく買う」権利もあるはずなので

す。    現にその人の加担したお店は、トラブルになっておおごとになったり、いつの間にか、「直営店」に

なっていたりします。   この内輪のトラブルや破綻の現実を、直接聞いているのです。   ことの経緯を

会社の役員さんが、打ち明けたり泣いたりしてきたのです。   そんな、「内情」のほとんどを知っているので

葬り去ろうとされたのでしょうか・・・・・ご本人に聞いてみたいです。  もし、閲覧されているなら、お話ししたい

と、今でも思っています。   このブログで、対等に話しができたらいいのにと本当に思います。

  「ブログが目障り」というよりも、この場所に下りてきて目線を対等に向きあいたいと望んでいます。

脅しまがいの書類をうけたり怖い思いをしてきたので、まだ、怖いですが、それでも事実は事実として

向き合う必要を感じています。      あなたは勘違いをして、加勢したのです。  踏んではいけないアクセ

ルと握ってはいけないハンドルを握って暴走させ・・・・事業が傾くと取引を切って、闇に葬ろうとされたのです。

そして「被害者は自分」と言われているのです。    私達はむしろ・・・・「何もしないで欲しかった」のです。

しかし、その声は聞いてもらえなかった。     私がフェアトレードに出会い、「支援」を考えてここまで

見えてきたのは、必然といえると思います。    途上国の思い・・・・・それは、私達のお店と同じです。

「あんたらのためにしてやった。」とその人は勘違いをしているのです。 もしも人のためなら・・・・・

いつもいうように、多額の請求書や、怖い書類はついてこないはずなんです。   ただの加盟店のひとつなら

犬の供養をしている、ブログに腹をたてたりなんかしませんもの。その、私情こそが、勘違いなのです。
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 そろそろ・・・・本題に戻らなければ時間がありません。 このシリーズを書き始めて一ヶ月。  それまでも

ブログの水面下に、この問題がいつも流れていたのですが。  ちょっと、最近は挫折していました。

 身近な人の死や、逃れることのできない病気や、老い、日々の衣食住をこなしているうちに、ブログ以外に動

くことが、次々と押し寄せてきます。   ・・・・  底辺から、とりあえず、歩き始めたという感じです。

  ブログを読んでくれているほとんどの人が「まあ、普通の暮らし」の人たちだとすれば、私達のいる場所は

 あと少しで、仲間入りできるかどうかという地点でしょうか。

 事業は、お金を大きく投資するものだと思いこんでいる事業家が多いです。

でも、事業は100円のものを100円で買うことから、いえ、金がなくても物々交換することから始められます。

売るほうと買うほうが両方成り立つ事業。これがフェアトレードです。   私たちが、嵌められた事業はアンフェ

アな事業です。   でも、最初、夢を語るその社長の姿や言葉。  力の入れようを見て「この人は、必ず双

方のことを考えて事業される」と思いました。  信じてしまいました。   いや、信じなければ始まりませんでし

た。   単純に考えれば、その人でなければ・・・・嵌められることはありませんでした。

  だから・・・・恨みとか憎しみとか・・・・許せないとかという、闘争的な気持ちよりも「騙されたことも信じられな

 い」状況でした。   騙されているのになお・・・・相手の有利になることを言ったり、かばったりしていました。

相手もどこかで気がついてくれる・・・・・情けないほど健気な思いがどこかにありました。   それは違うのだと

やっとわかりました。   下でにでれば余計に搾取していくのでした。   法の闘いは、一般市民にはハード

ルの高いことでした。   無理をして頑張ると、どこかがへし折れて、壊れるようでした。 少しずつ、「地固め」

をして自分の地位を上げていきました。  地位をあげるとは、何も有名人になることではなく、偉い人になるこ

とでもなく、ただ・・・・・対等に向き合える存在になることです。  優越的に見下されるのではなく、対等に

目線を合わせるところまで、足元を固めることでした。    先方が取引を一方的に打ち切ったおかげで、経済

状況もどん底からでした。   今、ただ・・・・生きていることに・・・・ただ感謝です。

  もし、私達ほどではないにしろ、この荒っぽい事業に振り回されて、行く末を見失っている人がいれば、

何かの「灯台」のような役目ができればと思っています。   すべてがうまくいく方法なんてないけれど、

置かれている状況で、何かできることがあれば・・・・  どうぞ、相談くださいませ・・・・

また、以前のように、ご意見や相談、もちろん応援感謝しています。  

ナチュラルポエム村  夢りんごまで





 

 神様かなんかが・・・・・「あんたは、この世で、濡れ衣を着せられた人のために、力をつくしなさい。」

と言われているのかもしれない。   そうでなければ、自分にそんなことが起こるはずはない。

 などと思うようになった。


  昔のように、信濃路の残雪を、見たくなった。    私が子供達に教えてきたことで

  まあ・・・・・いいかなと思う教育は・・・・ほとんどない(笑)   いったい何を子育てしてきたのかと思うことの

  ほうが多い。    だけど、たったひとつだけ、もしも「お母さん、あれはまあ正しかったで。」といわれること

  があるとすれば、どんな時でも「心にアルプスを描く」ということを、教えたことかな・・・・・と思う。

アルプスとは「北アルプス」「南アルプス」「中央アルプス」   ・・・・とりわけ「北アルプス」である。

小さいころから、どこに行くかといえば、雪を頂きに残した「北アルプス」を仰ぎに出かけた。

 辛いことも多かった子供達の幼少時代。   遊園地や動物園よりも、思い出は「北アルプス」の雄姿。

 そのことを、子供達は今でも覚えている。    「お母さん母の日てなんかいる?」「そういえば、もう三年くら

 いは母の日もらってないよな。」「え?んなことないやろ?  2年ちゃうか?」「いやあ三年はないで(笑)」

 「でも、お母さん、あんな、花なんかいらんやろ?」「え・・・・いらんないよ。花好きやん。」「でも花なんか、なん

 も、面白ないやろ?」「あんた、そんなん受けねらいでするもんか?」      久しぶりの息子が、

洗濯物をたたむのを手伝いながら・・・・・話す。     「こうして話すので十分や」と心で思う。

   そうや・・・・プレゼントなんか構へん・・・・洗濯物を一緒にたたみながら交わす会話で十分や。

「だけど、やっぱり、もらっとこうかな^^ 」「CDでいいわ・・・・安いんでいいから」「え?いるのん?・・・・しゃあな

いな」            母の日・・・・・どんなに過ごしましたか?^^

学生同士の駅でのふざけあいで、一人が線路に落ち、片方が「押した」「いやつまづいてあたった」と訴訟になったと聞きました。     同じように無人駅でのできごとだったと思います。

幸い、列車は急停車して、命は落とさなかったようでしたが。   なんとも・・・・疲れるお話しです。

どちらにしても 「度」 が過ぎたのですね。   いたづらにしては「度」が過ぎた。もしくは、過失にしても

力の「度」が過ぎたのでしょう。    しかし、これは・・・・大人の世界です。   青春時代の思い出には

もうなりません。     今の時代、こうなる前に「間で話しをつける人」という役目の人間が、もういません。

  人と人を、抑える力をもった、例えば地域の「力ある人」というのがいませんね。だから、何かにつけて

 一足飛びに「弁護士」ということになります。 しかし、所詮は人と人。    法の決着が全て正しいわけでは

 ありません。       世の中には、私達と同じ、いやもっとひどい、濡れ衣を着せられて、服役までして

 社会に戻ってきた人もいます。   ほんとうに、身近にそんな人がいます。   

今日の新聞に「信号無視はいけないと言って、明らかに誰も車も通っていない赤信号をじっと待たねばならないか」という記事がありました。    その人が赤信号で動いて、もちろん何か事故になれば、責任の一端は問われます。   でも、逆に、「青信号」でも悠然と渡ってはいけない「青」があります。   そんなことを言ってたら「赤」も「青」も渡れませんね(笑)    信号のないとこだったら、もっと危なくて・・・・

作家の五木寛之さんは大好きな車の運転を、やめられたのは、最近のドライバーのマナーの悪さに怖くなったそうですが・・・・・同感です・・・・・    お話しがどんどんそれました。

   明日は紅茶プロジェクトのイベントで、途上国の手仕事の作品を販売してもらいます。

イベントのプランニングとプロデュースも夢りんごの仕事です。

                                                 (続)



久しぶりに梅雨の前のような雨が降りましたね。

そして今は・・・・・夕方の陽射しが降り注いでいます。

 友達にエアメールを出してきました。    強い女性です。

私にはまねができません。   伴侶と別れ、持ち家を売り払って二分しても、どちらも路頭に迷うので

彼に譲り、家を出たといいます。    優しい女性です。   何もとらず・・・・・

心身をいためた彼のために離れゆき、・・・・・・

私なら、   少しはなれて、また踏み込みます。   そしてまた、後ずさります。

もし、自分と離れて相手が幸せなら、    嬉しいけれど、やはり悔しいから、   きっと泣くと思います。

多分、きっと泣くと想うので、多分きっと・・・・・・そのまま、夫婦でいると思います。

   離れることでお互いが幸せなら、そうするけど、どちらかが不幸せ、もしくは犠牲になるなら

   やっぱり、少し離れても、また近づいたほうがいい。     そんなにいつも、そんなにずっとうまくばかり

   いかないから。    時々、距離をおくけれど、   でも、やっぱり、きっとそのままいようと思います。

強いことは・・・・・・そんなに長くは続かないから。    みすぼらしく、小さいほうの、自分が本当の自分だと

見栄をはらずに、ちっぽけなほうの自分に合わせることが大事です。   背伸びした、強い自分にあわせると

後の人生がつらいから。     いつもハードルは低いほうに・・・・・・・  また、きっと泣くと想うから。